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EX1

作中一の頑張り屋さん視点

実質本編

 私のお姉ちゃんは失声症だ。


 心因性発声障害

 ストレスや心的外傷などによる心因性の原因から、声を発することができなくなった状態。


 語彙記憶や言語の意味理解などに困難をきたした「失語症」とは違い、単に声が出せなくなっただけ。

 その気になれば、文字を通して会話をすることができるし、こっちの声を伝えることに関しては何の障害もない。

 だけど、声を奪うほどの精神的な傷は見ていて痛々しい。


 はじめは声をかけられなかった。

 少ししてからも、意思疎通なんてできなかった。

 しばらくしてようやく、頷く・首をふるの二つを返してくれるようになった。


 私もお母さんも、その時失ったものが大きすぎてあまりお姉ちゃんに対して余裕がなかったっていうのは言い訳かな。

 お姉ちゃんが私に向けた瞳に怯えの色を感じたことが何度もある。

 その度私は、取り返しのつかないことをやってしまったと自己嫌悪に沈んだ。


 何度も何度も何度も失敗して、それでも私はもう一度と心を奮い立たせる。


 絶対にお姉ちゃんの声を取り戻す。

 絶対にお姉ちゃんの心を取り戻す。


 そのためなら、私の未来なんて全部ささげてやる。




 でもその誓いが実を結ぶことはなく、二年の月日が流れた。




 アニマルセラピーというものを聞いた。

 どうせなら外に出る必然性の高いもの、毎日の散歩が必要な大型犬がいい。

 でも、散歩の途中で事故に遭ってしまっては今までの努力が水の泡。

 なにせお姉ちゃんは、一番大切な”待て”を言えない。


 盲導犬とか自衛できる犬が一番なんだけど、残念ながら盲導犬は足りていない。

 だから目をつけたのは、盲導犬を引退した犬か、盲導犬の訓練についていけなかった子。

 できるだけ死から遠い方が良かったから、後者の犬をお母さんに強請(ねだ)った。


 事情が事情だからかなり優遇して貰えた。

 結橋(らん)が私達の家族として加わり、お姉ちゃんの生活も少しは活気を取り戻したと思う。



 手話を覚えることにした。

 この頃にはなんとか手帳に文字を書いての意思疎通はできるようになっていたけど、もう一度声を聞きたいという私の願いはまだ叶っていない。

 お姉ちゃんとの会話は文字を介してなのでどうしてもワンテンポもツーテンポも遅れる。

 会話においてその間は致命的だ。極端に言うと、ツッコミみたいな発言は全部意味をなさない。


 人に意思を伝えても大丈夫なんだとお姉ちゃんに、お姉ちゃんの心に刻まなければならない。

 ホントに必要なのかという迷いもあって覚えるのに苦労した。


 英語だってロクに話せないのにもう一つ言語を覚えることが無茶だったのかもしてない。

 それでも、ちょっとでもお姉ちゃんが会話に積極的になってくれるならと、なんならお姉ちゃんより先に使いこなせるようになった。


 でも、手話で日常会話をできる程度まで覚えた人は、家族以外にはいなかった。



 手帳じゃなくてスケッチブックを使うことを提案した。

 文字が小さすぎて、手帳にボールペンだとちょっとでも距離が開くと見えない。


 それは、お姉ちゃんが意思疎通を拒む心理的な壁じゃないかって思ってる。

 意思を伝えることを極端に怖がっているお姉ちゃんに、手帳は向いてないんじゃとは薄々気付いてた。


 手帳に私との会話しか載ってなかったのを見た次の日、私はお姉ちゃんを連れ出して駅前のモールに繰り出した。

 薄桃色でグラデーションのかかった可愛らしい背景にスミレが描かれた表紙が目に留まったみたいなので、それのセットを買う。

 ついでにスケッチブックとだいたい同じ大きさのホワイトボードも買った。


 お姉ちゃんとルールを作る。

 家の中で、私やお母さんとはホワイトボードを使う。学校ではスケッチブックを使う。

 何か一単語、”おはよう”だけでもいいので一日一ページは埋めること。


 最初は守れない日もあった。

 というかそういう日の方が多かった。


 だけど少しずつページが埋まる速度が上がっていき、半年くらいでようやく全てのページが埋まった。

 同じものを買いに行くため、普段外に出たからないお姉ちゃんに外出に誘われたのが嬉しかった。





 あれもやった。これもやった。

 だけど、いまだにお姉ちゃんの声には届かない。

 劇的な変化があったのは、新しいスケッチブックを買った約二か月後の、夏休みの最中(さなか)だった。


 お姉ちゃんが、運命的な出会いをしたらしい。

 ……お姉ちゃんに思い込みが激しいところがあるのは確かだけど、ここまでだったか。


-------------------------------------

  明日、

  らんちゃんの散歩

  変わって

-------------------------------------


 そんな言葉がかかれたスケッチブックのページを開き、お姉ちゃんは私の部屋に現れた。

 らんちゃんの世話、朝夕の散歩はお姉ちゃんと私で交互にやっている。

 こんなに興奮しているお姉ちゃんを久々に見た。

