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第四話  フランキシスの子供たち



 ユーゴ・テンペスターがユーストリアの街にある別邸に戻ってきたのは、まもなく日が完全に暮れようかという夕刻のことだった。


「坊ちゃま。お帰りなさいませ」


 入り口で執事とメイドに出迎えられる。いつもの光景だった。


 しかし、その光景に今日は異物が混ざっている。


「帰ったか、ユーゴ」


「父上」


 エントランスの奥からやってきたのは、ユーゴの義父であるエリオット・テンペスターだった。まだ三十手前の若々しい男だったが、どこか疲れたような眼をしている。


「話がある。ついてきなさい」


「はい」


 ユーゴに対し素っ気ない態度で命令を出すと、エリオットは先に部屋の奥に消えてしまう。


 彼はいつもこうだった。義理とはいえ息子であるエリオットに対し、壁のある態度を取る。


 昔はこうではなかった。


 エリオットは元々はユーゴの年の離れた従兄弟であった。エリオットはテンペスターの本家、ユーゴは分家の生まれだが、幼少期には色々と遊んでもらった記憶があった。


 だがエリオットは勇者候補となり、ローリエに勇者の座を奪われてしまったあの日を境に変わってしまった。それまであった自信を失い、当主の座を継いでからも、先代の老人たちの指示に唯々諾々と従うだけの操り人形に成りはてた。


 妻もまだ娶っていないというのに、ユーゴが新しく勇者候補に選ばれた時点で養子としたのも、彼ではなく先代たちの意志だった。今日も恐らく、先代たちの使い走りとしてやってきたのだろう。


 実際、エリオットの用件はそうだった。


 勇者選抜のこと。序列一位を取れていない叱責。そういったものだ。


「皇帝陛下もお前が勇者になることを期待している。聖戦後の世界の舵取りは、勇者を輩出した国が握ることになるだろう。万が一にでも、目下最大のライバル国であるレムルス王国から勇者を出させるわけにはいかない」


 レムルス王国は古くから栄えてきた大国。そしてユーゴの属する帝国は、比較的新しい国家だ。


 帝国の勢力拡大の背景には、テンペスターの功績が大きい。勇者として世界に勝利をもたらしたテンペスターがいるということで権威が拡大した結果、多くの小国を吸収・併呑することができた。今や国の規模ではレムルス王国にもひけをとらない。


 だが現皇帝はそれで満足してはいなかった。昔からの悲願であるレムルス王国の上に立つことを夢見て、こうしてことあるごとにユーゴにプレッシャーをかけていた。


「わかっています。祖国を繁栄させるためにも、私は必ず勇者になります」


 それにユーゴは決まってそう答えていた。


 ユーゴに領土拡大の野望はない。そもそも、政治に対してそこまで興味はなかったが、ユーゴにとって自分が勇者になるのは確定事項だ。聖戦のあと、その立場をどう使おうとご自由にという感じだった。


 ユーゴからすれば、たとえ自分が勇者になろうと、あのレナスロッテが現国王に代わって代頭してくるであろうレムルス王国を上回れるかは疑問だったが、そこは皇帝の政治的手腕に期待するとしよう。


「話は以上でしょうか? それなら私は、まだやらないといけない仕事がありますので、そちらに戻らせていただきたいのですが」


「……ユーゴよ」


 一通り先代たちからの言伝を聞いたあと、ユーゴは席を立とうとしたが、今日は珍しくエリオットに呼び止められる。


「来週、先代勇者の仲間だったセルン・ベルクルトと決闘を行うと聞いたが、大丈夫なのか?」


「と言いますと?」


「相手はあのローリエ・エルジェラントが右腕として使っていた相手だ。いくらお前とはいえ、厳しい戦いになるだろうと思ってな」


「父上はセルンに詳ついてしいので?」


「いや、私はさほど。だがあのローリエ・エルジェラントが重宝していたくらいだ。彼女とまではいかないが、十二分に化け物の可能性はある。ましてや、そのあとにアレと戦うというのは、いくらなんでも無茶が過ぎるのではないのか?」


