中
すみれちゃんの素性を確認したけどやっぱり近隣の高校に通う女子高生だった。
ここ一週間、サークルの用事がない日は一緒に散歩してた。なお、サークルはこの時期やることがないので毎日だ。結果それなりに仲良くなれたとは思う。
もう鼻の上におやつ乗せて「まて」と言えば待つし、「ヨシ」といえば鼻の上にあるおやつを器用に食べることも可能だ。
名前を呼ばずとも姿を現すだけで近寄ってきてくれた時は感無量だった。
はい、らんちゃんとのことじゃないですよね。
油断はあった。
なんと今日、結橋家にお邪魔してしまった。
散歩終わりに、食虫植物に惹かれるハエのように家に上がってしまったのだ。
どうでもいいけど菫の漢字って菫とも読むらしいよ。
年上キラーのすみれちゃんは、俺とらんちゃんを残してシャワーに行ってしまわれた。
らんちゃん(半室内飼い)と戯れながらリビングで待つように言われ、食卓にある来客用と思わしき一つだけデザインの違う椅子に座り待つ。
……。
…………。
あの、斜め向かいにいる女の子について説明してくれても良かったんですよ?
学生服に身を包んだ、すみれちゃんとよく似た、一回り幼い顔立ちの娘が座っていた。
いつも散歩の終わりはすみれちゃんのお母さんに迎えて貰っていたけど、今日は忙しいらしく部屋に籠ってる。
すみれちゃんに妹がいるとは聞いていたから、たぶん妹さん。年はそれほど離れてなかったはず。
そっか。家に上がるってことは家族の全員と挨拶しなきゃいけないってことだよな。
「えっと、すみれちゃんの妹さん?」
こくこくっ。
「あー。お邪魔してます。俺の事聞いてる?」
『こんにちは』
『山』『口』『こ』『ー』『す』『け』?
マジか。姉妹揃ってなのか。
すみれちゃんの妹さんは手話と指文字で俺の名前を表した。
五十音全てに一文字ずつ対応しているのが指文字で、手話では表せない固有名詞を一字ずつ表すことができる。
ただ、名前でも『山』や『口』みたいな簡単な言葉は指文字じゃなくて手話で表現することが多いらしい。
『う』じゃなくて『ー』なのは、たぶん『こ』と『す』を繋げるのに『う』より『ー』の方がやり易いからかな。正直こだわりないしローマ字と一緒の感覚。まぁ『す』と『け』に一拍あるから無駄な気はしてる。
ちなみに”さん”や”ちゃん”みたいな敬称は付けないことが一般的だ。
「そうそう。名前聞いても良い?」
『はい』 『あなた』 『名前』 『何』?
はいといいえは首を縦か横に振るだけでいいんだけど、それと合わせて右手で丸を作る。動きが大きくなるように少し意識しながら伝える。
首をかしげて質問のジェスチャー。手話はだいたいこれで疑問になる。
『ゆ』『い』『橋』『赤』『 』
ひとつ分からない。
いや、赤と組み合わせて一つの単語か? 赤いものを表す名前で使う単語。なんだろう。
「ゆ、い、橋、赤……。ごめん、分かんなかった。これなんて言うの? 茜?」
『も』『み』『じ』
「あー。これもみじなんだ。ごめんね。初心者で。よろしく、もみじちゃん」
『よろしくお願いします』
年下の女の子をちゃん付けで呼ぶことに慣れてしまった。
一週間前の自分に聞かせても信じないだろうな。
『気にしない』
「助かるよ」
『ありがとう』
一週間もあったからなんとか指文字は全部頭に突っ込めたけど、手話は全然。
日常会話に支障をきたすレベル。唯一『ありがとう』は出会った時に思い出せたから自然にできた。
でも何か引っかかるなぁ。
『飲む』『何か』?
「あ、お構いなく」
『 』? 『赤』『 』?
