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ペナルティと新たな一歩

 残暑とは名ばかりの暑さの、九月の頭。

 私は苦い苦い顔をして、コーヒーをドリップしていた。


 自宅で、ではない。

 カフェ・ライムライトのカウンターで。

 嫌味なくらいにっこりしている理市さんに見つめられながらだ。


(うわー……とんでもなく緊張するよー……)


 理市さんにコーヒーを淹れるというのは、ひよっこの私が、玄人くろうとの前でドリップを披露するということで。

 なんというか、ものすごくハードルが高い。

 上手になるまでは、自分だけでこっそり練習していようと思ってたのに。こんなはずでは……。


 とはいえ、この罰ゲーム的な状況の原因を作ったのは自分なので、文句も言えない。

 これはそう、まさに一種のペナルティなのだ。


 というのも……。



 少しだけ時間をさかのぼる。

 今朝、私は出勤して掃除を終えたあとに、背の高いアンティークのシェルフキャビネットにかかりきりになっていた。

 上の方に置いてある花瓶が下ろしたくて。

 華奢なのでキャビネットの上だとあまり目立たない品なのだが、レジ脇に飾らせてもらえればとても映えそうだったのだ。


 持ち出してきた高めのステップスツール。乗っかって背伸びして、手もギリギリまで伸ばす。


(んー! あとちょっと……)


 あ、届いた。

 そう思ったから、油断したのだろうか。

 その瞬間に、足元がグラッと行くのを感じた。


 ヤバい! と思う間もなく、あとはあれよあれよと体勢が崩れ、仰向けのまま宙に浮いた体は床に引っ張られていく。


 頭打つな、これ……。

 せめてと思って花瓶をぎゅっと死守して目をつぶる。だけど、すぐに来るはずだった転落の衝撃はやってこなかった。


 この感じ、覚えがある。

 あ、もしかして……。



「だから、君は本当にさ……」


 理市さんの声がものすごく近くから聞こえる。

 すぐそばに彼の整った顔があって……そう、私は抱えられていた。

 宙に投げ出されたはずの私の体は、床に落っこちる前に彼にしっかりとキャッチされていたのだ。


「あの、おケガは……」

「俺のセリフだ」

「えっと、大丈夫です……」

「あのな、もし俺が普通の人間だったら受け止めきれなかったところだぞ」


 理市さんは焦りと安堵半々くらいの顔。

 とっさに動いて、何とかギリギリ抱え込んでくれたみたいで。


 普通では確かに、とても支えきれなかっただろう。

 うーん、本当にこの人は、見た目によらず力も反射神経もすごい。 人間離れしている。

 というか、実際に人間じゃないんだもんね……。



 ちなみに今の体勢を考えると……。

 私は背は普通だし、体重も軽い方ではない。なのに全体重を理市さんに預けていて、極めつけは見事なお姫様抱っこ。

 気がついたら、急に恥ずかしくなってきた。


「あっ、理市さん、私すごく重いですよね!? すみません! すぐどきますから!」

「いや別に君は全然重くないけど……」


 私は慌てて、言いさした彼の腕の中から抜け出した。

 心臓が高鳴っている。

 理市さんに抱きとめてもらっていた。

 改めて意識してしまうと、顔が赤くなってしまいそうだった。



「ところでね、月島。危ない行動するのはやめるって、前に約束したはずだけど?」

「あっ……、はい……。あれはその、届くと思ってですね……」

「次からは高いところの物をとる時は、ちゃんと俺を呼んで?」

「うう、すみません」

「危機管理が甘い。ペナルティありだな、今回の件は」


 平謝りする私を見て、理市さんは何か思いついた顔をする。

 ペナルティ。なんだろう?


「そうだな、俺に君のコーヒーをごちそうしてくれよ。練習しているみたいだし」

「えっ!? なんで知ってるんですか!?」

「君の部屋のキッチンにあるだろ、ドリップ用品が。使った跡はあるのに、君は俺にはコーヒーを淹れてくれたことがないからな」


 よろしく頼むよ、と彼はイタズラな顔で言う。

 理市さん、ちゃんと気づいてたのか。それもなんだか恥ずかしい!

