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手を繋いで、連れ出して

 全く想像さえしていなかった、二人との再会。

 大樹と、村崎社長。

 私をあの日、絶望の底に突き落とした二人だ。


(どうして、今頃……)


 考えても仕方ないけど、つい考えてしまう。

 背中を嫌な汗が伝っていた。



「まさかお前と会うなんてな。何してるんだよ、こんなところで」


 私なんかがこんな場所にいるはずがないという言い草。すぐに決めつけるように言うのは、大樹の癖だった。


 確かにここは私にはきらびやかすぎるとは思う。でもなぜそこまで馬鹿にされないといけないのだろう。

 品定めでもするように無遠慮に、頭の先からつま先までジロジロと見られている。それもすごく不快に感じた。


「でもまあ、ビックリしたよ。久々に見たらめちゃくちゃきれいになっててさ、誰かと思った」

「馬子にも衣装って言うのかしらね」


 社長の皮肉な嘲笑はともかく、大樹にきれいと言われても何も心に響かなかったことに私は驚いた。

 あの時は、あんなに気にしてたのに……。


 私はもうこの人のこと、好きでもなんでもないんだな。

 関わり合いたくもない、ただの他人なんだ。


 でも私が黙っているからか、大樹も社長も好きなようにしゃべり続けている。


「そんなにきれいにしてるってことは、新しく男をつかまえたのか?」

「逃げ出したって聞いたけど、そんなあなたがねえ。いったい今何してるの? どうせ大したことはしてないんでしょ、仕事もまともにできないダメな女なんだから」


 二人はどうしてか執拗に絡んでくる。

 なんで変に人のことを勘ぐったり、見下したりしてくるのだろう、この人たちは。


 以前だったら、うつむいて何も言えなくなっていたかもしれない。

 社長は偉い人で美人で仕事もできると思っていたし、大樹だって私にはもったいない人で、私自身には何もないと思ってたから。言い返せる立場じゃないと思っていた。


 でも、今はそれは違うとわかっている。

 別に二人がどんな人だとしても、嫌なことをされたら嫌だと言って良いのだし、もう社長は上司ですらない。馬鹿にされながらへつらわなければいけない理由はないのだ。


 数歩後ずさって、二人から距離をとりながら言う。


「答えたくないです。私には、あなたたちにお話することは何もないので」


 そんな反応をされるとは思っていなかったのか、社長も大樹も驚いた顔でこっちを見ている。

 でも、本心だった。この人たちに関わるだけ、時間の無駄だと思ったのだ。


 私は二人の隙をついて、さっさと踵を返そうとする。


「おい、待てよ!」


 一刻も早くここから離れてしまいたかったのに、大樹に乱暴に腕をつかまれて止められた。

 まだ私のことを馬鹿にし足りないとでも言うのだろうか。


 でも、強くつかまれた腕が痛くなるその前に、私をつかんだ大樹の手が払い落とされた。



 そこには戻ってきた理市さんが立っていて、驚くほど冷たい眼差しで大樹と社長を見ていた。

 すぐに私をかばうように前に出てくれて、静かだけど威圧感を覚える声で言う。


「私の連れに、何か御用が?」


 理市さんは表面上は穏やかに微笑していたけど、不機嫌さは全く隠していなかった。

 そうなるとその美しさがまるで絶対溶けない氷のようになって、取り付く島はわずかもない。

 大樹も社長も圧倒され、呆然と突っ立っていて、すっかり勢いを失っている。


「い、いえ。彼女とはその、知り合いで……」

「そうですか。しかし彼女は、今日は疲れていますので、これ以上は。私たちはこれで失礼させていただきます」


 丁寧ではあるけど、有無を言わさない口調だ。

 理市さんは私の手をとり、もうこれ以上話すことなどないとばかりに二人に背を向けた。


「行こうか、風優子」


 それまであんなに冷ややかに話していたのに、私に呼びかけてくれる理市さんの声はとても優しい。


(あ、名前……)


