2話
こちらの指示に従って、敷嶋がアクセルを踏み込む。
エンジンの唸りが大きくなり、脚後部の履帯が激しく回転すると、腰をかがめた低い姿勢でティーガーが前進する。
操縦は敷嶋に任せ、照準器を覗き込む。
「さすが敷嶋、ドンピシャ」
「お褒めに預かり光栄です」
敷嶋の操縦によって絶妙に調整された車体の位置によって、照準器のど真ん中にヒュドラの姿を捉える。
既に目標までは4kmを切っていて、主砲71口径8.8cm砲KwK43の射程内にある。
本来ティーガーⅠの主砲は56口径8.8cm砲KwK36だが、後継であるティーガーⅡに搭載されているのと同じ、より強力な砲に換装してある。
史実では案だけで実施されなかった主砲換装も、ゲームでは色々試してみることができる。
自勢力の兵器だけではなく、コストは上がるが他国のも入手可能で、プレイヤーたちは様々な魔改造を行ったが、ティーガーの砲はアハトアハト――88mm砲だから、ドイツ語の8であるAchtを重ねて呼ぶ――として大人気であった。
「弾種榴弾」
通常徹甲弾でもこの距離なら150mmの装甲を貫徹可能だが、首を焼くことを考えるとまずは43式炸裂榴弾を選択、僅かに主砲を動かし、ヒュドラの首の一つに砲身を向ける。
直後、ヒュドラの口から何かが吐き出された。
「本機に向いている発射口なし、脅威度低」
敷嶋からの冷静な敵情報告が上がってくる。
「着弾まで5秒、弾速から当機なら発射後回避可能……着弾今」
発射口の向きから当たるか当たらないか瞬時に判断可能な敷嶋にとって、発射を視認した時には着弾している光学兵器か、よほどの広範囲攻撃以外は片手間で回避できる。
その上、ヒュドラの攻撃は弾速を上げるように追求した形状ではないので、普通の砲弾よりも遅いため、撃たれてからでも余裕で回避可能だ。
その判断の通り、機体の近くにはまったく着弾しなかったが、今までいた場所の近くにあった他の掩体壕にヒュドラの攻撃が着弾した。
表示盤を切り替え後部を映し出すと、その掩体壕にあったゲシュペンスト――恐らくⅢ号J型をベースにしたのだろうが――その正面装甲がヒュドラの攻撃で完全に破壊されており、もし中に乗員がいたら大変なことになっていただろう。
「攻撃手段は毒液、直撃を受けたタイプⅢは行動不能になっている模様」
「分かった」
あれでは、毒の効果が消えるまでは近寄ることもできないだろう。
場合によっては、基本フレームまで毒に浸食されて修理不能になる可能性もある。
そんなことを考えている間にもヒュドラとの距離は詰まり、照準済みの首に向けて肩の主砲を発射、一抱えもある薬莢が機体後部から勢いよく排出される。
狙い違わず瞬き二つ分ほどの時間で首の一つに命中、盛大な爆炎を上げた。
「命中、目標の破壊を確認。焼夷効果微弱、再生を開始しています」
敷嶋が冷静に首の破壊状況を読み上げる。
それを聞いて思わず小さく舌打ちをした。
「榴弾じゃあ焼き切れないか」
「はい、近接して緋炎鋼刀による切断を推奨します」
「了解した、近接武装Bに換装」
「了解、出します」
敷嶋が武装変更レバーを操作、機体後部の空間収納庫から大盾、馬上槍、2本の大太刀を出現させると、盾は左腕、槍は右腕、大太刀は背部左右に装着される。
「まずは槍で奴の動きを止める!」
指示に従って、素早くコースを演算する敷嶋。
「最適接近コース設定、30秒後に接敵」
「よし、それまで徹甲弾を胴体部に叩き込む」
背部の自動装填装置が弾倉を切り替え、43式徹甲弾を装填する。
表示盤に装填完了の合図が出る前に、攻撃を受けて怒り狂ったヒュドラの頭が一斉にこちらを向いた。
「発射口6、本機に指向、予測回避に入ります」
「任せた」
再生中の頭と中央の頭以外の全てがこちらを向いて、攻撃を仕掛けようとしてくる。
