そばにいること
短い秋が過ぎて、冬がやってきた。
十二月を迎えた街は、クリスマスに向けて飾り付けられ華やかだ。
カフェ・ライムライトはといえば、いつもとそんなに変わらない。とはいえカウンターには小さなクリスマスツリーがちょこんと置いてあり、お店のドアにはリースがかかっていた。
社長たちの一件が終わった後、私の周りではとても穏やかな日々が続いていた。
もうすっかり定着した理市さんとの朝ごはん。カフェ・ライムライトでのお仕事はトラブルもなく、絵のお仕事も新規の受注が増えている。
凛がライムライトにお茶に来たり、拝島さんについにコーヒーを淹れてあげたりもして。
そして理市さんと私の間には、特に何か変化があるわけではない。
今まで通り。
でも、それで良いのだ。
そんな平和な日々の中、ある金曜日にお店を訪れたのは、意外なお客様だった。
カランカランと来客を告げるベルが鳴る。
いらっしゃいませ、と同時に声をかける私と理市さん。
いつもと違ったのはそのあとだった。
「理市! 久々だな、元気か?」
おや? と思った。理市さんが名前で呼ばれるのを初めて聞いたのだ。店での彼は、『マスター』か『織原さん』で通っているから。
入口を見ると、お客様は男女の組み合わせでお二人。
年齢は三十代後半から四十代前半くらい。温厚そうで朗らかな感じの男性と、可愛らしい雰囲気の女性。お二人とも上品な感じだ。
(あれ、なんだか見覚えが……? 気のせいかな)
「兄さん。美琴さんまで。珍しいな、二人揃って来てくれるなんて」
「万里さんがお休みをとれてね。だったら理市くんに久しぶりに会いたいねって、来てみたの」
万里さんと美琴さん。聞いたことのある名前……理市さんのお兄さんとその奥さんだ。
二人の姿は、理市さんの寝室にあった家族写真で以前見たことがあったのだ。あれは少し昔の写真だったのだろうけど、雰囲気は変わっていない。
そんなことを考えていたら、二人の視線が私に向いた。
理市さんの肉親と言うだけで緊張するのに、さらに社会的な地位もある人たち。何しろ織原グループの中心にいる人だ。
そう思うと、失礼を働かないかとつい気を揉んでしまう。カチカチに固まっていると、向こうから声をかけてくれた。
「初めまして、お嬢さん! 理市くん、いつの間にこんな素敵な方がこのお店に?」
「理市、もしかしてもしかするのか? ついにお前にも彼女が……」
浮き立った様子の二人に、やや呆れ顔で理市さんが答える。
「月島さんって言うんだ。彼女に失礼なこと言わないでくれよ、兄さん。二人とも座って、まずはメニュー見て」
どうやら思ったよりずっとずっと、飾らないフレンドリーな人たちみたいだった。
私は安心して、このお客様たちにお水を運んだ。
その後二人は、理市さんが淹れたブレンドを楽しみ、手作りのガトーショコラをとても喜んでいた。
クリスマスのこと、実家のこと、お店のことと話は弾む。当然のように私も話の輪に入れてくれながら。
自然な笑顔で話す理市さんを見ていると、本当に仲が良い家族なのだということが伝わってくる。
時間はあっという間にすぎ、親しみやすくて楽しい二人が席を立つ時には、なんだか寂しく思えてしまうくらいだった。
「それじゃあな、理市。近いんだから正月くらい帰ってこいよ? 父さんも母さんも寂しがってるぞ」
「店のことがあるから、つい。また近々顔を出させてもらうよ」
二人は「また来るよ」と言いながらライムライトを後にする。
私はお辞儀をして二人を見送った。
そしてふと顔を上げた時に、目に入った理市さんの表情に小さな違和感を覚えた。
(……? どうしたんだろ。あんなに楽しそうで嬉しそうだったのに、今はすごく表情が曇って……?)
私に見られているのに気づいたのか、すぐに理市さんはいつもの微笑みに戻ったけど。
それでもその表情のことは、妙に気にかかってならなかった。
翌日、土曜日。カフェ・ライムライトの定休日。
食料品の買い物に出かけた私は、思わぬ人たちに呼び止められ、思わぬ場所に来ていた。
私が高級車に乗せられて運ばれてきたのは、都内の高級住宅街にある豪邸。
立派なしつらえとしか語彙の出てきようがない客間にいる私は、エコバッグ、コートを雑に羽織り、パーカーとジーンズという、まさかのほぼ普段着姿。
目の前の革張りのソファに座っているのは、昨日会ったばかりの理市さんのお兄さんとお義姉さんだった。
「月島さん、甘いものは好き? これ、私の好きなお店のケーキなの、良かったら食べてね」
「あっ、ありがとうございます……。ご用件というのは……あ、あのう……?」
「あなたに聞きたいことがあってね」
理市さんのお兄さんの万里さんは、織原グループの副社長。
そんな人が直々に、私に尋ねたいこと?
