1話
「はー、今回の黒エルフ隊長はオネショタ展開かー、いやあ噂にはなってたけど、今回のアプデ、これついに最終決戦か?」
ディスプレイの向こうでは人型歩行戦車ゲーム「パンツァー・ゲシュペンスト」、略してパンストの最新アップデートデモムービーが流れている。
欧州メーカーが出した、第二次世界大戦の戦車戦をモチーフとしたマルチプレイヤーオンラインゲームだが、何故かエルフ、ドワーフ、吸血鬼、狼男など人外の種族が多数存在する架空世界が舞台となっていた。
更に戦車戦とは謳っているが、登場するのは履帯の代わりに二本もしくは複数の脚がついた幽機と呼ばれる歩行戦車である。
「本国版はキャラがみんな濃いのばっかりだけど、今回もローカライズ版はいい仕事してますね、特に相変わらず黒エルフ隊長の造形には力が入っている」
通称黒エルフ隊長――デモムービーに登場したダークエルフの中隊長だが――ある意味ローカライズ版ムービーの主人公は彼女だった。
リリースされた当時の本国版ムービーでは、脇の方にちょっとだけ筋骨隆々とした男か女かも分からない姿で登場していたのに、ローカライズ版では巨乳ダークエルフ美女としてムービーの主役となり、人気声優による凛々しいボイスと相まって一部に猛烈なブームを巻き起こし、大量の二次創作やファンアートが投入され、更には公式フィギュアまで作られるようになる。
そのフィギュアはディスプレイの横に飾られているが、限定発売だったために、今では猛烈なプレミアが付いて大変な値段になっているほどだ。
大型アップデートごとに来る追加ムービーでは、彼女があちこちの戦場で戦功を挙げ、昇進して部隊を率いる様子が展開されていき、日本だけではなくアジア圏でも話題となり、そのあまりの人気ぶりに欧州に逆輸入されるまでになった。
もっとも、やっぱり欧州版ではムキムキマッチョで、そのあまりの分かってなさに、欧州の人間が日本サーバーにやってくる始末。
有志による日本語版の逆ローカライズという謎現象まで発生するほどであった。
そして、今回の超大型アップデートでは、新マップで新たな敵と戦うシナリオの追加に加えて、VR機能の強化が行われる予定となっている。
今まではVRでも戦車に乗車中の車長視点のみが見られて、それ以外はアバターを俯瞰で操作するVR機能を生かし切れていない状態だった。
それが今回は完全VR対応で、テストプレイリポートでは「完全なる没入感、ようやくパンスト世界に行くことができた。特に黒エルフ隊長は最高だった!」との記事が上がって、添えられていたスクリーンショットの殺人的なほどの巨大な山に一部の人間が悶絶するほど。
ゲーム開始から追い続けた者としては、否が応でも期待が高まろうというものだ。
なお、欧州サーバーでは自国車輌を使う人間が多いのだが、日本ではやはり黒エルフ隊長人気のせいか、彼女が属するドイツをモデルとしたアートルムス帝国が一番人気である。
そのため、本国メーカーはアジア圏でのユーザー獲得のために日本戦車の実装を考えていたのだが、それを無期延期したという噂も流れたほどだ。
まあ、日本ローカライズチームが作った巫女服の隊長が活躍するデモムービー、それを見た本国メーカーが「日本人は理解できないし、アジアで十分ユーザー獲得しているから後回しでいいか」と言ったという噂の方が信憑性が高いんだけど。
それはともかく、事前ダウンロードで既にアップデートも完了している。
後はサーバーのメンテが終わるのを待つだけ。
鍛えに鍛え、魔改造に魔改造を加えた愛車が咆哮する時が待ち遠しい。
ムービーをぼーっと見ていると、メンテナンスが予定通りに終了したお知らせが届き、急いでVRのヘッドセットを被る。
すでに体はVRベッドの上で、いつでもログインする準備が出来ている。
トイレも行ったし、食事もすませて十分な水分も取った。
システムも既に稼働中で、課金して購入した優先アクセス権を使用してログイン、ゴーグルに見慣れたシステムチェックが走り、起動画面が投影される。
「末期戦は好みじゃないけど、頑張り次第で戦況をひっくり返せるのがパンストの良い所だからな。運営もそれを期待しているんだろうし、押し返させて貰おうか」
その声が消えないうちに画面が暗転し、ゲームが始まった。
◇
暗闇から視界が開ける。
目の前には見慣れた自分の愛機、魔改造ティーガーの車長席――なお機体なので最初は機長と翻訳されていたが、戦車である以上車長と呼ぶべきだとの意見が強く、アプデの際に翻訳が修正された――そこから見た機体内の光景が広がっている。
「あれ、スタート位置が違う?」
今までは起動すると最初は格納庫に出て、そこで搭乗する機体を選択して、装備の改変や補給や改造などをして、ミッションを受けることになっていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
