第七話 聖戦への船出
決闘の決着がついたあと、セルンはクリフに近付いて手を差し出した。
「いい神器だった。姫さんの忠誠心、見せてもらったよ」
「そちらこそ、素晴らしい神器だった」
クリフは握手に応えながら、称賛の言葉を返す。
「なるほど、あなたの神器はガーディアンタイプではなく、それどころかウェポンタイでも、アミュレットタイプでも、アーマードタイプでもなかったのだな」
人型で独立し、雷を操り、槍となり、身体と融合する。それぞれの特性を備え、それゆえにそのどれにも当てはまらない。
唯一無二の、歪んだ在り方。
聖戦の悠久の歴史にあって、十にも満たない数しか確認されていない神器の形。
即ち――
「『完全異常型』……それを手に入れたものは必ず勇者に聖別されるとまで言われた、至高の神器か」
「あんまり褒めないでくれ。俺はともかく、俺の神器が調子に乗る」
「わははははっ! もっと、もっとだ! もっと我を褒め称えるがよい!」
「な? うざいだろ?」
「ふっ、どちらにせよ、私の盾を一撃で抜いてみせたのはあなたが初めてだ」
セルンは首を横に振る。
「そっちの神器もあれが全力ってわけじゃなかったんだろ? あれは後ろに守りたい相手を、姫さんがいたときに最も力を発揮する。違うか?」
「そこまでわかってしまうのか。たしかに、我が神器『忠誠の王盾』の能力は、姫様を守護するときにより強力な守りを発生させるというもの。だがそれでも、先程の一撃を防げたかどうかは自信がないな」
「試してみるか?」
「やめておこう。姫様を危険には晒せない」
「……気は、済んだか?」
「……ああ、自分の我が儘に付き合わせてしまってすまなかった。約束通り、あなたが勇者になるのを手伝おう。けれど、勇者に最もふさわしいのは姫様。その意見を変えることはできそうない」
「それでいいさ」
最初に宣言したとおり、セルンはクリフを仲間にしようとは思っていなかった。
仲間集めの必要性自体はわかっている。
聖戦は勇者と魔王の殺し合いであり、その決戦は特別に用意された次元の狭間で行われるが、勇者と魔王のみしか参加できないわけではない。かつてセルンが仲間として参戦したように、それぞれ四人まで仲間を連れて行くことができる。
勇者を目指す以上は仲間集めが必須であり、そして仲間にするのに最もふさわしいのは、間違いなく他の勇者候補たちだろう。神器の有無はやはり大きい。
今回の勇者選抜の方式からして、勇者候補同士が一カ所に集まって競い合うことの目的のひとつには、仲間集めも含まれているに違いない。
相手が自分よりも勇者にふさわしいと認めたのなら、仲間となってその人物を勇者として仰ぐ。そうして自然と、本当の意味での勇者候補は絞られていき、聖別された勇者とそのパーティーが聖戦に臨むことになるのだ。
そういう意味でも、防御に特化した彼の神器は魅力的だったが、神器にまで昇華されたあの忠誠心を見せられては仕方がない。
「あんたはあんたが勇者だと信じる人のために尽くせばいい。それが勇者の仲間ってもんだろ?」
「……感謝する」
より力強くクリフと握手を交わし合いながら、セルンは心の中でつぶやいた。
あんたは後悔しないようにな、と。
◇◆◇
決闘という予想外の出来事はあったが、正午を回る前には、セルンたちを乗せたレヴェナント号は監獄島を出航することができた。
忙しなく航海の準備を進めるレナスロッテやクリフ、兵士たちを尻目に、セルンとトアレは二人、のんびりと甲板の端から景色を眺めていた。
「一時はどうなることかと思ったが、無事に出航できたし、あそこで一度俺の力を見せられたのは返ってよかったのかも知れないな」
明らかに決闘の前と後では、兵士たちからの態度が違った。その眼差しには、尊敬の念が込められている。
「これで変にちょっかいをかけてくる奴もいないだろうしな」
「我らの作った愛しい野菜まで、貴重な生鮮食材として恵んでやったのだ。この上でなにかしてくる愚か者がいようものなら、また我が真なる姿となって海の藻屑に変えてやろう!」
「え? お前、あの槍の状態でも一人で動けたのか? なら今後はそれでよろしく」
「マスターに振るってもらってという意味である! 解放状態では、我一人では動けないから!」
「本当に? 俺に使って欲しいからって、嘘言ってるんじゃないのか?」
「嘘なんて言ってない! 我、神器! 本来はマスターに使ってもらうことが正しい使い方なのだからな! これからは存分に我を振るってくれ!」
「……けど神器解放させると、だいぶ体力持ってかれて疲れるからなぁ」
「マスター!?」
「冗談だ」