 最後に見たのは、たぶん声を失う前。


 わずかな嫉妬と、少しの期待。

 この人なら、お姉ちゃんを助けてくれるかもしれない。


 でも、期待し過ぎてもいけない。

 言っちゃなんだけど、失声症の人と手間をかけてまで会話しようと思う人は少ない。

 というか赤の他人にそれを求めるのは酷だ。


「良いよ。じゃあ明日からは朝が私で夕方はお姉ちゃんね」


 その人は、手を伸ばしても良いのかな。

 その人は、お姉ちゃんの新たな心的外傷(トラウマ)になったりしないかな。


 藁に縋ったら助かるものも助からない。

 せっかくお姉ちゃんがここまで回復したのに、分の悪い賭けに出る意味あるのかな。


 嬉しそうに笑うお姉ちゃんを止められなかった事を、その夜は後悔しながら眠りに着いた。




-------------------------------------

  明日、

  幸助さんを

  招待しても良い?

-------------------------------------


 正直、私の後悔が杞憂になりつつある事に驚いてる。

 小さかった期待が少しずつ大きくなって、心を覆っていた閉塞感が少しずつ晴れていった。


「うん、良いよ。何か手伝った方が良い?」


 ふるふる

 『必要』『ない』


「分かった。ねぇ、幸助さんとはどんなこと話してるの? ページ見せてよ」


 『恥ずかしい』


「いいじゃん、見せてよ。あー、幸助さんがどんな人か知らないから不安だなー。せめてお姉ちゃんとどんな会話してるのか分からないと明日の晩御飯賛成できないかもしれないなー」


 ……『ちょっと』『だけ』


「ありがと、お姉ちゃん」


 心底恥ずかしそうなお姉ちゃんが、幸助さんとの想い出を見せてくれる。

 いったいどんな秘め事が書かれているのかと思ったけど、書かれていたのは本当に普通の事だった。

 お姉ちゃんが普通の会話をしている、そのことにこんなに救われた気になるとは思わなかったけど。


-------------------------------------

   和食

   鯖とか鰤

   だし巻き卵

-------------------------------------

-------------------------------------

    意外と

    甘いもの

   好きなんですね。

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-------------------------------------

    好きな食べ物

      は

    なんですか?

-------------------------------------

-------------------------------------

    根と種が毒

   でも乾燥させると

   漢方薬になります。

-------------------------------------

-------------------------------------


   実は毒草なんですよ。


-------------------------------------

-------------------------------------


    すみれ色です。


-------------------------------------

-------------------------------------

    好きな色

     は

    何色ですか?

-------------------------------------

-------------------------------------


   冗談です。


-------------------------------------

-------------------------------------

   妹と母と

   三人で

   暮らしています。

-------------------------------------

-------------------------------------

   一人暮らしって

    やっぱり

   大変ですか?

-------------------------------------


 ……

 ……

 ……



「これ全部、家で書いたんじゃなくて散歩中に書いたものなんだよね」


 こくこく


「ふーん。ひょっとして私より会話してるんじゃない?」


 お姉ちゃんが首を傾げる。


 『分かる』『ない』 『でも』『たぶん』『もみじ』『多い』


 んー。

 お姉ちゃんがらんちゃんの散歩にかける時間はだいたい四十分くらい。

 その間絶え間なく会話してたとしても、私との会話には遠く及ばない。

 迷いが生じるほどじゃない。


 連絡先交換したと言っていたし、メッセージのやり取りもだいぶあるみたいだ。

 そっちも見せて欲しいなぁ。


 『駄目』


「まだ何も言ってないじゃん」


 『だーめ』!


