出会い・裏切り・そして真実へ
楓太は目の前の礼央に対して、湧いてくる疑念をどう隠せばいいのか焦っていた。
――どうしよう、犯人じゃなくてもこの男は……礼央は絶対に何かを知っている筈だ。そもそも人間なのかもわからなくなってきた
そんな楓太の心の変化に気が付いたのか、気が付かないのか急に礼央が振り返り話しかけてくる。
「何?どうしたの?急に静かになっちゃって」その声は明るいのだけれど抑揚が無い。笑顔も声もぺったりと颯太の体にまとわりつくようだ。
油断は出来ないが、こちらの心も絶対にばれないようにしなければならない。楓太は出来る限り自然に、わざと軽薄な雰囲気で、あたりさわりのない話を始めた。
「いや、何か異常に疲れちゃってさぁ。初めての事ばかりだし帰りたいし、そもそも俺の仲間はどこに行ったんだろって心配だしさ」
「あーそうだよね、疲れちゃうよね。早く帰ってゆっくりしたいし遊びてぇよ」
「うん、礼央は帰ったらどこ行きたい?俺は最近遊んでないからな」会話を続けながら楓太は目の前の礼央の影を確認したくて日の当たる道を選んで歩く。
だが、礼央は上手く太陽を避けて歩くのだ。陽の当たる道を選んで歩いたとしても、それが露骨過ぎたら楓太の思惑がばれてしまう。それこそ礼央が妖だっら?袋を取ったやつだったら?何が起きるかわからない。
楓太はの腕時計は2時を少し過ぎたことを示していた、こちらの時間の進み方では急がなければもうすぐ夕方になってしまう、礼央の影を見ることも出来なくなる。
この状況をとにかく打破しなければならない。蒼達と合流したい、楓太の心に焦りと不安がよぎる。
「な、楓太!お前会いたい人いるか?帰ったら誰に1番会いたい?」不意に掛けられた礼央の一言で不安は希望へと変わるのを感じた。
何故ならば楓太には会いたい人がいる、帰りたい場所がある。あの時と同だ、あの思い出に取り込まれてしまいそうになったときに学んだこと、感じたこと。
――俺は【おもいでや】に帰る、ユイさんに会うんだ、オーナーにも!
思い出せば思い出すほどに自信が戻ってくる。大丈夫、全て上手くいく……
「いるよ、会いたい人も帰りたい場所もさ」礼央に落ち着いて答えた、そしてそれは自分に言い聞かせてもいたのだった。
「へー会いたい人いるんだ、何?女?やっぱ彼女なの?楓太って確かにカッコいいもんな、モテんじゃね?お前」礼央は笑う。
「彼女とかじゃないって」礼央が茶化して言っているのはわかっていても、少し照れる。
「彼女じゃないって、嘘ばっか言ってんじぇねーよ、こんな所でいい年の俺たちが迷子なんだぜ、そんな時に会いたいって浮かぶなんて、彼女じゃなかったとしてもお前は好きなんじゃね?」
「いや、好きって言うか嫌いじゃないけど、なんか道しるべの様な人なんだ。いつも明るくて自分勝手な話ばっかなのにそうじゃなくて……黙ってたら綺麗なのにおかしくて」思い出して笑ってしまう。
「ほら、好きなんじゃねぇか」今までの礼央から感じたことのない、本気の声が聞こえた気がして俺はハッとした――
「礼央は?それこそ会いたい人いるんじゃないの?カッコいいし彼女だっているんだろ?」
返事が無い――しばらくして礼央が話し始めた。
「彼女ねぇ……でもこれと言って、この人ってのは颯太みたいにいないのかもしれないな」
「なんで、彼女じゃなかったら家族とか」
「ふふっ、楓太は家族にも会いたいの?」乾いた笑い、礼央から寂しさと冷たさを感じる。
「そりゃ、家族にだって会いたいよ、ここから出れなくて帰れなかったら家族は悲しむと思うし、俺も寂しいよ」
「やっぱりな……会った時からわかってたさ。楓太は大切に育てられてるって、楓太を本気で心配してくれる家族や仲間がいるんだろうなって」
「礼央、何言ってるんだよ。お前だって友達と毎週遊んでいる、早く帰りたいって言ってたじゃないか――」
「俺の言う友達は、お前の言う【友達】や【家族】なんかじゃねぇ」礼央の声が響いた。
「どう……言う……こと?」憤る中に虚しさが混じる礼央になんて声をかけていいのかわからない。
礼央の肩が上下に動いている、泣いているのか――影になり顔を下に向けているのでわからない。ただ、俺の胸がきゅっとなった。しばらくの沈黙の後に礼央の方から話してきた。
「ごめんな、急に」
「いや、もし礼央の気を悪くさせたんなら俺は謝らなきゃ」
「悪くなんかしてねぇよ、ホントそこが楓太の優しい所っつーか育ちのいい所なんだろうな」声がいつもの礼央に戻ってきた。
「俺は、お前みたいに心から会いたい人や、心から何かしたいって思う経験がないんだ、上手く言えないけどな。家族は4人家族だった、貧乏なわけじゃないけど裕福でもなかったな。両親は共稼ぎでいつも忙しく夫婦喧嘩ばかりさ。適当に勉強だけしておけば何も言わないようなやつらだった」
「4人てことは兄弟姉妹の誰かがいたんだろ?」と聞き返す。
「あぁ、兄貴がな……俺と違って勉強も出来て、弟の俺の世話もして。共働きの親には最高の息子だったんじゃねぇかな。大学だって無理することなく有名校に合格してたからな自慢だったろうと思う。俺も兄貴は大好きだった、勉強も遊びも一緒にしてくれて俺にも自慢の兄貴だった」
「じゃあ、お兄さんが心配してるんじゃ――」