流れからしてたぶん片方は紅茶。
ということはもう片方も自ずとしぼれる。
「あぁ、これってコーヒー?」
今もみじちゃんがやった動作を繰り返しながら尋ねる。
こういう時は疑問をそのままにせずに訊くようにしてる。知ったかぶりする訳にはいかないし、話さないことには上達はない。
「そうですよ。冷たいので良いですよね」
そう言って、冷蔵庫に向かい扉を開けてペットボトルのアイスコーヒーとパックの牛乳を取り出した。
あぁ、違和感分かった。
口を堅く結んでいたんだ。
今思えば絶対に喋らないように気を付けていたんだろうけど、そこが少し不自然だった。
すみれちゃんは声を出せないだけで口を動かせない訳じゃないからな。
「あー。声だせたんだ?」
脱力して机に突っ伏す。
足元に伏せているらんちゃんに癒して貰いながらもみじちゃんの真意を探る。
一度断ってしまったけど、出てきたアイスコーヒーは心労の対価として貰っておく。ストローまで刺さっててなかなか凝ってる。
「実はそうなのです。お姉ちゃんの声が出ないのは後天的なものですから、遺伝とか気にする必要はないですよ」
……。
遺伝を気にするようなことって。
あやうく口の中のアイスコーヒーが大惨事になるところだった。
「いや、伊達や酔狂で言った訳じゃないですからね。お姉ちゃんああなんで遊びで色恋なんて火傷じゃ済まなさそうですし、恋愛するなら本気でしてもらわないと」
一理ある。
これ本人から言われると余計アレだし家族から間接的に聞くのはありっちゃありなのか。
声出なくなった原因とか聞きづらいもんなぁ。
今まで考えたこともなかったけど、子供に障害が遺伝するってマイナス要素強すぎるから敬遠されるのも無理ない。それを初期段階で否定するのは理解できる。
「一週間で指文字覚えて手話もある程度使えるほど時間と労力割いてくれる人なら大歓迎です。手話なんてお姉ちゃん以外とは使いませんよね。ほとんどゼロからそこまでできる人今までいませんでした。これは家族である私含めてですよ」
それはたぶん環境の差。
俺の場合、師匠と毎日会って練習することができた。できる人がそばにいなかった姉妹がゼロから覚えていくのとはわけが違う。
「それで、ぶっちゃけお姉ちゃんのことどう思ってます?」
「そりゃ、あんだけドラマチックな出会い方したんだから意識しない方が無理」
「え? ……へぇ。お兄さん視点でもそうなんですね」
すみれちゃん視点でもやっぱそうなんだ。
俺の事家族にどう話してるのか気になってきた。
とそこで、扉が開き誰かが入ってくる気配を感じた。
「あ、お姉ちゃんおかえりー。あー。えー。ちゃんとゴム着けるんだよって話をしてたんだよ」
キット髪ヲトメルヤツノコトダロウナー。
「いやいや、何を勘違いしてるのお姉ちゃん。シャワー浴びた後に髪括った方がいいって話だよ。いったいどうして慌ててるのか、私には分かんないなー」
ほら、髪留めるやつのことだった。
あぶねー。もみじちゃん、なかなかいい性格してるな。
俺の方からはすみれちゃんが見えないから何言ったのか知らないけど、この会話に混ざるの難易度高すぎてどうすればいいか分からねぇ。
うっかり会話に入ると外堀全部埋まりそう。家に上がった時点で手遅れかもしれないけど。
「はいはい。あとは若い二人に任せて、お邪魔虫な私は退散しますねっと」
一番若い娘がそう言って逃げるように(あるいは逃げる動作そのもの)リビングから飛び出していった。
「……」
すみれちゃんとの間に静寂が挟まる。
俺の方から話しかけないと一生このままな気がするけど、このまま真っ赤なすみれちゃんを眺めるのもありかもしれない。
クリーム色のキャミにもこもこしたピンクと白のボーダー模様の長袖パーカーを羽織ってる。夏だけどクーラー効いてるから暑くはないと思う。今はテーブルで見えないけど、下は太ももがバッチリ見えるタイプのふわふわしたホットパンツだった。
少し濡れた髪が普段と違って艶っぽい。
まさか年下の色香にドギマギするような日が来ようとは思わなかった。余談だけどヘアゴムしてるようには見えない。
『もみじ』『話す』『内容』『何』?