 ここまで拒否されると逆に何が何でも見たくなるのはなんでかな。

 まぁ上手くいってるならそれでいい。お姉ちゃんの新たに垣間見た可愛い一面に免じてスマホの方は勘弁してあげよう。





「えっと、すみれちゃんの妹さん?」


 こくこくっ。

 写真を一度見せて貰っていたこともあり、この人がお姉ちゃんの言う幸助さんだとすぐに分かった。


「あー。お邪魔してます。俺の事聞いてる?」


 特にこんなことするつもりはなかった。

 ちょっとしたいたずらごころ。

 私からお姉ちゃんを奪おうとする相手に先制したかっただけの拙い感情。


 『こんにちは』

 『山』『口』『こ』『ー』『す』『け』?


「そうそう。名前聞いても良い?」

 『はい』  『あなた』 『名前』  『何』?


 手話と言葉を同時に操るのは、まだ私の耳が聞こえると確定していないからかな。

 手話って話せない人というよりは聞こえない人のためのものだし。


 『ゆ』『い』『橋』『(もみじ)


「ゆ、い、橋、赤……。ごめん、分かんなかった。これなんて言うの? (あかね)?」


 流石に手話の『もみじ』は分からなかったか。

 お姉ちゃんは文字で会話するのが好きみたいだから正直そこまで必要ない。

 私みたいに日常会話するんだったら別だけど、緊急で使ういくつかと各種挨拶を覚える程度で充分こと足りる。


 『も』『み』『じ』


「あー。これもみじなんだ。ごめんね。初心者で。よろしく、もみじちゃん」

   『よろしくお願いします』


 指文字は全部覚えてそう、かな。

 手話を使いこなせてはいないみたいだからお姉ちゃんと出会うまでこういう文化と無縁だったことは確定。

 つまり一週間でここまで覚えたんだ。

 スケッチブックを見た時、結構な数のページを埋めてたから正直ここまで手話ができるとは思ってなかった。


 『気にしない』


「助かるよ」

 『ありがとう』


 手話と声が微妙に違う。

 手話を話す理由、こっちが聞こえないと勘違いしたんだと思ったけど違うっぽい。

 きっと、同じ言葉を使うって暗に伝えているんだ。

 他人(ひと)と同じことができないことが意外と(こた)えるものだと知っている人なんだろう。


『飲む』『何か』?


「あ、お構いなく」


『コーヒー』? 『紅茶』?


 なんか、急に喋れないフリをする自分が恥ずかしくなってきた。


「あぁ、これってコーヒー?」


 幸助さんはこんなに誠実に対応してくれているのに、私はお姉ちゃんの益になるか害になるかでしか見ていない。

 まぁもともと幸助さんがどれだけ手話できるかを測るためにこんなことをしたんだから、このへんで終わろう。


「そうですよ。冷たいので良いですよね」


「あー。声だせたんだ?」


 冷蔵庫からコーヒーのペットボトルと牛乳パックを取り出して、来客用のコップに注ぐ。

 甘党らしいしカフェオレで大丈夫と思う。

 嫌そうな気配感じたら私が飲もう。


 ストローを差して完成。

 机を見ると幸助さんが突っ伏していた。


「実はそうなのです。お姉ちゃんの声が出ないのは後天的なものですから、遺伝とか気にする必要はないですよ」


 慌てて、普段なら絶対言わないような言葉が口から出てしまった。


「いや、伊達や酔狂で言った訳じゃないですからね。お姉ちゃんああなんで遊びで色恋なんて火傷じゃ済まなさそうですし、恋愛するなら本気でしてもらわないと」


 必死に言い訳を重ねる。

 でも、言葉を紡げば紡ぐほど余計に混乱してしまい……


「あ、お姉ちゃんおかえりー」


 『ただいま』 『あなた』『と』『彼』 『話す』『内容』『何』?