「兄貴はもういない」礼央が小さな子の様に呟く。
「つっ――あ、ごめん」
「いいんだ、楓太。兄貴は死んだよ、俺が高校卒業する前に……大学のクラブの仲間と食事の帰りに、変なやつらに絡まれて殴られたらしいんだけど、当たったところが悪かった。1か月くらい昏睡状態が続き死んだんだ」俺は何も返事が出来ない、楓太はまだ身内も健在で人の死に目に会ったことが無いのだから。
「そこから俺の家は家じゃなくなった。共働きで喧嘩の多かった両親の仲はますます険悪で聞きたくもない話ばかり聞こえた……そんな時はいつもなら兄貴が間に入っていたし俺に嫌な話を俺に聞かせないようにしていたんだなってわかった。でも、それよりもっと耐えられないことが待っていたんだ」
礼央の声は少し震えながら自虐的な笑みを浮かべていた。
「あいつら、兄貴が死んで半年しかたってないのに全て無かったかのように生活しやがるんだ。兄貴を失った事は辛いし、俺にも早く忘れさせようとしているのかもしれないけれど、あの兄貴を忘れろって?そんなの俺も両親も無理に決まっている。」礼央は一度話を止めて、深く息を吐き出し続けた。
「俺は、辛さを分かち合いたかった……話をしたくても一切触れることが出来なくなったんだ。そんなの兄貴が可愛そうすぎるだろ?思い出は?残してくれたものは?ここで辛いからって無いものにしたら兄貴ってなんだったんだ?家族って?生きるって?」
俺はそれを聞いても何も答えられない、黙って礼央を見つめていた。
「最初は俺も、バカみたいに熱く語ったさ。皆で乗り越えよう、辛いのは母さん達だけじゃないってさ。でもどうにも届かない事を知ったんだ。壊れちまってたんだよ家族の心も全て。求めても答えが無く、求められる事も無いんだ。なぁ、楓太つながりの中の孤独ほど孤独なものはない……」
やはり俺は何も言えない――何を言っても嘘っぽく同情に聞こえるのが嫌だったからだ。
「それから俺は変わったんだ、人の付き合会いの加減がわからなくなった……血がつながっているってなんなんだ?恋人って?友人って?仲良くしていても、愛しているなんて言っても死んだら忘れちまうんだろう?だったら俺も今だけでいいって……」黙る俺に礼央は続ける。
「人とのつながりも先の約束も、あんなのは都合のいい嘘さ。その時だけ楽しければいい、だから俺には心から会いたいやつも、帰りたい場所もないんだ」先程まで見ていた自信のある礼央とは思えない、怯えた目をしている男が楓太の前に座っていた。
俺はそんな礼央を見て【おもいでや】を思い出していた――思い出を売りに来るお客の事を。
「ちぇっ、俺ってバカじゃね?何マジで楓太に話してんだ、はははっ」礼央が急にいつもの調子に戻った。
「俺、礼央の事を昔から知っている訳じゃないから(わかる)なんて言えないよ。適当な事なんて言いたくないしさ。でも、礼央が求めればいつか会いたい人って現れると思うよ。っていうか会えたらいいよな……ごめん、俺さ口下手だから」
そんな楓太の返事を予想していなかったのか、チャラけていた礼央が不思議そうな顔をした。
「ば、バカか!何お前マジで返事してんだよ。そんなことがあっただけ、もう俺はいいんだ、大丈夫だよ。ほら、ちゃちゃっと帰り道探そうぜ。あっ楓太、焼き肉食べたくね?帰ったらさ食いに行こう」そう言って先に歩き始めた。
「う、うん。焼き肉行こう、その為にも早く帰りたいし仲間と合流しなきゃ」俺も礼央の後ろに続いた。後ろに続く颯太を背中に感じながら礼央は呟いた。
――楓太、お前は良いやつなんだな。お前じゃなかったら良かったのに。
礼央とあれからどのくらい歩いただろう、随分と色々な空間を抜けた気がする。
さすがに気持ちは緊張しているからか変なテンションのままだ。ただ、ずっと歩いている足は疲れた感を否めない。楓太は空を見上げた、太陽が傾いてきてる。さり気なく腕時計を見ると1時45分くらいだ、こちらの世界は大体夕方の5時。
やばいなぁ、タイムリミットが迫ってくる――焦る気持ちで楓太の胃がキュッと締まる。
「なぁ、楓太。お前の探してる仲間ってどんな関係なの?俺しっかり聞いてなかったよなぁ?」
振り返らずに礼央が言う。
「あぁ、えっと……なんて言うのかな、仕事先の知り合いなんだよ。世話になっている人と知り合いの子供なんだ。困ったなぁ暗くなってきたし」
「ふーん、向こうも探してるだろうな……」
「うん……」
「それよりさぁ何でそんなに時計ばっかり見るんだよ、楓太――」今までにない礼央の声にゾクリとした。
「え?あの、いや、ほら時間と空の暗さが合わないから俺の時計壊れちゃったのかと思ってさ、ははは……」必死で誤魔化す。
「ふーん」答える礼央は前方を見ているのに、俺の全身を舐め回し見透かしている様だった。
緊張が走る中、楓太は賭けに出た。これ以上時間を無駄に出来ない、蒼や風は妖だ、俺の様にタイムリミットが無い。こっちで迷ったとしても風には蒼がいる、絶対に風を送り届けてくれるはずだ。問題は俺だ、妖になんてなっていられない。ヘタをして蒼達やオーナー達に迷惑もかけれない。
「礼央――」俺は礼央の背中に声をかける。
「……何?どうした?」
「礼央はここがどんな所か本当は知ってるんじゃないか?」
