動き出したストーカー
「ルフィーナ嬢、素敵な刺繍のクラヴァットをありがとう。毎日でも着用するよ。そしてまた君との時間を楽しみにしている」
クラーキン公爵家の帝都の屋敷までルフィーナを送ってくれたエヴグラフ。彼は凛々しくも優しい表情でルフィーナを見ていた。
「こちらこそ、グラーファ様にはいつもお世話になってばかりですわ。本当にありがとうございます」
ルフィーナはほんのりと頬を赤く染めているが、ふわりと穏やかな表情だった。
その後ルフィーナは宮殿へと戻るエヴグラフが乗った馬車を密かに見送った。
(グラーファ様……)
クラーキン公爵家の帝都の屋敷に戻った後も、ルフィーナは夢見心地である。
ふわふわと幸せな気分で、ルフィーナは眠るのであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
翌朝。
ルフィーナは新聞を読んでいた。
重要そうな記事を熱心に読み、ページをめくる。
このページには特に必要な情報はなさそうだったので流し読みしていたルフィーナ。しかし、ある記事に目が留まる。
『ベスプチン侯爵領のダム決壊に巻き込まれ、タラス・フォミチ・ベスプチン侯爵令息死亡』
「あらまあ……」
ルフィーナは悲痛な表情である。
かつてベスプチン侯爵家のタラスには、夜会で暴力を振るわれそうになった。
しかし、だからと言ってタラスの死に対してざまあみろとは思うことが出来ないルフィーナである。
(そういえば、数日前にベスプチン侯爵領周辺で大雨が降ったわね……。ダムの決壊もその影響かしら。タラス・フォミチ様も運が悪いことに……)
軽くため息をつくルフィーナだった。
そして別の記事へと目を移す。
「ルフィーナお嬢様、お手紙が届いております。旦那様と奥様からのお手紙もございますよ」
そこへ、侍女のオリガが手紙を持って来た。
「まあ、お父様とお母様から」
ルフィーナの表情は明るくなる。
クラーキン公爵領で起こったトラブル解決の為、ルフィーナの両親は領地に戻っていたのだ。
ルフィーナは両親からの手紙を読み、表情を柔らかくする。
「トラブルがもう少しで解決するみたいだわ。お父様とお母様、また近いうちに帝都に来るのね」
ルフィーナはホッとしていた。
「左様でございますか。本当に良かったです」
オリガもホッと肩を撫で下ろしていた。
ルフィーナは手紙がもう一通届いていることに気付く。
「あら? これは……?」
封筒には、『ルフィーナ・ヴァルラモヴナ・クラーキナ嬢へ』とだけ書かれており、送り主の名前が書かれていない。
おまけに郵便社を通さず直接クラーキン公爵家の帝都の屋敷届けられているようだった。
ルフィーナは不思議に思いながら封筒を開く。
「嘘……! 何……これ……!?」
ルフィーナの呼吸が浅くなる。
「お嬢様!? 大丈夫でございますか!?」
オリガはルフィーナの肩をさする。
「これは……!」
オリガも手紙の内容が目に入り、絶句していた。
『愛しのルフィーナ・ヴァルラモヴナ・クラーキナ嬢へ
僕はいつもルフィーナ嬢を見ているよ。だって僕は君を愛しているから。だけど君は今、エヴグラフ・アレクセーヴィチ殿下と一緒にいることが多いよね。きっと君は殿下から一緒にいるよう脅されているんだね。可哀想に。僕が必ずルフィーナ嬢を助けてあげるから、待っていてね。
ルフィーナ嬢を心から愛する者より』
ルフィーナは形容しがたい恐怖を感じた。
「ルフィーナお嬢様、我々クラーキン公爵家の使用人一同、お嬢様に危害が加えられないようお守りいたします。しかし、このことはエヴグラフ・アレクセーヴィチ殿下にもご相談すべきかと存じます」
「ありがとう、オリガ。そうね……グラーファ様にも相談すべきよね」