涙目になるトアレの頭を、麦わら帽子の上から軽く叩く。
「神器を解放した勇者候補が相手だと、封印状態のままじゃきついっていうのはよくわかったからな。これから先、お前には俺の武器としてがんばってもらうぞ」
「望むところである!」
「頼りにしてるよ」
ぽんぽん、ともう一度軽く叩いてから手をどける。
「あ」
そのかすかな振動で帽子はずり落ち、そこに強い風が吹いたことで飛ばれてしまった。
トアレの麦わら帽子は大きく空に舞い上がると、離れつつあった監獄島の方へと流れされて見えなくなってしまう。
「マスターからもらった麦わら帽子が……初めてもらったものなのに……」
トアレがさらに泣きそうな顔になる。
あの麦わら帽子は、セルンがトアレと初めて会ったときに渡し、そのまま彼女にあげた帽子だ。以降、農作業するときなどにはいつも被り、被っていないときは大事に保管していた、彼女のお気に入りの代物だった。
元々は、セルンが暇つぶしに自分で編んだものなので、材料さえあれば作り直せないことはないのだが……。
「船、一度戻してもらうか?」
「……いや、よい」
トアレはしばし悩んだあと、目尻にたまった涙を拭い、首を横に振った。
「あの麦わら帽子はあの島に置いてゆく。平和だった、あの島にな」
それはトアレなりに気持ちを切り替える儀式のようなものだったのだろう。麦わら帽子は平和な島での生活でこそ必要だったものであり、戦場に向かう自分には不要なものなのだと。
それでもトアレの頬を、隠しきれなかった一粒の涙が伝った。
あるいはそれは、半年過ごした島との別れから来るものだったのかも知れない。
「……なら戦いが終わって、またこの島に戻ってきたときにでも探してみようか」
「マスター?」
「聖戦はどうあれ、半年も経たないうちに終わるんだ。そうなったとき、またこの監獄島に戻ってくればいい。またここで暮らすかどうかはともかく、遊びには来れるだろ」
「だが……」
「もしもあの麦わら帽子が見つからなかったら、そのときはまた俺が編んだ麦わら帽子を贈るよ。……それじゃあ、ダメか?」
「……ダメじゃない。それはすごく、すごく嬉しいことだ」
トアレは笑顔を見せた。それはセルンがこれまで見たことがない、とても透明な微笑みだった。
「約束だぞ、マスター。聖戦が終わったら、マスターは我のために麦わら帽子を編んで贈るのだ。我、がんばってそれを受け取ってみせるからな。たとえどれだけ時間がかかっても、どんな形になっても、絶対に受け取ってみせるからな」
「なにをそんな大袈裟な」
たしかに聖戦が殺し合いである以上、生きて帰ってこられない可能性も大いにある。けれどそれなら、セルンが麦わら帽子を編むこと自体ができないだろう。約束自体を、トアレが一方的にそこまで重く受け止める必要はない。
そこまで考えて、セルンは気付く。
ようやく、気付くことが出来た。
……知らなかったわけではない。目を逸らしていたわけでもない。
ただ、彼女との生活が予想もしていなかったくらい楽しくて、とても楽しくて、忘れていただけ。
セルンの隣に今いる少女は人間ではない。聖戦に際し、勇者候補セルン・ベルクルトに与えられた『勇者殺し』という名の神器なのだ。
トアレという名前はセルンがつけた愛称でしかなく、笑いもするし、怒りもするし、泣きもするが、その正体が神器である事実は揺るがない。
そして神器は、聖戦が行われている間しか存在することができない。
この聖戦が終わったあと、勝敗がどうあれ、彼女が消えてしまう事実は変わらないのだ。
一度旅立てば、もう二人一緒にはあの島に戻ってこられない。
トアレはそれを、ずっとわかっていた。
セルンはそれを、ずっとわかっていなかった。
一番近くにいたのに、また見過ごすところだったのだ。
「ああ、まったく。俺って奴は……」
なにも成長していない自分が嫌になるが、それでもセルンは、遅れながらも今回は気付くことができた。
だから……
「約束だ。聖戦が終わったら、また」
「うむ。聖戦が終わったら、また」
麦わら帽子を贈ろう。それを被って、また一緒に畑でも耕そう。
叶わない約束を、それでも、二人は交わした。
「……マスター。島での生活、楽しかったな」
「……ああ。本当に、楽しかった」
二人は寄り添いながら、監獄島という名の、たくさんの思い出が詰まった自分たちの島が小さくなっていくのを、静かに眺め続けるのだった。
その姿が完全に見えなくなるまで。
ずっと、ずっと。
一章はこの話で終了となります。
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