だが、全く焦りの感じられない冷静な敷嶋の報告を聞いている限り、万が一つに当たることもないだろう。
ならば、頭がどんなに動こうとも大きく位置が変わることのない胴体に向けて、装填が完了した徹甲弾を叩きこむ。
最初の砲弾が着弾する前に次弾が装填され、直ちに発射、矢継ぎ早に5発の砲弾を送り込む。
1発目が胴体を大きく引きちぎり、それによってこちらを狙おうとしていた頭が横倒しになり、続いて僅かに射線をずらしながら撃った砲弾で、トラックほどもある太い胴体が半ばから千切れ、支えられなくなった頭が横倒しになった。
「今だ」
「了解しました」
倒れる前にそれぞれの頭から毒弾が発射されたが、全てがあらぬ方向へと飛翔した。
こちらに指示に従った敷嶋がアクセルを全開、機体に蓄えられた魔力だけでは足りずに、自分から何か――恐らく魔力――が吸い出されるような感覚が一瞬あった後、エンジンの唸りが大きくなると機体が加速、一気に距離を詰める。
主砲よりも長大な、右手の馬上槍をヒュドラの首の付け根へと突き刺し、勢いのまま地面に縫い留める。
猛烈な悲鳴、それとも怒りの声が上がるのを聞き流し、加速の勢いを維持して槍から手を離すと両手を後ろに回し、左右一対の太刀を抜き放つ。
特殊加工された緋炎鋼で作られた太刀は、動力を通すと高熱を発し、炎を放つ。
その熱でヒュドラの首を焼き、二度と再生できないようにする。
炎を上げた太刀を左右から振り下ろし、手近な首を二つ刎ね飛ばし、切り口を焼き払う。
勢いのまま、手首を返すと右手の太刀でこちらに向こうとした首を刎ね、左手の太刀は横から迫る首に向けるが、相手の急な動きによって首からずれて真っ向から唐竹割にする。
「首を刎ねないと意味がありません」
敷嶋が冷静に警告する。
「そうだな、次は気を付けるよ」
「今ので計算よりも0.5秒討伐時間が伸びたと報告します」
「確かに、アプデ前だったら今のは楽に切り落とせていたな」
「はい、目標の行動速度が予測よりも向上しております。再計算を実施」
「構わん、どうせこれで全部切り落とす」
素早く2回手を振り、残りの3つの頭と榴弾が吹き飛ばしてその痕から2つになって生えかけていた頭を全部落とす。
怒りからか、中央のひと際大きな頭が大きな咆哮を上げた。
「お、また鳴いた」
「さすがに怒ったようですね」
「ヒュドラは不死身だと聞くけど」
「それは神話の存在で、ゲームでは普通に倒せておりました」
「そうだったな、でも倒すまで手間だったし、細切れにして全てを焼くか」
「再生用のエネルギーが枯渇すると復活は難しいと考察します」
「じゃあ、ぶった切るか!」
「そうですね、まずは輪切りとかいかがでしょう」
「応!」
中央の頭が口を向けてくる。
「来ます」
回避行動をとる敷嶋、だがヒュドラの牙から2本の黒い線が高速で射出される。
「何だ!?」
「回避間に合いません!」
貫通を避けるために正面から受け止めるのではなく、とっさに受け流すように左手の盾を斜めにしたが、直後鈍い音と共に、強い衝撃が左手に響いた。
「嘘だろ、ゲーム中で最も硬い金剛銀の表層が削れたぞ」
「盾表面0.03%損傷、他に異常なし。毒液をウォータージェットの要領で加圧して射出したと考えられます。射出速度は音速を優に超えておりました」
「くそ、俺の機体に傷をつけるとは、もう許さん。敷嶋、リミッター解除」
「了解しました、リミッター解除、ブーストオン」
ツインエンジンが全開になり、その唸りが周囲の全ての音を切り裂くように高まって行く。
オリジナルのティーガーに搭載されたエンジン、HL230P45は3,000回転で最高出力700PSを叩き出す。
だが元々が57トンもある車体を機敏に動かすのにはパワー不足で、しかも安全のために最高出力を出せない方があたりまえだった。