颯太は自分の立場がばれるギリギリのラインで礼央に質問をする。
「何いきなり変なこと聞いてくるんだよ、普通の世界じゃないのは知ってるさ、会った時に言ったろ、仲間と遊びに来てはぐれたって」
「うん、聞いたけど礼央はいつからはぐれたか教えてくれてないよね」
「だから、何?いつからとか別にいいじゃん、関係あんの?さっきから何だよ」少しイラつく様子で礼央が振り返った。
その瞬間、礼央の影が見えた――俺とのやり取りで注意力が落ちたのか、ほんの一瞬だけれども夕陽の当たる場所に礼央が出たのだった。礼央は気づかず俺の方を見ながら歩いてる。
妖だ――やはり礼央は妖なのか……俺が見た礼央の影はまるで蛇のように長くなっていた。
「俺さ、礼央にまだ全部言ってないんだ。仲間と神社に来ていてはぐれて迷ったって言ってただろ、確かに迷っていたんだけど、ここがどんな所か知ってて来たんだよ」
「ここがどんな場所か知ってて来たって?」静かに礼央が繰り返す。
礼央の反応に1つ1つ緊張し、汗でシャツがまとわりつくようだ。
「マジで?楓太ここがどこかわかってんの?すげぇじゃん、どこなんだよ教えてくれよ」そう答える礼央の言葉は、急にさっきとは別のものに変わった。
たまに礼央から感じるねっとりと俺の体に絡まるような言葉ではない、初めて会った時のように軽くチャラい。
駄目だ、礼央のペースに引っ張られたらいけない―ー
礼央の影は妖だった、まだ味方なのか俺たちをこちらの世界に呼び寄せた妖なのかわからない。俺は必死で自分を取り戻し続ける。
「ここは、妖達の世界なんだ。俺達の世界に似ているけど違うんだよ」
「あやかし??アニメみたいじゃん、楓太マジで言ってんの?」礼央が大声で笑う。
「本当さ、礼央だって歩いていて気が付いているだろう?なんでこんなに空間が変わるんだよ、明らかにおかしな空間だろ?」
「確かにな、俺だって普通だとは思ってないさ。変なやつらに追いかけられたし迷って元の場所にさえ戻れないしな、だからってなんでこんな所に楓太はわざわざ来たんだよ」
「探し物さ」俺は答える。
「探し物?」聞き返す礼央の言葉には抑揚も感情もない。
「ああ、俺の働いている所で使っている袋。この袋を使って仕事をしているんだけど、お客さんが店に来る前にここで無くしたらしくて探しに来たんだよ」俺は礼央に鎌をかけた……
頼む!礼央答えないで――俺は心から願った。
「なんだ、早く言えばよかったのに。それなら余計に早く仲間も探して帰ろうぜ――」礼央の答えにほっとしたはずだった。
「なぁ、楓太。青い袋って騙し取られたって言うのは本当なのか?誰が取ったかもうわかってんの?」
礼央が人懐っこい笑顔で俺に肩を組んできた。俺は進もうとする礼央に付いて行くことができない。
「なんだよ、楓太早く行こうぜ」礼央がせかす。
「駄目だよ、礼央」
「は?何が駄目なんだよ急いでるんだろ?早く――」
「礼央……俺は袋が青色だなんて今まで一言も言ってないんだよ」礼央が全て言い終わる前に俺は言った。
「え?楓太疲れてんじゃね?さっき青い袋って言ってたって」強引に俺を礼央が引っ張る。
「言ってないよ!これだけは絶対に言ってない!何故なら俺は意識して話をしたんだから」堪らない嫌な時間が流れた。
「楓太、俺に鎌かけたんだ――やっぱ、お前も皆と同じなのか」礼央が怒りよりも絶望に近い目で見つめる。
「皆と同じ?礼央、何を言ってるんだよ、袋の事を知っているんだろ?知ってて黙っていたんだろ?」礼央の言っている意味が分からず俺も聞き返す。
「いつも人は疑って、いつも人は騙して、いつも人は去っていくんだ」礼央が叫ぶ。
「礼央……落ち着いて、何を言っているんだ!」礼央が妖だろうと、どうであろうと礼央が何かを知ってるのは確かだ、俺は必死で礼央に話しかける。
「楓太の言う通りさ……袋を騙し取ったのは俺さ、あのガキに話しかけて取ったのさ。簡単だったぜ、少し優しいこと話してやったらすぐ信用しやがった」礼央は語り続ける。
「何で?袋だけ騙し取っても何にもならないよ」
「そうさ、何にもならない。俺には何の価値も無い」そういい礼央はその場から動かない。
すでに太陽は沈んでいる。月の光を背に礼央の姿が見える。語り続ける礼央の頬には涙の筋が見えるようだ。
「俺の目的は楓太、お前なんだよ!」礼央はそう言い、颯太の目の前に立ちふさがった。
「俺?俺が目的?どういう事なんだ」礼央のいう事がわからない。
「俺は元の世界に帰りたい、どんだけこっちにいると思う?会いたいやつなんていなくてもいいんだ。こんなおかしな世界にいるのなんて耐えられない、だんだん体が変わっていくのがわかるんだ。俺は人間なんだ、住む家も無く金も無い遊ぶやつもいない。心も何かに支配されていくようなんだ。俺が俺でなくなるのがわかるんだ」
「だからって何で俺が?」楓太が聞くと、礼央は再びふ~っと深く息を吐き答えた。
「俺の身代わりがいるからだ」落ち着いて礼央が答える。
「身代わり……?」嫌な予感がする。
緊張し警戒する俺のことをどう思っているのか……礼央は一人で話し続ける。
「俺がこっちに来てどのくらいたった頃かな、俺の前に男が1人現れて言ったんだ」
――元の世界に帰りたいか?