「あー。えー。ちゃんとゴム着けるんだよって話をしてたんだよ」


 私は何を言ってるんだろう。


 もういいや。

 開き直ってしまえ。


「いやいや、何を勘違いしてるのお姉ちゃん。シャワー浴びた後に髪括った方がいいって話だよ。いったいどうして慌ててるのか、私には分かんないなー」


 私はこの人に賭ける。

 その結論は、思ってたよりずっとしっくり来た。


「はいはい。あとは若い二人に任せて、お邪魔虫な私は退散しますねっと」


 できるだけ焚きつけるように。

 できるだけ燃え上がるように。


 この一度だけ、愛の力を信じてみよう。

 物語の主人公とヒロインみたいな出会い方をした二人が結ばれて、幸せな結末を迎えられると信じてみよう。


 願わくは、お姉ちゃんの声がもう一度聴けますように。


「そうなったら、幸助さんは私のお義兄さん、……か」


 お姉ちゃんの顔を曇らせたら許さないからね、お義兄さん。




-------------------------------------

  スケッチブックが

  なくなりそうだから

  一緒に買いに行こう

-------------------------------------


「え、もう?」


 前に買ってからまだ二ヶ月。

 お義兄さんと出会ってまだ十日ちょい。


 しかもお義兄さんは手話を使える。

 どう考えたってスケッチブックでの会話より手話の方が楽だ。


 お姉ちゃんも、私がそう感じているのを察して文字より手話を使うことの方が多い。

 そりゃ、正確性を求めるなら手話より文字の方が誤解が少ないから文字を主体にコミュニケーションすることもあるけど、文字を書く間がめんどくさい。

 一単語、一文程度なら待つことはそれほど苦じゃないけど、既にスケッチブックが何冊も埋まるほど会話を重ねているなんて思いもよらなかった。


「お姉ちゃん、なかなか愛されてるよね」


 ブンブンブンッ


「いや、そんな訳ないよ。それ好きじゃないとできない。うん決めた。行かない」


 『なんで』?


「幸助さんと行ってきなよ」


 私の提案を聞いた瞬間、顔を真っ赤にする。

 そのままうつむき、自信のなさそうな言葉(手話)を紡ぐ。


 『拒否』『かもしれない』


 ありえないよ。

 そう言おうとして、ふと悪だくみを思いつく。


「ただ誘うだけじゃないよ。デートしようって誘うの」


 『無理』『無理』『無理』


「良い? お姉ちゃん。最初に無茶を要求すると、相手は断った罪悪感でその次の要求が受け入れやすくなるんだよ。それを利用するの」


 これはお義兄さんに要求を通すための論じゃない。

 お姉ちゃんを納得させるための方便だ。


「最初にデートしようって誘って、断られたら一緒にスケッチブックを買いに行くだけって言いなおせばいいんだよ」


 一緒に買い物は充分デートと呼ばれる行動のはずだけど、お姉ちゃんは(まだ)それに思い至らないようで、今のうちに決定までこぎつけようと思う。


「お姉ちゃんだって、あわよくばデートしたいって思ってるよね」


 ……こくん。


「頑張れお姉ちゃん。そうだ、今の内にデートと明記して誘うページ作っとこう」


 鉄は熱いうちに打て。

 お姉ちゃんが冷静になってしまう前に。


「で、冗談です、買い物に付き合ってください、的な文句を」


 どうせ使わないページだ。

 そう思っての提案。


 『ううん』『それ』『明日』『書く』 『今』『書く』『すると』『すぐ』『見る(見せる)』『だから』『書く』『ない』


「あー。うん。そうだね。言い訳先に書いちゃうと下手したらお姉ちゃん言い訳から出しちゃいそうだもんね」


 こくっ。


 これ、私が煽らなくても上手くいく気がする。

 すごく無駄なことをしてる気になった。






-------------------------------------

    どうして

   私にはこんなに

   厳しいんですか?