「まぁ簡単な自己紹介だよ。手話をどこまでできるか確かめられたくらい」
『本当』?
「そうだね。もみじちゃんがどんな娘なのか一発で分かったし強烈な自己紹介と言えなくもなかったよ」
『 』『 』『 』『言う』『こと』『 』『お願い』
たぶん嘘だから忘れて、的なことなんだろうな。単語の個数も自信ないけどこの表情で言いたいこと分からないわけがない。
いつもなら分からない単語は説明してもらうんだけど、これ説明させると臍曲げそう。
「すみれちゃん、俺のことを運命の人だと言ったんだって?」
~~~~。
でもすみれちゃんなら臍曲げようが可愛いはず、と思って余計なことを言う。
顔真っ赤にして照れてるすみれちゃんが可愛い。なんか妙な達成感すらあって、今なら小学生が好きな子に意地悪する気持ちが手に取るように分かる。嫌われたらどうしよ。
というかすみれちゃん、やっぱりそんなこと言ってたんだ。なんというか、ちょっと嬉しいな。
「ありがとう。光栄だよ」
嘘つきました。ちょっとじゃなくてめちゃくちゃ嬉しいです。
正直だいぶ懐かれている自信はある。そうじゃないといくら興味があったって手話覚えたりできなかったし。
――――。
――――。
手に持った小さなホワイトボードに何か書き始めた。
外だとスケッチブックなのに、家の中だとホワイトボード使うんだ。
この大きさのホワイトボード便利だな。
と思ったら消し始めた。
なるほど、こっちの方が書きやすいし消しやすいのか。なんで外だとスケッチブックなんだろ。
――――。
――――。
すみれちゃんは一回深呼吸を挟み、ホワイトボードの文字をこちらに向けた。
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今夜
晩御飯を
食べていきませんか?
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一人暮らしの男にとって魅力な提案。
冷蔵庫の中で特に消費しなきゃいけないものとかなかったはずだし、特に断る理由はない。
昨日スーパーで売られている半額(三割引きも可)弁当のコスパを語ってしまったことが伏線だったか。
「すみれちゃんって大人しそうな雰囲気に反してかなり積極的だよね」
『栄養』『偏る』『駄目』
目が合わない。
手話において目を合わせることの重要性をすみれちゃんが分かってないはずがないのでわざとか、もしくは恥ずかしさ等で目を合わせられないだけか。
あるいは俺の方が目を見れないだけか。
なんか順調に落とされてるなぁ。
「悪くない?」
結橋家は母一人娘二人の母子家庭と聞いた。
そこに晩御飯をごちそうする余裕があるのか。いや、ちょっとはバイトもしてるとはいえ親の金で一人暮らししてる学生の俺が心配するのは変かもしれない。
『母』『 』『ある』
「ごめん。真ん中分からなかった」
――――。
――――。
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お母さんの
許可はすでに
とっています。
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計画的な犯行だったか。
というか大型犬なんて財力ないと飼えないしお金に余裕くらいあるか。無用な心配だった。
もみじちゃんはどうなんだろ、とちらっと思ったけどあの娘に対して心配することは無さそう。嫌だったら反対くらい簡単にできる娘っぽかった。
「じゃあお願いしようかな」
――――。
――――。
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がんばって
おいしいもの
作りますね。
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あ、すみれちゃんが作るんだ。
家庭的な娘アピール。効果はきっとばつぐんだ。
「何か手伝うことある?」
『蘭』『遊ぶ』『お願い』
戦力外通告をくらったので料理を待つことにした。
まあ正直切る、焼く、煮る、炒める以外の調理法を知らないからその判断は間違ってないよ。せめて量るくらいは覚えとけばよかった。でももう技四つ覚えてるし次の技覚えるには何か忘れさせないといけないからなぁ。
今もうひでんマシンは存在しないんだっけ?
