カウントダウン
『大晦日まで、日常を普通に過ごしたい』。
あの後、私が理市さんにそう伝えると、彼は意外さを隠さずに尋ねてきた。
「本当にそれで良いのか? 仕事なんて休んでも構わないのに」
「良いんです。別に大晦日に死ぬわけじゃないんですから」
「確かにそうかもしれないけど……」
吸血鬼に血を吸われることには、強力な魅了の効果がある。
クロードさんはそう言っていた。
理市さんもそれを知っているからこそ、私を気遣って尋ねてくれたのだろう。
私は大晦日に、自分の好きな人への思いを全部失ってしまうかもしれないからだ。
「俺は、君のことを守りたいと思ってる。でも俺程度が命を懸けたとしても、クロードに敵う可能性は……。だから君がもし一緒に過ごしておきたい人がいれば、その人といた方が良いと思う」
理市さんは心配そうに優しい眼差しを向けてくれる。
一緒にいたい人。
好きな人。
何も伝えてはいないけど、私にとってそれは、目の前にいるこの人のことで。
理市さんと一緒にいるためには、日常をいつも通りに過ごすのが一番良いのだ。
「これが良いんです。あ、でも理市さん。大晦日まで朝ごはんは一緒に食べてくださいね」
「それは……君が良いなら、もちろん」
「ありがとうございます! 良かった、断られるかと思ってたので」
そう言うと、彼は何故か複雑そうな顔で笑った。
また彼と一緒に朝ごはんが食べられる。ただそれだけなのに、もう一週間に満たない時間しかないのに、嬉しかった。
理市さんと再会してこの不思議な関係になってから、もう九ヶ月も経つのか。
あまりにも色々なことが起こりすぎたなあ。
きっかけとなった『約束』を思い出し、懐かしい気持ちと切ない気持ちが一緒に込み上げてくる。
「……もしかすると『約束』もこれで終わりになっちゃうかもしれないんですね」
私は理市さんの秘密を守り、理市さんは私の望みを叶える。
『約束』。私たちの始まり。
シンプルだけど大事なこの約束は、私がクロードさんに連れていかれてしまうなら、守りようがなくなってしまいそうだ。
私のつぶやきを聞き、理市さんは目を伏せながら静かに言った。
「そうさせないつもりだよ。命にかえても」
「……」
命にかえても。
理市さんは本当にそう思っている。
その重みと嬉しさを同時に感じる。
でも私は、彼には生きていてほしい。
大ゲサな言い方かもしれないけど、私が命よりも大事な人だから。
伝えてもいない私の思いと、彼の命を天秤にかけたら、どちらを取るかなんて言うまでもない。
「理市さん、私なら平気ですから。だから本当に無理しないでください。もうあんなケガして欲しくないです」
返事はなかった。
きっと、彼は決意を翻す気はないのだろう。
理市さんは私のことが大事なのだと、クロードさんが言っていたのを思い出す。
その気持ちだけで、もう十分すぎるのに……。
しばらくの沈黙。
重くなりかけた空気を払拭するように、理市さんが言った。
「月島は、何かやりたいことはあるか? 俺で良かったら付き合うよ」
「良いんですか? 理市さんに付き合ってもらえるなんて、光栄すぎますね! じゃあええと……」
やりたいこと。
次々に頭の中に思い浮かんでくる。理市さんと二人でやりたいこと。
今ならちょっと欲張っても許されるだろうか。
いつか行ったビストロにまた二人で行く。
私がドリップしたコーヒーを飲んでもらう。
また車に乗せてもらう。あわよくばドライブを。
理市さんちのリビングでのんびりお話する。
それと、『ライムライト』を一緒に見る。
「そんなことで良いのか? もっと、何でも遠慮なく言ってもらって構わないよ?」
「遠慮なんてしてないですよ! それより、ちゃんと付き合ってくれますか?」
「もちろんだ」
三日月形に細められた理市さんの目が、本当に優しくて。胸がぎゅっとなる。
理市さんは「俺で良かったら」というけど、私は「あなたが」良いのだ。
彼の厚意に、今は全身で寄りかからせてもらおう。
もう二度とないかもしれない機会なんだから。
本当はまだまだやりたいことがいっぱいある。だけど、時間の方が足りない。
大晦日までの四日間は忙しかったけど充実していた。
久しぶりに朝ごはんを一緒に食べ、いつも通りカフェ・ライムライトで働く。そのあと夜の時間には、理市さんに私のリクエストを叶えてもらって。
今までにないくらい彼と一緒に過ごす時間。
それは本当に本当に楽しくて、夢のようで。
実際、夢みたいなものなんだと思う。きっとこれが最初で最後なのだ。
そうして、十二月三十一日。
その日がやってくるまではあっという間だった。
大晦日の朝。
目が覚めた私は、身繕いのため鏡の前に立った。
(今日、クロードさんが来たら、私は……)
ふと自分の首筋に目がとまり、クリスマスの夜を思い出す。ぞっとする恐怖が蘇る。
今でも、すごく怖い。
私の気持ちが無理やり変えられてしまうかもしれないのも、耐えられないくらい嫌だ。
(でも……)
理市さんの顔が浮かぶ。
私を守ろうとしてくれている人。
私のせいで、彼が本当に死んでしまうようなことがあったら……。そっちの方がもっとずっと耐えられない。
(やっぱり、理市さんが傷つけられるのはもう嫌だ。だったら、私がクロードさんのところに行った方がまだ……)
なんの力があるわけじゃない私だって……。
私だって理市さんを守りたいのだ。
今日夜にクロードさんが来るまでに、ちゃんとこの決心のことを伝えよう。
理市さんにはお互いに大事に思っている家族もいる。赤の他人の私のために、これ以上無理をさせるわけには……ましてや死なせてしまうわけにはいかないのだ。
私はぎゅっと拳を握りしめた。