-------------------------------------


「すみれの真似しても手心くわえる気はないよ」


「だってお姉ちゃんと私、明らかに教え方違いません?」


 せっかくお姉ちゃんからホワイトボードを借りたのに、成果と呼べるものはなかった。

 私の方が学年一個下だから余裕あるはずなのに。


「趣旨がちょっと違うからね。試験でいい点とるのは場数踏むのが一番。本番も時間足りないって思うよ。すみれには理解してから問題解かせてたけど、受験勉強を見据えるとやっぱ効率悪いし。それに、もみじちゃんこれで理解できる側の人間でしょ」


 お母さんの粋な計らいで、未成年に手を出すような人が私の家庭教師になった。

 教え子に結婚指輪を渡すかなりアレな人だ。

 ちなみにその日私はお姉ちゃんに二時間自慢された。


「うー。私に構わず夏を満喫したらどうですか? お姉ちゃんをプールにでもなんでも誘わないと、せっかく合法的に水着を見ることができる季節が終わっちゃいますよ」


 上手く言えたかな。

 お姉ちゃんからはプールとか誘わないだろう。

 お義兄さんが誘ったとして、行くかどうかは分からない。


 でももう、私はこの人に全てを賭けたんだ。

 (つと)めて平静に、いつもの冗談のように、もう一歩、お義兄さんを踏み込ませるように。


「お姉ちゃん、ちょっとだけですけど私よりおっぱい大きいんですよ」


「……失声症の原因、聞いたよ」


「っ!」


 息が止まる。

 思考が止まる。


「原因は水難事故。すみれがおぼれた時、お父さんに()()()()()()()()()死なせてしまったらしいね」


 よくある話らしい。

 溺れた人を助けに行こうとして、助けに行った人が死に、溺れていた人が助かる。

 私にとってお父さんという存在はお姉ちゃんの命の恩人であると同時に、お姉ちゃんの声を奪った呪いそのもの。


 この人はとっくに、私が思ってる一歩を自分から踏み出していたんだ。

 結橋家(わたしたち)の闇に、寄り添ってくれていたんだ。


「いいよ。今はシャワーは大丈夫でもお湯につかることすらできないらしいけど、泳げるようになるまで付き合う。トラウマを抱えた人と接したことないけど、できるだけ頑張る」


「……なんで、私の言葉が引き金なんですか?」


 心臓がバクバク言ってる。

 悪いことが見つかった子のように、裁きを待つ。


「もみじちゃんが一番、すみれの声を望んでるからだよ」


「え?」


「今のすみれがあるのは間違いなくもみじちゃんのおかげだ。その積み重ねを壊してしまうのが怖かった。ごめんね、臆病者で。でも、他ならぬもみじちゃんが信じてくれるんだったら試してみる価値はあると思う」


 私の、おかげ?


 未だにお姉ちゃんの声を聴けていないのに?

 お姉ちゃんの笑顔を取り戻したのは、お義兄さんだというのに?


