第四話 あなたこそ
「わ、わたくしのこと、覚えていらっしゃらないのですか?」
セルンの発言に、頬を引きつらせるお姫様。
セルンはじっとレナスロッテの顔を観察する。金色の髪が美しい少女だとは思うが、記憶を洗っても彼女のことは思い出せなかった。
「どこかで会ったか?」
「はい。十年前にレムルス王国の王宮で……覚えていませんか?」
「悪いな。全然覚えてない」
「そ、そうですか。……そうですか」
レナスロッテは微笑みを消すと、悲しそうに表情を曇らせる。それを見て、彼女の率いていた兵士たちが目の色を変えた。
「おい、クリフ副隊長がやられてるぞ!」
「おのれ!」
さらに彼らは気絶した仲間を見つけると、怒りの形相でセルンをにらみ始める。中には腰の獲物に手をかけるものもいた。
「トアレ、向こうが手を出すまでは攻撃するなよ」
セルンは無言で戦闘態勢を整えると、敵意を剥きだしにするトアレを制止する。
この状況、元はと言えば先に手を出してしまったこちらが悪い。だが黙って攻撃されるわけにもいかなかった。
セルンとしては、ある程度の攻撃なら甘んじて受けても構わなかったが、トアレは絶対にそんなこと許さないだろう。確実に兵士たちを殺しにかかる。
一触即発の空気。
「おやめなさい!」
それを霧散させたのは、表情を真剣なものに変えたレナスロッテだった。
彼女は殺気立つ自分の兵士たちを一喝すると、セルンを手で指し示して言った。
「こちらの方を誰だと思っているのですか! かつてローリエ・エルジェラント様と共に、数々の伝説を作ったセルン・ベルクルト様なのですよ!」
「ローリエ・エルジェラント!?」
「歴代最強と謳われた先代勇者の!?」
「では、この方は勇者様の元仲間!?」
「我、知らなかった!」
レナスロッテの説明に、セルンを驚きの眼で見る兵士たちと神器の少女。特にトアレは口をあんぐりと開けて、誰よりも驚いている。
「マスターマスター! マスターが先代勇者の仲間だったというのは、本当なのか!?」
「……本当だよ」
「ならばなぜ我に教えてくれなかったのだ! 我、てっきりマスターは若くして隠居生活を謳歌している精神的老人の世捨て人だとばかり!」
「お前、人のことをそんな風に思ってたのか」
だがたしかに、セルンは彼女に自分の身の上話をしたことはなかった。する必要もないと思っていた。
「昔の話だ。勇者の仲間だったと言っても、半年くらい旅を共にしただけだし、当時の俺はただの子供だったからな。なんの役にも立ってなかったよ」
「そんなご謙遜を! セルン様は間違いなく、ローリエ様のお仲間として活躍なさっていました!」
セルンの言葉に、レナスロッテが熱く反論する。
「ローリエ様の伝説的偉業、遥か昔から人々を苦しめ続けてきたモンスターたちの王である『三大支配者』を討伐したときも、セルン様が大きな貢献をしたと聞いています!」
「三大支配者の討伐に貢献!?」
「つまりローリエ様と一緒にモンスターを絶滅させた人だっていうのか!?」
「すげぇ!」
「……買いかぶりすぎだ」
セルンは兵士たちから向けられる畏怖と憧憬の視線を鬱陶しげに思うと、レナスロッテを見返す。
「それに、そこまで俺のことを知ってるなら、俺がこの監獄島に送られる原因となった一件も知ってるんだろ?」
「それは……ですが、あれはなにかの間違いだと」
「いいや、間違いなんかじゃない。最強の勇者ローリエ・エルジェラントが、先の聖戦で魔王と相打ちに終わったのは、仲間だった俺が足を引っ張ったからだ」
つまり、とセルンは自虐するように嗤いながら告げた。
「俺は勇者の仲間でありながら、勇者が死んだ原因を作った罪人だ。先の聖戦での大戦犯、それ以上でもそれ以下でもない」
「セルン様……」
「……昔話はもういいだろ。それよりも、今更レムルス王国の王女様がこんな場所になにをしに来たのか教えてもらえないか?」
セルンが一番気になっていたことを切り出すと、レナスロッテはなにか言いたそうに口を開き、しかしなにも言わずに表情を真剣なものに改めた。
「はい。わたくしがここへ来たのは、セルン様を本土へ連れ帰るためです」
「俺を? 自分たちが追放する決定をしておいて今更?」