「俺は帰りたい!どうしたらいい?必死でその男に聞いたさ。その男が誰でもいい、妖だろうと何だろうと……嘘でも構わない、もう耐えられなかったんだ。その男は俺に身代わりを用意したら帰れるって教えてくれたんだ」
礼央の言う男って……いったい誰なんだ、妖か?
「でも、礼央!だからって何で俺なんだよ」
「俺だって、初めから楓太だって決めていたわけじゃないさ、身代わりさえいればいいんだからな。その男が言うには自分の年に似た人間が必要だって言ったんだ。その話を聞いてから俺はチャンスを待った、でも迷い込むやつはガキばっかで、俺に似た年のやつなんてなかなか来ない。」一人で過ごす時間を思い出しているかのようだ。
「俺は毎日イラついてたさ、当然だろ?帰れるかもしれない方法を聞いちまったんだからな」礼央は興奮し自分に酔っているようだ
怖い・・・・・・俺を見つめて礼央は続ける。
「身代わりを探して毎日のように森や町を歩き回った、半ばそれさえも諦めかけていた頃、またあの男が現れたんだ!俺は似た年齢のやつなんて来ない、ガキばっかりだって」
「それをその男に言ったらどうなったの?」俺は怖くて仕方がないが礼央に尋ねた。
「あぁ、その男は丁寧に教えてくれたさ。妖が人間のやつと商売をしているってな。その店は【おもいでや】って言って人の思い出の売り買いをしているってことも。だから、そこに行く妖を使って人間をおびき寄せば簡単だろうって、ははは。凄い簡単だろ?探さなくても向こうから来てくれるんだぜ」
「それにしても、どの妖が【おもいでや】に行くのか、よくわかったね」俺はつとめて落ち着いて聞き返した。
「あの男が丁寧に教えてくれたって言っただろう?妖がよく使うルートも、楓太!お前が探しに来たあの青い袋の事もな。いい目印になったぜ」
「身代わりって……どうするんだよ、礼央」自分で自分の唾を飲み込む音が聞こえる。
「聞かない方がいいんじゃないかなぁ楓太、お前怖がりだろ?ははは――」礼央が笑う。声高に笑い続ける、だが目は笑っていない。
「まぁ、聞きたいなら教えてやるよ。身代わりになるには、お前は死んでもらわなくちゃならない。何故かって?俺はお前の心臓を食うのさ、身代わりのやつの心臓を食う事それが条件だ。食う事によって俺はお前になるんだ」
「心臓を食う……それで入れ替わるって――」ドクドクと自分の心臓が早くなる。
「そ、本当は出会ってすぐ食っちまっても良かったんだけど、久々に年の近い人間と話せて楽しくてさぁ。それならもう少し遊んでから食おうってな……で、お前と入れ替わってから、お前らの仲間と合流してあっちの世界に帰った方が楽かな~ってな。ははは、はははは……」
俺は、恐怖と悲しさで体が芯から震え始めた。
「なんだよ……楓太、やっぱ聞かなかった方が良かったんじゃね?震えてるぜ?お前が変なこと言わなかったら気づく間も無いうちに殺してやったのに。バカだよなぁ、ってかさ楓太、お前いつから俺の事を疑ってた?」
「最初からだよ!」俺は声を絞り出して叫んだ。
「マジで?最初から?へぇ……お前ボケッとしてそうなのにな。やるじゃん、へへへ」礼央の話しぶりと態度がどんどん冷たく変わっていくようだ。
「俺は目的があってここに来ているんだ。ここがどんな所かも一応知ってたんだから警戒するに決まってるだろ。」
「へへ、そりゃそうだ。でも、それなら何故今まで着いてきた?」礼央がこちらに1歩近づいてきた。
「警戒はしていても、礼央は本当に神隠しで迷ったやつと言う可能性もあるって思ってた、それなら本当に一緒に連れて帰りたいって……」
「じゃぁ、俺が妖だったら?」
「もし、礼央が妖なら何故【おもいでや】の袋を盗んだのか?何故【おもいでや】の人間を連れて来いって言われたのか追及したかったからだよ」俺は必死に冷静に答えた。
「理由はもう言っただろ楓太……俺はお前と入れ替わるんだ。あの男がそうすれば、俺は元の世界に帰れるって教えてくれたんだ!」
「あの男って誰だよ!」俺は震える体を抑えて聞き返す。
「知らねぇよ、どーだっていいだろう」焦りと怒りで礼央の顔つきまでもが変わってきているようだ、もう影も見えにくくなってきた。
「そんな……そんな知らない男の言う事が本当かどうかなんて、わからないじゃないか!その男に何のメリットがあるんだよ!」俺は後ずさりをしながら礼央に問う。
「何度も言わせるなよ、知らねぇよ!メリットもクソも何でもいいんだよ、俺は帰れたらな。最初は信じていなかったけど、あの男の言う通り青い袋を持って歩く妖を見たんだよ、青い袋に【おもいでや】って書かれているやつをな。」礼央の姿なのに目の前の礼央は別人で、先ほどまでの姿はどこにもない。
「あの男の言う通りじゃねぇか、じゃあ試してみる価値はあるだろ?丁度騙せそうなガキが歩いてくるのが見えたんだ、チャンスだと思ったね……ダメもとで賭けても損はしない。やってみようって」礼央との距離がまた縮まる――
「だから風に上手く言って袋を盗んで、俺達をおびき寄せたんだ……」恐怖で胸も喉も苦しくて痛い。