もしかして、理市さんのそばにいるのはやっぱり身分が違いすぎると咎められるとか……?
不安が膨らんで、弾けそうなくらいになった時、万里さんが話を進め出した。
「あなたは理市とはいつから一緒にいてくれているんだい?」
「えっ。ええと、働かせてもらったのが四月からなので、八ヶ月くらいかと……」
「そうかそうか。八ヶ月もか。何か不自由はしていない? 当分、あの店で働いてくれる予定かな」
「はい、そのつもりです。とても良くしてもらっていますし」
責められるのかと焦っていたけど、そんな雰囲気は全くない。
むしろ二人とも安心しているような。嬉しそうとすら思える、ほのぼのした空気だ。
「ごめんね、急に連れてきて。驚いただろう。弟のそばにいる人と話がしたくてね。良い年をした大人に、過保護すぎると笑ってくれて良いんだが……わけがあって。良かったら聞いてくれるかい?」
「私で宜しければ」
万里さんと美琴さんはうなずき合い、私に話し始めてくれた。
「実は、理市が誰かを自分のそばにいさせるのは、あなたが初めてでね」
「えっ? あ、私はただの従業員なんですけど……そういうことではなく?」
「うん。従業員としてですら、君が初めてなんだ。理市は、特定の誰かと距離を縮めることを絶対にしなくて。仕事でもそうだし、見合いも全部断ってきた。ずっと独りだったから」
お見合いと聞いて心がざわついたけど、家柄的にもそりゃあるよね……。
それにしても……。以前拝島さんが言っていたことを思い出した。
理市さんの持つ『壁』の話だ。
理市さんは仕事柄とても人当たりが良いが、深く踏み込むわけでは決してない。
この仕事は、彼の『壁』をカモフラージュするためのものなのかもしれないと思うくらいには。
万里さんはうつむき加減に続ける。
その目元は理市さんと似ていて、やはり兄弟なんだなと思う。
「理市との距離感というのはね、私たち家族の間にさえしっかり存在しているんだ」
「悲しいんだけどね」
二人が本当に寂しそうに笑うので、私の胸はズキズキと傷んだ。
以前、理市さんは『兄はこの体質の事情を知らない』と言っていた。
家族にも吸血鬼であることは秘密にしているのだろう。いや、家族にだからこそなのかもしれない。
「昔はそうじゃなかったんだ。ある事件以来、人を遠ざけるようになってしまった」
「事件、ですか?」
「ああ。行方不明になったんだよ、誘拐事件だ。理市が高校二年の時だった。犯人は結局捕まらなかったけど、三日後に彼は無事に帰ってきた」
じゃあ、理市さんはもしかして、その時に吸血鬼に……。
「でも、いったい何があったのか……」
「きっととてもつらい目にあったのよ、理市くん……」
「その時から、理市は当たり障りのない人付き合いしかしなくなった。特定の友人は作らず、家も出て。今もあまり家には顔を出さない。弟が私たち家族を嫌ってるわけじゃないのはわかるんだ。でも、じゃあ、なぜ……」
理市さんが昨日見せた表情を思い出す。
本当はきっと、家族と距離なんて取りたくないんだろうな。でも……。
事情を説明するわけにはいかないのが歯がゆい。
「……彼は、一生独りで生きていくつもりなんだと思ってたんだ。だからね、あなたがそばにいてくれるのが……嬉しくてね」
「きっと月島さんには、理市くんが気を許せるだけの何かがあるのね」
心から嬉しそうにしてくれる二人の顔に、胸が締め付けられるようだった。
本当に、ただの偶然なんです。
私には特別なものは何もなくて、そばにいさせてもらえるのは彼の秘密を知ってしまったからで。
私は理市さんのことが好き。
いつまでだってそばにいたい。
彼の役に立てることがあれば、力を尽くしたいと心から思う。
でも、彼は――。
「月島さん、理市のことどうかよろしく頼みます。気難しいところもあるかもしれないけど、優しさは本当に人一倍な奴なので」
そしてお義姉さんの美琴さんもまた、私の両手をとりながら言ってくれる。
「理市くんと一緒にいてくれてありがとうね、月島さん。気を許せる人がいるって、人間にとって本当に大事なことだから……」
「……理市さんはいつも優しくて。とても、とてもよくしてもらってます。私もできることをお返ししていきたいです」
私はそれだけ言うのが精一杯だった。
家族を大事に思う二人を、まるで騙しているような気持ちにさえなった。
それでも。
私は、理市さんの、そばにいたかった。
何を伝えられなくても、今のままで十分だから。
でもその時の私は、まだ知らなかった。
あの人のそばにいることで、自分に何が起きるかを――。