だが今は車長席に座っており、斜め前にはゲームの中で親よりも見慣れたメイド服姿の従者、普段は表情筋が仕事をしていないのではと思うほど表情が変わらないのだが、目元が僅かに緩やかになっていて、本人は笑みのつもりと分かる表情を浮かべ、こちらに振り返っている。
「敷嶋、元気だったか?」
「元気という概念は分かりかねますが、この子も私も万全で常に最善を尽くすことが可能です」
「それは良かった、今日も君の最善を期待している」
「ご命令のままに、ご主人様」
すっと頭を下げる敷嶋。
彼女は雇用可能なアシスタントNPCの一人で、ゲームを始めた時から自分の片腕としてティーガーの操作補助をして貰っている。
初期に入手可能な小型ゲシュペンストなら一人でも操作可能だが、ある程度以上の大型になると、少なくとも操縦と車長兼砲手を分けないと手が回らない。
更には、随伴歩兵や支援車輌の乗員、必要はないのだが格納庫に付属した食堂での料理や兵舎の掃除など雑用に至るまでアシスタントNPCを雇用可能となっている。
当然ながらうちは全員メイドであり、敷嶋は最古参であり筆頭メイドでもある。
その彼女は、長身で怜悧な顔付き、艶のある漆黒の髪を後ろでまとめ、顔以外ほぼ素肌が出ていないモノクロームで装飾性の少ないクラシカルなヴィクトリアンスタイルのメイド服に女性らしい優雅な体を納めている。中身はクールな辛辣系であり、限界まで強化を重ねたことでゲーム中でも最高級の演算能力を誇っている自慢の装甲侍女だ。
当然ながらヴィクトリアンスタイルのメイド服は、自分の趣味である。
課金要素の一つにアシスタントとプレイヤーの衣服があって、最初は所属陣営の軍服しか無いが、ガチャを回せば色々な服が手に入る。
それだけではなく、格納庫を強化すれば――当然これも課金要素だ――ガチャで入手した服を改造するのも可能になる。
結構な額を課金して入手したメイド服は、ピンクや黄色、水色と言ったフリル過剰でスカートが短く露出の多いフレンチメイドであり、一部のメイド原理主義者の間から猛烈な抗議の声が沸き上がった。
自分もその一人、と言いたい所だが、文句を言う暇があればその間に改造する、それがパンスト信者の心得その一だ。
スタンドアロンのゲームならともかく、オンラインでそんな高い自由度がゲームに与えられているのは、よくサーバーが耐えられ、ゲームに整合性が付けられているとは周囲から驚かれているが、パンストの運営は歩行戦車の魔改造を可能とするために、偏執的までに世界を作り込んで、あらゆる改造に対応できるように事前に仕込んでいたからなんとかなっていると言われている。
そこまでやっているなら、追い課金して応えるのが信者の務めだろう。
追加課金で色とデザインの変更を行い、敷嶋用のヴィクトリアンメイド服を作り上げ、スクショをパンストコミュニティにアップした。
直後、知人のメイド原理主義者たちからメールボックスがパンクしそうなほどの大量の鬼気迫るメッセージが届き、正当な対価と引き換えに予備のメイド服を彼、もしくは彼女らに譲渡した。
なお、戦闘中や野戦修理の際に、他のプレイヤーたちと弾薬や修理用部品の融通を行う必要があるために、こうしたゲーム内アイテムの譲渡はシステムに組み込まれている。
トレードシステムの実装によって、リアルマネーでのやり取りの懸念もあったが、どんなシステムでもそれは発生する可能性がある以上、運営側が望むゲーム性を損なうよりは実装した方がいいとの判断だったとか。
これは余談だが、後に公式からも戦闘メイドなどの多彩なメイド服が実装されたが、ヴィクトリアンスタイルに関しては、その時既に敷嶋モデルが人気になっており、公式がうちのデザインを買い上げて実装している。
こういうことがあるから、歩行戦車だけじゃなく、服装などのカスタマイズをプレイヤーも頑張るんだよな。
まあうちのメイドたち全員には、公式が用意する前に着せたけど。
しかも、真銀糸と大姫蜘蛛の糸を織り込んだ、防御力にも優れ、丈夫で汚れない上に着心地もいい(という設定の)逸品だ。
それはともかく、メイド服に身を包んだ敷嶋の、典雅な礼の自然さに目を見張る。
アプデすげえなあ。
凄いと言えば、車内も凄い。
今までも車内はVRだったので、この視点が当たり前だったけど、車内の作り込みとか、この金属感も今までとは全然違う。
ぺたぺたと車内を触っていると、ひんやりとした感触まで伝わってくる。
「あ、触れるんだ」
「私にも触ってみますか?」
敷嶋がつんと僅かに胸を突き出して真顔で聞いてきたので、慌てて笑って誤魔化す。
いやまって、ひょっとしてNPCにも触れるの?
まじ?
