第一話 宿命との再会
聖戦――それは世界の命運をかけた勇者と魔王の殺し合いだ。
選ばれた百名の勇者候補の中から、さらに聖別された勇者が、異世界より襲来してくる魔王と対決する。勝てば向こう百年世界は栄え、負ければ百年の間、数多の滅びに蹂躙されることになる。
以上が、この世界の住人ならば誰もが知っている常識である。
それを十年ぶりに、改めてセルン・ベルクルトが思い出したのは、畑での作業が一段落し、つけていた軍手を外した瞬間のことだった。
一体いつからそこにあったのか、気が付けば右手の甲に見慣れぬ痣が刻み込まれていた。淡い輝きを零す白い紋章の正体を、白の世界の住人ならば決して見間違えることはない。
「……聖痕だよな、これ。勇者候補に選ばれた証の」
中天に輝く太陽に手をかざし、セルンは表情を強ばらせる。
「おいおい。俺が勇者候補に選ばれるとか……ありえないだろ」
『――否、あなたこそが次の勇者である!』
「っ!?」
セルンの独り言に答える声があった。
鈴の鳴るような声が、脳内に直接響きわたる。
セルンは声の主を捜して周囲を見回すが、どこにも人の姿は見つけられない。
「誰だ? どこから話しかけている?」
『誰? 誰だと聞いたか? つまりこの我を呼んだのだな、マスター!』
産声を思わせる歓喜の声。同時に、セルンの右手の聖痕が眩い輝きを発する。
光がおさまったとき、セルンの目の前には一人の少女が立っていた。
年齢は十に届くか届かないかという頃。長い髪は汚れのない白で、肌も透き通るように白い。服装も白を基調とした美しいドレスと、妖しいほどに整っている容姿も相まって、さながら雪の妖精のような純白の美少女だった。
「はじめまして、マイマスター」
少女はドレスの裾をつまみ上げて優雅にお辞儀をすると、その生命の輝きに満ちあふれた深緑の瞳をまっすぐセルンに向ける。
「我は白の神器。最強で最高の、あなたの神器である!」
「神器? お前があの?」
神器とは勇者候補に与えられる強力な武器だ。持ち主の成長に併せて進化し、唯一無二の力を与える。聖痕と並び、勇者を勇者たらしめる象徴とされていた。
「ふっふっふ、驚くのも無理はない。しかし、あなたの魂が我という至高の神器をここに誕生させたのは紛う事なき事実。それ即ち、次の勇者はあなたに決まったも同然ということだ。マスター」
「…………」
自信満々に笑う少女の宣言を聞いて、セルンは静かに考え込む。
どう見ても普通の人間の女の子にしか見えないが、彼女の言っていることは本当だろう。神器は持ち主によって様々な形、能力を得る。完全な意思を持つ人型の神器など聞いたこともないが、可能性としてはあり得る話だ。自分と彼女の間に繋がりのようなものも感じる。
「本当に、俺は百人の勇者候補の一人に選ばれたんだな?」
「そうだ!」
「本当に、お前が俺に与えられた神器なんだな?」
「そうだ! 我はあなたの物である!」
「……ああくそっ」
事実を事実として受け止めると、セルンは一度なにかを思い出すように空を見上げ、万感の想いを込めてつぶやきをもらした。
「本当に、またあの聖戦が始まったのか……」
「ああ、共に戦おう。他の有象無象の勇者候補たちを叩きのめし、魔王に我らの力を見せつけてやろうではないか!」
無邪気に笑う神器の少女を見つめ、セルンは大きく溜息を吐くと、それから手を差し伸べた。
「選ばれてしまったものはしょうがない。俺の名前はセルン・ベルクルト。これからよろしくな」
「こちらこそ、マスター! 我が真名は――」
握手を求められたと思い、少女も名乗ろうとしながら右手を差し出す。
しかしセルンはその小さな手をとることなく、代わりに自分の持っていた道具を握らせた。
少女は唐突に渡されたそれを見て、可愛らしく小首をかしげる。
「……マスター。これは?」
「それは鍬って言ってな、農具の一種で」
「それくらいは見ればわかる! なぜこれを我に渡したのかを問うているのだ!」
「それはもちろん――」
セルンは周囲に広がる畑を手で指し示して、
「――畑を耕すためさ」
「はた、け?」
「ああ。俺は家から苗を持ってくるから、お前はここからあそこまでを耕しておいてくれ」
「な、なぜ我がそのようなことを!?」
少女は理解できないと言った顔で、主と鍬を交互に見やる。
「我は神器、勇者の武器だ! 戦うための道具なのだぞ!?」
「……俺、前々から思ってたんだ。神器がただ戦うためだけの道具であるのは悲しいな、って。他にもっと平和のために有効活用できるんじゃないかってさ」
セルンは真剣な顔で少女の肩に手を置いた。
「だからさ――耕そうぜ」
「意味がわからないのだが!?」
「いいから口じゃなくて手を動かせ。明日は雨が降りそうだから、今日中に全部植えておきたいんだ。できるまでご飯の準備はしてやらないからな。働かざる者喰うべからずだ」
「いや、あの、マスターは勇者候補で、畑を耕すよりもやるべきことがあると思うのだが」
「たとえば?」
「たとえば……そうだ! モンスターを狩ったりするべきではないか?」
「生憎と、モンスターは十年前に絶滅してるぞ」
「そうなのか!? で、であれば、困っている人を探して助けたりとか……?」
「ここ、島。暮らしてるの、俺だけ。困ってる人、いない」
「なぜそのような言い方を……ん? ここは島なのか?」
「そうだ。絶海の孤島だよ。つまりは生きていくには畑を耕し、魚を釣って、自給自足しなければならないわけだ」
少女を納得させるように肩をもう一度叩くと、セルンは自分の被っていた麦わら帽子を、彼女の頭に被せてやる。
「わかったら働け。勇者的活動をするより先に、ここで生き抜くことを考えろ」
それから新しい島の住人に向かって、選ばれた勇者候補は歓迎の言葉を贈る。
「ようこそ、罪人の流れ着く果ての果て。忘れ去られた監獄島へ。――大丈夫。世界はきっと、俺以外の勇者候補が救ってくれるさ」