村の守り神の秘密〜episode of シャオ〜
「เหจวเขขจาลมชาจบอเจ」
不思議な、歌うような声をよく覚えている。
その歌の意味は分からないけれど、大好きだった姉が
「みんなには秘密だよ」
と言って自分にだけ教えてくれたことが嬉しくて、ずっと胸の中に大事にしまっていた。
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シャオはゆっくりと目を覚まし、身体を起こした。季節は秋で、朝晩は冷えることが多くなってきた。今日も今日とて布団が恋しい温度ではあったが、シャオは軽やかに飛び出した。
あと3日。
最近の日課となっているカウントダウンを1つ進める。3日後には、秋の豊穣祭がある。みんなで歌い踊り、ご馳走を食べるのだ。村中が活気に溢れるこの日がシャオは大好きだった。
「母さん、おはよう」
自室から1階の居間に駆け下りながら呼び掛ける。
「シャオ。廊下は走らないで」
品の良さそうな母親は、しかめ面でシャオに小言を言う。
「あー、これは早歩き。ギリセーフだよ」
シャオは片目を瞑ってはぐらかす。
「あなたって子は。いつもそうなんだから。もっと年相応の落ち着きを持ってもいい頃なんじゃないの?」
追求の手を緩めない母親を華麗に無視して、シャオは肩にかかるざんばらの髪を無造作にまとめた。そのまま壁に寄り掛かっている模擬刀を手にする。
「お坊っちゃま。もうお出掛けですか?今ご朝食が用意できましたところですのに」
「ああ、ばあや。おはよう」
昔からこの家に仕える老婆に軽く挨拶をするとシャオはいい匂いのするワゴンに歩み寄った。
「美味しそうだな。さすがばあや」
そう言って片目を瞑る。
「そう仰るなら、どうぞ席に着いてお召し上がりくださいな」
批判めいた顔をする老婆に、シャオは悪戯っぽく笑った。
「そうしたいのは山々なんだけど、ごめんな。今日はこれからちょっと忙しくて」
ワゴンから離れたその手には、1切れのパンが握られていた。
「これだけ貰っていくな。ありがと」
ひらひらとパンを振り、踵を返す。そのままドアから出ていくかと思われたその時、シャオはくるりと急に振り返って母親のもとへツカツカと向かった。
「言い忘れてた。母さん今日も最高に綺麗だよ。行ってきます」
耳元で軽くリップ音を響かせたシャオは、今度こそ風のようにドアから去っていった。
パンを片手に道を下ると、空き地が見えてくる。
普段何かに使われることはなく、そこはシャオたちの恰好の溜まり場になっていた。シャオはいつもそこで友達と剣の修行をしたり、バカ話に花を咲かせていた。
今日も何人かすでに集まっているようだ。シャオは急いでパンを口を詰め込むと、軽やかに空き地へ飛び込んだ。
「おーはよっ」
言いながら仲間の1人に膝カックンをする。された相手は見事に引っかかり、ガクッと身体を沈ませた。
「シャオてめぇ!よくもやりやがったな!」
振り向きざまに大腕を振るが、シャオはひょいっと後ろに避けて交わした。
「ちゃんと周りに注意しなきゃ〜。だからいつまで経っても俺に勝てないんだぜ?」
自分より大柄な友人を下から見上げる。シャオはその場にいる誰よりも小柄だったが、誰よりも剣の腕が強かった。
「シャオ。今日こそ決着つけようぜ」
大柄の男を押し退けて出てきたのは、シャオの親友のゲイルだった。シャオと同じような模擬刀を手にしている。
「決着も何も、俺の勝ちじゃん。俺の勝ち越し確定」
シャオはひらひらと片手を振る。
このところ仲間内で行っていた剣術総当たり戦では、シャオが全勝、ゲイルはシャオにだけ負けていた。
「でも通算で考えたら、俺とお前は503戦251勝252敗。まだまだ勝ち越しとは言わせねぇぞ」
「いつから数えてるんだよ。最近はずっと俺の勝ちなのに」
昔の連敗の時期が思い出され、シャオは頬を膨らませた。
シャオはずっと剣が強かったわけではない。
幼い頃は負け無しだったが、成長期に入ると伸び悩んだ時期があった。
みんなより早く身長が伸びたシャオは、みんなより早く成長が止まってしまった。小さい頃はみんなと並んでも大きい方だったのに、今ではもやしみたいだったゲイルにも10cm以上も差をつけられてしまっている。
筋肉も付きにくい体質なのか、筋トレの成果も虚しく、腕相撲ではなかなか勝てない。
身長と筋力がないシャオは、次第に剣術においてもみんなに引けを取るようになっていってしまったのだ。
牛乳は毎日飲んだし、日々の鍛錬も怠らなかったが、周りの成長のスピードに取り残されていた。
しかしそれで諦めるシャオではなかった。
持ち前の明るさと根性で自分なりの剣術を磨いていったのだ。力がないなら素早さで、身長がないならテクニックで。勝負を挑んでは負けてを繰り返した後、今では誰にも負けなくなった。
ゲイルはそんなシャオの努力を知っているからこそ、シャオには負けたくないとも思うのだ。
「負けるのが怖いのか?」
ゲイルが挑発する。
「誰が負けるって?」
片眉をピクリと上げてシャオが反応する。
これはいつものパターンで、シャオは試合をしない気などさらさらない。2人ならではのコミュニケーションの取り方なのだ。
仲間たちはみんなそれを知っているから、2人が険悪な雰囲気になっても構わずに囃し立てる。
「いけ!ゲイル!今度こそぶっ飛ばせ!」
「シャオ!チビの強さ見せつけてやれ!」
言わずもがな、後者はシャオにしばかれる。
それから2人はいつものように剣を交えた。
力強く荒い剣先のゲイルと、素早く流れるような動きのシャオ。模擬刀を振るい、地を蹴り風を切り、2人の攻防は続く。
そして、ドンッと音がした。シャオがゲイルに上から斬りかかり、避けようとしたゲイルの首元すれすれに剣を突き刺したのだ。その剣先はゲイルの首にかかっていたネックレスを捉え、そのまま地に突き刺さった。
「勝負ありだな」
シャオは満足そうに笑った。
「…降参だ。全く、相変わらずお前は強いよ」
立ち上がりながらゲイルは頭をかく。
「まぁな。でも、今度の豊穣祭、剣舞を披露するのはゲイルだろ?」
毎年の豊穣祭では、その年に17歳になる男子の中から1人、剣舞を奉納することになっている。
今年はゲイルがその大役を任されたのだ。村で1番強いと自負しているシャオは、てっきり自分が選ばれると思っていたから、その事を聞いた時には少し凹んだものだ。
「ちゃんと練習してるのかよ?」
唇を尖らせて拗ねたように尋ねる。
「もちろんしてるさ。何で俺が選ばれたのかは分からないけど、任された以上はきっちりやりきるつもりだ」
ゲイルは力強く自分の胸を叩いた。ゲイルはこういう男だから、シャオもコイツならいいかと思ってしまうのだ。
「豊穣祭と言えばさ、カノンの巫女の舞も楽しみだよな!」
それまでは外野で待機していた仲間たちも会話に加わってきた。
「カノンは村1番の美人だもんなー」
「しかも、豊穣祭の後は巫女の森に行くんだろ?」
「巫女の森?」
「なんだお前知らないのか?」
シャオは得意気に胸を張った。
「巫女の森って言うのは、選ばれた巫女しか行けない異郷の地だ。そこには歴代の選ばれた巫女達が神に仕えて暮らしているらしいぜ。俺の姉さんもそこへ行ったんだ」
「お前の姉さんって、あの10歳上の?」
「あぁ。俺が7歳の時に行ったから、もう10年経つけど、今でも巫女の森で神に仕えてるはずだ」
「ってなると、シャオの姉さん以来だから、カノンは10年振りに巫女の森に行ける巫女ってことか!」
「すげぇな!!」
巫女の森に行くことがどれほどの名誉なのか、シャオ達はひとしきり話した。
男子禁制の巫女の森は、数年に1度しかその扉を開かないと言う。その扉をくぐって辿り着く巫女の森は神の領域で、巫女たちは一生をそこで送る。
「でも、こっちに帰って来れないのは寂しいな」
仲間の1人が言うと、その場は静まり返った。
カノンは17年間一緒に過ごしてきた友達だ。美人で気立てもよく、頭もいい彼女は男子たちの憧れの的だった。豊穣祭が終わるともう会えないなんて。
みんなが落ち込んでいると、シャオがパンパンと手を叩いた。
「なにしょげてんだよ!巫女の森に行くことはこの上ない栄誉!そんでそれはカノンが決めたことだ!笑って見送ってやんのが俺たちがすべきことなんじゃねぇか?」
