理市Side④ 覚悟と対峙
クロードがカフェ・ライムライトを訪れたのは、午後七時五十分。普段なら閉店の直前になる。何かの嫌がらせなのか、この男が来るのは決まってこの時間だ。
カウンターまで悠然とやってきた彼は、勝手に椅子にかけるといつも通りの口調で言う。
「やあリイチ。君のコーヒーをご馳走してよ」
俺に引導を渡す前に、おしゃべりをしようという考えらしい。気は進まないが、クロードはくつろいだ様子で、話が終わるまで移動する気配がない。
黙ったままドリップしたコーヒーを供すると、彼はふっと笑いを漏らす。
「何がおかしい」
「いや、そうか、あの頑なな君がねえ……」
コーヒーカップを手にして、くつくつと笑い続けている。
伊達男のクロードはそんな真似をしていても、いちいち挙措が様になるのが余計に腹立たしい。
「君から血の匂いがする。この匂いはフユコだろう? どんな心境の変化で血を吸ったんだい。彼女の初めては僕がもらおうと思っていたのに」
思わず手に力を込めてしまい、俺が持っていたカップには音を立ててヒビが入った。
表情が険しくなるのを抑えられない。
「クロード……」
「そう目くじら立てるなよ。本当のことなんだし。まあもっとも最初は、いつものお遊びのつもりだったんだけどね……気が変わった」
今夜のクロードの瞳は、店を訪れた時から真紅に染まっている。
すぐにでもお前など屠れるぞと言わんばかりの威圧を感じるが、今の俺が気圧される理由にはならない。
「フユコは面白い女だよね。すぐに折れるのかと思いきや、震えながら意外な芯の強さを見せる。全く僕の思う通りにならない。だから欲しくなった。そう言う女を屈服させるのには、たまらない愉悦がある」
獰猛で艶やかな笑み。
普段はいかにも優しげに振舞っているクロードの本性はこちらだ。
知っている身からすれば、日頃の彼がどれだけ茶番を演じているか、あまりにも白々しくて嫌になる。
激情を抑えながら、言い返す。
「彼女には指一本触れさせない。絶対にだ」
「ねえ、君がついに人間ごっこをやめた理由はやはりフユコなんだろう、リイチ。僕が君のことを甘くみすぎていたのか、君たちの思いが僕の予想を上回っていたのか……。君は本当にかけがえのない大事な人を見つけたんだねえ」
いずれにしても、とクロードは言う。
美貌の彼が浮かべる悪辣な笑みには、凄絶ささえある。物分かりの良いような台詞を吐いておきながら、続けられた言葉の内容はあまりにも酷いものだった。
「僕はそんな君から彼女を取り上げたい。彼女からも君を取り上げてしまいたい。そして彼女を僕のものにすれば……どうだろう? きっとそれはそれは素晴らしい景色が見られる。そうは思わない?」
思うわけがあるか。
やはりこの男とは絶対に相容れない。
俺の思いも彼女の思いも、この男が好きにできる玩具では断じてない。
怒りが燃え上がるのを通り越して、心が冷たく凍りついていく。
もうこれ以上の会話が必要とはまるで思えなかった。
「それで――言いたいことはそれだけか?」
「怒ってるの? 相変わらずつれないね。そこが君の可愛いところだけど」
「あんたとのおしゃべりはもう飽きた。さっさと話をつけよう」
「良いとも。夜の散歩と行こうじゃないか、『話し合い』にはちょうど良い場所を見つけてあるから」
ライムライトを出た後、クロードが俺を導いた先は建設中のビルだった。
周囲を含めて人の気配はまるでない。仮に近づく人間がいたとしても、照明のほとんどないこの暗闇なら気づかれるより先に夜目の効く俺たちが気づける。
「おあつらえ向きだな」
「せっかくのリイチとの逢瀬に邪魔が入るのは面白くないからね」
闇に光る眼を俺に向けて、クロードが笑う。
俺たちの間の空気は、冬だからというだけではなく氷点下と言えるほど冷え切っている。
「今の君ならたとえ殺しても簡単には死なないだろうね。でも僕が甘い相手だとは思わない方が良い。君が倒れたら、フユコはもらっていくよ」
大仰に諸手を広げながら、クロードは言葉を続ける。
深い闇の中はまるで彼の独壇場のようだった。
「でもねえ、君は心配しないで寝てて構わないんだよ。フユコのことはちゃんと僕が優しく慰めてあげるし、君のことなんて全部忘れてしまうくらい可愛がってあげるから」
長広舌に対して、俺が返すのはごく短い言葉だ。
それで十分だった。この男と語り合う気はない。
「……俺は彼女を守るし、決して死にもしない。それが『約束』だから。あんたにはなんの手出しもさせない、クロード」
「ふふ。良いよ、リイチ。では決闘と洒落こもう」
月もない夜の闇。
目の前に立ち塞がっているのは、まさにこの闇の覇者、強大な力を持つ吸血鬼。
それでも俺には負ける気などわずかもなかった。
俺の望みを――彼女の望みを叶える。
必ず。
そう強く思った。




