吸血鬼の微笑
私の軽はずみな言葉は、大きな地雷をがっつりと踏んでいた。
爆弾発言……だよね。このまま大爆発を起こしてしまうのだろうか。
戦々恐々、体を固くして、思わず上目遣いで理市さんを伺う。
結果から言うと。
襲われたりすることはもちろん、怒られたり呆れられたりもしなかった。
すぐにふっと優しい顔に戻ったあと、理市さんが苦笑する。
どうやら怖い顔はわざとだったらしい。
そのことにほっとして、体の力が抜けていく。
「君はその、なんというか。意外と大胆なことを言うよな」
「お、お恥ずかしい……。考えなしでした……」
「そうだな。少なくとも吸血鬼の前で、血を吸ったら良い、というのはやめておいた方が良いよ」
本当に返す言葉もない。自分の迂闊さに、いたたまれない気持ちになってしまう。
あまりの馬鹿さに、自己嫌悪がものすごい。
ただ理市さんは意外にも、こう言葉を続けた。
「まあ、君の言うとおりではあるんだ。血が足りないなら血を吸えば良いというのは、当たり前のことだよな。吸血鬼の生物的な側面からしても理にかなってる。ただ……」
「……ただ?」
「さっきの質問への答えなんだが、俺は血は吸わないんだ。吸血鬼という名前に反していると思うかもしれないけど」
『理市さんは』ということは、他の吸血鬼たちはこんな場面では血を吸うのだろう。
それでも理市さんがそうしないのには、何か特別な理由があるんだろうか?
じっと視線を向けていると、彼は少し考えてから私に逆に問いかけてきた。
「わけを知りたいという顔かな?」
「ええと……そうですね。私も、理市さんのことや吸血鬼のことが知れたら良いなあと思ってるので。もちろん大丈夫な範囲で……」
今度は慎重に言葉を選ぶ。
血を吸うというのは、吸血鬼にとっては重要なことなのではないだろうか。
だとしたらそれは、『約束』のある私にとっても、大事なことだ。理市さんと一緒にいる時間がそれなりにある以上、お互いのために知っておいた方が良いことはたぶんある。
本当に血を吸わなくても体は大丈夫なのか?
あえてそうしてないとしたら、結構体に負担がかかっているのでは、とか。
人を襲ったりはしないという理市さんの言葉を、私は信じている。
けど、本能的な要求に逆らっているのか、別に全然平気なのか、そのどちらなのかで接し方は変わってくるし、彼にとってつらいことは少ない方が良い。
理市さんが『約束』に対して、どんな気持ちを持っているかはわからないけど……。
ただ彼も思うところがあるのか、考えながらも答えてくれた。
口元に浮かぶ微笑みは、とても切ない雰囲気を漂わせていて、見ている私の胸が苦しくなる。
「俺はね、生まれた時から吸血鬼だったわけじゃないんだ」
「えっ、そういうこともあるんですか。じゃあ、ある時、何かの事情で人間から吸血鬼になってしまったってことですか?」
「そうだよ」
目を伏せてうなずいた時の表情は、苦悩に満ちているように思えて。心がぎゅっとなり、目が離せなくなってしまった。
そのとき私は、昨晩理市さんの寝室で見た、幸せそうな家族写真のことを思い出していた。
でも理市さんは、吸血鬼になったいきさつについては何も語らなかった。
話の流れを変えて、そのまま続ける。
「当然ではあるけど、吸血鬼は普通は血を吸うよ。少なくとも俺が出会った吸血鬼はみんなそうだった。血を吸うことで相手がすぐ吸血鬼になってしまうということはないし。魅了して、相手が倒れない程度に血をもらって、というのがほとんどだ」
それはなんだか、印象が違った。
吸血鬼に血を吸われた人は吸血鬼になっちゃうイメージがあったし、そうならなくても血を吸われてミイラみたいに干からびてしまうイメージがあったのだ。
「じゃあ、血を吸われたとしても、そんなに害はないんですね。それなら、たとえば理市さんが血を吸ったとしても問題ないんじゃないですか? 食事なんですよね、吸血って」
「吸血が食事だと思われがちだけど、普通の人間と同じ食事内容でも栄養はとれるよ。血を吸うのに比べたらひどく効率が悪いから、普通はそうしないだけで」
でも、だったら尚更。どうして不都合を押してまで、血を吸わないのだろうか。