実際に姉を見送った経験のあるシャオが言うと説得力がある。仲間たちは思い思いにそうだな、と言うとまたいつも通りの騒がしさが戻ってきた。
「お、噂をすればだぞ!」
誰かの声に空き地の向こうを見ると、カノンが女友達と連れ立って歩く姿があった。カノン達もこちらに気付き、微笑みながら合流した。
話すことと言えば豊穣祭のことでいっぱいだ。準備は進んでいるか、あれはどうなったこれはどうなっているなどと、それぞれで話が弾んでくる。
シャオは誰かと話が一区切り着いたところで、後ろから控えめに袖を引かれた。
カノンだ。
彼女は伺うようにシャオを見上げ、そっと輪の中から外れた。
「みんなから離れてどうしたんだ?」
着いてきたシャオが尋ねると、カノンはぎこちなく辺りを見回した。まるで人に聞かれたくない話をするようだ。
それからも口元に手を当て、何かを言いたげにしてはいるが、なかなか言葉にはならないようだ。時折顔を赤く染めたり大きな目をキョロキョロ忙しなく動かすのは、見ていて何とも可愛らしい。
「俺に言いたいことあるんなら、遠慮せずに言えよ」
シャオはいつものように片目を瞑って、茶目っ気たっぷりの笑顔を見せた。それを見てさらに赤くなったカノンは、意を決したように口を開いた。
「あのね、シャオ。……豊穣祭の日、シャオに言いたいことがあるの。巫女の舞の後、聞いてくれる?」
「もちろんだとも。別に豊穣祭の日じゃなくても、今でもいいぜ?」
「ううん。豊穣祭の日がいいの。私の巫女の舞、見ててね」
「分かった。じゃあ巫女の舞の後な。舞、頑張れよ」
カノンが何を言いたいのかは分からなかったが、とりあえず当日になれば分かる。シャオはあまり気にすることなくこの話は終わった。
シャオの後ろ姿を見つめるカノンの表情が切なく、今にも泣きそうだったのは知る由もない。
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豊穣祭当日になった。
楽しいことはあっという間に過ぎるもので、無事にゲイルの剣舞が終わった。
剣舞の衣装は雅やかで、それが逞しいゲイルの身体にとてもよく似合っていた。力強く、生命力に溢れた剣舞は、細身のシャオでは表せないものを表しているようで、悔しいけどゲイルが適任だと痛感した。
舞台から降りてきたゲイルの元へ向かう。
「お疲れ。なかなか様になってたじゃん。悔しいけど、お前でよかったと思うよ」
シャオはゲイルと握った拳をぶつけた。
「ありがとよ。なんか素直に褒められると照れるな」
「お前が照れても可愛くねぇーよ」
お互いに軽口を叩いて笑い合う。
「次はカノンだろ?一緒に見ようぜ」
そのまま2人は仲間たちが場所を取っていたところに合流した。
そして。ザワザワしていた会場が瞬間的に静まった。笛囃子に導かれてカノンが姿を表したのだ。
伝統的な巫女の衣装を着て、大人びた化粧をほどこしたカノンは、今までで1番綺麗だった。どこからともなく息を呑む音が聞こえてくる。
シャオも、釘付けになってカノンの舞を目に焼き付けた。
長かったような短かったような時間は過ぎ、カノンが舞台から姿を消した。遅れて送られる拍手。その割れんばかりの音は、カノンが見事な大役を果たしたことを意味していた。
「俺、カノンのところに行ってくる」
シャオが腰を上げると、はっとしたようにゲイルが仰ぎ見た。
「え、カノンのところに?」
「あぁ。何か俺に言いたいことがあるみたいで。舞の後に来てくれって言われてたんだ」
「そうか…じゃあ俺は、コイツらと何か適当に食っとくわ」
この時のゲイルの笑顔がぎこちなかったことにシャオは気付かなかった。
舞台袖には、1人椅子に座るカノンがいた。
「よっお疲れさま。巫女の舞、凄かったぜ」
パチリと片目を瞑って微笑みかける。
「シャオ!来てくれたのね。ありがとう」
花のような笑顔を見せたカノンは、次の瞬間には曇った顔をしていた。
「どうしたんだ?何か嫌なことでもあったのか?」
「いいえ、違うの。なんでもないのよ」
カノンはゆるゆると頭を振った。そしてシャオを見上げる。
「私、あなたに言いたいことがあるって言ってたでしょう?」
「あぁ。だからこうして来たんだ。言いたいことって、何だ?」
シャオが首を傾げると、カノンはしばらく躊躇い、そして俯いたまま小さな声で言った。
「私、シャオのことが好きなの」
予想外の言葉に一瞬シャオの頭は停止した。
今までカノンのことをそういう目で見たことが1度もなかったからだ。確かに可愛いと思うし、非常に好ましい。でも、これは好きなのか?
固まったシャオを見て、慌ててカノンは手を振った。
「あ、違うの!全然そういう意味じゃなくて!!普通に好きというか…」
カノンの顔は真っ赤だが、必死に言い募る。
「ほら私、今から巫女の森に行くじゃない?だから、せめてこの気持ちだけでも伝えたかったというか、全然返事とかいらないし、そういうのじゃないから!」
パニックのあまりアワアワするカノンの手をシャオがとった。
「うん。ありがとう。カノンの気持ち、ちゃんと伝わった。俺も、カノンのことめっちゃ好きだぜ」
にぱっとシャオが笑う。
その屈託のない笑顔にカノンは泣きそうになった。その笑顔には、カノンの想いを受け取ったことと、カノンのことを友達として好きだということが込められていることを感じた。
「ありがとう。やっぱりシャオは優しいのね。あなたにこの気持ち知ってもらえてよかった」
握られた両手を強く握り返す。まるで祈るかのようなカノンは、握りしめたシャオの手を額に当て、細く息を吐いた。己の中の葛藤と向き合っているかのようだ。それからしばらくして、カノンは顔を上げた。
「ありがとう。これで心置き無く巫女の森に行けるわ。どうか私の事忘れないで」
綺麗な笑顔は、綺麗すぎてどこかへ溶けていってしまいそうだった。
豊穣祭の最後は、巫女送りで締められる。
巫女の森に行くこと自体珍しいため、今年は10年振りの巫女送りだった。巫女が村中を練り歩き、最後にみんなに見守られながら巫女の森へと続く洞穴に入って行くのだ。
「いってらっしゃい」
「身体に気を付けてね」
「カノンは村の誇りだよ」
様々な声をかけられたカノンは、ただ真っ直ぐに前だけを見据えた。
シャオやゲイルや他の仲間達も最後の洞穴の前まで見送ったが、カノンは決して振り返らなかった。お付きの者は洞穴の直前で立ち止まり、そこから先は巫女が1人で進む。
渡された蝋燭を手に、カノンはゆっくりとその姿を暗い穴の中に消した。
蝋燭の明かりも見えなくなった頃、洞穴の入口が閉ざされた。男二人がかりで大岩を置き、それに御札などを貼って次の選ばれし巫女が現れるまで閉じておくのだ。
カノンがいなくなった寂しさと、カノンを祝福する祈りとで、その場が満たされたのを感じた。シャオの中にも一抹の寂しさがよぎったが、敢えて気付かないふりをした。
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豊穣祭が終わると、いつもの日常が戻ってきた。
シャオは相変わらず仲間たちと剣の稽古をしたり、誰かをからかって遊んだりと、ごく普通の生活を送っていた。
しかし、豊穣祭が過ぎて3日目。その日は昼食を家で食べるようにと言い付けられたシャオが仲間との遊びを切り上げて帰ってくると、そこにはいつもはいない父親の姿があった。
仕事柄様々な場所を飛び回っている父親は、滅多に家に帰ってこない。帰ってくるとしても事前に連絡をくれるのに、今回は何も聞いていない。
しかしシャオにとって連絡などどうでもよく、尊敬する父親がいた事に喜んだ。
「父さん、帰ってたんだね」
目を輝かせて父親に駆け寄る。
「あぁ。今朝帰って来たばかりだ。そんなに長くは居れないがな」
いつものように笑顔が少ない父親だが、今日はいつもにも増して雰囲気が固いような気がする。
シャオが首を傾げていると、複雑そうな顔をした母親がそっと父親の手に手を重ねた。妻の手を握り締めると、父親はおもむろに口を開いた。
「シャオ。実はな、お前に縁談を持ってきたんだ。急で悪いが、今日午後から顔合わせをしてもらう」
一瞬キョトンとしたシャオだったが、次の瞬間には盛大に吹き出していた。
「アハハハ!縁談だなんて、俺はまだそんな歳じゃないぜ?」
