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理市Side③ 大切な人

 十二月三十一日の朝が来た。

 月島が突然その提案を切り出してきた時、露骨に顔色を変えてしまったのは自分でもわかっていた。


「ずっと考えていたんですけど、私、クロードさんのところに行こうと思うんです。だから理市さんはもう、戦わないでくださ……」


 全部言う前に俺の内心の激昂に気づいたのかもしれない。月島の言葉は途中でしぼんでいった。



 それでも震えながら強がる彼女は、自らクロードの元に行くと言う。

 虚勢を張っているのは、彼女のまとう悲壮感からも明白で。


 当然、俺は彼女を止めた。たとえ俺が死んだとしても、彼女に犠牲を強いるつもりはなかったからだ。


 しかしすぐに折れてくれるかと思った月島は、意外なほど粘り、意見を翻さなかった。

 頑なに口を引き結んだまま俺を見つめていた彼女は、弾かれたように叫んだ。


「だって理市さんが死ぬかもしれないなんて、嫌なんです。絶対にそれはダメなんです! たとえ私が死んだってどうなったって、それだけは嫌です!」



 予想していなかった言葉だった。

 呆気にとられているうちに、月島はぼたぼたと大粒の涙を零し出す。

 切実な言葉は止まらない。


「私なんてどうなっても良い。それより、あなたが死ぬのが、絶対に嫌……。お願いだから、生きててください……」


 俺にすがりつくように泣いている月島。

 俺より頭ひとつ分は背の低い彼女を見下ろす。肩が震えていた。


 彼女がどれほど必死に俺のことを考えてくれたのかを、その華奢な両肩に重い決意を負っていたのかを噛み締める。



(俺はこのままで良いのか?)


 心に疑問の火が灯る。

 彼女が俺に向けてくれた思い。そのひたむきさに見合うだけのものを俺は持っているのか?


(このままで良い、はずがない)


 曖昧にしておくだけの時間はもうないし、曖昧にしている意味もない。

 彼女が俺に真摯に向き合ってくれたように、俺も気持ちを伝えるべきだと思った。


 覚悟を決めなければならない時だと思った。



 月島をクロードの元になど行かせはしない。

 細い腕をつかまえて、無理やり引き留めた。驚き戸惑う彼女に、はっきりと伝える。


「君は俺が死ぬのは嫌だと言ってくれたな。俺は、……君をクロードに渡すのは嫌なんだ。絶対に」


 月島にとっては、思ってもみない事態だったのかもしれない。

 不思議そうに、真っ直ぐに俺のことを見つめてくる彼女を見つめ返した。

 小ぶりな桜色の唇がぽかんと開いている。まだ潤んでいる瞳が、大人っぽい顔立ちのはずの彼女を幼く見せていた。


 俺が愛しく思う人。

 この言葉を伝えてしまえば、今までの関係にはもう戻れない。

 それでも、俺は――。


「俺が好きなのは、君だから」


 今度こそ大きく見開かれた月島の目。

 彼女の頬が見る見るうちに紅潮していった。



「り、理市さん、……いま、今、好き、って?」

「言ったよ。聞こえなかった?」


 信じられないという顔をしている月島に、もどかしい気持ちを抑えながら言うと、彼女は慌てた様子で思わぬことを口走った。


「あの、そんな……それは『約束』の範囲外なのにどうして……? 私の方は確かに、ずっと理市さんのそばにいたいと思ってましたけど……あっ」


 本当に?

 俺にとっては、嬉しさしかない話だ。思わず頬が緩む。

 月島は真っ赤になってうつむいたまま、言葉を選んで話し出した。


「私は、理市さんの迷惑にはなりたくなくて……。だって理市さんは『約束』だから私に色々しないといけなくなっていたわけで。ただでさえ甘えすぎなのに、身の程もわきまえないで好きなんて言えるわけが……」