「あとはまぁ、遠慮かな。最後のおいしいところだけ掻っ攫うのは主義に反するって言うか。もうほとんど達成できてるのに横槍いれるのは……






「ふざけないで!!!!」






 唐突に湧き上がる感情は、怒り。

 頭に血が上り、言わなくていいことや言っちゃいけないことがどんどん口から出ていく。


「あなたにとってお姉ちゃんは口を聞けない方が都合いいかもしれないけど! 私はそうじゃないの!」

「声を出せないことがそんなに可愛い!? 守ってあげたくなるような姿がそんなに良いの!」

「何をやっても駄目だった。私にはどうすることもできなかったの。私じゃ駄目だったの!」

「なんでそんなこと言えるのよ!」

「まるでいつでもできるような言い方しないで!」

「私はこの二年間ずっと必死だった!」

「私の力が足りないことなんて分かってる! けど!」

「私に遠慮なんてしてる暇があったら!」



「一分一秒でも早くお姉ちゃんの声を取り戻してよ!!!!!」



 私の慟哭が部屋に鳴り響く。

 部屋が静かになったのは、私が息切れした所為だ。

 たぶん投げやすいものが近くに合ったら投げつけてた。

 ううん。シャーペンとか消しゴムがいつの間にか手元から消えて、罵倒した相手の足元に転がっていたからたぶん投げつけていたんだろう。


「……ごめん」


 一言だけ、そんな言葉とともに、私は独りになった。

 その日の夜、母に私の分の家庭教師がなくなったことを告げられた。




-------------------------------------

    ごめんね。

   今日もちょっと

   遅くなると思う。

-------------------------------------


 季節が廻り、秋になった。

 私とお義兄さんは仲違いしたままだけど、お姉ちゃんとの関係は良好らしい。

 お姉ちゃんには幸せになって欲しい。だから、私の所為で破局することがなくてホッとしてる。


「いいよいいよ。お義兄さんと楽しんできて」


 玄関で手を振ってお姉ちゃんを見送る。

 ホッとしてはいるけれど、それはそれとして寂しいのも事実だ。


「今日私誕生日なんだけどなぁ」


 誰にも聞かれないように小さく呟く。

 朝におめでとうって言って(書いて)くれたし、ケーキも買って帰ってくれるらしいんだけど、できればお姉ちゃんと一緒に選びたかった。


 部屋に戻り、お姉ちゃんから今朝貰った誕生日プレゼントを開ける。

 中身はオルゴールだ。

 見た目は赤と金色の宝箱。


「~~~~~♪ ~~~~~♪」


 宝箱を開けるとHAPPY BIRTHDAYのメロディが流れる。

 オルゴールを勉強机の上において、自分はベッドの上に横になった。


「お姉ちゃんは、今頃お義兄さんとデート中か」


 お義兄さんとはあの日以降、ちょっとした確執がある。

 別に会う機会はいくらでもある。

 でも、挨拶以上の会話がない。


「何してるんだろ」


 少なくとも悪いことではないんだろう。

 お姉ちゃんの笑顔が曇ったことはない。


「お姉ちゃ……ん」


 私はいつの間に眠ってしまっていた。



「あれ? お義兄さん来てるんだ」


 一眠りして、らんちゃんの散歩に行って帰ってくるともう暗くなっていた。

 玄関で見覚えのある男物の靴を見て来客を知る。


 眠っていた分少し遅くなってちょっと申し訳なかったけど、私の方は懐かしい夢を見てスッキリした。

 お姉ちゃんの声がまだ失われてなかった時、誕生日にHAPPY BIRTHDAYを歌ってもらった懐かしい夢だ。

 あのオルゴールが昔の記憶を呼び覚ましたんだと思う。


 起きた時、音が止まって壊れたのかと思ったけどただ最初からまかれていた分を消費しただけだった。

 オルゴールに詳しくないから焦ったせいで余計らんちゃんの散歩が遅くなった。ごめんね。


「おかえり」


「ただいま、ってお義兄さんが言うんですか?」


 なんかちょっと変な感じ。

 ギクシャクはしてるけど、会話はできてる。

 今の私、お姉ちゃんよりずっと口下手だなぁ。


「今日は胸張ってここに入れるからね。誕生日おめでとう」


「はいはい、ありがとうございます」


 プレゼント(アロマだった)を貰い、お義兄さんを受け入れる。

 いつまでも喧嘩してる訳にはいかない。

 こんな小姑じゃ、お姉ちゃんが振られちゃうかもしれない。

 やっぱり私の心はまだまだ未熟だ。


 手洗いうがいを終え、自分の部屋にお義兄さんからのプレゼントをおいてリビングに行くと、テーブルにケーキが乗っていた。

 私の好きな苺のショートケーキ。小さなホールタイプでその上にろうそくが乗っている。


「もうケーキ? 晩御飯食べられなくなるよ」


 そう言いながら席に着く。

 こんなものを見せられたら、もうお腹がケーキ一色になるに決まってる。


「いいのよ。今日は特別」


 お母さんもこういってるし、気が変わらない内にケーキを食べちゃおう。


「じゃあ電気消すわよ」


 お母さんが部屋を消灯する。

 今日火を点ける役はお義兄さんのようだ。

 お義兄さんの参加を許した覚えはないんだけど、この流れを押しのけるほどじゃない。

 別に、お義兄さんのことが嫌いになった訳じゃない。


 席の配置はいつだったかお姉ちゃんが晩御飯を御馳走した時と一緒。

 私の隣はお姉ちゃん。

 向かいがお母さんで、お義兄さんとは対角線。

 らんちゃんは、お姉ちゃんとお義兄さんの間に陣取ることにしたらしい。


 真っ暗になった中、お義兄さんが一つ一つろうそくに火を灯していく。

 全てのろうそくに火を灯すと、私じゃなくて隣の席――お姉ちゃんの方を見て頷いた。


 ……今日の主役、私なんだけどなぁ。

 隣にはお姉ちゃんしかいないよ。まぁお義兄さんにとっては世界一大切な彼女なんだろうけどさ。


 そして、定番の誕生日を祝うための歌。

 その歌を歌うために息を吸う音が、



 ()から聞こえた。



「はっぴば~すでぃ、とぅーゆ~♪」


 !?