 そして私はもちろん、嫌ですと言えるはずもなく……。



 ……というわけだったのだ。


 いつもよりやや失敗気味のドリップがやっと終わった。

 恥ずかしいし緊張はするし、確かにこれはペナルティだった。


「お待たせしました、どうぞ。前よりは美味しくなってるとは思うんですけど」

「ありがとう。いただくよ」


 理市さんはカップを受け取って、私の淹れたコーヒーを口に含む。

 この瞬間、びっくりするほど緊張している自分がいる。

 しばらくして彼は、ごく自然な笑みを浮かべてうなずいた。


「美味いな。月島、かなり練習したんだな」

「そ、そうですか? ありがとうございます!」


 コーヒーを美味しいって言ってもらえた。

 それはちょっとしたことのはずだけど、私にとってははしゃぎたくなるくらい嬉しいことだった。

 私のコーヒーの先生で、私の好きな人。

 そんな理市さんがくれた言葉だったから。




 そして時計の針は時を刻んでいき、もう午後三時を回った。

 この日店内の雰囲気はいつもとやや違っていた。


 来店されるお客様の年齢の幅が、いつもより広かったのだ。

 どうも近くで催しごとがあったみたいで、お子様連れのお客様の姿がちらほら。

 みんなお行儀の良い子たちばかりだったけど、親御さんたちの脇で、お子さんたちは退屈そうだ。


(うーん、何か退屈を紛らわせるようなこと……。あ、そうだ)


 それで思いついたことがあり、理市さんに尋ねてみたら意外にもすんなり了承をもらえた。

 仕事の合間にやってみよう。ボールペンを手に、私は早速その作業に取りかかり始めた。



「お待たせいたしました、ご注文のケーキセットでございます」


 お客様にご注文の品をお出しする。デザートやお茶を並べていく中、小さなお客様の前にはミニサイズのカードも一緒に並べる。


「おねえちゃん、これ何?」

「それはね、見てのお楽しみ。良かったらあとで見てみてね」


 そう言いおいて席を離れた。仕事をしていると、先ほどの子がカードを開いて見ている。

 実はあのカードには、色々な動物のデフォルメイラストを描いたのだ。


 昔取った杵柄というか、私には絵の心得があるので、即席で描いてみた。

 以前立ち寄ったカフェで、ドリンク用のペーパーナプキンにイラストが描かれていたことを思い出して、真似したのだ。


「あっ、クマさんだ。ママ、クマさんだよ、これ」

「あら、良かったわね、可愛いカードをもらって」


 できるだけ小さな声で一生懸命お母さんにカードのことを伝えている姿。とても微笑ましかった。

 どうやら喜んでくれたようだ。こちらに手を振ってくれている。


 その子だけでなく、他の小さなお客様たちにもカードをお出ししてみたけれど、幸いにしていずれも好評で。

 私ならではのやり方でお店の役に立てたような気がして嬉しくなった。



 そして、この話は思わぬ後日談へと繋がる。

 数日が経った後に、お客様から、どうしてもあのクマさんを描いてほしいという正式なイラストのご依頼があったのだ。


「あの、この場合って、副業みたいになっちゃうんですけど、お受けしてしまって大丈夫なんでしょうか」

「構わないよ。君のことは信頼してるし。それに、もともとデザインやイラストが本業だったんだろう?」

「はい。学校も美大だったので」

「じゃあ、もし嫌でなければ、ここで働きながら絵の仕事もやってみたら?」


 難色を示される可能性もあると思っていたのに、むしろ勧められてしまった。

 そういえば理市さんは前にも、元々の技能を生かした仕事を、なんて言ってくれていた気がする。


 就活の時に作ったポートフォリオは残っている。それにカフェ・ライムライトの仕事は残業もなく、前の仕事と比べてゆとりがある。

 イラストやデザインに向き合っても、もうつらい気持ちは起こらない。

 気力もまた湧いてきて、新しいものを作り出せるかもしれない。

 

 それなら……。


「ちょっと色々、始めてみようかな……」

「それが良い。もし名刺とか作ったら言って、店に置くから」

「ありがとうございます! 恥ずかしくないしっかりしたもの、考えますね」


 今日帰ったら、部屋の隅で眠っていたノートパソコンと液晶タブレット、久しぶりに起動してみよう。


 たまたま出会ったお客様と、理市さんに背中を押されて、私は思いがけない一歩を踏み出すことになった。


(私にも、何かできることがあるよね)


 これは大きな一歩だ。

 自分のことを信じる力がすっかり戻ってきていた。

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