ツボに入ったのか、シャオは腹を抱えて笑った。
「シャオ。これは冗談ではない。いい話があるんだ。相手にお前のことを伝えたらいたく気に入ってくださったしな」
そう言われるとシャオの笑いも収まった。
「へぇ。俺のこと気に入ってくれたなんて、なかなか見る目あるじゃねぇか。どんな子かなぁ」
席に着き、昼食を頬張りながら考える。
どうせこれは本気じゃない。父さんは顔が広いから、色々と気を遣わないといけないことがあるのを知っている。これもその一種で、言わば形だけのもの。少し会って話をして終わりなはずた。
そう思ったシャオは、いっその事この縁談を楽しむことにした。
昼食を食べ終わり自室に戻ったシャオは、顔合わせ用の衣装を見繕った。
せっかくならかっこよく決めたい。
年頃の友達よりもオシャレに敏感なシャオは、衣装棚をひっくり返しては組み合わせてを繰り返した。
「よし、これでいいだろう」
姿見を見ながら満足そうに笑うシャオは、白いパンツに黒いジャケットというシックな装いに決めた。我ながら王子様のような格好だ。
そのまま洗面所に向かい、ざんばらな髪を見つめた。しかししばらく鏡と睨めっこした挙句、わしゃわしゃと頭をかき混ぜ、いつも通り無造作にまとめた。
「お坊っちゃま。お洋服のご用意ができました」
廊下からばあやの声が聞こえた。そしてガチャリと扉が開く音も。
「ばあや。服ならもう決めたぞ?」
洗面所から出て老婆を見やると、老婆よりもその押しているワゴンに目がいった。
ワゴンに乗っている衣装は、淡い薄紅色。
違和感に怪訝な顔をして近付いたシャオは、その正体を見極めて大声で笑った。
「ハハハ!ばあや!耄碌するのはまだ早いぜ?このピンクのドレスは相手方のだろう?全く、おっちょこちょいだな」
左手で顔を覆い、右手で老婆の肩を叩いた。
老婆は何か言いたげな顔でじっとシャオを見つめる。
「いいえお坊っちゃま。ばあやは間違ってなどおりませぬ。これはお坊っちゃまの衣装でございます」
老婆はその小さな手を握り締めて毅然として言った。
「フフ、ばあやにしては面白い冗談だな。おっともうこんな時間!俺は行ってくるな!このドレス、ちゃんと返しとくんだぞ?」
片目を瞑って右手をヒラヒラしたシャオは、困り顔の老婆を置いて軽やかに廊下に躍り出た。
「坊っちゃま…」
1人取り残された老婆は、着られなかったドレスの袖を掴み、何かを堪えるように目を閉じた。
離れに着いたシャオは、パタパタと音を立てて相手が待つという部屋に駆けた。
「お、ここか!」
躊躇い無くスパァンっと襖を開ける。
「俺の可愛い見合い相手はここかな?」
しかし、シャオの期待を裏切って部屋の中には可愛い女の子の姿はなかった。代わりにいたのは、優雅にお茶をすする若い男。
「あ、すまない。部屋を間違えてしまった」
慌てて襖を閉めようとしたが、
「待て」
と掛けられた声にその動きは止まった。
「君がシャオだね?部屋はここであっているよ」
男はそう言うとおもむろに立ち上がる。
「ああ、あんたは付き人さんだな?今から相手が来るのか?」
シャオがにへらっと笑うと、男はシャオの右手をとった。そして、恭しくその甲にキスをする。
「僕が君のお見合い相手だよ。どうぞよろしく」
衝撃のあまり、シャオの頭の中は真っ白になってしまった。何が起きたのか何を言われたのか分からない。
とにかく、全速力で右手を引き抜いた。
「な、おま、何言って…」
「フッ、噂で聞いていた通り可愛い人だ」
混乱しているシャオを見て品定めをするように目を細めた男に、シャオの全身の毛が逆立った。
とりあえず逃げよう。
その結論に至ったシャオは、入ってきた襖から出ようとしたものの、男がいち早く回り込み、行く手を塞がれた。
「何なんだよお前!さっきから変なこと言いやがって!だいたいお前男だろ!」
身構えながら言うものの、男は全く怯まない。
「そうだとも。僕は男で君が女だ」
「は…?」
ますます意味が分からない。
まさに開いた口が塞がらない状態のシャオを、男は面白そうに見つめた。
「ホントに自分が男だと思って生きてきたのかい?面白いね」
クスクスと笑う男に、カッとなる。
「てめぇ」
殴りかかろうとした右手は、軽々と掴まれてしまった。そのまま壁に押し付けられる。
「僕は普通の女には飽きてたんだ。君みたいな面白い子と出会えてよかったよ。これから僕が君に女の子だってことを教えてあげるから」
言いながら、シャオの1つに束ねた髪を解いた。揺れるざんばら髪に手を差し入れ、動かないシャオの顎に手をかけて顔を近づける。…これが限界だった。
シャオは目にも止まらぬ速さで男を振りほどくと、腰を落とした渾身の一撃を男の腹に撃ち込んだ。
「ぐふっ」
男は身体をくの字に曲げて飛ばされ、障子を突き破って倒れ込んだ。起き上がる気配はない。
それもそうだ。いくら筋力に自信が無いシャオでも、その実力は折り紙付き。まともに喰らえばしばらく動くことも出来ないだろう。
男を吹き飛ばしたシャオは、ふぅーっと細く息を吐くと、怒りの表情を浮かべたまま迷わず両親の元へ向かった。
「あれはどういう事だ!」
バンッとドアを開けるや否や両親に怒鳴りつける。走ってきたのか、シャオのざんばら髪はいつも以上に乱れていた。
そんな子どもの様子を見て、父親は不機嫌そうに眉を寄せた。
「落ち着きなさいシャオ」
「これが落ち着いていられるか!あいつは誰だよ!?なんで俺の見合い相手が男なんだ?あいつ、俺のこと女って言ってたぞ」
矢継ぎ早に捲し立てるシャオ。母親はシャオと夫とを交互に見てはオロオロとしていた。
「父さん!黙ってないで何か言ったらどうだ」
「お前は女だ」
シャオを見ずに父親が告げた。
その言葉は他のどんな言葉よりも重く、部屋はまるで凍ったかのように静まり返った。頭を鈍器で殴られたような感覚が襲い、シャオは思わず後ろによろめいた。
「俺が…女……?」
ようやく絞り出せた声は掠れており、発せていたかどうかも怪しい。
17年間、男として生きてきた。男として育てられたし、周りのみんなだって男として接してきていた。それなのに、今さら女だなんて。
信じられなくて、夢なのではないかと疑ってしまう。
「ごめんなさいシャオ。これには深いわけがあるのよ。決してあなたを欺きたかったのではないの」
抑えきれなかった様子で母親がシャオに縋った。
「私たち、もうこれ以上愛する我が子を失いたくなかったの。あなたを失いたくなかったのよ」
頭がぼーっとしていたシャオだったが、母親のその言葉に反応した。
「もうこれ以上って、何だ?」
嫌な予感がする。知りたくない。それでも、シャオは父親に駆け寄っていた。
「おい!これ以上って何だ?!失うってどういう事だ!」
胸ぐらを掴みあげ、問いただす。眉をひそめていた父親だったが、やがて観念したように目を伏せた。
「…マリーアのことだよ」
シャオの目が見開かれる。マリーア。それは間違いなく、シャオの姉の名だった。
「シャオ。お前に全てを話そう。落ち着いて聞きなさい」
父親の話はこうだった。
この村にははるか昔から大蛇が住んでいて、村人を襲っていた。困った人々は、若くて美しい娘を毎年生贄に捧げるようになった。それに気を良くした大蛇は、生贄を要求するサインとして、ある花を咲かせるようになった。今では、その花が咲いた年に最も早く生まれた女の子を、その子が17歳になる年に生贄に捧げるのだと。
「マリーアが産まれた年、その花が咲いた。あの子は2月生まれ、その年の、最初の女の子だったんだ」
「そんな、姉さんが…」
言葉が出ず、ただシャオは立ち尽くした。
「私たちは、大蛇の贄にするためにマリーアを育てた。それしか出来なかった。そしてマリーアが10歳になる年、母さんがお前を身篭った。だが出産を控えたある日、またその花が咲いたんだ。1月の寒い日のことだった。お前は、その年に産まれた最初の女の子だったんだよ」
父親が淡々と語る声が、どこか遠くから聞こえてくるような、そんな錯覚に陥る。まだ秋の昼間だというのに酷く手足が冷たい。
「信じられなかったわ。信じたくなかった。大切な子どもを2人も大蛇に差し出すなんて。私たちは三日三晩泣いて、考えて、そして決めたの。あなたを男の子として育てようと」