視界の隅に家事当番表を見つけ、今日の料理欄がすみれちゃんであることを確認。こうやって家事スキルが磨かれていく訳だ。
黒い大きめのエプロンを取り出して装着し、冷蔵庫の中からいくつか食材を取り出してテキパキと作業をこなしていく姿をカウンター越しに眺める。
ちょっと新婚さんみたいとか思ってない。
「らんちゃん、何して遊ぶ?」
俺の足元で大人しく伏せをしていたらんちゃんに話しかけた。
返事があると思ってなかったけど、ちょっと待っててと言いたげな雰囲気でこっちの顔を見上げ、別室へとことこ。
そして帰ってきた時、その口にあるものを咥えていた。
「キミ賢過ぎない?」
持ってきたのは四つの紙コップと餌入れが入ったタッパー。
まさからんちゃん、アレができるのか。
四つの紙コップを逆向きに並べ、その中の一つに餌をいれる。
そして、ランダムに場所を入れ替えること数回。念を入れてもう数回。
「どーれだ」
らんちゃんの右手が一つの紙コップを指す。
おそるおそる紙コップを持ち上げ、その中を確認すると
「……ある」
らんちゃんのドヤ顔(ホントにドヤ顔に見える)を茫然と見つめ、すぐに我に返って褒めまくる。
「すごいじゃん。らんちゃん天才!」
調子に乗ってもう二、三回やってみる。今度は紙コップを入れ替えるスピードに緩急をつけて見たり、動した後の間隔に差をつけてみたりして難易度を上げたけど、らんちゃんは百発百中。
犬って人間より目が悪く、耳や鼻が良いイメージがあるけどそれでも一番頼りにしているのは視覚。
これやってる時も目で追ってたし、最後に嗅覚で餌の場所を特定した訳じゃない。そりゃ少し集中力があればできるかもしてないけど、実際に目にするとやっぱり感動する。
「うりうり。らんちゃん可愛くて賢くてもう無敵じゃん。なんでもできるじゃん」
誇らしげならんちゃんを称え、顔を撫でまわす。
まだこんな特技を隠し持っていたとは、知らなかった。ここに来た甲斐があったというもの。
――リンリーン!
ハンドベルの音。
ここ一週間で何度か聞いた、喋れないすみれちゃんが注意をひくための音だ。
「今行く」
もはや抱き着いていたらんちゃんを解放し、しぶしぶ立ち上がる。
心なしからんちゃんも名残惜しそうな表情をしているように見える。
「なっ……に?」
キッチンに向かうと、すみれちゃんに着ていたパーカーを渡された。
目の前の光景にフリーズしたけど、すみれちゃんに気付いた様子はなく普通に接してきた。
『それ』『椅子』『 』『お願い』
「……りょーかい」
ショートした頭を再起動させ、すみれちゃんの格好を脳に焼き付け、なんとか平常心を保って指示に従う。
薄手の夏用とはいえこのもこもこ、流石に火を複数扱うキッチンだと暑すぎたみたいだ。可愛らしい白とピンクのボーダー柄パーカーを机に掛ける。手話が一つ分からなかったけど服を掛ける動作っぽかったし今は聞き返す気力がない。
俺の反応を少し不思議そうにしながらも、火が気になるのか意識はすぐ手元にやっていた。
この混乱を癒すためにふらふらとらんちゃんのもとへ。
「らんちゃん、あれ素なんだって。俺もう駄目かもしれない」
「?」
流石のらんちゃんも困惑気味(に見える)。
でもらんちゃんに聞いてもらおうが動揺から抜け出せる気配はない。
「らんちゃんは足し算引き算は分かる?」
簡単な話だ。
足したり引いたりした結果がどうなるか。
