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すれ違う心

 淹れたてのコーヒーを手に、私と理市さんは話を始めていた。

 BGMの止まった静かな店内は、時計が時を刻む音が大きく聞こえる。


 理市さんと、クロードさん。

 私はこれで二人の吸血鬼と出会ったことになる。

 彼らの持っている、絶世の美貌と不思議な力、そして謎。


 余計な詮索はできるだけ避けてきたけど、気にならないはずはなくて。

 理市さんに関わることだから、なおさらだった。



「俺は元々、普通の人間だったって、以前に話したよな?」

「はい。確か、何かきっかけがあって吸血鬼になったんですよね?」

「ああ。昔、まだ高校生の時だ。ある吸血鬼によって、俺は吸血鬼になった。別にそうなりたかったわけじゃないから……、吸血鬼にされたって言った方が適切かな」


 高校生の時。たぶん先日理市さんのお兄さんたちに聞いた、『誘拐事件』の時のことなのだろう。

 理市さんが変わってしまった理由となる事件。


「何故俺が目をつけられたのかはわからない。でもとにかく、それが吸血鬼としての俺の『親』だった。そしてあのクロードは、俺と同じ『親』の手で、俺より先に吸血鬼になった男だ。そういう意味では確かに兄弟と言えるのかもな」

「でも理市さんは、クロードさんとは全然仲良くなさそうですよね?」

「決定的に違うからね、彼と俺は」


 そう言った理市さんは深くため息をつく。

 伏し目がちになって話す、その表情はとても物憂げで。


「クロードは自分が吸血鬼になったことを心から喜んでいるし、誇りに思っていて、力を使うのは当然だと思ってる。もちろん血を吸うことも。俺はそうじゃないから」


 『人間から遠ざかるのが嫌だから』と、理市さんは言っていたことがある。

 今まで彼を見てきて感じていたけど、正直理市さんは人間として生きるためにかなり苦しんでいるように見えた。

 それでも我慢するくらいには、彼は人であることを本当に大事にしているのだろう。


 そして、だからこそ彼は、私と破格の条件で『約束』を交わしてくれた。

 人間として生きている、今の生活を守るために。

 彼の思いと願いこそが、私たちの関係の始まりだったわけで……。


 理市さんの中での、吸血鬼と人間というものの溝は、私が考えている以上に深いのかもしれない。



 床に残っていた薔薇の花びらに目を落としながら、理市さんが続ける。


「兄貴分を気取ってるのか、クロードは以前からしつこく俺に干渉してくるところがあって。勝手に俺の身の回りを探って、今日みたいに絡んでくることがある」

「それは結構……というか、大迷惑な話ですね」

「曰く、『吸血鬼なら吸血鬼らしくしてろ』と言うことらしいが」


 それでは、確かに相容れないだろうと思う。

 だって、理市さんは吸血鬼ではなく人間として暮らしたいのだから。

 塩対応としか言いようのない反応も、無理もない気がする。



 なるほどと納得していると、しばらく黙り込んでいた理市さんが、ぽつりとこぼすように言った。


「吸血鬼らしく、か」

「……? 理市さん?」


 それは理市さんにしては珍しく、自嘲するような声音に聞こえて。

 私は思わず首を傾げ、彼を見つめた。

 私を見つめ返す理市さんの目は、いつの間にか真紅に染まっていた。



「……ずっと気にかかっていたんだが」

「何でしょう……?」


 ためらいがちに話を切り出されて。

 なんだか、急速に不安が膨らんでいく。


「君は、俺が……怖いよな?」


 そう切り出された時、心臓をつかまれたような気持ちになった。

 その通りだったからだ。


「初めて俺の力を見た時、君は俺のことをひどく怖がっていた。それに、今日も……。今まで魅了が効かない人は君以外にはいなかったから、誰にもこの問いの答えを聞けたことはなかったけど」


