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カフェ店員、見習い

 住む場所が正式に決まり、家具の注文も手配。

 週が明けてすぐに、役所の手続きもひと通り済ませた。

 注文した荷物はどんどん届き始めて、なんとか部屋に住めるようになり、私はお礼を言って理市さんのお部屋から自分の部屋へと引っ越しをした。


 これからは久しぶりのひとり暮らしが始まるのだ。



「新生活、だなあ……」


 自分の部屋を見渡し、思わずつぶやいてしまった。

 まだ使い慣れていない真新しい家具たち。理市さんはもっとちゃんと揃えてくれると言っていたものの、さすがに恐縮なので最低限だけ甘えさせてもらった。


 荷解きするほどの荷物もない。

 元のアパートから持ち出したのはノートパソコンと液晶タブレット、服を少しだけだったのだから当然か。今の部屋はまだガランとしている。

 今までの生活は、奇しくもほとんど過去に置いてきていた。これから私は、全く新しい生活を始めるのだ。



 過去のことは、できるだけ考えないことにしていた。もう数日経ったとはいえ、大樹や社長のことを思い出すだけで気が滅入ってしまうから。


 代わりに浮かんでくるようになったのは、理市さんの顔だ。

 ただ、カフェの美貌のマスターとしての顔ではない。


 プライベートの時間を少しだけだけど一緒に過ごしたことで見えた、飾らない茶目っ気のある笑顔。穏やかだけど、秘めたもののたくさんありそうな眼差し。


 それは別に、恋なんて大ゲサな気持ちじゃなくて。

 ありがたさと、憧れみたいな気持ちなんだと思う。

 たぶん、きっと。そのはずだ。




 さて、と気を取り直して、私は手早く身支度を整える。


「メモ良し、エプロン良し、準備良し。……ようし、行くぞう!」


 今日はお店のオープン前に、軽い研修をしてもらう約束をしている日だった。

 約束の九時、その五分前にカフェ・ライムライトに足を運ぶ。オープンは十一時半なのでそれまでの二時間半ほどを研修に当ててくれることになっていたのだ。



「おはよう。まだ忙しいんじゃないか? 本当に大丈夫?」

「おはようございます! 大丈夫ですよ。ちょっと忙しいくらいが張り合いが出るので!」


 理市さんと話すのはたった三日ぶり。なのに、なんだかずいぶん話してなかったように感じる。

 例の誕生日からの二日間が、濃厚すぎたせいだな、きっと……。


「研修とは言ったけど、難しいことはないと思う。すぐ終わるよ。仕事としてやってもらう内容と、店内に関しての説明だけだから」

「はい! よろしくお願いします!」



 私がここで任せされる仕事は、まず接客。それに食器の用意などの調理の補助。洗い物。あとは配膳。それと早番の時にはオープン前のお掃除ということだった。



「とはいえ、どの仕事も俺と分担の形になるから、実際にやりながら覚えていってもらって大丈夫」

「うーん、接客、実は学生時代に学祭の出店でちょっとだけはやったことあったんです。でもさすがにレベルが違うので。ものすごく緊張しますね」

「俺もこの店に立つ時は、今でも気を張っているよ。基本的には背筋を伸ばして堂々と、大きな声ではっきりと。そしてわからなかったら、迷わずに俺に聞いてくれれば良い。そうすれば間違いはそうそう起こらないから」