母親がそっとシャオに寄り添い、その冷たくなった手を握った。
「あなたは知らなくて当然。これは、私たちとばあやの3人しか知らない秘密。誰にも知られてはならない秘密だったのよ。もちろんあなた自身にも」
「だが、私たちの心配をよそに、お前は実にすくすくと元気に育ってくれた。村で1番強く、勇敢で、賢い。誰もお前を疑うことはしなかった。…マリーアは立派に務めを果たしてくれた。マリーアのおかげでこの村はこの10年何事もなく平和に過ごすことが出来た。そして今年も無事に儀式は終わった。もうお前は偽る必要がなくなったのだ。だから、せめてこの村を出て平和に生きて欲しい。本来のお前らしく、女性として幸せになって欲しいと思ったんだ。……分かってくれるな?」
父親は、その不器用な手を伸ばしてシャオの頬に触れた。
これまでろくに我が子に触れたことのなかった手は酷くぎこちなかった。それでも、壊さないよう、傷付けないよう恐る恐る触れる手は、暖かかった。
シャオはその手に自分の手を添えた。その温もりに泣きそうな顔で縋る。
そして目を閉じて数秒、シャオはいつもの凛々しい顔をして言った。
「俺の身代わりは、カノンだな?そして、生贄は“巫女”と呼ばれ、豊穣祭の巫女送りで送り出される。違うか?」
鋭い指摘に、両親は顔を見合わせて苦い表情をした。
それだけで十分だった。シャオはすぐに身を翻すと、いつもの模擬刀の隣に置いてある愛剣を手にした。
「シャオ、どこに行く?」
慌てて掛けられた声には振り向かない。
「俺は、カノンを助けに行く」
「…もう3日だ。カノンは、もう…」
「まだ3日。今行けば間に合うかもしれない」
「行くな!シャオ!」
両親の悲痛な叫びを背に、シャオは駆け出した。
一度に様々なことを聞き、正直胸の中は複雑だ。頭もいっぱいで、整理は出来ていない。それでも、今やるべき事は分かっていた。
風のように駆けたシャオが洞穴に着くと、そこには村長をはじめとする大人たちが待ち構えていた。
「シャオ。この洞穴に立ち入ることは許さない。ここは神聖な場所だ」
「どいてください。俺は本気です」
「大蛇は村の守り神なんだ。傷付けてはいけない。なにより、今までその身に代えて村を守ってきてくれた娘たちの想いを無下にすることは出来ないだろう」
村長は必死に訴えかけるが、シャオの決意は揺らがなかった。無言のままスラリと剣を抜く。その眩しい切っ先がピタリと村長に向けられた。
大人たちの息を呑む音が聞こえてくる。
「待て!シャオ!!」
その時、集まった人々を押しのけていつもの仲間たちが駆け付けた。真剣を抜いたシャオを見て誰かがひぃっと声を上げたが、みな手にした剣を抜いてシャオに向けた。
「シャオ、その剣を引っ込めろ。やっていい事と悪いことがあるだろ」
仲間たちが眉を下げて言葉を掛けるが、それでもシャオの表情に変わりはなかった。
「俺は引かないぞ」
キッパリと言い放つ。
「…それなら、俺たち全員がお前の相手だ」
その場に駆けつけた5人の仲間たちが剣を構え、シャオを取り囲んだ。
シャオは無言で剣を翻すと、それを合図に5人が斬りかかった。
右へ左へ不規則に揺れ、その度にシャオは的確に仲間たちの弱点をついた。剣を弾き飛ばし、柄で打撃を入れる。
あっという間に5人をのしたシャオは、傷一つ付いていない愛刀を鞘にしまった。
「お前たちが俺に勝てるはずないだろ」
眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに吐き捨てる。
そのまま村長たちを見たが、シャオの剣技を目の当たりにしては、みんな蛇に睨まれた蛙のようにただ立ち尽くすしか出来ないでいた。
そんな村人たちに一瞥をくれ、シャオは洞穴の前の大岩に向かった。
しかし、その足を誰かが掴んだ。シャオにのされたはずの仲間だ。
「シャオ。お前は強い。この村の誰よりも強いし、きっとその腕は世界にも通じるだろう。でも!でも大蛇には勝てない。あれは人間じゃない、化け物なんだ。いくらお前が強くても、死んじまうよ」
涙ぐみながらの必死の訴えに、シャオの表情が動いた。
しかし、シャオは俯き、その顔はざんばら髪に隠れて見えなくなった。
「そんな大蛇に生贄にされた女の子たちは、どれほど恐ろしかっただろうな。か弱い女の子たちを犠牲に生きて、それでお前ら、人生楽しいかよ」
小首を傾げながら、シャオは泣きそうな顔で言った。
みんなの頭の中にカノンの笑顔が浮かんだ。
カノンのいない村は、やはりいつもとは違っていた。カノンは巫女の森へ行ったのではなく、大蛇の生贄にされに行ったのだ。それを知ってなお笑って過ごせるか。シャオの足を掴む手が緩む。
シャオはその手を振りほどくと、大岩に手をかけた。通常は男2人がかりで動かす岩だ。シャオ1人の力ではビクともしない。それでもシャオは力の限り大岩を押した。
「待てシャオ」
そんな中颯爽と現れたのはゲイルだった。腰には真剣を提げている。
「自惚れるのもいい加減にしろよ。お前は自分の力を過信している」
いつになく険しい表情のゲイルに思わず舌打ちをしたくなる。こいつも俺を止めに来たのか。
周りが安堵するのとは反対にシャオは神経を尖らせた。真剣でこいつと張り合うのは少々骨が折れそうだ。ゲイルに向き直り、剣に手をかける。
が、ゲイルはシャオの隣を過ぎ、大岩に向き合った。そして力いっぱい押した。腕に血管が浮き上がり、ミシミシと音を立てて大岩が動いた。
その場のみんなが呆気にとられている中、ゲイルはシャオを振り返った。
「お前1人じゃ大蛇には勝てない。だから、俺も一緒に行こう」
拍子抜けしたような顔だったシャオは、やがてニヤッと笑うと、ゲイルと拳をぶつけて2人で洞穴の中に消えて行った。
「村長、行かせてしまっていいのですか?」
残された人々の中から自然とそんな声が聞こえた。
村長ははぁーっと深くため息をつくと、厳しい顔をして言った。
「大丈夫だ。大蛇の所へは、選ばれた巫女しか行けない。あいつらがどれだけ強くとも、男の時点で辿り着けはしない」
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タタタタッと小気味いい音が響く。
洞穴の中は下りの階段になっており、シャオとゲイルは一目散に駆け下りていた。
2人して固く口を閉ざしており、会話はない。それぞれがそれぞれの胸中に何があるかは分からない。それでも、ピンと張り詰めた空気のまま足を進めた。
それからしばらくして、やがて2人は階段を降り切った。そこには見上げるほどの扉があり、表面には何やら呪文のようなものが書かれていた。
「いくぞ」
ゴクリと喉を鳴らして扉に手を掛ける。この先に、カノンと大蛇がいるはずだ。どうか、どうか無事でいてくれ。
祈るように手に力を込めた。が、そんな祈りを嘲笑うかのように、扉は固く閉ざされたままだ。
「開かない!?」
2人がかりで力いっぱい押しても、扉はビクともしなかった。
「くそっあと少しなのに!」
シャオは扉を蹴り、拳を叩きつけた。
「くそっ!くそっ!」
拳が擦り切れ、血が滲む。それでもシャオはその手を止めなかった。
しかし、何度目か分からない拳を振り上げた時、その手は扉を叩くことなく止められた。
「もう止めろシャオ」
険しい顔をしたゲイルがシャオの手を掴んだのだ。しかし、その行為はシャオの神経を逆撫でした。
「離せゲイル!止めろってどういう事だよ!この先にカノンがいるんだぞ!今さら大蛇にビビってんのか」
「1回落ち着けよ」
「落ち着いてられるかよ!俺は大蛇をぶっ殺す!!」
パシッ。
ざんばら髪を振り乱して叫ぶシャオの頬をゲイルが打った。
当然の頬の痛みにシャオは反応出来ず、呆然とゲイルを見返した。
「一体何があった?いつものお前らしくないぞ」
両手で肩を掴み、ゲイルはシャオを正面から見据えた。その真っ直ぐな視線は、まるでシャオの心の中まで見透かしているようだった。
言葉にならない思いが胸に詰まり、シャオは心臓を抑えてかがみ込んだ。
「俺、俺……」
カノンは俺の身代わりなんだ。本当は俺が生贄になるはずだったんだ。姉さんのように。人知れず死んでいく。俺は、本当は女で。でも男として育って。それは両親の愛情のせいで。誰も悪くなくて。でも俺のせいでカノンは。俺は、何なんだ?