さっきの様子からすると、結構つらそうに見えたのだけど……。
思わず今は赤い色をしていない澄んだ瞳を見つめてしまって、理市さんに苦笑された。
「月島。見すぎだ」
「すみません。つい」
「なぜって聞きたそうだね。理由はシンプルで、『嫌だから』」
「嫌だから?」
「そう」
煙草を指先でもてあそびながら、理市さんは言う。
「血を吸うたびに、人間からどんどん遠ざかる気がしてね。それが嫌なんだ、どうしても。……もう人間じゃないのに、滑稽な話なんだがな」
また切なくて寂しげな微笑。
とっさになんて声をかけたら良いのかわからなくなる。
昨日から思っていたけど、この人は話を誤魔化さない。ちゃんと説明してくれる。適当なことを言って煙に巻いても良いはずなのに、そうはしないのだ。
ちゃんと私に向き合ってくれている。
真面目に話そうともしなかった大樹の顔が、不意に頭の中を過ぎる。
比べるのも失礼な話だな……。
「納得したか? だから、君のことを齧ったりするようなことにはならないよ。ただ俺がもし煙草をくわえてたら、距離をとっていてくれると助かるんだが」
「わかりました。と言った直後にアレなんですが、あのう。提案があるんです」
「ん?」
私は思い切って話を切り出すことにした。
明らかに差し出がましいとは思う。でも――。
「あの、理市さん。いざと言う時はって話なんですけど……」
「……?」
「私の血を吸ってください。私、頑丈なので」
私がそう言うのを聞いて、理市さんが目を丸くした。
白い手指から煙草がぽろりとこぼれ落ちる。
「嫌って言ってるのに、変なこと言い出してすみません。あっ、魅了、でしたっけ……? そうなったから言ってるわけじゃないですよ」
「あ、ああ、それはわかるんだけど……」
理市さんにしては珍しく、何を言うか困っている様子に見えた。
まずは私の言ったことの意図を、ちゃんと説明しなきゃ。
「血を吸うのが嫌だって話はもちろん理解してます。なので、あくまで必要になった時、緊急の時の話です。理市さんの秘密を知ってしまった私が、勝手に、自分なりにできることはないかって考えました」
じっと私を見つめる理市さんの視線を感じる。私の真意を慎重に探っているかのようだ。
「私は、自分の失敗で命の危険に陥ったのに、あなたに命を守ってもらって、代わりにケガまでさせてしまいました。なのにたまたまあなたの秘密を知ったからって、家や仕事まで用意してもらって。ずっと理市さんに何かしてもらってばかりなんです。それじゃ、ダメなんです」
俺は気にしていないが、と言い出しそうな理市さんを押しとどめて、話を続ける。
「差し出がましくはあるんですが。すごく弱っているときとかに、秘密を知ってる人間の血で回復できるって保険だと思ってください。それが、ひいてはあなたの秘密と、命を守ることにも役に立つんじゃないでしょうか」
こんなに力説したことは、会社のプレゼンでもないかもしれない。
でも私の本音だったのだ。
してもらうことに甘えて、慣れてしまうのは、違うと思ったから。
「私も結んだ『約束』の重さにふさわしい行動がしたいんです」
私が言ったことを、理市さんはどう感じてどう思ったんだろう。
長めの沈黙の後で、彼は静かにうなずいた。
「……わかった。いざという時には、だな。覚えておく。ただ、また約束を増やすようで悪いんだが、このことは守ってもらえる?」
「どんなことでしょう?」
「億劫でも危ない行動をするのはやめること。たとえばスーツケースを持って無理に階段登るようなことはもう二度としないこと」
「そっ! それはもちろん! もう絶対しません」
「そうしてもらえると助かるな」
ぐうの音も出ない正論をもらってしまった。
肝心なところで全然決まらないなあ……。
居心地の悪くなった私が咳払いをして誤魔化していると、理市さんが微笑む。
「それにしても物好きだね、君は」
「褒め言葉と受け取っておきますね!」
「ああ。変わってるけど、真面目だ。俺はそういうの好きだよ」
その微笑みは、今度は掛け値なしに嬉しそうで。
私まで嬉しくさせてくれる素敵なものだった。
この人のことをもっと知れたら良いのになと。
……そう思ってしまうくらいには。