 レジの使い方や伝票の書き方、BGMで流すレコードのことも教えてもらったので、ちゃんとメモをとる。こんな新米らしいことをやるのも久しぶりだ。


 お店の中の物の配置はわかっていたつもりだったけど、働く側の目線で見るとまた景色が違ってくる。

 レジに、業務用の冷蔵庫に、オーブンに、食器の乗っているシェルフ。フードのストックはこっちで、清掃用具はこっち。

 頑張って頭に叩き込んで行く。


「あと接客に関しては、マニュアルを作ったので、これも参考にして」

「えっ! ありがとうございます。お手数おかけしまして……」

「いや、大した手間じゃないよ。それより、早く慣れられるといいな」

「頑張りますね!」


 マニュアルの入ったスクラップブックを大事に受けとった。

 早くこの人の期待に恥じないくらいの働きができるようになりたいな。そう強く思った。



 大体の説明が終わった。

 理市さんが最後に質問はないかと聞いてくれたので、私はかねてからの疑問を口にする。

 それはここで働くことになる前から、思っていたことだったのだけど。


「あの、店名のライムライトってどんな意味があるんですか?」

「ああ、それか」


 もっともだとうなずいてから、理市さんは説明してくれる。


「ライムライトと言うのは、昔の舞台照明のことだ。電球が普及してなかった時代に使われていて、転じて名声を意味するようにもなったんだそうだよ」

「へええ……、灯りのことでしたか」

「そう。この店の場合は、『お客様の特別なひと時を照らし出す灯りのような存在でありたい』と言えば格好がつくかな?」


 なるほど、納得だ。それは素敵だなあと思う。

 あれ、でもそういえば……。

 ふと思い出したことがあった。


「理市さんのおうちのリビングにも、ライムライトって」


 確かリビングのキャビネットの上に、ライムライトというタイトルの映画か何かのパッケージがあったような。


「ああ。月島は、チャップリンって知ってる?」

「はい、名前は。全然詳しくはないんですけど」

「そのチャップリンの有名な映画。興味があったら今度貸すよ」


 そんな話をしたところでキリのいい時間になったので、研修は解散になった。



 ライムライト、か。

 その灯りは、私を照らしてくれている。

 替えのきく社会の歯車の、平凡な私を、『君は君の人生のかけがえのない主役なんだ』と言ってくれているような気がして。


 闇に沈みかけた私の人生。

 でも今私は、カフェ・ライムライトと理市さんに照らしてもらって、なんとか光の中に戻ろうとしているのだ。




 その日の午後はマニュアルを読んだり、荷物の受け取りをして終わり、あっという間に夜になっていた。

 一日の最後に、私は実家の母に電話をかけた。


 何回かコールしたあと、電話ごしだけど笑顔が見えるような明るい声が聞こえてくる。


「もしもーし。あら風優子、久しぶり! 元気? ちゃんとごはん食べてる? こないだは誕生日おめでとーう!」

「……あ、お母さん? うん、まあまあ元気だよ、ありがとうね。そっちのみんなはどう?」


 母の変わりない元気さと明るさに、ほっとしてしまう。まさに実家に帰ったような感覚だ。

 近況を聞いたあとで、本題を伝えることにした。


「あのね、突然だけど私引っ越したの。あと仕事も変わることになって」

「えっ! 引越しに転職って……急にどうしたの」

「うん、色々……あ、話せばすごく長くなるから、今度帰省した時に話すよ。新しい住所はあとで送っておくね」

「そうなの……。わかった。お母さんは風優子の決断を尊重するけど、つらかったらいつでもすぐにこっちに帰ってきていいんだからね」


 母は、私と大樹が長年付き合っていて一緒に住んでいたことは知っているし、前の仕事を頑張っていたことも知っている。

 だから何かが起こっただろうことは察したと思う。


 でも聞かないでくれたのは、私を一人の大人として見て、判断を尊重してくれている証。


 今後のことを話し、雑談もして話を終えた。

 母の言葉も態度も本当にありがたくて、電話を切ったあともしばらく、私はスマホを握りしめていた。

 なんだかほろりときてしまった。



 寝る前にちょっと気分を変えよう。

 そう思ってスマホの画面を見ていた時に、ふと昼の話を思い出した。


 そういえば理市さんの言っていた『ライムライト』。どんな映画なんだろう。

 検索してみると、どうもバレリーナと芸人のお話らしかった。


 映画は今度理市さんに借りるとして、曲くらいは聞いてみようかな。


 この映画の代表的な曲は『Eternally』という題名らしい。永遠に、と言う意味だ。

 まだ映画を見てない私に、その題名の意味するところはわからなかったけど、ロマンチックでドラマチックな曲だった。


「素敵な曲だな……」


 ディスクを持っているくらいだから、理市さんはこの映画が好きなのだろうし、何度も見たことがあるはずだ。そしてこの曲も、何度も聞いているはずで……。

 彼は、この映画を見て、曲を聞いて。何を思ったんだろう。

 吸血鬼の彼が思う永遠って、どんななんだろう。


 考えたってわかるはずがない。

 でもなぜか、考えずにはいられない。


 どこまでも美しいメロディが響いている。

 なんだか、心の中が少しざわついていた。

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