「はっぴば~すでぃ、とぅーゆ~♪」


 そんな、だって。


「はぁっぴば~すでぃ、でぃあ、もみじちゃーん♪」


 待ち焦がれていた。

 今日なんて夢にまで見た。

 懐かしい、お姉ちゃんの声が聞こえる。


「はっぴば~すでぃ、とぅーゆ――♪」


 ここで、主役は火を吹き消さなきゃいけない。

 でも、私はお姉ちゃんの方を向いてしまった。

 お姉ちゃんも、私を見てる。


 少しだけ不安そうな顔で、だけど同時にめっぽう得意気でもあって。

 そんなお姉ちゃんに飛びついた。


「お姉ちゃぁーーーん!!!!」


 優しく抱き留めてくれた。

 私を落ち着かせるために背中をポンポンと叩いてくれる。


「――っ。――っ」


「ほら、もみじが、消さないと、みんな、食べられないよ」


「お姉ちゃんのごえがきごえるぅ」


「いままで、いっぱいいっぱい、がんばってくれて、ありがとう」


「~~~~」


 もう意味を成す言葉が口から出てこない。

 こんなに泣くのはいつぶりだろう。


 お姉ちゃんの胸に抱かれながら、ろうそくの火が消えるまでずっと泣き腫らした。




「こんなこともあろうかとろうそくは全部食べられるように特注の使ったんだ。いくら泣いても大丈夫」


「何が大丈夫なんですか目おかしいんじゃないですか私は泣いたりなんかしてないです目おかしいんじゃないですか」


 泣きやんで最初に感じた感情は羞恥。

 女子高生を恥辱で染めるなんてやっぱりお義兄さんは極悪非道の罪人。一回捕まった方が良い。


「あー。そうだね、暗くて良く見えなかった。もみじちゃんは泣いてない泣いてない」


「小さい子あやすみたいな口調が気に入りません何ですか何なんですか何でここにいるんですか帰ってくださいここは一家団欒の場ですよ」


「もみじ、幸助さんは、わたしの声をだすれんしゅう、ずっとつきあってくれていたんだよ」


「……じゃあ、ケーキ一切れくらいなら許可します。さっさと切り分けてください」


 お姉ちゃんを掴んで離さないまま、お義兄さんに指示を出す。

 今日は私がお姫様だ。


「りょーかい。お姫様」


「誰がお姫様ですかいい加減にしてください通報されたいんですかされたいんですねケーキ食べたらさっさと出て行ってください」


 流石にこれは大人げなかったかもしれない。

 でもこれは、心を見透かしたお義兄さんが悪い。


「もみじ、幸助さんのおかげでわたし、二五メートルおよげるようになったんだよ」


「……夕食も許可します。でも、皿洗い手伝ってあげてください」


 今日の当番は夕方のらんちゃんの散歩以外全て免除されてる。

 だから、食器洗いはお姉ちゃんの担当。

 今ちょっとだけ気分がいいから、二人でできる作業を提案してみた。


「やっぱもみじちゃんって良い娘だよね」


「何ですか良い娘ってそういうの良いです背筋がぞわっとします相席は許しますけど発言は……」


「すみれ、もみじちゃんがあーんして欲しいって」


「……」


 ショートケーキが綺麗に切り分けられ(失礼だけどちょっと意外だった)、私とお姉ちゃんの前に並ぶ。

 一人八分の一ずつ。

 半分残ってるけどこれは明日かな。


 お姉ちゃんは優しく笑いながら、フォークを使ってケーキを一口大にし、私の口の前に持ってきた。


「あーん」


「あーん」


 甘い。

 口の中で溶けた生クリームがこれでもかと甘さを主張してくる。


 これだけ甘いのなら、もうちょっとだけ甘えてもいいかもしれない。

 視線を上げて、お姉ちゃんを見上げ、小さな声で呟く。


「もっと」


「うん、いいよ。はい、あーん」


「あーん」


 結局私は、一切自分の手は使わずに自分の分のケーキを食べきってしまった。

 うん。お義兄さんのおかげで良い思いもできたし、今日のところは許してあげよう。


 そのまま出てきた晩御飯は、当然のように私の好物ばかりだった。

 お姉ちゃんは私が離さなかったから準備は全部お母さんとお義兄さん。


 まるでおひm……女王様みたいに扱ってくれた。

 誕生日ってなかなか良い日かもしれない。