「どうやら、私は父上に心配されているようですね。ですがご安心ください。セルンも、彼女も、私が倒してみせます。ローリエは私が超えてみせますよ」


「……それは、お前があの化け物を知らないから言えることなのだ」


 エリオットは額に手をあてると、かすかに肩を震わせた。


「私だって弱かったわけではない。だが、それでもローリエには勝てなかった。あれはあまりにも強すぎた。なにせ覚醒神器を使った私に、解放神器すら使わずに勝ったような化け物なのだからな」


「父上。落ち着いてください。ここにローリエ・エルジェラントはいません」


「ああ、そうだ。そうだな。あれは死んだ。信じがたいことだが、死んだのだ」


 気を落ち着けるよう何度か深呼吸をしたあと、顔をあげる。


「ユーゴ。お前には、私のようにはなって欲しくない。いつまでもその自信をもったまま、上に登り続けていって欲しい」


「なにを。当然のことです。それは私が生まれたときには約束されていたことです」


 揺るぎない自負をもって、ユーゴは答える。


 その言葉を聞いて、エリオットはどこか憐憫の眼差しを息子に向けた。昔の自分そっくりだと、そう思った。


 だからこそ……もしも彼が決定的な敗北を味わったときどうなるか、わかってしまった。


「……決闘当日は私も見にこよう。お前の勝利を自分の目で見届けることにする」


「わかりました。特等席を用意しておきましょう」


「ああ」


 エリオットが立ち上がる。それにユーゴは続こうとしたが、エリオットに止められてしまった。


「お前は忙しいのだろう? 見送りはいい」


 そう言って、エリオットはそそくさと屋敷を後にしてしまった。


 ユーゴはせめて窓に寄り、そこから父親を見送ることにした。


 玄関前に止められた馬車に乗り込もうとするエリオット。その傍らに、ユーゴの知らない男が立っていた。本邸で新しく雇われた人間だろうか? それにしては、エリオットと馴れ馴れしく話しているようだが……。


 ユーゴが訝しげに見下ろしていると、その視線に気付いたのか、男が顔をあげた。


 彼はユーゴを見ると、くしゃりと笑った。だがその眼だけは笑っていない。自分を見下ろすユーゴに対し、偏執狂めいた怒りを瞳の奥に燃やしている。


 その印象的な瞳を、ユーゴはどこかで見た覚えがあった。あれはたしか、なにかの手配書だったような……。


「ふむ。少し調べておいた方がいいか」


 あれでも父親は父親だ。悪人に騙されているというのなら、助けてやらねばならないだろう。


 この忙しい時期に仕事を増やされたことに嘆息しながらも、ユーゴは馬車が見えなくまるで、その場で律儀に見送り続けるのだった。







「ご子息の調子はいかがでしたか? テンペスター卿」


 馬車の中、エリオットは同席していた禿頭の男に尋ねられる。


「相変わらずの様子だった。自分が負けるなどとは欠片も思っていないらしい」


「よいことではないですか。神器は魂の強さ、即ちどれだけ狂的に自分自身を信じられるかです。ご子息の想いの強さは、覚醒にも繋がりましょう」


「そうだな。あれは覚醒に至る器だ」


「不安が晴れないご様子だ。まだ聞いていませんでしたが、それほど対戦する相手は強いので?」


「ああ。ローリエの仲間だったセルン・ベルクルトだ」


「セルン・ベルクルト……」


 その名前を聞いて、男は眼を見開く。


「そう、ですか。セルン。彼が勇者候補になっていたのですか」


「知り合いなのか?」


「ええ、まあ。……なるほど。彼が相手では、ご子息でも絶対に負けない、とは言い切れませんな」


「ましてや、そのあとにアレとも戦うという」


「それはそれは、いささか無謀というものですな」


「貴公もそう思われるか?」


「ええ。神器の覚醒をして、戦いは五分と五分といったところでしょうか。もちろん、彼女が神器の覚醒をしていないことが前提となりますがね」


「……やはり、そちらとの戦いは止めた方がよさそうだな」


「それがよろしいかと」


「しかし、あれは私が言っても聞かないだろう。なにかいい案がないものか」


「テンペスター卿。私に任せてもらえませんか?」


 そう言って、禿頭の男は笑みを浮かべた。


「このバルザック・フランキシス。テンペスター卿に拾ってもらった恩を返すため、少しでもお役に立ちたく思います」


「おお、そうか! 頼りにしているぞ、フランキシス卿!」


「お任せあれ」


 慇懃に頭を下げた前フランキシス男爵は、伏せた顔に歪んだ笑みを浮かべた。それは貴族社会の闇を生き抜いてきた者特有の、暗い笑みだった。


(なんという絶好の好機だ。私の子供たちがこんなにもたくさんいる。憎たらしい子供どもが)


