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一週間目の出会い

 私がカフェ・ライムライトで働き出してから、一週間が経った。


 たった一週間、されど一週間。

 この七日の間で、最初に任された仕事にはだいぶ慣れることができた。


 お客様が一度に来店されても、レジでエラーが出ても、そんなに慌てなくなった。

 そそっかしい私だけど、幸いにして食器も壊していない。


 大事なのは、なんでも地道にこなしていくこと。

 それを心がけているうちに、少しずつ店にも馴染んできた……ように思う。



「すっかり板についてきたな」

「おかげさまで! 最初はどうなるかと思いましたが……。このあとも、油断しないで気を引き締めて行こうと思います」

「その調子で頼むよ。ミスは必ずあるものだから、その時は慌てずに俺に言って」

「はい!」


 理市さんにそう言ってもらえると、とても安心できる。焦る必要はないのだ。

 そして私は、オープン前のお掃除に取りかかる。今日は曇りみたいだけど、お客様の入りはどうかな、と考えながら。



 お店にいらっしゃるお客様には、当たり前だけど色んな方がいる。

 年齢は『大人』のお客様がほとんど。男女比は半々くらいで、一見の方もいれば、常連さんもいる。


 毎日のようにオープン直後にやってきて、ブレンドコーヒーを一杯飲んで帰る老紳士のお客様。

 二日おきにいらして、お食事のセットを頼むOL風のお客様。

 いつもカフェオレとチョコレートを召し上がる、仲良しのご夫婦らしいお客様。

 他にも見慣れてきた顔がいくらもある。



 そして今日やってきた方は、初めて見る顔だった。

 カランとベルが鳴ったので、私はモップを手にしたままドアの方を見る。

 そこに立っていたのは、一人の男性だった。私より少し年上だろうか。



「いらっしゃいませ! ……あ、すみません、お客様。当店はまだ準備中で」

「おはようございます! あれ、新人さん……ですか?」

「あ、そうなんです。月島と申します」


 何に驚いているのか、お客様はしげしげと私を見つめている。ので、つい私もお客様を見てしまう。


 この方は背丈は結構あって、短髪で童顔。すごく親しみやすい雰囲気で、例えるとゴールデンレトリバーとかの大型犬っぽい感じ。

 大きなバッグを持っていて、動きやすそうな服装。ビジネスマンではなさそうだけど……?


「あっ、申し遅れました。俺、拝島はいじまって言うんですけど、織原さんはいらっしゃいますか?」

「あっ、もしかして、お客様ではない……?」

「違います違います。ここにチョコレートを納品させて頂いております。ショコラトリーハイジマの者です」


 カフェ・ライムライトのメニューには確かにチョコレートがある。

 ショコラトリーって言うのは、チョコレートの専門店のことのはず。

 あのチョコ、専門店から仕入れているんだ。きっとすごく美味しいんだろうなあ。



 そこでちょうど、一瞬だけ席を外していた理市さんが戻ってきた。


「おはよう。もう来てたか、拝島君。お待たせして申し訳ない」

「おはようございます、織原さん! 今来たとこっす。ご注文の新作チョコレート、早速持ってきましたよ!」

「いつもありがとう。今回も楽しみにしていたよ」


 そんな会話を聞きながら、途中だった掃除を仕上げまでやり終えてしまう。

 手を洗ってエプロンを身につけたところで、理市さんに手招きされた。



「月島。チョコレート系の菓子だけでなく、チョコレートも好きか? 試食してみない?」

「えっ? 良いんですか?」

「もちろん。店で出しているものの味は知っておいた方がいいからな」


 そう言って理市さんが銀の小皿に乗せて出してくれたのは、一粒のチョコレート。

 つやつやした表面とまるっこい形が愛しくなるような、シンプルなチョコレートだ。


「おいしそう! では……お言葉に甘えて。いただきます!」


 口に含むと、広がるカカオの香り。

 少しビターな感じかな? でも甘さと苦さのバランスは良くて、香りもとても良い。安心できる味だ。

 舌の上で溶けていくチョコレートはとってもなめらかで、別世界の貴重な食べ物を頂いているような気持ちになる。

 うん、本当に美味しいなあ。コーヒーにもよく合いそうだ。


 ふと拝島さんを見ると、キラキラした嬉しそうな目で私を見ている。


「どうですか? うちのボンボンショコラ」

「とっても美味しいです! 語彙がなくて恥ずかしいんですけど……」

「いやいや、そう言ってもらえるのと、その笑顔が職人としては一番の褒め言葉なんで!」


 嬉しそうな様子に、私も一緒に嬉しくなってしまう。

 拝島さん、元気で素直で愛嬌のある人のようだ。

 理市さんが彼と話す時親しげな理由もわかる気がする。

 また一人、素敵な人と出会えたなと感じる。


 三人でチョコレートの話などをしていると、拝島さんから思わぬひと言が飛び出した。




「ところで織原さん、こんなきれいな女性かたがいつの間にこの店に? もしかしてついにご結婚とか……」


 きょとんとして、いかにも本気の疑問という顔で拝島さんが尋ねてくる。

 結婚、……って理市さんと私がってこと!?