ルフィーナは力なく微笑むのであった。
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この日もルフィーナは宮殿の図書館に行くので、エヴグラフに迎えに来てもらった。
「ごきげんよう、ルフィーナ嬢」
エヴグラフはルフィーナに優しげな笑みを向ける。
その笑みを見たルフィーナは、先程までの形容しがたい恐怖が少し和らいでいた。
「グラーファ様、ごきげんよう」
ルフィーナはふわりと柔らかく微笑むことが出来た。
ルフィーナはエヴグラフが着用しているクラヴァットに気付く。
紺色のクラヴァットだ。小さな白い花々で縁取られた白い百合が刺繍されている。
「グラーファ様、そのクラヴァットは……」
「ルフィーナ嬢からもらったものだ。お気に入りだからほとんど毎日着用している。これを見た皇帝陛下と皇妃殿下は、素敵な刺繍だと言っていた」
エヴグラフは嬉しそうに表情を綻ばせている。
「それは嬉しいですわね。ありがとうございます」
ルフィーナは品良くふわりと微笑んだ。
「それでルフィーナ嬢、今日は何かあったのか? 顔色があまり良くないが」
エヴグラフは心配そうにルフィーナの顔を覗き込んだ。
ルフィーナはハッと手紙のことを思い出し、表情が曇る。
「実は今朝、このような手紙が届きまして……」
ルフィーナは今朝届いた手紙をエヴグラフに見せた。
「これは……!」
エヴグラフのラピスラズリの目が怒りに染まる。
「ルフィーナ嬢にこんな手紙を書いて恐怖を与えるとは……!」
エヴグラフは怒りにより手に力がこもり、グシャリと手紙に皺が入る。
声もいつもより格段に低く冷たかった。
しかし、すぐに凛々しくも優しげな表情をルフィーナに向ける。
「ルフィーナ嬢」
エヴグラフの声は先程とは違い、優しげである。
「これからはより一層俺の側を離れないように。公務などがない限り、なるべく俺も君の側にいる」
ラピスラズリの目は、真っ直ぐルフィーナに向けられていた。
「ありがとうございます、グラーファ様」
ルフィーナはその視線にホッと安心して肩を撫で下ろした。
「それにしても、どうして私の後をつけたり、このような手紙を送ってくるのでしょう……?」
ルフィーナは軽くため息をつく。
「きっと、何としてでも君と結ばれたいと思っているのだろう。だけど、ルフィーナ嬢に恐怖を与えている時点でそいつは君の隣に立つ資格はないさ」
エヴグラフはため息をつき、空を見上げた。そして視線をルフィーナに戻す。
「ルフィーナ嬢、犯人に心当たりはあるか?」
「いえ、全くありませんわ」
エヴグラフに聞かれてルフィーナはそう答えた。
犯人が誰かなど、見当もつかないルフィーナである。
「そうか。この場合、犯人はルフィーナ嬢にとって見ず知らずの存在の場合もあるが、知り合いの可能性もなくはない。見知った存在にも警戒しておくほうが良いだろう」
「左様でございますか。……ですが、知り合いとなると余計に見当がつきませんわね」
ルフィーナは思い当たる限り知り合いを思い出す。
「だからといって、知り合いに対して警戒心を緩めてはいけない。もちろん、俺に対してもだ」
「グラーファ様に対してもでございますか?」
意外過ぎてルフィーナは思わず笑ってしまう。
エヴグラフはそんなルフィーナの反応を見て、フッと表情を綻ばせる。
「ルフィーナ嬢、そろそろ馬車で宮殿へ向かおう」
「はい、グラーファ様」
ルフィーナは穏やかな表情で、エヴグラフに差し出された手を取り、ロマノフ家のお忍び用の馬車に乗り込んだ。
恐怖心はすっかり薄れていた。
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