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第五話  勇者の隣に



「ローリエからの手紙……」


 セルンは震える手で手紙を持ち、裏側に書かれた差出人の名前を幾度となく読み返す。間違いなく、それはローリエの字であった。


「どうしてあんたがこんな物を持っている?」


「先程も申し上げたとおり、わたくしとローリエ様には個人的な付き合いがございました。彼女はレムルス王国の出身でしたから、その繋がりで何度か手紙のやりとりをさせていただいていたのです。そのお手紙は、聖戦が終わったあと、かなり経ってからわたくしの手元に届いたものです」


「そう、だったのか」


「ええ。……読まれないのですか?」


 セルンは手紙を持ったまま、封を開けようとはしなかった。


 この中に、もう二度と聞くことのできないと思っていた愛する人の言葉が込められている。それがどんなものであれ、今のセルンにはあまりにも重たいものだった。指先が震え、とても開封できない。


「代わりにお読み致しましょうか?」


「いや、いい。読む。読むさ」


 それでも、セルンにこれを読まないという選択肢はなかった。


 意を決し、吐き気を堪えながら手紙を開く。



『 親愛なるセルン・ベルクルト様へ。


 このお手紙をあなたが見ているとき、私はもうこの世にはいないでしょう。


 予感があります。まもなく魔王との聖戦が始まる。そして、私はそこから帰ってくることができそうにありません。


 一昨日、森の中であなたが言ったとおり、私には戦うことしかできませんでした。歴代最強の勇者だなんて呼ばれていますが、それでも、私は運命を変えられる特別な人間ではなかったのです。


 せめて抗おうとは思いますが、きっと失敗に終わるでしょう。


 得られるものは、ほんの僅かな執行猶予だけ。

 聖戦は終わりません。次の聖戦が起こるまで、十年もてばいい方でしょう。


 そして、その聖戦であなたは間違いなく勇者候補に選ばれる。そしてあなたが本当に望むなら、本物の勇者にもなれるでしょう。


 あなたは私とは違う。正真正銘の特別だから。


 本音をいえば、あなたが勇者になったところを見てみたかった。そうなったとき、あなたがどんな選択をするのか、見守りたかった。


 ……ごめんなさい。きっと、こんな書き方をしてもよくわからないよね?


 本当は私が知ったこと全部、思ったこと全部、セルンに残そうと思いました。


 でもそうすると、きっとあなたの未来を縛ってしまう。セルンは私のことが大好きだから、そう言ってくれたから、私の言葉を呪いのように受け止めてしまうでしょう。


 それは嫌。あなたには自由でいて欲しい。勇者以外にも、選択肢はあるから。


 だから、どうしても伝えたいことだけ書き残します。


 私はローリエ・エルジェラント。勇者です。


 そうなるべくして生まれ、当たり前のように勇者となって絶望し、選ばれた以上は、託された以上は、と必死に足掻いていました。そしてあなたと出会ったことで、この残酷な世界にも希望はあるのだと知りました。あなたは私に救われたと言っていたけれど、本当に救ってもらったのは私の方なのです。


 セルン。あなたは私の光です。世界で一番の宝物です。


 あなたと一緒に旅をした日々は、本当に楽しく、幸せな日々でした。

 だからどうか、あなたはこれから先、あなたの思うがままに生きてください。


 生きて、幸せになってください。


 それが私の一番の望みで、一番あなたに伝えたい言葉です。


 ありがとう。


 あなたは私の、最高の仲間でした。


           ローリエ・エルジェラントより』



 手紙の内容は、間違いなくローリエからのものだった。


 彼女からの、遺言の手紙だった。 


「……なんだよ、これ」


 セルンは震える声でつぶやいた。


「自由にってなんだよ。本当はなにが言いたかったんだよ。俺が知りたかったのは、ローリエがなにを抱えていたのかだ。ローリエがなにを考えて聖戦であんなことをしたのか、これじゃあなにもわからないじゃないか」


 セルンが本当に知りたかったのはそれなのに、これじゃあなにも解決しない。


 この手紙を読んでわかったことは、セルンなら次の勇者になれるのだと彼女が思っていたこと。できればそうなって欲しいと願っていたこと。


 そして……


「ローリエが俺のこと、本当に大事に思ってくれてたんだってことくらいしか伝わってこないじゃないか……!」


 最高の仲間だと言ってくれた。ずっと、ずっと、自分は足手まといで、最後の最後まで彼女の苦悩に気づけなかった最低の仲間だと思っていたのに、ローリエは、こんな自分を最高の仲間だと言ってくれたのだ。