だが、パンストはリアルとは違いゲームなので故障率も低く、安心して全開でぶん回せる上に、ワンオフで魔改造もでき、機体の装甲を魔法金属などに交換して軽量化、更にはもっと優秀なエンジンを搭載するのも可能である。
自分の愛機は、ゲーム中ではアルバースと呼ばれるイギリスをイメージした国の最優秀エンジンとして知られるマーリン、それを戦車用に改良したミーティアの基本ブロックをやや重いが圧倒的に頑丈な金剛銀に交換し、魔術伝達部分には魔力を極めて通しやすい真銀を使用することで、2,200回転で1,000MPS(魔術馬力)を発揮する。オリジナルのミーティアは、2,400回転で600馬力前後を発揮するので、1.7倍近い出力――まあ、馬力と魔術馬力の違いはあるが――を叩き出している。
それを腰後部に2発搭載することで、ブースト時には最新鋭の戦車を超える2,000MPSを軽々と叩き出し、ティーガーの巨体を思うままに動かすことができる。
「問題は燃料と魔力をバカ食いすることだな」
「計算上あの程度のヒュドラを倒すのには十分間に合います」
「よし、ならば鏖殺してやる」
「相手は一体ですので、この場合は殲滅なり抹殺なりが適切かと愚考します」
「しまらねぇな、おい」
敷嶋といつものように軽口を叩きながら、ヒュドラの周囲を高速で移動しつつ、胴体をみじん切りにし、切り口を焼き払う。
攻撃をしようと大きく開けた口、その隙を見逃さずに焼夷手榴弾を投げ込む。
手榴弾と言っても人間用ではなく、歩行戦車用であるから主砲弾ほどの大きさがある。
そんな大きさの物が口の中に入ったので、ヒュドラは反射的に口を閉じたが、直後、瞬間的に反応したアルミニウム混合物が燃焼、閉じた口を無理やりこじ開けるかのように猛烈な光が発生、体内から焼き尽くしていく。
数千度にも達する熱で体内を焼かれて、断末魔の悲鳴を上げるヒュドラだが、酸素が無くても燃える焼夷手榴弾のため、燃え尽きるまでは消しようがない。
燃え落ちる頭部が再生しようとするが、その端から高熱に炙られ消し炭と化し、ついには肉が完全に焼け落ちて頭部の骨だけとなった。
それでも動こうとするので、右手の太刀を一閃し、頭蓋骨を真っ二つにする。
これで完全に再生用のエネルギーを失ったのか、二つに割れた頭蓋骨、そしてそれに続く背骨はピクリとも動かなくなった。
後に残ったのは先に切り落とした首と焼け残った尻尾、灰の中に転がっている魔物を動かす動力源と考えられている巨大な魔核だけであった。
やっと終わったかと小さく息を付くと、敷嶋が報告を上げてくる。
「目標完全に沈黙、周辺敵影有りません」
「よし、鷹の目には周りの調査を行わせてくれ」
「了解」
焼け残った部分と魔核を拾って、格闘戦装備と一緒にバックパックにしまう。
そんな操作をしていると、また敷嶋がこちらをまじまじと見ているのに気が付いた。
「どうした? さっきも何か言い掛けていたが」
「はい、ご主人様のお姿は私的にはそちらの方が好ましいと存じます」
「姿?」
パンストでの自分のアバターは欧州風世界観と、ティーガーを愛機にしていることから、西欧人っぽい赤褐色の髪に青みがかった灰色の目をした、若さよりも渋みが溢れる口ひげが似合う顔と、鍛え上げられた長身に漆黒の軍服をまとっている姿のはずだった。
何か違っているのか、と思って軍服の胸ポケットから鏡を出そうとする。
しかし手が探った場所に胸ポケットは無く、動かした手が空ぶる。
訝しみながら胸元を見ると、着ているのは軍服ではなく、普段部屋着にしているトレーニングウェアの上下だった。
「え、何で?」
「鏡でございます」
恭しく敷嶋が手鏡を取り出し、見せてくれる。
そこに映っていたのは西洋人顔ではなく、普段から見慣れた平凡な日本人顔、加藤大河の姿だった。
「ええーーーー?」