「恥知らずなのは重々承知しています。ですが、我々にはあなたの力が必要なのです」
そう言って、レナスロッテは右手の聖痕を掲げた。
「これは聖痕、わたくしは来たる聖戦に際し、百人の勇者候補の一人に選ばれました。そしてセルン様、あなたもまた勇者候補として選ばれているはずです」
「……なんの話だ?」
「隠されなくても結構です。わたくしはあなたが勇者候補に選ばれていると確信しています」
レナスロッテは自信をもって断言する。
セルンは彼女たちが現れてから、自然な素振りで立ち位置に気を遣い、聖痕が見つからないように努めていた。トアレも口を滑らせてはいない。彼女にはわかるはずがないのだが。
それともトアレが神器であると気付かれたのだろうか? 本来、セルン以外がいてはいけない監獄島にいる謎の少女。だがそれだけでは、神器であると予想するのは不可能のはず。
「……そうだ。俺も勇者候補に選ばれている」
色々と疑問はあったが、セルンは聖痕を掲げて素直に認めた。
いくら勇者候補である事実を誤魔化そうとしても、この聖痕は隠せない。右手を出せと言われてしまえばそれまでだ。
「どうしてわかった? 誰が勇者候補なのか判別する神器でも手に入れた奴がいるのか?」
「いいえ。ですが、あなたが勇者候補に選ばれると予知した者はいます。わたくしはその方の言葉を信じて、今ここにいるのです」
そう言ったあと、レナスロッテは驚くべき行動に出た。
自国の兵士たちがいる目の前で、彼女は深々と罪人に過ぎないセルンに頭を下げたのだ。
そして、この監獄島へとやってきた理由を簡潔に述べた。
「お願いします、セルン様。どうか次の勇者となって、この世界をお救いください」
◇◆◇
勇者選抜――それは百人の勇者候補の中から、本物の勇者を選ぶための儀式である。
百年周期で行われる聖戦に際して、勇者選抜は伝統的に『世直しの旅』という方法が取られていた。
勇者候補に選ばれた者は、各国の支援を受けて旅立ち、村々を回って困っている人を助ける。それは主に、脅威となるモンスターを退治してまわることになる。そうして戦闘経験を積むとともに、この世界を救わんとする意志を深め、心身共に勇者にふさわしい人物へと成長を果たすことを目的としていた。
しかし、今回その方法を取ることはできなかった。
「今回の勇者選抜は、これまでとはまったく違う方法が取られています」
場所をセルンの家に移したあと、レナスロッテは用意された椅子に行儀よく腰掛け、テーブルを挟んだ向こう側に座るセルンとトアレの二人に説明を行っていた。
「勇者候補たちは今、我がレムルス王国のにあるユーストリア勇者学校に集められています」
「ユーストリア勇者学校?」
「昔は騎士と魔導師を育てる学校でしたが、ご存知でしたでしょうか?」
「ちょっとな。話を続けてくれ」
「はい。勇者候補たちはユーストリア勇者学校に通いながら、勇者候補同士で戦い、お互いに切磋琢磨し合うことを目的とした勇者選抜を執り行っています。それが今、最も効率よく勇者としての成長――つまり、神器の進化をはかれる方法であると考えられたからです」
「なるほどな。たしかに、これまでどおりの伝統的な方法だと、聖戦に一番必要な戦闘経験は得られないからな」
なにせ、勇者候補たちが戦闘経験を積む相手であるモンスターは十年前に滅んでいる。他でもない、セルンが先代勇者と共に行ったことだ。
「これまでも旅先で出会った勇者候補たちがぶつかりあい、結果として神器の進化が起きたという事例を聞いたことがある。効率的かどうかはともかくとして、なかなかいい案じゃないか?」
「……上手く行っていれば、の話になりますがね」
レナスロッテの口ぶりから、勇者選抜が上手くいっていないのは明白だった。
「勇者候補たちはたしかに戦いを通じ、成長しています。けれど、それは微々たるものです。聖戦開始から半年が経ちましたが、未だに神器を『覚醒位階』へと進化させた勇者候補はいません」
「半年。これまでなら、一人か二人は覚醒者が現れてもおかしくない時期だな」
「はい。各国は勇者候補に序列を設け、一位から百位までの順位付けを行っていますが、暫定勇者である第一位の勇者候補ですら、神器を覚醒させる予兆はありません。……我々は、長く平和に浸りすぎたのでしょう」