「な、上手くいっただろう?あの男の言う通りだ。ちゃんと人間の男も来たじゃないか、きっと心臓食えば入れ替われるのも本当なんだろうな、ひひひっ。」礼央が近づく、俺は後ずさりをする。何度か繰り返した時に礼央がいきなり大きな声を出し始めた。
「あー、楓太、悪いが遊びは終わりだ――もうすぐお前さ、こっちに来て1日経つだろう?こっちの事を知って来てるんだから、これも知ってるよな?タイムリミットが過ぎるとお前も俺達みたいになっちゃうって。だから何度も時計見てたんだろ?くくくっ。俺もタイムリミットが来ちまうんだ」
「タイムリミット?お前に?」恐怖の中でも俺は聞き逃さなかった。
「そうさ、お前が妖になっちまったら身代わりにならないんだよ、だからお前のタイムリミットは俺のタイムリミットでもあるのさ」じりじりと礼央が近づく。
「くそっ」何かの建物の壁が俺の背中に当たる、これ以上は下がれない、暗くなってきているので背後の様子がわかりにくい、逃げなければ――焦る颯太に向かって礼央が笑い声が響く。
暗くなって一瞬礼央の姿が見えなくなる、声だけなのにとても恐ろしい。
――どこに礼央はいるんだ、俺はどうしたらいい?落ち着け落ち着くんだ。
息をしていても苦しい、暗くなったこの場所にいると恐怖ばかりが込み上げる。自分の心臓の音が外に聞こえているかと思う程に大きく激しく鳴る。何度も俺は自分に落ち着けと言い聞かせ、静かに息を潜めて気配を感じるように意識を集中した。
――礼央は俺の心臓を狙っている、必ず俺に襲い掛かるはずだ。俺が動かなくてお向こうから必ずやってくる……反撃はその時だ。
俺は出来る限りの神経・感覚を使っている感じだった。少しの空気の変化や温度差までわかる。暗いと思ったこの場所も目が慣れてきたのか、薄っすらと形くらいは判別できる。
礼央は近くにいる、気配こそ消しているが俺にはわかるのだ。あの、苦手なねっとりと全身に絡みつくような視線を暗闇から感じる。
その瞬間、俺の右側にささやき声が聞こえた――
「どこ見てんだよ、楓太……」
「ぐっ――」声のする方に向きを変えてもすでに礼央はいない。
「だから、ここだって……ひひひっ」今度は背後だ。
「くそっ、どこなんだ――出て来いよ」
「何だ?もう耐えられないのか?ホントお前は仕方ないなぁ」暗闇で礼央の声が響きどこにいるのかわからなくなってきた。
冷や汗で首がベトベトし髪が張り付く。
「ぐわっ、ぐっ……」今まで全く気配を感じなかった前方の暗闇から礼央が突進し、その場に俺は倒れた。
「ぐっ……はっ……なせ……っ」首を絞められていて声が出ない、首に食い込む礼央の指の強さが本気で殺そうとしているのを表している。
俺は食い込む礼央の指を何とか外そうと試みるのだが、信じられない力で絞めており全く外せない。
――やばい、マジでやられる
俺は死を覚悟した、首は絞めつけられ血管がドクドクと脈打ち、頭に血が上ったようでクラクラする。助けを呼びたいのに息もわずかしか吐き出せない、締め付けられているからか目が飛び出そうになり涙が出てくる。
「おい、こんなもんなのかよ、お前の抵抗は。会いたい人達がいるとか言ってたじゃねぇか。お前の帰りたい思いってそんなもんなのかよ!」礼央は締め付ける力はそのままで、俺を煽ってくる。
礼央の手首を力の限りひねるが全く外せない、俺は爪を皮膚に食い込ませた。
「くっ、痛いっ――」礼央が唸った。だが、おかげでわずかだか首に隙間ができ呼吸ができる、一瞬のその隙に俺は礼央の腹を右足で前へ蹴り飛ばした。
「はぁ……はあっ」俺は首に手を当て呼吸をする、さっきまで止まっていた血液も動き出すようだ。目の前に腹に手を当て礼央が屈んでいる。
俺は次の攻撃に備えなければと必死でクラクラする頭で現状を把握しようとしていた。
目の前の礼央は動かない、確かに思いっきり蹴り飛ばしたが妖の礼央がこれくらいで倒れるはずはない。恐らく今まで以上の力で襲ってくるだろう。俺が立ち上がると同時に礼央も立ち上がった、暗くて表情が全く見えない、頭は下げているようだった。
次の瞬間、礼央の姿が倍ほどの大きさになった、身構えるのとほぼ同時に俺は何かに巻き付けられた。何がどうなっているのか認識するのに数秒はかかった。
俺は礼央の尻尾のようなものに巻き付けられて、そのまま持ち上げられようとしているのだ。体中が締め付けられる腕が自分の体にめり込み、また呼吸が苦しくなる。
ぎしっ、ぐきっ――嫌な音が自分から聞こえる、骨が折れそうだ。足が地面から離れかける。
「う……やめ……ろっ……」無駄なことだと思いながらも、俺は礼央の尻尾の中でもがいた。
「楓太、どうだ?これなら俺の手を傷つけることも出来ないだろう?苦しいか?心配するなもう数分で窒息するさ……あ、その前に腕や肋骨が折れるだろうな。心臓だけは傷つけないようにしなくちゃな、あはははは、妖の力の凄さにもう何も言えないだろう?」
「う……帰るん……だ」意識が遠くなるのを感じながら俺は【おもいでや】とユイさんたちとの約束を思い出していた。
――楓太君、気を付けてね
ユイの声が聞こえたようだ、俺は帰るんだ。自分を信じて必ずユイさんと、皆の待つ【おもいでや】に帰るんだ、目の前がかすむ白い光に包まれていくようだ。
――死ぬってこんな感じなのか?