「マスター……」


 顔をうつむけ、静かに肩を震わせるセルンの背中を、トアレが優しく撫でる。


 そのあと、レナスロッテの方をにらむように見る。


「レナスロッテよ。話は終わりだ。この先はすべてマスターが決めること。違うか?」


「いいえ、違いません。わたくしはお暇しましょう」


 レナスロッテは首を横に振ると立ち上がる。


「明日の朝、わたくしたちはこの島を出航しようと思います。もしも気持ちが変わり、島を出る気になったら、海岸に泊まっている船まで来てください」


「明日の朝までか?」


「はい。我々に残された時間はそう多くはないのです。こうしている今も、魔王が攻めてこないとも限らないのですから」


「……わかった」


「では失礼致します」


 最後にレナスロッテは頭を下げると、静かに家を出て行った。すぐに外の兵士たちが引き上げる足音も聞こえてくる。


 家に残ったのは二人だけ。その中で、小さな嗚咽が響く。


「……マスターは、本当にそのローリエという勇者が大好きだったのだな」


 手紙を握りしめたまま涙する主を見て、トアレはそっと後ろから抱きしめると、優しくその頭を撫で始める。


「我はマスターの決定に従う。……あなたが勇者になってもならなくとも、我は傍にいるからな」


 頭を撫でながら、ずっと寄り添い続けるのだった。







       ◇◆◇







 セルンが次に気が付いたとき、窓の外は暗くなっていた。


「……寝ちまってたのか」


 セルンは手の中を見る。そこにはくしゃくしゃになったローリエからの手紙があった。どうやらあのまま、泣き疲れて眠ってしまったらしい。


 見れば、後ろから器用にもたれかかるようにしてトアレが寝息を立てていた。昨夜徹夜して疲れていたのだろう。だらしない顔で眠っている。


「こいつは人の背中によだれを垂らして……まったく」


 セルンはトアレを起こさないよう抱きかかえると、ベッドに連れて行って寝かせてやる。


「ありがとな、トアレ」


 頭を撫でる。


 人の頭を撫でるなんてしたことがなかったから力加減がわからなかったが、せめて彼女からそうされたように、精一杯の優しさをこめる。


「むにゃむにゃ……マスター」


 トアレはくすぐったそうな、気持ちよさそうな顔で寝言をつぶやく。


「マスター。我、信じてるからな」


「なにをだよ?」


 と、優しい声で聞く。


 するとトアレは、眠ったまま、だからこその素直な気持ちを口にした。


「マスターが勇者にふさわしいって、我が一番信じてるのだからなぁ」


 いや、彼女は起きていても素直に同じことを言っただろう。


「ああ、そうだったな」


 思えば、最初からトアレはそう言い続けていた。セルンは勇者になるのだと。マスターが勇者にふさわしいのだと。


 レナスロッテが言う前に、そしてローリエが手紙を通じて伝えてくる前に、彼女が誰よりも早く、一番強く、そう言ってくれていたのだ。


「……勇者、か」


 ローリエはセルンが勇者候補に選ばれることを予知し、望むなら勇者になれると書いていた。けれど、セルン本人は今もそうは思えなかった。


 セルンにとって勇者というのは称号だ。誰よりも格好いい人間を指す、最強最高の称号なのだ。


 それこそセルンが勇者として本当の意味で認められるのはローリエだけだった。ただ、もしも彼女以外に勇者がいるとすれば、それは彼女が心底から惚れるような格好いい人物に違いない。


 自分はどうだろうか?

 そんな男になれるのだろうか?


 わからない。けれど……


「約束、したんだもんな」


 声に出すことなく、誰に告げることもなく、それでも誓った。


 いつか必ず勇者ローリエを振り向かせてみせると、彼女と自分自身に約束したのだ。


 そしてその誓いは、ローリエがいなくなったとしても忘れてはいけないものだった。だってそれを忘れるということは、彼女を愛した気持ちを忘れるということなのだから。


 あの日抱いた決意を思い出し、セルンは立ち上がる。


 ローリエのいない世界に価値を見出せない。セルンの中でそれは変わらない。それでも、この世界は彼女が守ろうとした世界なのだ。ならば聖戦になんて関わらないと、世界なんてどうでもいいと、逃げ続けるのはもうやめよう。


 選ばれた以上は、責任を果たさなければならない。

 託された以上は、想いを引き継がなければならない。


 勇者ローリエがそうしたように、彼女の仲間だったセルンも、そうやって格好良く生きようと思う。


「そういえば、ローリエも言ってたな。今は夢がないなら、いつかできたときのために学校に通うのもひとつの手だって」


「……ぅん? ましゅたぁ……?」


 セルンの独り言が大きかったのか、トアレが目を覚ます。


 こしこしと眼を擦ると、可愛らしくあくびをする。


「なにかやる気になっているようだが、なにかするつもりなのか?」


「ああ。今から畑に行くぞ、トアレ」


「畑? こんな時間に?」


 トアレは窓の外を見ると、途端に顔をしかめる。


「我も今更畑仕事が嫌だとは言わんが、せめて明日の朝にすべきではないか?」


「それじゃあ間に合わないだろ? お前はあれか? 畑に大事な野菜を残していって、ぽんぽこのおやつにするつもりなのか?」


「ん? え? それってつまり……」


 ようやく頭も起きてきたのか、セルンの言っている意味に気付いたトアレは、眼を見開き、それから嬉しそうに笑ってベッドから飛び出る。


「そうか。そうか! よし! ならば我、喜んで畑仕事をするぞ!」


「ああ、期待してるぞ。俺の農具」


「我は農具ではない!」


 そう言ったあと、トアレは告げる。

 窓から差し込む月明かりの下、あの日のように自信満々に笑いながら。


「我は白の神器。最強で最高の、あなたの神器である!」


「ああ。そして俺が――」


 それに答えるように、セルンも今度は笑って告げた。


「お前の勇者候補、セルン・ベルクルトだ。これからもよろしくな、俺の神器!」


「こちらこそ、マイマスター!」


 二人は想いを交わし合う。――ここに最後の勇者候補とその神器が、本当の意味で動き出すのだった。



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