「平和、か。……まあ、そうだな」
セルンは窓の外に広がる自分の畑を見る。
セルンは農業なんてものをこの島に来るまでやったことはなく、知識もほとんどなかったが、失敗することなく畑をここまで広げることができた。作物もたくさん採れる。それは一重に運が良かったわけではなく、この白の世界が繁栄しているからなのだろう。
「白の世界は三百年前と二百年前、そして百年前と、三連続で聖戦に勝利しました。滅びの影響はもはや遠い過去のもので、大地は潤い、文明は発達し、戦いが遠い世界のことになってしまいました。特にこの十年はモンスターの脅威もなくなったことで、人々は戦いへの関心というものをなくしてしまっていました」
そうした平和な時代に育ってきたのが、今勇者候補として選ばれた少年少女たちだった。
誰がどうして勇者候補に選ばれるのか、その詳しい選出方法は未だに判明していないが、必ず二十歳未満の子供が選ばれることだけは、これまでの聖戦を通じて判明していた。
「もちろん、クリフ――ああ、庭で頭を埋めていたわたくしの騎士ですが、彼のように生来、戦いを生業にしてきた者も中にはいます。けれど勇者候補の多くは、勇者候補に選ばれるまで戦いとは無縁の中で生きてきた者がほとんど。……一体あの中にどれだけ、心の底から勇者を目指している者がいるか」
それはわからない。けれど実際問題、勇者になる資格を得た者がいないのは事実だった。
「だから、我々には必要なのです。聖戦の意義を自覚し、本当の戦いを経験し、なおかつ魔王の脅威を知る本物の勇者が!」
レナスロッテはセルンの眼をまっすぐ見ると、身を乗り出して懇願する。
もう一度、先程と同じ言葉を。
「お願いします、セルン様。どうか次の勇者となって、この世界をお救いください」
「よく言った!」
レナスロッテの言葉に対し、セルンが口を開くより先にトアレが立ち上がって答えた。
「レナスロッテと言ったな! 貴様の言うとおりである! 次の勇者はマスターこそがふさわしい! ふふんっ、どこの馬の骨かと思ったが、存外にわかっているではないか!」
うんうんと何度も頷くと、トアレは途端に友好的な態度になってレナスロッテに話しかける。
「そうだ。ゴボウ茶でも飲むか?」
「ゴボウ茶? えと、はい。頂けるのでしたら是非」
「よし。待っていろ! すぐに美味しいのを我が淹れてやるからな!」
「淹れんでいい」
喜び勇んで歓迎しようとするトアレを制止すると、セルンはレナスロッテをにらみ据えた。
「姫さん。はっきり言うぞ。俺は勇者になる気なんてない。帰って他の、もっと勇者になるのにふさわしい奴を探すんだな」
「そんな人はいません。次の勇者にふさわしいのは、セルン様しかいないのです!」
「そうだそうだ!」
「他の者が勇者に選ばれれば、魔王に負けるは必定。それではなんの意味もありません。魔王に勝てるのは、この世界を救えるのは、セルン様だけなのです!」
「その通り! マスター最高!」
「……トアレ、お前ちょっと黙ってろ」
変な合いの手を入れてくるトアレの首ねっこをつかんで黙らせると、セルンは大きく溜息を吐いた。
「さっきも言ったが、買いかぶりすぎだよ。姫さん。俺はそんなすごい人間じゃない。仮に俺が次の勇者に選ばれても、魔王に勝てる保証なんてどこにある?」
セルンはトアレをレナスロッテに突きつける。
「恐らくは付いているだろうから教えておくが、こいつはトアレ。俺の神器だ」
「はい、恐らくはそうであろうと思っていました。人間型の神器など他に例はありませんが、この島にセルン様以外の人間がいるとすれば、それくらいしか考えられませんから」
レナスロッテは興味深そうに、トアレを頭の先からつま先まで観察する。
「守護独立型の神器でしょうか。とびきり希少な神器ですね」
「えへん。もっと我を褒め称えるがよい!」
褒められ、胸を張るトアレ。
「けどこいつはまだ『覚醒位階』じゃない。ただの『解放位階』の神器だ」
神器は大きく分けて、『封印』『解放』『覚醒』と進化を果たしていく。そして勇者に聖別されるには、覚醒位階にまで神器を進化させる必要があった。
「つまり俺も他の勇者候補同様、平和ボケした勇者候補の一人でしかないってことなんだよ」