言葉にならない思いが胸に詰まる。言葉にならない。否、言葉に出来ない。言葉にしようものなら溢れて壊れてしまいそうだった。
「ゲイル…。俺はどうしたらいい?俺は何なんだ?」
幼子のように泣きそうな顔で尋ねた。
「お前が一体何をそんなに深刻に考えているのか分からんが、お前はお前だ。今お前にできることをすればいい。違うか?」
「今俺にできること……」
俯くシャオを離し、ゲイルはスっと立って扉を睨んだ。
「お前は、なんのためにここに来た?」
「俺は…」
シャオはグッと拳を握った。
そうだ。くよくよしている暇はない。こんな所で立ち止まってる場合じゃない。俺は。
「俺は、カノンを助けに来た」
ゲイルの隣に並び立つ。ざんばら髪を手ぐしで1つにまとめ、結い上げる。
「悪ぃな!もう大丈夫だ」
気になることはあるけど、今はもういい。カノンを助けることだけを考えよう。そう気持ちを切り替えてそびえ立つ扉を見据えた。
「それでこそシャオだ」
ゲイルも満足気に口角を上げた。
「でも村の人に剣を向けたことは許されないからな。後でちゃんと謝れよ」
横目でチクリと痛いところを突いてくるゲイルに、シャオは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そうだよな…うん」
いっぱいいっぱいだったとはいえ、村長に剣を向け、仲間を打ちのめして来てしまった。
これは今までやらかした中でも最大級の問題だ。どうするかな。またあれこれと考え始めてしまったシャオの背中をゲイルが思いっきり叩いた。
「だぁから考え込むなって!大丈夫だ。俺も一緒に謝ってやるから」
そう言ってニカッと笑う。
その晴れやかな笑顔を見ると、自然とこっちまで気持ちが明るくなってくるような気がするから不思議だ。
帰ったら謝ろう。みんなに。俺と、ゲイルと、カノンも道ずれにしちまおう。カノンがいればなんだか許される気がする。なんたってカノンは俺らの中でぶっちぎりの優等生だったから。そして、またみんなでいつもみたいに馬鹿して笑おう。
そっと微笑むと、シャオは扉を睨んだ。そのためには、まずこの扉をどうにかしないといけない。
「押しても引いても開かないな」
ゲイルが扉に近づき、隙間や隠し扉、何かの仕組みがないか確かめている。
きっとそんなんじゃ開かないだろう。何か、何かあるはずだ。
その時、シャオの頭の中に懐かしいメロディが浮かんだ。意味は分からないけれど、ずっと頭の中にあった歌。
気付くとシャオはその歌を口ずさんでいた。唇から音が零れているような状態で。
「เหจวเขขจาลมชาจบอเจ」
淀みなく紡がれる歌は、とても綺麗だった。歌い終わると、シャオははっと我に返った。
「シャオ、今の歌は…?」
驚いた表情でゲイルが確認する。
「いや、俺にもよく分からない。なんだか懐かしい気分になって、気付けば歌ってたんだ」
シャオ自身戸惑っていたが、その時ゴゴゴゴゴッと言う音が響いた。開かずの扉が1人でに開いたのだ。
「開いた…今の歌が鍵だったのか?」
「そう言えば、この歌、ずっと前に姉さんが歌ってた…」
シャオがまだ小さかった時、姉のマリーアはたまに1人で歌を歌っていた。シャオはその歌が好きだったが、マリーアは歌っている時に近づかれることを嫌っていた。この歌は聞いたらダメだと。
それでもある日、シャオが懲りずに近づくと、マリーアは本当に困ったような顔をして、それでも優しく膝にシャオを抱いて歌を歌ってくれた。
みんなには内緒よ。あなたは男の子だから大丈夫だと思うけど、約束ね。
そう言って小さなシャオの指と指切りをしたのだ。
その翌日マリーアは巫女の森へ行った。
「そうか。この歌が…」
シャオは万感の思いを込めて拳を握り締めた。そんなシャオの肩にゲイルが手を置いた。力強いそれに、シャオも顔を上げる。
「大丈夫だ。この先にカノンがいる。行こう」
2人して扉の向こうに足を踏み入れると、その先は開けた空洞になっていた。真ん中には大きな湖がある。2人が立っているところは空洞の中間くらいで、目の前には下へと続く階段があった。
見渡す限りではカノンの姿はない。
「下に降りよう」
古びた石畳の階段を降りると、湖に向かって祭壇のように岩がせりあがっている場所が目に付いた。近づくと、湖だと思っていたところはずっと奥まで続いていることに気付いた。
「カノンはどこだ?」
2人の頭に最悪のシナリオが過ぎる。そんなはずはない。そんなはずは。
「カノン!!どこだ!」
ゲイルが大きな声を出してカノンの名前を呼んだ。しかし応答はない。
カノンがここに来てから3日。食料もなく大蛇が住むというこんな洞穴では生きていられなかったのか。
カノンの笑顔が脳裏に浮かぶ。俺がもっと早く気付いていれば。シャオは唇を噛み締めた。
そんなシャオをよそに、ゲイルは叫びながらカノンを探し始めた。
「カノン!!返事してくれ!」
いつにもなく切羽詰まった声が響く。
その時、シャオは後方から音がしたことに気付いた。パッと振り返ると、壁の岩のくぼみの奥からカノンが顔を覗かた。
「…シャオ?」
力なく放たれた声は、カノンがどれだけ疲弊しているか知るには十分だった。
言葉も出せずにカノンに駆け寄った。近づくと、その美しかった顔は土で汚れ、綺麗な巫女装束には所々に血がこびりついているのが分かった。
「…カノン」
その有様には驚きもあったが、何より生きていてくれたことに心底安堵した。泣きそうに顔をゆがめながらその細い肩をかき抱いた。
「良かった。生きていてくれて」
抱きしめられながら、カノンは細く声を上げた。
「どうしてここに?」
「カノンを助けるために決まってる!俺たちと一緒に帰ろう」
シャオがそう言って振り向くと、その先にはゲイルがいた。
カノンの目に呆然と立ち尽くすゲイルが入った。彼はカノンの姿を認めてようやく顔を綻ばせると、一目散に走り寄ってきた。
しかしその途中、シャオは彼の背後に黒いものを見た。
「ゲイル危ない!」
シャオが叫ぶより早くゲイルの身体は黒いものに薙ぎ払われた。
「ガハッ」
いきなりの攻撃に、無防備だったゲイルは軽々と飛ばされて壁に激突した。
「ゲイル!」
カノンを背後に庇いつつ、動かないゲイルを横目に黒い影を見た。
それは、巨大な大蛇の尾だった。
尾はスルスルと吸い込まれるように湖に沈むと、ぬっと大蛇が頭を出した。大蛇はそのままどんどん高さを増し、見上げるほどに巨大なその姿を現した。
大蛇はシャオを見下ろすと、長い舌をチロチロと出し入れする。
『愚かな人間どもよ。なぜここに男がいるのだ?贄になりに来たのか?』
その大きさと迫力に圧倒される自分を叱咤し、シャオは大蛇を睨みつけた。
「馬鹿言え!俺たちはカノンを助けに、そしてお前を倒しに来たんだ!」
『わしを倒す?はっ。貧弱な人間風情が抜かせ。巫女共々一口に食ろうてやる』
カッと目を見開き、大蛇がシャオとカノンに迫る。
シャオはカノンの手を引くと、寸でのところで牙をかわした。
「くそっ。さすがにデカいし厄介だな」