『約束』だから、なんてわけじゃない。

 つまるところ俺は、自分がそうしたかったことをしただけなのだ。


 これから無限の可能性を持ち、力を取り戻して輝ける舞台に戻るだろう若い彼女。そんな彼女に惹かれた身の程知らずは俺の方だったのに。



 彼女の望みを叶えるという『約束』に反したとしても、クロードの元に行かせることはできなかった。

 どうして? と、答えを求めるように見つめられて。観念して正直な気持ちを伝える。


「言っただろう、好きなんだ。俺が、俺の勝手で、君を離したくないから」


 俺が月島を愛してしまったから。

 一度口に出してしまった思いはもう隠すことができず、声音にも必死さが滲み出てしまう。


 うつむいている月島は、今にもまた泣き出しそうだ。

 彼女は、絞り出すように言った。



「私の叶えてほしい望み、本当は違うんです……。何処にも行きたくない。本当は私、理市さんとずっと一緒にいたい……」


 震える声を聞いた時、俺の中にかろうじて残っていた自制心がふつりと切れる音がした。


 腕に感じるのは、細くて柔らかな体の感触。優しくて良い香りが微かにする。

 気づけば、俺は月島を強く抱きしめていた。



「君は、『一緒にいたい』って言ってくれただろう。俺は、叶えるならその望みが良い。叶えさせてくれないか」

「……はい。理市さん。私を、そばにいさせてください」


 このまま彼女を離したくないのは、俺の方だ。

 今腕の中にあるぬくもりが、心の底から愛おしかった。





 思わぬ打ち明けばなしとなった朝の時間が過ぎても、刻限の夜までいくらかの時間が残った。


 もう一度、あの映画――ライムライトを見ようと提案してきたのは月島だった。先日一緒に見たばかりなのにと不思議に思ったが、異存があるわけではない。

 俺の部屋に彼女を招いて、上映会となった。


 俺は店の名前の由来でもあるこの映画が好きだったが、今日ばかりは目の前の画面に集中できる状態ではない。



「理市さん」


 呼びかけられるまで、映画が終わっていたことにも気づいていなかった。


 はっとして彼女を見ると、真摯な表情で俺を見つめている。


 そしてその時に彼女が口にした言葉に、心を撃ち抜かれたような気がした。



「もし人生が舞台だとしたら、あなたに照らしてもらうんじゃなくて……。私は、そこにあなたと一緒に立ちたいんです」



 一緒に?

 俺が彼女と、一緒に。


 誰かとともに生きるなんて、ずっと諦めていたことだった。


 本当はこんな力要らなかった。ただ大切な人たちと一緒にいられれば良かったのだ。

 でもその願いは叶わない。結局、俺は人としても吸血鬼としても半端にしか生きられない。

 だから独りで。せめて、誰かのささやかな手助けをしながら生きようと思っていた。


 それを、彼女は――。



「一緒に舞台に立つ、か。そうできたら素敵だな。本当に、とても……」

「もちろん途中退場はなしです。最後カーテンコールまで一緒に。ね?」


 そっと手を握り返す。

 小さな手だ。その柔らかさと温かさを実感した時、覚悟が決まった。



 俺は月島を必ず守る。一緒に生きていく。

 そのためにはクロードを退けるだけの力が俺になければならない。

 力を使うためのたった一つのシンプルな方法は、血を吸うことだ。


 俺にとって、誰かの血を吸うことは人間というあり方から離れていくこと。

 今まで人間として生きるのだけは諦めたくなくて、ずっとすがりついていた。


 だが――。



(……全部捨てたとしても構わない。人間じゃなくなっても良い。彼女と生きていくためなら)


 もう覚悟はできていた。

 この気持ちは翻すことはないし、揺らぐこともない。

 彼女の血をもらう。そのことを決め、そう伝えた。




 月島に吸血の許可を得た時、代わりに思わぬことを請われた。

 まるで少女のようにあどけない顔で俺を見つめて。


「キス……してくれませんか? お守り代わりに」


 月島は自分がどれだけ俺の心を揺さぶっているのか、わかっていないからタチが悪い。

 恥ずかしさが極まったのかうつむいている。俺の方はといえば、意識してしまえば当然、その唇から目が離せなくなる。


 理性はとっくに限界だった。

 彼女に望まれているのを口実にして、俺は彼女の唇を奪った。

 歯止めはすっかり効かなくなっていた。柔らかな唇と、迂闊にも更に俺を煽るようなことを言う彼女に。



 月島の首筋は、体と同様に華奢で白く、触れたら折れてしまうのではないかと心配になるほどだ。

 この綺麗な肌を傷つけてしまうのはどうにも気が引けてならなかったが、今は仕方ない。


 怖くないはずはないだろうに、俺を信じて身を任せてくれる健気な姿に愛しさが増していく。


 皮肉にも、月島の血はこれ以上ないくらい甘く、俺の体には普段はない力がみなぎってきていた。自分が人間ではないのを改めて突きつけられた気持ちになる。

 割り切れない思いがないと言えば嘘になる。


 それでも――。これで良い。



 そっと月島に口付けて寝室を後にする。


 必ず守り抜くと誓った。

 もう弱音を吐くことはない。この力は彼女のためだけにあり、俺は全ての力を注いで彼女を守るだけだ。

 そのことを強く思いながら、俺はカフェ・ライムライトに向かった。

 招かれざる客を迎えるために。


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