「わわーっ! 違いますからっ!」

「違うよ」


 私と理市さんがそれを否定する声が、思わず重なる。

 結婚どころか……。私は振られたばっかりの女で、そもそも理市さんと再会してから二週間も経っていない。確かに少しばかり不思議な関係にはなっているけど。

 また恋ができるのかどうかすら怪しいくらいだ。


「拝島君、冗談にしても飛ばしすぎだよ。月島も困ってるし。彼女は俺より十も若いのに、三十路の男の恋人にされたら気の毒だろ」


 涼しい笑顔で答える理市さん。

 この人の場合、三十路と言っても規格外すぎると思うけど。


「そうっすかあ。いや、織原さんみたいなイケメンに三十路云々と言われると、いよいよ三十に足突っ込んだ俺は立つ瀬がないんですけど……。あ、月島さん、すみません、妙な勘違いしてしまいまして」

「えっ!? いえいえ、とんでもない。むしろ私みたいなのの相手にされたら、マスターがお気の毒ですから!」


 そう、別に私は嫌ではない。私は選ぶ立場でも選ばれる立場でもないのだ。

 なんというか、私では理市さんみたいな素敵な人の方にこそ失礼だろう。

 あの誕生日の時ほどひどい顔ではなく、清潔感と身だしなみによく気をつけてはいるけど、特別美人なわけでもないのだから。


「いやいや何言ってるんですか!? 月島さん、おきれいですよ、ホントに! ね、織原さん」


 拝島さんに言われたからか、理市さんの視線が私を向く。

 そしてひとつうなずいてから、明言してくれた。


「本当にきれいだと思うよ、月島」


 理市さんは、きっと拝島さんに合わせてくれただけだ。

 それなのに、どうしてかとてもドキドキしてしまう。

 ありがとうございますと言うだけなのに、ずいぶん時間がかかってしまった。


「ですよねえ! うんうん。謙遜しすぎは良くないですよ、月島さん! かっこいい美人な感じがとっても素敵なんですから!」


 拝島さん、良い人だな。

 こんな私のことでも、彼が本気で褒めてくれているのはわかった。

 あの日、大樹に罵倒されたことですっかりなくなっていた自信。それが戻ってきている気がした。



 その後。

 帰り際の拝島さんが、もう一度謝ってくれた。


「さっきはゴメンね、月島さん」

「あ、いえいえ。本当に全然大丈夫ですので!」

「いや、なんならセクハラだなと思いまして……。軽率でした、ごめんなさい!」


 かえって恐縮なくらい謝ってくれる。

 そして、こっそり勘違いの訳を話してくれた。


「織原さんって、優しいけど壁があるっていうか。他人を店に……内側に入れるタイプには思えなくってさ。この店も開店からずっとあの人ひとりでやってたでしょ。でも急にあなたが現れて。じゃ、奥さんか彼女さんかなってつい……」

「あ、確かに。壁があるの、ちょっと分かります」

「でしょ。でも俺、安心しましたよ。織原さんのそばに誰かがいるの見て。月島さんはなんか特別なものを持ってるのかも」


 笑顔でそう言ってくれた拝島さんを、私も笑顔で送り出す。

 私は複雑な気持ちをなんとか整理しようとしていた。



 拝島さんが理市さんに感じた壁のようなもの。

 それはたぶん、理市さんに『秘密』があるから存在するのだろう。


 私はその秘密の共有者だ。

 結んだ『約束』を守るために、ほんの少しだけ彼の内側にいれてもらっているにすぎない。

 理市さんが心を許したからこの場所に置いてもらえている、そういうわけではないのだ。


 たまたま条件が重なっただけ。

 私自身は別に、特別なものを持っているわけではない。



 当たり前の事実なのに、なぜか胸が痛かった。

 そう思うこと自体が、分不相応な驕りなのに。

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