思わず手が敷嶋の方に伸びかけたが、自制心を総動員して動きを止めたが、その動きを見ていたのだろう、敷嶋の目に満足げな表情が浮かぶ。
ほんと、今回のアプデすげえわ。
敷嶋の会話やリアクション、プログラムとは思えないほど物凄く自然じゃん。
普通ならこんな時はアイドリング状態になっているだけだろ。
今までも神ゲーだったけど、今回のアプデで神を超えたスーパーゴッドゲー、スゴゲーになったわ。
砲撃用の照準を覗いたり、トリガーに手を掛けたりと操作に必要な車内のあちこちを触りまくっていると、敷嶋が僅かに目を細めてこちらを見ているのに気が付いた。
「どうした?」
「いえ、今のお姿も」
敷嶋が何か言いかけた瞬間、外から警報が鳴り響いた。
「敵襲!? 敷嶋、現在の位置は?」
「現在位置不明、周辺状況からどこかの無蓋掩体壕かと」
「格納庫じゃないのか!」
しまった、リアルな車内と敷嶋の姿に驚いて、周辺状況を確認するのを怠った。
周辺確認は、基礎の基礎なのに。
車内に出たのはともかく、それでも格納庫の中にいると思っていた。
だが、そうではなく要するに周囲を土塁で囲まれただけで、天井も無い場所にいるので、攻撃を受ければ戦車を守るものは何も無いに等しい。
ならば、こんな所に留まっているよりは動いた方がいい。
「マップ情報を出せ」
「マップ、完全にホワイトアウトです」
車長席の横には、第二次世界大戦時には存在しない、しかしそこはゲームだけあって半透明の状況表示盤があり、普段はそこに様々な情報やマップが表示されている。
しかし今は敷嶋の言う通り、マップ部分は未踏破状態を示す真っ白な状態だった。
「いきなり手探りで戦闘か、エンジン始動」
「エンジン始動します」
オリジナルのティーガーはエンジン始動前に2時間の準備が必要だったという。
だが、魔改造の上、敷嶋が事前チェックを済ませていて、普段から整備メイド隊の子たちが手塩に掛けている本車は、エンジン始動ボタンを操作すると、すぐに尻の下の方からバリバリという破裂音が轟いてくる。
「回転数、水温、油圧、魔導圧正常」
敷嶋の確認の後、リズミカルな振動が伝わってきて、二発のエンジンが問題なく始動したのが分かる。
「エンジン、一番、二番、正常に始動。いつでも行けます」
「よし、鷹の目出してくれ」
「了解、出します」
敷嶋が操作を行うと、機体後部から射出音が聞こえる。
直後、状況表示盤に鷹型ドローンである鷹の目から送られてきた外部映像が映し出される。
現在は上空から見た愛車のアップが映っているが、鷹の目が高度を上げているために、徐々に周囲の様子が見えてくる。
見えているのは、まばらな灌木しか生えていない荒れ地の野戦基地らしい場所で、起伏のある土地に複数の無蓋掩体壕が点々と配置され、その一つにいるのが分かる。
少し離れた場所に地面と同じ色をした茶色の建物らしいのが幾つか見えて、警報はそこから出たと思われる。
その間にも、敷嶋が機体各部のチェックを行っている。
各部に動力が伝わり、片膝を付いた待機姿勢から静かに立ち上がり、やや前かがみの姿勢となると、両手への動力接続が異状ないか両手首を回し、続いて6m以上もある長大な主砲を固定していたトラベリング・ロックが解除される。
「燃料、オイル、魔力、主砲弾全種規定通り、出力上昇、各部異常なし、主砲ロック解除、いつでも行けます」
敷嶋のチェックが完了した直後、表示盤の隅に何かが映った。
「目標発見、南南西距離40……」
敷嶋が素早く表示を切り替え、何かをアップにするとそれは、頭をたくさん持つ巨大な蛇の姿だった。
しかもその頭一つ一つが軽自動車ほどもありそうなサイズで、その後にトラックぐらいの胴体が続いている。
「九頭竜か、面倒だな」
「はい、簡単に死んでくれないので戦闘時間が伸びます」
パンストは、人類圏を襲撃する魔物の軍勢を歩行戦車で倒すゲームで、アプデ前もヒュドラは中ボスクラスとしてちょくちょく出現していた。
毒の息を吐いて近寄るのが難しい上に、首をはねてもそこを焼かない限り切り口から倍の頭が生えてくる。
更に中央の頭は元の神話では不死で、流石にゲームではそこまでは再現していないが、これがなかなか死んでくれないので、ひたすらウザイ。
まあ八岐大蛇宜しく、尻尾から剣でも出てこないかと縦に割いたり、頭が死なないなら胴体を輪切りにすればいいじゃないとゲームでは色々試した相手だ。
普通に倒すなら、4機チームを組んで1機が牽制し、2機が首を刎ね、残りで首を焼くのが効率がいいのだが、残念ながら今は自分1機のみ、全て一人でやるしかない。
「だが、我々なら何とかなるだろう、敷嶋」
「はい、ご主人様とティーガーなら恐れるものはありません」
「よく言った、戦車前進!」