 先代勇者を使って自分を追い落とした、セルン・ベルクルト。

 自分の積み上げたものを奪い取り、成り代わった、ゼノ・フランキシス。


 そして最高傑作にして、最大の失敗作であるあの女……。


(今こそ、復讐を果たすとき! 最も憎きローリエは死んだが、儂からすべてを奪った貴様らに目に物を見せてくれる……!)







 狭く真っ暗な部屋の中、その少女は閉じていた瞳を開いた。


「……耳障りな声」


 身体を起こし、両手で耳を塞ぐ。


 誰かはわからない。誰かは思い出せない。けれど今、どこかで聞いた誰かの声がした。この閉じられた部屋に誰も入ることはできないけれど、それでも彼女には聞こえたのだ。


 聞こえて、しまったのだ。


「……人の、悪意を感じる」


 彼女は耳がいい。眼がいい。鼻もいい。加えて、勘もいい。だからわかってしまうのだ。どうしてそうなのかは説明できないけれど、わかってしまうものはわかってしまうのだ。


 誰かが邪悪な企てをしている。

 そしてその矛先は、どうやら自分にも向けられているらしかった。


「お姫様に伝えておいた方がいいかな? でもお姫様、私が話しかけるとすごく怖い眼で見てくる。けど言わないとそれはそれで怒るし」


 どちらにせよ怒られるのなら黙っていよう。


 そう思って、彼女は寝台に身体をなげうつ。ふんわりと柔らかなクッションとシーツが裸身を包み込み、そのくすぐったさにかすかに唇を綻ばせた。


「ずっとこうしていたい。外になんて出たくない」


 ごろごろとベッドの上で寝転がりながら、彼女は心からの願いを口にする。


 けどそれは無理な相談だった。来週には一度、ここから出て戦わないといけないらしい。そうしないと、ユーゴが無理矢理叩き出そうとしてくるだろう。それは大変面倒くさいので、それなら自分の意志で出て行った方が建設的というものだろう。


 そして戦いに勝っても、ここには戻ってこられない。その予感がある。


 先程の邪悪な意志の持ち主とは別の誰かの意志が蠢いているのがわかる。


 強く、強い、怒りの意志。すべてを燃やし尽くす赫怒の瞳が、じっとこの世界を見つめている。


 よくよく感じ取ってみると、それ以外にもこちらの世界を狙っている者はいた。それはなんとも名状しがたいもの。おぞましい風を巻き上げながら、虎視眈々と生命あふれるこの世界への扉を開けようと、その翼をはためかせている。


 つまるところ――ああ、この世界は脅威に晒されているのだ。


 そういった者たちからこの世界を守るのが勇者の役目なれば、彼女はそれらと戦わなければならないだろう。


 それが少女の使命であり、生まれた意義なのだから。


「……ああ、この呪いを見るたびに、思わずにはいられない」


 少女は右手を天井に向かってかざすと、その甲に刻まれた聖痕を見て、その頬を涙で濡らした。


「神様、神様、ああ、神様。どうして私を選んだの? こんな世界なんて早く滅びてしまえばいいのにって、そう本気で思っているのに」


 聖痕はなにも答えない。

 彼女に神器を与えた者はなにも答えない。


 そうとわかっていながらも、少女は嘆くように、呪うように、誰かに向かって言の葉をつむいだ。


「そう、こんな残酷な世界なんて早く滅びてしまえばいい……ねえ、あなたもそう思うでしょ? 私のセルン」


 どこまでも冷めた心でこの世界に絶望しながらも。

 その瞳と髪は、燃えさかる炎のような紅の輝きを放っていた。


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