それを求める計算式を人間は足し算引き算と呼ぶ。数学科の連中は自称変態だから知らん。
「お姉ちゃん、そろそろ晩ごはん完成? 配膳くらい手伝ってもいいよね。……ってなんで裸エプロン!? いくらお義兄さんのためだからってやり過ぎじゃない?」
問題です。
キャミソールとホットパンツという露出過多な部屋着にパーカーを羽織っていた女の子がいました。
大き目のエプロンをした後にパーカーを脱ぐと、どんな格好に見えるでしょう。
あともみじちゃん、後で俺の呼び方について話し合おう。
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お見苦しいものを
お見せして
申し訳ありません
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すみれちゃんの作った夕飯は鮭のホイル焼き、みそ汁、きんぴらごぼうだった。
もみじちゃんの反応からして気合入れて作ったんだろうなってことは伝わったんだけど、如何せん妙な空気が払しょくしきれていない。
終わった~、と達成感溢れる声とともに食卓に着いたすみれちゃんのお母さんも困惑気味だった。
いや、ちゃんと美味しかったよ。ただ、俺には美味しい以上の感想をひねり出す才能はなかった。ラブコメとかで作り甲斐はあるんだけど、それ以上がないという評価を貰っちゃう主人公の気持ちなんて知りたくなかった。
一流のクラシックを聴くには一流の耳が必要だし、ホラー見るなら少しは怖がらないと面白くないのと一緒。
くっ、これは舌を鍛える必要あるな。
半額弁当の他は肉と野菜を塩だれか焼肉のたれで適当に炒めるがデフォの俺にはキツイ道のりだけど、感性が死んでるとこれから先不都合な未来が待ってる気配がする。
「あ、ちょっと幸助君借りるわよ」
全員が食べ終わったくらいのタイミングですみれちゃんのお母さんが不穏なことを宣言する。
有無を言わせぬ雰囲気を感じた。残念ながら逃げ出すことはできそうにない。
こくこくっ
『ど』『な』『ど』『な』
「すみれちゃん、もみじちゃん黙らせといて」
「今私喋ってなかったのに!」
こうして俺は売られていく仔牛のようにすみれちゃんのお母さんの私室である書斎に連行された。
つまんないな、やめとこ。
「ちなみに何があったの?」
書斎に入って鍵を閉め(!?)、開口一番にあんまり訊かれたくないことを訊かれた。
でもこれに関して俺は無罪を主張する権利あると思うんだ。
と言う訳で娘の痴態を容赦なく母親に伝えることにした。
「……っくく。面白い話をどうも。君に見せるために部屋着を新調していたのが仇になったんだね」
今日のために気合入れすぎでしょ。
ごめんね、舌が馬鹿で。
「うん。でもその話、私にとってまたとない朗報なんだよ」
優しさを纏った母の表情。
ただの失敗談ではないらしい。少し想像を広げてみる。
あの時、何があった?
娘がエロっちい格好しただけにしてはこの反応はおかしい。
……。
「ヒントはいる? すみれの気持ちになって考えてみて」
んー。
当番表からして料理するようになったきっかけは俺じゃない。
テキパキこなしてたし、もみじちゃんも豪華さには驚いてたけどできたこと自体は当然のように受け入れていた。
コンロにみそ汁(具は大根とワカメと豆腐だった)、きんぴら。グリルに鮭。
で、暑くなって脱いだ服を俺に預けて料理に戻っていった。
俺がすみれちゃんならどうした?