「……そうだとしても、これから覚醒を果たすかも知れません」
「それは他の勇者候補たちにも言えることだ」
セルンはがーんとショックを受けているトアレを椅子に戻すと、レナスロッテの右手の聖痕に視線をやった。
「それに姫さん、あんたこそどうなんだ? あんたも勇者候補なら、誰かに勇者になって世界を救ってくれなんて頼まずに、自分ががんばって勇者になればいいだろ?」
「わたくしはまだ解放位階で……それに戦闘向きの神器でもありませんし……」
「けど、覚醒すれば変わる可能性は大いにある。本当にあんたがこの世界の行く末を案じているなら、あんたの神器はあんたの魂の叫びに答えてくれるはずだ」
「…………」
「なのに、姫さんは自分では努力せず、俺みたいなやる気のかけらもない他人に縋っている。おかしいだろ?」
レナスロッテは完全に俯いてしまった。
セルンは彼女が今なにを考えているのか、よくわかった。
「自分は勇者になれない、なれるはずがない、そう思ってるんだろ?」
セルンがそう言うと、レナスロッテは顔をあげて目を見開いた。
「ど、どうしてわかったのですか?」
「そりゃわかるさ。俺も同じだからな」
そう、セルンにはレナスロッテの気持ちがよくわかった。
「あんた、俺と十年前に王宮で会ったって言ったな? なら俺の隣にはローリエがいたはずだ。歴代最強にして最高の勇者だったあの人が」
「……はい。存じ上げています。ローリエ様とは個人的に親しくさせていただいていましたから」
「そうか。なら尚更、自分が勇者になれるなんて思えるはずがない。あの人を知って、あの人と接して、その上で自分が勇者になれるなんて言える人間がいるはずがない」
セルンは勇者になる気はない。そして、勇者になれるとも思っていない。
なぜならば――本当の勇者を知っているからだ。
「俺は、勇者にはなれない」
そしてその答えは、目の前のお姫様も同じはずだった。
「……遠いところまで来てもらって悪いが、諦めて帰ってくれ」
これで話は終わりだと、セルンは席を立つ。
トアレが文句を言いたそうにしていたが、それは彼女がローリエを知らないからできる態度だ。ローリエを知っている以上、セルンのその言葉はどう足掻いても覆せない答えとなる。レナスロッテも、セルンを勇者にするのは無理だと否応なく悟ったことだろう。
「待ってください」
けれど、背中を向けたセルンにレナスロッテは声をかけた。
セルンは振り向く。レナスロッテの顔は、まだ諦めていなかった。
「セルン様。たしかに、あなたの言うとおりです。わたくしは自分が勇者になれるとは思っていません。勇者にはなれない……ええ、あなたのお気持ち、誰よりもよくわかりますとも」
「なら」
「ですが、わたくしとあなたは違う。わたくしには無理でも、あなたなら勇者になれる」
「……どうしてそこまで信じられるんだ? 十年前、ほんの少し接点があるだけの相手だろう?」
「ほんの少し、という部分には言いたいことがありますが、概ね間違っていません。十年経ったあなたがどんな人間になっているかはわかりませんでしたし、今もあのときのように輝かしい戦士で在り続けてくれるかも自信はありませんでした」
ですが、とレナスロッテは懐から一通の便せんを取り出した。
「あなたならば大丈夫だと信じた人がいました。そして、わたくしはその人に全幅の信頼を置いているのです。彼女がそう言うのならば、彼女がセルン・ベルクルトこそがと信じたのならば、すべてをあなたに賭ける価値はあると思い、わたくしはここへ来たのです」
彼女――それこそがレナスロッテが本当の意味で信じている相手なのだ。そして恐らくは、その人物がセルンが勇者候補であると見抜いた相手なのだろう。
「これはわたくしが預かっていた、その彼女からあなたへの手紙です。どうぞお受け取りください」
手紙を受け取った瞬間、どくん、とセルンの心臓が高鳴った。
まさかと思いつつも、簡素な白い便せんの裏を見る。そしてもう一度、より大きく心臓が鼓動する。
手紙の裏には差出人の名前が記されていた。
ローリエ・エルジェラント――セルンが決して忘れることのできない、愛しい名前がそこには記されていた。