 毎週あってもいい。


 そして晩御飯も食べ終わり、宴も(たけなわ)なところでお義兄さんに一つ提案された。

 このタイミングで言うって決めてたんだろうな。


「そうだ、良かったらもう一度もみじちゃんの家庭教師に立候補しても良い?」


「教え子に手を出す人を家庭教師にするとか正気の沙汰じゃありませんよ。お姉ちゃん一人では足りないって言うんですか?」


 さっきのでちょっと癖がついてしまった。

 いや、お義兄さんに対してはもともとこんな態度だったような?

 ここ最近話せてなかったから前にどんな風に会話してたかもう思い出せない。


「そうだね。今までもみじちゃんに当てようと思ってた時間は全部すみれに使ってた。でも、それももう終わりだ」


 私のひねくれた回答をものともせずに返してくる。

 ただ、お姉ちゃんは赤くなってた。


「今までもみじちゃんは人一倍頑張って来た。それは誰もが認めるところだ」


 お母さんとお姉ちゃんが頷く。

 私はそれを無言で受け取り、お義兄さんの次の言葉を待った。


「だから、次の目標を考えるいい機会だと思うんだ。具体的な言い方をすると将来の夢」


「次の目標……」


 今まで考えたこともなかった。

 私はお姉ちゃんの声を取り戻すことに必死で、周りにたくさん迷惑をかけた。お義兄さんもその一人だ。


「もみじちゃん、すみれの声を聞くためにいろいろやってきたよね。だから、今までのことを振り返ってみて。なりたい未来が隠れていたりしない?」


「そんなこと言っても……」


 困惑する。

 今まで何もできなかったと思ってた。

 でも、そうじゃないらしい。


「カウンセラーの人はどうだった? 医者になりたいなんてことは? 盲導犬の訓練士なんてどう? 手話通訳士でもいい」


 頭に複数の人の顔が浮かぶ。

 そっか、私はいろんな人に助けて貰っていたんだと改めて感じる。

 必死だったけど、今からでも思い返すことは簡単にできる。


「個人的には絵本作家をオススメした……」



「なんで知ってるんですか!? なんで今その話になるんですか!! いや、待ってください。え、嘘。嘘だよねお姉ちゃん!」



 ふぃっ


「いや目を逸らさないで。口をつぐまないで。もう話せること私知ってるんだからね」


「ごめんね、もみじ」


「聞きたいのは謝罪の言葉じゃないんだよ!」


 お姉ちゃん相手に言葉を荒げたのはたぶん二年ぶり。

 以前は怯えられたそれも、今は気まずそうにしながらも微笑ましいものを見るような目で


「……はぁ、はぁ。一端置いときましょう。お姉ちゃん、今日は一緒に寝ようね」


「う、うん」


 今夜は久しぶりに姉妹喧嘩だ。

 今は言い争いができることに嬉しさを感じてしまうから駄目。

 強い気持ちを持って臨まないと。


「え、っと。それで、今すぐなりたいものを決める必要はないんだ。でも、もみじちゃんはここ二年で普通の人じゃありえない密度の時間を過ごした。それは絶対に財産になってる。それを活かそうと思った時に武器として使いやすいのが学歴だ」


 言いたいことは分かる。

 特に医者は、今から始めないと結構マズい。

 ……美大って今から目指せるものなのかな。


「しっかり考えて、しっかり答えを出そう。明確な目標はもみじちゃんを支えてくれる」


 どんな人間になりたいか。

 そう考えた時、何故か一番最初に頭に浮かんだのは、お姉ちゃんを笑顔にした人で。


「じゃあ、とりあえず家庭教師でも目指して頑張りますね」


 流石に高卒の家庭教師じゃ箔がつかないし、いい大学とやらに入る目標はできた。

 お義兄さんは意外だったのか目を丸くした後、心配そうな顔で言った。


「もみじちゃん、教え子に手を出すのは犯罪だからね」


「鏡見て言ったらどうですか?」


 お姉ちゃんの声が戻ってくるなら、将来なんていらないと思ってた。

 でも、私の将来はどうやらお姉ちゃんの声が戻って来たことで広がったらしい。

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