「颯太っ!」
闇を突き抜けるほどの声が聞こえた、死を感じていた俺だが、その声を聞いた途端に朦朧としていた意識が戻ってくるようだった。
「あ……お?」ドシッとした衝撃を感じた次の瞬間に俺は礼央から解放された。
今まで俺を締め付けていた礼央が目の前で膝をつき苦しそうにもがいている。
「大丈夫か?楓太、遅くなってすまない」蒼が駆け寄り、俺を立たせてくれる。
「蒼……良かった、もう会えないかと思ったよ」
「いきなり消えるからな、全く人間は勝手な事ばかりしてくれてこまるぜ。如月さん、いやオーナーからお前を預かっているんだ、何かあったら俺がヤバいんだからな」
憎まれ口を聞きながら蒼が、楓太の無事を確認し安堵する。
「あ、風は?」俺が風の名を呼ぶと、ツンツンと服を引っ張る感触がする、それと同時に小さな声で俺の名を呼ぶ声も聞こえた。
「楓太、会えた。風も探した」
「風、ごめんな心配かけて」風の頭を撫でた、なんだかとてもホッとする、そして蒼の方に向き直した。
「蒼さんも……すみませんでした。俺、とにかく犯人を捕まえないといけないと思って、青い袋の人を追いかけたんです、そうしたら迷子になっちゃったみたいです……それで礼央って男に会って……」先程まで体を締め付けられていたので上手く説明ができない。
「あぁ、わかっている。元々はこちらに迷い込んできた人間だろう?なんだかデカい蛇にかわってたな。もう立派に妖さ」そう言って俺の目の前にいる礼央を見た。
「げほっ、げほっ……楓太、ちんたらしていたらお前の仲間が来ちまったか。ちょっと遊びすぎたな」礼央がゆっくりと立ち上がる。
全身が蛇にななっている訳ではないが太く長く伸びた尻尾らしきものには柄があり、鱗が見える。礼央のものなのだが温度を全く感じさせない声、抑揚はあるのに深い闇を声から感じるのだ。
目が妖しく細く開かれ、口元からは長い舌が見える。話す度に青い焔の様なものが呼気から漏れる。
「礼央……本当に礼央なのか?」俺はあまりのショックで喉が詰まる、でも聞きたい。
「何だよ楓太、さっきまで仲良く話していたじゃないか。そいつがお前の仲間なの?妖か?じゃあ本気でさっさとやらなきゃ、楓太の心臓食えないじゃん」そう言うと礼央は深い呼吸を繰り返した。体の周りも青い焔にまとわれていく。
その様子を黙って見ていた蒼が、俺の方に風を預ける。
「楓太、風と一緒にここにいろ」低い声で蒼が呟く。
「蒼!」風が蒼に不安そうに声を上げる、俺はそんな風の手を強く握る事しか出来ない。
「風、楓太といたら大丈夫だ。あと少し我慢してくれ」優しく蒼は風に言い聞かせる。
「さてと、中途半端なやつを食らってやるか、ふふふ」そう言うと蒼は礼央の方に体を向けた。
礼央の方に向いた蒼は、本物の妖だ――この緊張感を楽しんでいる様に見える、蒼の体からもまた焔が出ているが礼央のそれとは違い、濃い紫の様な焔だ。
恐ろしいはずなのに、その蒼の姿はとても美しい――
俺は息を飲み、風としばらくその場を動けなかった。
「あんたは妖だろ?なんの妖なんだ?人と付き合うやつがいるのは聞いたことがあるけど、何かマジでメリットあんの?ひひひっ」
別に何もねぇよ――蒼の声が聞こえた気がする。一瞬だった……呟いたと思ったら蒼は礼央の背後に回っていたのだった
「ガタガタうるさいんだよ、中途半端なクソガキが――」蒼は素早く礼央に飛び掛かる。
「くっ……流石にやるじゃん。本物の妖って。俺さぁ、妖とやり合うのは初めてじゃないんだ。でも、あんたは他のやつらより強そうだな。まぁ丁度いいや、強いやつを殺れたら、この先に妖にもなめられないし、その次に楓太の心臓食ってあっちに戻ればいいんだし、これって一石二鳥じゃね?」礼央は蒼から反転し距離を取る。
礼央の尾がニュルニュルと伸びて地面を這う、まるで蒼の様子を窺うようだ。
蒼は蒼で集中力を上げ礼央の攻撃に備えている。一瞬の判断で命がどうなるか決まる闘いを今、まさに俺は見ているのだ。二人の体からメラメラと焔が出ているが、恐らくあれは2人の持っているエネルギーなのだと思った。
蒼達の緊張感とエネルギーの変動を俺は感じて体が硬くなる、隣で俺にしがみついている風も同じことを感じているのだろう。2人を瞬きもせずに見つめている。俺の服の端を握りしめる力が強くなっていくのを感じる。
風を守らなければならない――蒼が俺達を守るために闘ってくれている、俺が出来ることをしなければならない。そして屈んで風を脇に抱きしめ蒼を見守った。
「妖のお兄さんは、さっきも言ったけど流石だね。隙が全然できないんだもん、もしかしてお兄さんさぁ……有名な妖なのかなぁ?」へらへらとした様子で礼央が言いながら、何度も尾を蒼の方に絡ませようと仕掛ける。
蒼は先程からの礼央の攻撃を先を読むかのように避けている、蒼の方からは攻撃は仕掛けていない、タイミングを見計らっているようだった。
礼央は最初から妖の姿になり、蛇の様な尾を使って締め付けたり、打撃を与えようとしているが、蒼は見た目に大きな変化はなく、何かを使って攻撃している様子も無い。確か蒼は獺の妖と言っていた、一体どんな攻撃をするのだろう。
