満月の夜、絡み合う視線
「グラーファ様……」
マカールが警吏に連行された後、ルフィーナは安堵したような声を出す。
「ルフィーナ嬢、助けるのが遅れて本当にすまない。怖い思いをしただろう」
エヴグラフは本気でルフィーナを案じてくれていた。
「はい。でも……グラーファ様がいらしてくれたら安心しました」
ルフィーナは涙を流しながら微笑む。
エヴグラフはそんなルフィーナの涙を優しく拭った。
「それなら良かった。ルフィーナ嬢、立てるか?」
エヴグラフはルフィーナの顔を覗き込む。
しかし、体に力が入らないルフィーナは、ゆっくりと首を横に振る。
「ならば少し君の体に触れるが良いだろうか?」
低く優しい声のエヴグラフ。
ルフィーナはコクリと頷いた。
すると、ルフィーナはエヴグラフに横抱きにされる。
エヴグラフの香りが、ルフィーナの鼻を掠めた。
少し心臓が煩いが、エヴグラフの香りに包まれたルフィーナは安心感に包まれ、エヴグラフに全てを委ねた。
その後、ルフィーナはエヴグラフにロマノフ家の馬車まで運ばれた。
ルフィーナが乗り慣れた馬車である。
「俺がもっとルフィーナ嬢を見ていたらこんなことにはならなかったと後悔している。本当にすまない」
エヴグラフは深くため息をついた。
そんなエヴグラフの様子にルフィーナは慌てる。
「いえ、グラーファ様は何も悪くありませんわ。私が油断をしてしまったせいでございます。グラーファ様にお手数をおかけしてしまい、本当に申し訳ございません」
「ルフィーナ嬢が謝ることは何もない。君は何も悪くないんだ」
エヴグラフのラピスラズリの目は真っ直ぐルフィーナに向けられていた。
力強く、それでいて優しい視線である。
ルフィーナの表情は柔らかく綻ぶ。
「グラーファ様、本当にありがとうございました」
すると、エヴグラフはフッと穏やかな表情になる。
「礼には及ばない」
規則正しい馬の足音が聞こえる。
馬車の揺れは、ルフィーナにとって心地の良いものだった。
「それにしても……ストーカーの正体がマカール様だなんて思いませんでした。まさかタラス・フォミチ様まで殺していただなんて……」
ルフィーナはマカールのことを思い出し、表情を曇らせる。
「本当に許せないな。ルフィーナをこんなにも怖がらせたのだから」
エヴグラフはルフィーナの為に怒っていた。
「でも、何故タラス・フォミチ様を殺したのでしょう? タラス・フォミチ様には暴力を振るわれそうになりましたが……」
表情は曇ったまま、首を傾げるルフィーナ。
「……それが原因の可能性はあるな」
エヴグラフは馬車の窓の外を見ながらポツリと呟いた。
窓の外には大きな満月が見える。
「私がタラス・フォミチ様から暴力を振るわれそうになったことがですか?」
ルフィーナは不思議そうな表情でエヴグラフに目を向けた。
「ああ。マカール・クラーヴィエヴィチはルフィーナ嬢に並々ならぬ想いを寄せていた。だから、君を害する存在全てを許せなかったのだろう」
「そんな……」
ルフィーナは俯く。
そしてふと思い出す。
いつかの新聞にルフィーナと交流のある令息達が大怪我をする事故や、ルフィーナに嫌がらせをした令嬢達の醜聞がこぞって公表されたことを。
「もしかして、それらもマカール様が……?」
少しだけルフィーナの声が震える。
「その可能性はあるだろう。ルフィーナ嬢に好意を持つにしろ悪意を持つにしろ、君と関わる奴らが許せなかったのかもしれないな」
「では、彼らは私のせいで……」
ルフィーナは悲痛そうな表情だ。
自分のせいで彼らは人生を狂わされたのだ。
ルフィーナは申し訳なさでいっぱいになった。
「ルフィーナ嬢、君は何も悪くない。悪いのは全てマカール・クラーヴィエヴィチだ。君が悪くないことは、俺が保証する」
力強く真っ直ぐな声。エヴグラフのその声は、まるでどっしりとした大木のようである。
「グラーファ様……ありがとうございます」
エヴグラフの言葉に、ルフィーナの心は少し軽くなった。
ルフィーナの強張った表情は少しだけ綻んでいた。
(グラーファ様のお陰でストーカー騒動解決だわ。だから……グラーファ様は、多分これ以上私と一緒にいる理由はないわよね)
ルフィーナは少しだけ寂しくなり、胸がチクリと痛んだ。
「グラーファ様には今回の件で大変お世話になりました。本当に、感謝してもしきれません」
ルフィーナはペリドットの目を真っ直ぐエヴグラフに向けた。
最後になるかもしれないのだから、せめてしっかり挨拶とお礼をしておきたかったのだ。
「ルフィーナ嬢、俺がやりたくてやったことだ。愛する女性を守りたいと思うのは、男として当然の感情だからな」
エヴグラフのラピスラズリの目は、いつも以上に真っ直ぐで、優しく、力強い。
ルフィーナは思わずその視線に捕らわれてしまう。
マカールからのねっとりとした気味悪い視線とは違い、エヴグラフからの視線はドキッとするが安心感もあった。
「愛する女性……?」
ルフィーナは胸が高鳴っている。
いくら鈍感でも、直接そう言われると気付く。
(グラーファ様……私、期待しても良いのかしら?)
ルフィーナの頬は林檎のように真っ赤に染まる。
「ああ。俺はルフィーナ嬢と出会い、関わっていくうちに、ルフィーナ嬢を女性として愛するようになっていたんだ」
低く凛として、優しい声。エヴグラフの真っ直ぐな言葉。それらはルフィーナの心の深くまでスッと沁み渡った。
「グラーファ様……嬉しいです。私も、グラーファ様が……好きです」
ルフィーナは感極まり、ペリドットの目からポロポロと涙が零れた。その涙はまるで水晶のようである。
「ルフィーナ嬢……!」
エヴグラフは明るく嬉しそうな表情になり、もう一度ルフィーナの涙を優しく拭った。
そしてエヴグラフはそっとルフィーナの手を握る。
「ルフィーナ嬢、後程正式にロマノフ家の方からも申し込むが……俺に君の夫になる名誉をくれないだろうか?」
エヴグラフの表情からは、人生全てをルフィーナに捧げる覚悟が感じられた。
ルフィーナはゆっくりと頷く。
「はい」
感極まっていて、それがルフィーナにとっての精一杯の返事だった。
しかし、エヴグラフはそれで十分のようだ。
満月の夜、ルフィーナのペリドットの目と、エヴグラフのラピスラズリの目はお互いに真っ直ぐ見つめ合っていた。
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