眉間に皺を寄せ、スラリと愛刀を構えた。
「カノン。俺が合図したらお前はあそこにある階段に走れ、いいな」
「シャオは?」
不安そうにシャオの上着にしがみつく。
「俺はこいつをぶちのめす。あと、ゲイルも回収しねぇと」
親友はまだ起き上がる気配を見せない。
「じゃあ、私がゲイルを介抱するわ」
「ダメだ!」
言い募るカノンをピシャリと制した。
「俺たちが来た意味を考えろ。お前は自分の安全を1番に優先するんだ」
「でも…」
なおも何か言いたげなカノンに、シャオは一瞥をくれた。
3日間たった1人で恐怖に耐えてきたであろうカノンは、ボロボロだ。助けが来たと知った瞬間に泣き崩れても良かっただろうに、彼女はそうはしなかった。こんな状況でも他人を助けようとするなんて。シャオはなるべく優しく微笑んだ。
「大丈夫だ。俺がいる」
その顔を見て、カノンはキュッと唇を引き結んだ。そして頷く。
「行くぞっ」
シャオは大蛇に向かって走り、カノンは階段に向かって走り出した。
大蛇は2人を見比べたが、己に向かってくるシャオに牙を向けた。シャオは大蛇の牙を受け止めた。
「蛇ごときが、この…!」
しかし、大きさは歴然。シャオは大蛇に押され、バランスを崩した。
噛まれる!そう思って思わず左手でガードしようとしたが、大蛇は襲ってこなかった。はっとして見上げると、うっそりと目を細めた大蛇が見下ろしていた。
なんだ!?そして大蛇の黒い影を追うと、その太い尾を階段に向けて駆けたカノンに伸ばしているのが見えた。
「カノンっ!」
伸ばした手は届かない。カノンが振り向き目前に迫る尾にギュッと目を閉じた。
その時。ガキンッ。
寸でのところでカノンと尾の間にゲイルが滑り込んだ。両手で剣を握り締め、弾き返す。
「…間に合った」
痛みを我慢してか、彼にいつもの爽やかさはなく、不敵に笑った。
「ゲイル!大丈夫?」
カノンは先程薙ぎ払われたゲイルを心配してその背に手を添えた。
「大丈夫だ。問題ない」
ゲイルは安心させるように笑うと、カノンの手を取って階段を駆け上がった。
「シャオ!大蛇は任せた!」
2人が無事に階段を駆け上がるのを見て、シャオは笑った。
「おう、任された」
剣を構え直して大蛇を見上げる。こいつを倒す。その一心で剣を振るった。襲いかかる顎を避け、牙を跳ね返し、ついに大蛇の左目を捉えた。
「喰らいやがれっ」
頭上高く掲げた剣を素早く刺す。
『ぐああぁぁ』
大蛇は叫びながらその巨体を揺らした。
「よしっ」
手応えを感じたシャオは、2人が向かった階段の方を見た。しかし、目にしたのは泣きそうな顔でこちらを見下ろすカノンの顔だった。
「シャオ!扉が!開かないの!」
「何!?」
ここへ入ってきた時、扉は開いたままだった。いつの間に閉まったんだ。扉が開かないと、3人とも閉じ込められてしまう。
「歌は?歌が扉の鍵になってるはすだ!」
「歌ったわ!でも開かないの」
カノンの隣では、ゲイルが力の限り扉を押していた。
俺も行かないと。そう思ってシャオは階段へ向かって走り出した。しかし、横目に黒い影が動くのを見た。大蛇がむくりと巨体を起こしたのだ。
大蛇は残った右眼で3人を捉えた。そして尾を振り上げ、カノンとゲイルのいる階段目がけて振りかぶった。
「っ!」
ゲイルは咄嗟にカノンをかばい、その身体は崩れた足場から宙に放り出された。
「ゲイル!」
カノンは必死に手を伸ばしたが、その手は寸でのところで届かない。
まるでスローモーションのように落ちた彼は、そのまま大蛇がいる湖の中へ消えた。
「ゲイル!くそっ!」
シャオは歯噛みした。俺の失態だ。まさかあんなに早く大蛇が回復するなんて。考えろ。どうすればいい。
しかし大蛇は考える暇も与えなかった。直ぐに尾を伸ばし、一瞬動きの止まったシャオを締め上げ宙に浮かせた。
『小癪な人間よ。あとはゆっくりお前達を喰おう』
「くっ、離せ」
力の限りもがくが、大蛇はビクともしない。そのまま大蛇はシャオを口元に運んだ。まるで挑発するかのように、その長い舌をチロチロと出す。
『それにしても人間。お前からは何か知ってる匂いを感じるぞ』
「知ってる匂いだと?…それは10年前の巫女の匂いか?」
『あぁそうだ。何か懐かしいと思ったらあの巫女と同じだ。あれは実に面白い娘だった』
「っその巫女は!お前が面白がって食った巫女は!俺の姉だぁ!」
シャオは射殺さんばかりに睨んだ。今すぐに切り刻みたいのに、動けない自分が情けない。
『なるほど。姉妹揃ってわしに喰われに来たのか。ならば望み通りにしてやろう。わしの腹の中で再会するがいい』
大蛇は大口を開けた。シャオをすっぽり一飲みに出来そうな暗い穴に、シャオはただ唇を噛み締めた。
せめて片腕だけでも拘束を抜け出せれば。こんなところで死ぬ訳にはいかない!その時だった。
「シャオ!」
高い声が聞こえた。ハッと顔を上げると、カノンが大蛇へ向かって飛び降りた。その両手にはゲイルの剣。
「シャオを離して!」
叫びながらカノンが大蛇の額に剣を突き立てた。
『ぐあぁぁ』
大蛇は堪らずシャオを放り投げる。
「キャアッ」
それと同時にカノンも振り払われた。シャオは手を伸ばしてカノンを抱え、2人して地面に転がった。
「カノンありがとう。大丈夫か?」
「ええ、なんとか」
そう答えるカノンの肩は震えていた。
『この小娘。よくも!』
額を貫かれてもなお大蛇は立て直した。
「くそっ、まだ倒れねぇのかよ」
その驚異的な生命力に額に嫌な汗が滲んだ。でも泣き言は言っていられない。
シャオはカノンを庇うように立ち、剣を構え直した。また突っ込んで来るぞ。そう思っていたが、しかし大蛇は再び呻き声を出して苦しみ出した。
「何だ?」
シャオとカノンが訝しんでいると、湖からゲイルが這い出て来た。
「ゲホッゴホゴホッ」
長い間水の中にいたゲイルは苦しそうに水を吐き出す。
「ゲイル!」
2人はすぐに駆け寄り、力の抜けた身体を支えた。
「大丈夫か?」
「あぁ。それよりこれ」
ゲイルは水を拭いながら右手に光るものを見せてきた。
「それは…?」
「へへっ。これをもがれてさぞ辛かろうよ、蛇野郎」
ニヤリと大蛇を見上げる。
「これはお前の逆鱗だ」
『ぐぬぬ貴様ぁ!下等な人間の分際でぇ!』
大蛇は怒り狂い、身を震わせながら3人に向かって突進して来た。
「シャオっ!たたっ斬れぇ!」
「うおぉぉぉぁあ!!」
シャオは飛び上がり、渾身の力を込めて大蛇に斬りかかった。
「シャオ…」
カノンが祈るように手を握り締めて見守る中、シャオは大蛇を一刀両断した。
上がる息を抑え、見下ろした大蛇は完全に事切れていた。これで終わったのか。
しばらく大蛇を見つめ、そして深い息を吐いたシャオは、2人を連れて階段へ向かった。
今度はここから出る方法を考えなければならない。
「やっぱりピクリとも動かねぇな」
来る時同様重く閉ざされた扉は、押しても引いても、まして歌っても動く気配はなかった。
「くそっ!せっかく大蛇を仕留めたのに」
ゲイルが歯痒そうに拳を握りしめた。
「2人とも、ごめんなさい」