「ほら、妖のお兄さん避けてばかりじゃなくて攻撃してきたら?つーか、お兄さんって何の妖だっけ?俺聞かなかった?教えてよ、ほらっ」礼央がもの凄いスピードで尾を蒼に巻き付けた。
「蒼!」俺と風は叫ぶ。
「ほら、捕まえた。くくっ、妖のお兄さん結構しぶとかったよねぇ」蒼の体に尾を巻き付け、締め上げながら上へと持ち上げる。
「まだ苦しくないだろ?妖のお兄さん、人から妖になった中途半端な俺につかまってしめあげられるってどんな感じ?やっぱり屈辱的ななのかなぁ?ははは――」
「礼央!やめろ!蒼を離せ」叫ぶ俺に礼央は勝ち誇った顔を見せて続ける。
「何だよ、楓太?こいつが邪魔するからいけないんだろう?妖だぜ、関係ないじゃないか」
「妖でも人間でも関係ない!蒼は大切な仲間なんだ!」
「仲間?やっぱりお前は面白い、大切に育てられたお坊ちゃんだよ……なんでも仲間になるんだな、何でも信じられるんだな」話している間にも礼央は蒼を絞め続ける。
「礼央、お前はそんなやつだったのか?」俺の声は礼央には届かないのか。
「そんなやつ……って何だよ、どういう意味だ?楓太」そう言い、冷たい視線を俺に礼央は送る。俺はこんなにも冷たく悲しい視線を感じたことは無かった。
「さっきまで俺といて、礼央は昔の話をしてくれたじゃないか」俺は涙が出そうだった。
「何?楓太、俺のさっきの話信じてんの?ははは」礼央が笑う。笑い続けるその声だけが寂しくこの暗闇に響く。
「え?……嘘だったのか……?」どこまでが礼央なのか、人間の心は最初からすでに失っていたのか俺の中が混乱していくようだった。
「そんなの、当たり前だろ?俺の目的は帰る事だけ。お前みたいなお坊ちゃんの気を引くことなんて簡単さ。本当マジで、お前って苦労知らずのお坊ちゃんだな……でも、何かむかつく」
礼央はそう言い全ての力を尾にまわすかのように締め付けた、ギシギシと変な音がする。
だが締め上げる礼央の目に涙が流れているのををれは見逃さなかった――
「礼央、お前こそ嘘をつくんじゃない!あの話は本当なんだろう?心も傷つくほどの経験をして、人の心の深くを知った礼央は、絶対に良いやつだ!寂しさと絶望感を知った礼央は絶対に強いやつだ!」俺は叫ぶ。
「帰る場所が無い、会いたい人がいないなんて言ってるけど、礼央は絶対に乗り越えられるやつだ!俺はさっきの話を信じてる、礼央を信じてる!何か方法があるよ、俺と探そう――」人間の時を思い出してくれ、少しの間でも話をした時のあの礼央は人間だと思わせてくれ……この叫びも届かないのか。
「うるさい――お前に何がわかる、お前に何ができる。俺はもう妖だ手遅れなんだよ、最後の手段が人間を殺して心臓を食って入れ替わる事だけなんだ。もうこんな所で1人でいるのは嫌なんだ!」
礼央は叫び締め上げていた尾を地面に叩きつけた。
「やめろ!やめてくれ!蒼ーっ」風を抱きしめながら俺も叫んだその時――
「お前の方こそ、甘ちゃんだ。我儘でバカなお坊ちゃんだよ」尾の中から蒼の声が聞こえた、その声と同時に礼央の叫び声が響く――
ぎゃぁぁ――礼央の尾が裂け濃い紫の焔を身に纏った蒼が立ち上がる。
自分に起きたことが信じられないように礼央は目を大きく開き、口はぱくぱくとうごいている、驚きと痛みでどうしていいのかわからない状態なのだろう。
蒼は礼央の尾から出てきて、倒れる礼央を見下ろしている。後ろ姿からなので蒼がどんな表情をしているのか見えないけれど、背中からは何とも言えない虚しさと深い怒りを俺は感じた。
礼央を見下ろす蒼の爪はとても長く鋭くなり、その先からは礼央のものと思われる血が滴っている。蒼は獺の妖だ、強くて鋭い爪と歯が武器になっているようだった。
「痛い……くそっ」のたうち回りながら礼央はそれでも立ち上がろうとする。
「やめておけ、お前に俺は倒せない。人間の心臓を食らうと戻れるなんて嘘を言ったやつはだれだ?【おもいでや】の人間を連れて来いって言ったのは誰だ?」蒼が礼央に言う。
「え?心臓を食べないと妖になった人間が元の世界に戻れないんじゃ――」俺も呟いた。
「そんな話は嘘だ。残酷かもしれないが、一度こちらの世界で妖になってしまったらもう元には戻れない……方法なんてないんだ」蒼は礼央と俺に言い聞かせるように話してくれた。
「そんな……嘘だろ?俺はもう戻れない、人間にも元の世界にも……嘘だーっ」礼央は叫ぶ、まるで雄叫びだ、次の瞬間――
礼央は驚くスピードで俺の目の前に立ち、風を奪い人質とした。
くっ、風っ――蒼がしまったとばかりに、歯を食いしばり俺と風を見ている。
「礼央、これ以上バカなことはするな。風は全く関係ない子供なんだ、目的が俺なら俺にかかって来いよ、頼む……風を返してくれ」懇願する俺に礼央は泣きながら
「もう、どうだっていいんだよ。帰るところも帰る方法も何もない、気味の悪い中途半端な妖になった俺の気持ちがわかるのかよ!」礼央に羽交い絞めにされている風は固くなり涙をこらえている。
「礼央、落ち着くんだ……風は何も関係ない子供なんだ離してくれ」俺は礼央に手を伸ばす。
礼央は泣き続け、風を羽交い絞めにしながら震えている――