 薔薇の花よりも赤い瞳が、私を真っ直ぐに見つめる。

 私は、どうしても、彼の赤い瞳を長く見ることに耐えられなかった。目を逸らしてしまった。


 何度見てもきれいだとは思う。

 でも、同時に恐ろしい。その瞳に、本能的な恐怖を掻き立てられてしまう。例えて言うなら、小動物が肉食獣を恐れるような、そんな感覚。



 圧倒的な『恐怖』の感覚。


 それを言い当てられた気がした。


 表情にさえも、出てしまっていたのだろうか。

 理市さんは目を閉じると、静かにうなずいた。


「……うん。それは、そうだろうな。ごめんな、月島」


 理市さんの声はひどく悲しそうで。



 違うんです。謝らないで。

 私は、私は、本当は。

 あなたのことが怖いんじゃなくて……。


 そう言うことができなくて。声すら出てこなくて。



 柱時計が九時の鐘を鳴らす。

 私をあえて見ないようにしてくれているのか、理市さんは目を伏せたままだった。



 コーヒーの水面が少し揺れている。

 カップに触れる理市さんの白い指先が、微かに震えているように見えて、私ははっと顔を上げた。


「『吸血鬼とは絶対の美であり恐怖である』って。俺を吸血鬼にした男が、言っていたよ。たぶんそれが本質で、君が吸血鬼に感じる恐怖は、魅了されないからこそわかる真実なんだと思う」


 私は小さくうなずいた。

 彼が目を逸らしていてくれたおかげか、抑えきれなかった恐怖は、だんだんと落ち着いてきていた。


「今日、クロードがここに来たのは、君を見るため。君が俺のそばにいたからだ。その上、君には魅了が効かないとわかって、どうやら余計に興味を抱いてしまったらしい」


 そういえば、クロードさんには名前も聞かれたし、また会おうとも言われた。

 誰にでもそういう接し方の人なのだとばかり思っていたけど……。


「クロードのことは遠ざけられるように努めるけど、吸血鬼は彼だけじゃない。吸血鬼おれの近くにいれば自然と別の吸血鬼にも会ってしまう。もっと恐ろしい目にも合うかもしれない」


 そうかもしれない。吸血鬼は確実に存在している。

 クロードさんも、理市さんの『親』も、更に他の吸血鬼だっているはずだ。


「人間からなら、俺の力でもなんとか君のことを守れる。だけど、吸血鬼からは……」


 苦しげに重ねられる理市さんの言葉に、嫌な予感が増していく。しばらく押し黙ったあとの言葉は、決定的だった。


「 ……君に近づきすぎてしまった」



 《《近づきすぎた》》……?

 それは、つまり――。


「……理市さん?」


 やっと振り絞って出た声。

 私は、彼の名前を呼ぶことくらいしかできなかった。


「月島。君は、四月のあの時とはもう違う。暗闇を抜けて、明るい舞台の上に戻れたよな? ……手助けが必要な時期が終わったなら、俺はただの照明ライムライトに戻らないと」

「え……? ま、待ってください……」

「もうこれ以上は巻き込まないし、怖い思いもさせない。それでも『約束』は守るから。安心して」


 諭すように言う、今度はいつものように柔らかい口調だった。

 でもその言葉は、胸に突き刺さるようだった。

 心に氷の刃が何本も何本も刺さったみたいに、息が詰まった。


 なんて言えば良いのか、私にはわからなかった。


 そんなことないって、駄々をこねれば良かったのだろうか?

 私にはまだあなたが必要ですって言えば良かった……?

 それとも、今までこんなに親身になってくれたお礼を言わなければいけなかったのだろうか?

 もう十分なんだって、満足すべきだった?


 どうして?

 そばにいられるだけで良かったはずなのに。

 こんな、突然……。



「理市さん、私……!」

「震えながら無理しなくて良い。ダメだな、俺は。君といるうちに、自分が人間じゃないのをつい忘れてしまっていた」


 視線を落としたまま、寂しそうに微笑する彼はあくまで優しくて。

 私は声が潰れてしまったかのように、何も言えなくなってしまった。


 悪いのは、私だ。


 私が、理市さんを怖がってしまったから。

 この人はただ人間として暮らしたいだけなのに。

 こんなに優しい人のことを、私は。

 私がただの人間でなんの力もなくて、臆病だったから。

 私が――。



「ごめんな、月島」


 まだ赤い、きれいな、恐ろしい瞳。

 理市さんはその日、もう絶対に、私と目を合わせてくれようとはしなかった。

 



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