「無理すれば自分一人でできるようなことを俺に頼んだ、ですか?」
たぶん自分で服を椅子に掛けた。
それが、俺に迷惑をかけない方法だから。
「正解。やっぱキミ頭いいね。すみれの声が出ないのも初見で分かったんだろう」
「たまたまです。全部分かる訳じゃありません。それに今回はヒント貰ってようやくです」
すみれちゃんが俺を自然に頼った。
その事実は確かに、俺にとってもすみれちゃんのお母さんにとっても朗報だ。ひょっとしたら眼福以上に嬉しいこと。
「そんなキミに質問があるんだ」
「何でしょう?」
二人きりにされた時点で想定される目的は二つ。
何かを言いたいか、何かを訊きたいか。
どっちでもあり得ると思ってた。
「キミがすみれに感じている負い目はなんだい?」
「……」
また答えづらいことをズバッと訊いてくるなぁ。
正直自分でもここまで悩むことが意外だった。
あんなに好き好きオーラ出してる娘を拒絶するでもなく、受け入れつつも一歩退く態度はやっぱり目に余るものだったか。
「まぁ別に急いで答える必要はないよ。確かにキミとすみれが築いた時間はごくわずか。一時の気の迷いと断じて間を置くことが正解の場合もある。もう少し時間をかけて関係を深めていくのも私好みだ」
手話の勉強に費やしている時間を含めても、まだたったの一週間。
正直どうしていいかまだ分かってない。
「でも、すみれに何かいけないことをしたことがある、これからする予定ならキミとの接し方を変えないといけない」
これは甘えかな。
普段すみれちゃんにはカッコつけている反動かも。
「……俺は、すみれちゃんの弱さを好きになったのかなって思ったんです」
「は?」
「あの時、たぶん俺はすみれちゃんが声を出せないと気付いていなかったら声を掛けませんでした。いや、ひょっとしたら声を出せても割って入ったのかもしれません。でも、すみれちゃんが自分で危機を乗り切れるようなら声なんてかけませんでした」
それがとても気に食わない。
たとえば、勉強できる娘とできない娘。好きになるとしたらできる娘のはずだ。
料理が上手い娘と下手な娘。好きになるとしたら上手い娘のはずだ。
なら、声を出せる娘と声を出せない娘なら?
危機を乗り越えられる娘と乗り越えられない娘なら?
「将来彼女の好きなところとか訊かれたら俺は、声が出せないところです、って答えるんですか?」
こんなこと、本人にはとても聞かせられない。
でも、負い目としてずっしりと心に刺さってる。この棘が抜けない限り、俺がすみれちゃんを完全に受け入れることはない。
「……っく、ふふ。ははっ。いや、キミホント面白いね。私てっきりキミが浮気してるのかと思ってカマかけただけなのに、まさかそんな青いこと考えてたなんて」
まぁ正直笑い飛ばされる可能性は考えてた。
……正直、笑い飛ばしてほしいと考えてた。
「そういう反応するってことは、ちゃんと答えは存在するんですよね」
怖いのは、いくら考えても答えが分からずズルズルと関係が続くこと。
今この胸をときめかせ、心臓を締め付けるような感覚に慣れてしまい日常となってしまうこと。
「知らないよ。でも、キミも気づいてるんだろう。キミはもうすみれにベタ惚れで、だけど頭で納得いかないから惚れていい理由探してるだけじゃないか」
恋愛は心でするものなのか。
それとも頭でするものなのか。
心は脳の機能の一部だなんて現実は隅に歩っぽリ出して、何度も真剣に考えた。
俺の場合はたぶん両方だ。片方が欠けることはあり得ない。
心の方はもう引き返せない。
頭の方は、……この積極性を強さにいれてもいいかな、って考え始めているところだ。
「それなら存分に悩め若人。いや、面白い話を聞けたしここは私は人肌脱いで協力しよう」
心底嬉しそうに語る。
どうやら俺の回答はお気に召したらしい。
「大丈夫。すみれは弱いだけの娘じゃないし、キミはちゃんとすみれの強さを認められるよ」
あと一押し、その機会を増やす大義名分がまた一つ。