 そして、初めて名前で呼んでもらったことに気づく。


 ほとんど全ての事情を知っている理市さんは、あの二人への牽制でわざと私を名前で呼んでくれたのだと思う。

 でも、嬉しかった。

 一瞬つらかった全てを忘れるくらいに、私の胸は高鳴っていた。



 理市さんは車に戻るまでずっと、私と手を繋いでいてくれた。

 暖かくて大きな手。男の人らしく少し節くれだっていて、そのことにドキドキする。

 いつも私は眺めているだけの、器用な手。それが、緊張で冷え切ってしまった私の手を優しく包んでくれている。


 車に戻ったとき手を離してしまうのが、名残惜しい気さえした。そんなことを思うのは良くないのに。



「すまない、君から離れるべきじゃなかった」

「謝らないで下さい。あの場にまさか社長たちがいるなんて。誰にも予想できないです」

「それでも、あんな連中を君に近づけてしまったのはな……。君は傷ついただろうし、俺は不愉快だった」


 走り出した車の中で、珍しく怒りを隠さずに理市さんが言った。

 私をかばってくれた背中の頼もしさのこと。向けてくれた声の優しさ。ちゃんと心に刻まれている。

 寄り添ってもらえて、そんなふうに怒ってもらえて、私はとても救われた思いだった。


「大丈夫ですよ。本当にありがとうございます、守ってくれて」


 そう、もう全然大丈夫だ。

 あんな時でさえも胸を張って毅然と対応できるようになったことに、私は満足していた。

 その上理市さんには守ってもらえて。こんなに恵まれていることって、そうそうない。


 だから、あの人たち相手に、もう傷ついたりなんかしてないはずだ。

 なのに……。


「あれっ……」


 なのに目からはポロポロと涙がこぼれ落ちてくる。

 驚きながらも、次々とあふれてくる涙を止めることができない。


「おかしいな……。私、どうしたんだろ。ごめんなさい、理市さん」

「無理しなくて良いから」


 ちょうど信号待ちのタイミング。

 とても、とても、優しい声。

 理市さんの指が私の頬をなで、涙をすっと拭ってくれた。


「でも、こんなことで泣くなんて。私は甘えすぎで」

「月島。悪意を向けられたら、傷つけられたら、痛いんだ。君は我慢しようとするけど、痛みを感じればつらいのは当然だろ」


 理市さんはそう言ってくれたけど、私は最初に彼に再会した時のことを思い出していた。

 あの時だって、関係のない理市さんにつらさを全部ぶちまけて、さんざん甘えさせてもらったのだ。


「そもそも春のあの日から、私はあなたに甘えすぎでした。それなのに『約束』があるからって、色々してもらって。こんなに恵まれてるくせに泣くなんて、バチがあたります……」


 信号が青になり、また車が流れ出す。

 理市さんは少し沈黙したあとで、懐かしむように話し出した。


「月島はさ、学生のころから、とにかく頑張ってたよな。大体詰まった時にライムライトに来て、頭を抱えながらも粘り強く諦めずに課題に取り組んでいた。春に店に来た時も、そういう時と同じ顔をしてた」

「……あの時、私のこと覚えていてくれたの、本当に嬉しかったです」

「よく覚えてたよ。それぐらい努力していて、目を引いてたから」


 夜の高速道路。

 窓の外、照明が流星のように光っている。


「あの日も君は、自力で問題に立ち向かうんだと思ってたんだ。でも、君はあの時そうできなくて、泣いていた。だから、話を聞いたんだよ」

「それは、私が弱かったせいで……」

「弱くないよ。君が立ち向かえない問題なんて、問題の方がおかしい」


 理市さんははっきり言い切って、続けた。


「いつかも言ったけど、ライムライトは、誰かを照らし出すための灯りにしたくて作った店だ。あの時の君には、ライムライトが必要だった。確かに『約束』がきっかけにはなったけど、俺は、君だから――」


 私だから……?

 続きが気になったけど、彼はそこで言葉を切ってしまった。


「とにかく。俺が好きでやってることなんだ。甘えすぎなんてことはない」

「……ありがとうございます。私も理市さんが私にくれた分だけ、色んなものを返せてるといいんですが」


 その時理市さんが答えの代わりにくれたのは、本当に優しい、穏やかな笑顔で。


 大事な宝物にしたくなるようなその表情。

 そして、私を守ってくれた手の暖かさと大きさ。

 私はそのことを、一生覚えていようと思った。



 少し遠回りした帰り道、車窓から夜景を眺める。

 家に帰るまでの時間も含めて、今日は本当に特別な一日だった。


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