俯いたカノンがポツリとそう言った。
「私を助けるためにここまで来てくれたのに、これじゃみんな脱出出来ないわ。私さえちゃんと大蛇の生贄になっていれば…」
「そんなこと言うな!」
シャオはカッとなってカノンの肩を掴んだ。
「お前がそんなこと言うなよ。俺達はお前を助けるためにここまで来たんだ。お前を生贄になんて絶対にさせない。軽々しくそんなこと言うな!」
「…ごめんなさい」
シャオに気圧されたのか、カノンは身を強ばらせた。
ハッと我に返ったシャオはそれに気付くと、小さくごめんと謝りながら掴んでいた細い肩を離した。
しばらく3人の間で沈黙が続く。その沈黙を破ったのはカノンだった。カノンは離された肩を抱きながら2人に尋ねた。
「ねぇ。どうして2人はこんなに私のためにしてくれるの?」
その言葉にシャオはギクリと自分が身じろいだのを感じた。
なぜこんなにするのか。もちろんカノンを死なせたくないからだ。でもそれはなぜか。それは、カノンが俺の身代わりだから。自分のせいでカノンが死ぬのが嫌だから。
頭にそんな言葉が浮かんできて、シャオは頭を振った。なんて自己中心的な考えだ。
そんな葛藤を抱えるシャオをよそに、ゲイルが開かずの扉を見つめながら静かに口を開いた。
「好きだから」
そしてゆっくり振り返った。
「お前が好きなんだ。カノン」
ゲイルはいつも通りの微笑みを浮かべて、とてもシンプルな言葉を告げた。飾らない言葉は、他のどんな言葉よりも深く響いた。
「…あ、ありがとう」
穏やかな瞳に見つめられたカノンは、顔を赤くしながらついと目を逸らした。ゲイルの真っ直ぐな眼とカノンの赤い顔は、シャオが今まで見てきたどんなものよりも綺麗だった。
『良いものを見せてもらった』
突然降ってきた声に、3人は驚き辺りを見回した。すると、シャオが切り落とした大蛇の巨体から、小さな1匹の白い蛇が現れた。
『人の子よ。長年に渡り私の身体を乗っ取っていた愚蛇を倒してくれたこと感謝する。これが本来の私の姿だ。この礼に、その扉を開く方法を教えよう』
大蛇から蛇が出てきたことにも驚いたが、その神々しい姿を見ると、3人の頭の中に自然と白蛇神という名が浮かんだ。
言葉も出せずに黙り込む3人に、白蛇神は告げた。
『歌うのだ』
それを聞いて、シャオはようやく口を開いた。
「歌ならもう歌いました。でも、歌っても開かないんです」
『フッ』
白蛇神は可笑しそうに笑った。
『歌うのはお前ではない。お前だ』
そう言って白蛇神に見据えられたのはゲイルだった。
「え、俺?」
『そう。入る時には女が歌い、出る時には男が歌う。この扉はそう出来ている』
その言葉に、自然と2人の視線がシャオに向く。混乱し、何を言っていいのか分からない目だ。そんな2人の視線を受け止め、シャオは困り笑いを浮かべた。
「ゲイル、歌えよ」
「だが俺は…」
「お前が。お前が歌うんだ」
シャオはゲイルの隣に立つと、その肩に手を置いた。親友の温もりが伝わってくる。
ゲイルは不安げにシャオを見たが、シャオが振り返らないのを受けて白蛇神を見た。
「俺は、特別な歌とかは知らないんだが、大丈夫か?」
白蛇神はゆっくりと頷く。
ゲイルは1度深く息を吐くと、歌い出した。彼らしい、伸びやかで力強い歌声で紡がれるのは、村に伝わる愛の歌だった。
歌い終わると、しばらくの静寂の後、来た時と同じような轟音が響き、扉が開いた。
「…開いたわ」
カノンが口を手で押さえながら泣きそうな表情で言った。シャオとゲイルも互いに顔を見合わせ、拳をぶつけた。
『人の子よ、帰るが良い。そして伝えよ。今後は贄などいらん。これからは、人の子が愛を誓うような、そんな面白いものが見たいとな』
その言葉にカノンは赤面し、ゲイルは気まずげに頭を掻き、シャオはそんなゲイルを横から小突いた。
頭を下げ、3人は帰路に着いた。
しかし、1番最後にシャオが出ようとした時、白蛇神が呼び止めた。
『そこの。お前が何を悩んでいるかは知らぬが、この私から見たらお前はただの人の子だ。それ以上でもそれ以下でもないぞ』
ただの人の子。それ以上でもそれ以下でもない。
その言葉は、ずっと曇っていたシャオの心に一筋の光をもたらしたような気がした。そうか。ただの人の子か。シャオはニカッと笑うと、白蛇神に軽く手を挙げて洞穴を後にした。
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それからは、地上に出るまでの長い階段の途中で心配して乗り込もうとして来た仲間たちに再会したり、地上に出てからは村人達と再会を喜ぶやらカノンの無事に涙するやら、シャオとゲイルはこっぴどく叱られるやらで目まぐるしく事態は収拾していった。
シャオは殴られるくらいの覚悟はあったが、カノンのおかげでそれは避けられた。
3人ともボロボロで、クタクタだった。
シャオは自宅に帰ると、深くベッドに沈み、ゆっくりと目を閉じた。
今日は色んなことがありすぎた。心の整理をしたかった。答えはもう出ていた。でも、それを受け入れるだけの時間が欲しかった。
翌日、シャオがいつもの空き地に行くと、カノン以外のいつもの仲間達が集まっていた。
ゲイルを囲んで大蛇退治の話題で盛り上がっている。軽く息を整えると、シャオはいつも通りに軽やかに手を挙げた。
「よっ!随分と盛り上がってんじゃん」
「シャオ!」
「もう身体はいいのかよ?」
「お前大蛇ぶった斬ったんだってな!詳しく聞かせろよ」
矢継ぎ早に繰り出される質問も、仲間達の様子もいつも通りだ。チラリと横目でゲイルを見たが、彼はいつもの様に穏やかに笑っていた。
シャオは不敵な笑みを浮かべると、おどけた調子で昨日の死闘の様子を話して聞かせた。
「すげぇな!」
「さすがシャオだぜ!」
「村最強の名は伊達じゃねぇな!」
みんな目を輝かせて食い入るように話を聞いていた。
「でもよ、一体どうやって巫女が大蛇の生贄になるって知ったんだ?俺達は、シャオが大蛇退治に行くって聞いて初めて知ったのによ」
誰かが悔しそうに言った。事前に知っていれば、自分だってみすみすカノンを差し出したりしなかったのに。そんな気持ちが言葉には滲んでいた。
シャオはこの質問をされるのが1番怖かった。速くなりそうな呼吸を努めて抑える。無意識に拳に力が入った。
「色々、あってさ。結論から言うと、俺、実は」
「シャオ」
静かだが鋭い口調で割って入ったのはゲイルだった。
「お前、疲れてるんじゃないか?顔色が良くないぞ」
何気ない一言だったが、ゲイルがシャオが言わんとしていることを心配して話題を断ち切ったのだと分かった。
それと同時に、彼はシャオが女だという事実を理解していることも。
「…大丈夫だよ。大丈夫」
まるで自分に言い聞かせるように2回呟いた。そして気を取り直すと、シャオは笑顔になった。
「俺さ、実は女だったんだ。それで、本当は俺が生贄になるはずだったんだけど、手違いでこんなことになっちまっててよ。俺もそれを知ったのが昨日だったからまじでビビったよ。それからすぐカノン助けに行ってさ。ホント、間に合って良かった」
シャオは明るく言ったが、周りはしんと静まった。みんなの顔に困惑が広がる。
「いやいや、そんなことってねぇよ。冗談キツイなぁ」
「そうだぜ。シャオが女なんて、夢でもありえねぇ」
「そう思うだろ?俺もそう思ったんだが、これが実話でさ。ホント、笑えるよな。ハハハッ」
シャオにつられてみんなが笑いだした。不思議な程の一体感で笑い、そして驚きの声を上げた。
「嘘だろぉぉ!」
「シャオが女ー??」
「そんな馬鹿な!!」
頭を抱える者、空を仰ぐ者、目をまんまるに見開く者、それぞれの反応は様々だった。
だけどそれはしょうがない事だ。信じられないのは無理もないし、シャオ自身まだ自覚もなかった。
「でも、シャオはシャオだ」
ざわめきが収まらない中で再びみんなの注目を集めたのはゲイルだった。その言葉に、みんなもこぞって賛同する。
「お、お。そうだよな。シャオはシャオだ」
「そうだ、シャオに変わりはねぇ」
「だ、だよな。いつもと同じシャオだ」
みんな笑おうとするが、その笑顔は引き攣っていた。なんとも居た堪れない気持ちになり、シャオは腰を上げた。
「ま、そういうことで、俺は俺だ。何も変わりゃしねぇ。これからもよろしくな」
片目を瞑ってヒラヒラと手を振ると、シャオは振り返らずに歩き出した。シャオの行き先を尋ねる者はいなかった。
翌日、朝食を食べて自室で出掛ける支度をしていると、ばあやが入ってきた。
「お坊っちゃま。今日のお出掛けは控えた方が良さそうですよ」
「何でだ?」
老婆を振り返りもせずに尋ねると、彼女は言含めるように優しい声で言った。
「ばあやは、お坊っちゃまが心配なのです」
その言い方にムッとして顔を上げると、ばあやが両手を握り締めてシャオを見ていた。
「…ばあやは、俺が女だって知ってたんだよな?」
「ええ」
「どんな思いで、17年俺を見てきたんだ?」
「…ばあやにとって、坊っちゃまの性別など些細なことでございました。無事に元気に産まれてくださったこと、大病もなくすくすくと育たれたこと、賢く強く優しくここまで立派に大きく成長されたこと。それがばあやは嬉しいのです。お坊っちゃまは、ばあやの宝物でございます」
「…ありがとう。俺も、ばあやのこと好きだぜ」
変に力が入っていたところの緊張が取れたように柔らかく笑うと、シャオはポンポンと老婆の頭を撫ででから部屋を出た。
「…相変わらずこのばあやの言うことを全く聞かないところは、直して頂かなくてはね」
いつまでたっても変わらないシャオに、老婆は優しい笑みを向けていた。
シャオが屋敷を出ると、門の前にゲイルが佇んでいた。
「よぉ。どこ行くんだ?」
「おはよ。どこって、いつもの空き地だよ」
「そんな嘘、俺に通じるとでも?」
ゲイルは静かにシャオを見据えた。シャオの腰には、いつもの木刀ではなく大切な真剣が据えられていた。
ゲイルはこんな時だけ鋭い。ずるいな。
そう思いながらシャオは肩をすくめた。
「ホント、お前には適わねぇよ。よし、ちょっと付き合え」
顎で示した先はいつもの空き地とは正反対の河川敷。
自然と2人は向かい合い、相手を見据えて呼吸を整えた。やがてどちらともなく剣を構える。今までとは違う真剣での対峙。
一陣の風が駆け抜けた。途端に火花が散る。二太刀、三太刀と刃がぶつかり、辺りには高い金属音が鳴り響いた。
風を切る音、砂を蹴る音、互いの呼吸だけが聞こえる。2人だけの世界が永遠に続くかと思われたが、結末は唐突に訪れた。一際高い音が鳴り響くと、ゲイルの手から剣が弾き飛ばされ、その喉元に刃がひたと据えられた。
「また、俺の勝ちだな」
シャオは片目を瞑ってニカッと笑った。
「…降参だ。全く、相変わらずお前は強いよ」
ゲイルは柔らかく眉尻を下げた。そして弾かれた剣を取って鞘に仕舞うと、シャオに向き直った。
「行くんだろ?」
あっけらかんとした言い方に、シャオは虚をつかれたような顔をした。
「あ、ああ。…止めても無駄だからな?」
「止めねぇよ」
ゲイルは苦笑する。
「俺は止めねぇ。だってお前は強い。この俺より強いんだ。どこに行ったって何があったって、お前ならやれるさ。だから俺は止めない。…行ってこいよ。俺は待ってるからさ」
その言葉にシャオはぐっと唇を噛んだ。そしてハーっと溜息を吐いた。
「お前ってずるいよな。マジでずるい。何でも分かったような顔して何も聞かない。んでスパルタだ。弱音の1つも聞きやしない」
「俺は優しい方だと思うけどな」
ニヤッと笑うゲイルをシャオは恨めしそうに睨んだ。
「ま、いいや。…ありがとな」
「お安い御用。親友だからな」
“親友”。その言葉にシャオはピクリと反応した。
「…俺たち、親友なのか?」
「当たり前だろ。何を今更」
「そっか。親友か。そっか」
ブツブツ呟いて、シャオはニカッと笑った。
「俺はお前の親友で、お前は俺の親友か!ならいい!」
そう言うとグイッと伸びをして、憑き物が取れたように軽やかな笑顔を見せた。
「じゃ、行ってくるわ!あ、カノンのことよろしくな!」
今度はゲイルが言葉に詰まる番だった。
「っ言われなくても」
そう言いながら頭を掻くと、クイッと顎でシャオの後ろを指した。
「お前がノロノロしてっから、みんな来ちまったぜ」
「え?」
振り返ると、そこには村の人々が集まって来ていた。いつもの仲間たちと、もちろんカノンの姿も。
「シャオ!いってらっしゃい」
「お前はお前だ!いつでも帰ってこい!」
「忘れ物するなよー」
「怪我に気をつけて」
「頑張れよ」
様々な声が掛けられる。
みんな、シャオのことなどお見通しなのだ。何も言わなくても、みんなシャオが何をしたいのかを知っていた。
何かに迷ったら行動あるのみ。それがシャオだ。
シャオはグッと空に向け拳を突き上げた。
「行ってくる!!」
それから、シャオの自分探しの旅が始まった。
この村の17年間で培われた自分と、本当の自分。自分は男か女か。自分は自分だとは分かっている。それでもシャオは自分を確かめたかった。
それにはこの村にいてはいけない。世界を見て、1から自分を見つめ直すつもりだった。
このシャオの旅立ちが後に世界を揺るがすことになるとは、まだ誰も知る由はなかった。
ご覧頂きありがとうございました。
この後シャオはどんな運命を辿っていくのでしょうね?
実はこのお話、ある物語のスピンオフのつもりで書いたものなんです。
本編より先にスピンオフが出来ちゃいました。
本編では、この後のシャオが出てきます。
シャオはちゃんと自分を見つけられたのでしょうか?
完成したら公開しますので、ぜひ目を通していただけると嬉しいです。
また、今後も様々なキャラクターのスピンオフを書いていきますので、そちらもお楽しみに。
いや、まずは本編が先かな。頑張ります。
ご感想やご意見などお寄せいただけると嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
では、最後までお読みいただきありがとうございました。
霄伽