「俺は、礼央の気持ちはわからないよ……だってお前が言うように、俺は礼央じゃないから。でも、人間として友人として礼央の気持ちを想像することは出来る。辛いと思う、寂しいと思う……」俺は心からそう思った。
「友人として?お前まだそんなこと俺に言うのかよ……」泣き声で最後の方は聞き取れない。
「そうだよ、友人だ。俺はこの世界で迷って本当に不安だった。でも礼央が現れて話してくれたり一緒にここまで来てくれたじゃないか」
「何言ってるんだ、どこまでお人よしなんだよ楓太……俺はお前を殺すために呼び出して、ここまで連れてきたんだぜ」泣いているのか礼央の声が震えている。
「でも、それは礼央が元に戻りたかったからなんだろ?もしかしたら俺だって礼央の立場だったらわからないよ。先のわからない不安と一人の寂しさ。妖に変化していく自分……俺も俺を保つ自信なんてないかもしれない」
「楓太……」礼央の目はまるで迷子の子供のようだ。
「礼央、生きていたら何とか方法を探せるかもしれないじゃないか!俺の雇い主、オーナは凄いんだぜ、何か考えてくれるかもしれない」俺は蒼の方に振り返り声をかけた。
「ねっ、蒼さん!決めつけるのは早いよ、オーナーに聞いてみましょうよ。わかんないよ、何か方法があるかもしれないじゃないですか!」俺の言葉に蒼は返事はしないが黙って聞いている。
「礼央、だから諦めるな。関係のない風は解放してくれ」もう一度俺は礼央に手を差し伸べた。
礼央は力を抜き、風の背を俺に押しだし解放してくれた。
風の手を掴み無事を確認する。そして蒼の方へ行くように促すと、嬉しそうに駆け寄って行った。
「有難う俺の話を聞いてくれて……感謝するよ。後は誰が【おもいでや】の事を教えたのか、礼央に嘘を言ったのか。礼央、わかることがあれば教えてくれるよね?」
礼央は傷ついた尾を自分の方にまわし頷いた。
「本当に俺に嘘を教えた男が何者かは知らないんだ、だけど見ればわかる覚えているからな。お前のオーナーに話したら何かわかるかな?俺にも希望が見えるか――」礼央が最後まで話す前に悲劇が起きた――
「お前はここで終わりだ、やっぱり中途半端な奴は中途半端な仕事だな」目の前に知らない男が現れた。瞬時に俺は確信した――この男が礼央を使って俺たちを呼び出したやつだと。
目の前の礼央の首から血が噴き出している、俺に手を伸ばし礼央が倒れていく。俺も必死で手を伸ばす。
礼央の首に手を当てて必死で血を止めるけれども、溢れて溢れて止まらない。
蒼も風も駆け寄るがどうすることも出来ない、礼央の首を切った男は逃げる様子も攻撃してくる様子も無い。
俺たちの邪魔もせず「さあ、どうぞ助けれるものなら――」とばかりに場所を開け眺めている。
油断は出来ないが、今にも息が切れてしまいそうな礼央を放っておけない。
俺は周りを構わずに礼央に声をかけ続ける。
「礼央、礼央!頑張るんだ!一緒に【おもいでや】に行くんだろう?人間に戻れるようにオーナーに相談するんだろう?」涙があふれて仕方がない、俺にできることは何もないのか?
「楓太……やっぱ俺ってついてねーな。何でも中途半端……お前と出会えてこれから何か変わるかなって少しは思ったんだけどな、ははは……」
「そうだよ礼央これからなんだから。ついてないなんて決めんなよ、俺と出会えたんだぜ、ついてるって」涙が溢れ出るのを堪えて俺は必死で話しかける。
蒼と風も礼央の傍で見守っている、風はそっと礼央の手を握る。
「なんだ、このガキ……俺がさっきあんなことしたのに怖くないのかよ、へへっ」そう言って風の手を握り返す。
「妖のお兄さんって、蒼って言うんだな。あんた流石に強かったよ」風の隣の蒼に向かって礼央は話しかけた。
「あぁ、当たり前だ。お前はバカな甘ちゃんだったな。でも、あれだけの力は大したもんだったぜ」と蒼は礼央の肩に手を置き答える。
「やったね、楓太お前聞いたか?中途半端な俺が本物の妖に大したもんだって言われた……ぜ……げぼっ」口からも血があふれて体も力が無くなっていく。
「礼央、ほら、あと少しだからな」答える自分の声がうわずるのを必死で押さえて俺は答える。
「楓太、お前は嘘が下手なんだから……やめろよ。わかってる俺は……死ぬ。」
「死なないよ!礼央、頑張れ!死なないでくれ。くそっ、なんで血が止まらないんだよ――」手にドクドクと血が広がる。
「楓太、お前に早く出会えたら俺の人生は変わっていたかな?俺死にたくないよ……お前ともっと……ごめ…んな……力……はい……らねえ……」礼央の目の光が消えていく。
「礼央!死ぬな!礼央ーっ」俺は礼央を抱きしめ泣き叫んだ。
「そろそろ、いいかな【おもいでや】の諸君」現状に飽きたような、そして礼央を囲む俺達を小馬鹿にしたような態度で男は声をかけてきた。
動かなくなった礼央を横にし、俺たち3人は男に向かい合った。目の前の男が礼央にとどめを刺し、今回のシナリオを描いたやつ。目的が何なのか……
一番最初に口を開いたのは蒼だった――
「俺は人の生き死にに興味があるわけじゃない。だが、人だろうが妖だろうが自分勝手に命を奪うのは気に食わない、それが俺の目の前で起きるなんて……最悪だ」
そう呟く蒼の声は低く冷静なのに怒りを感じる。まるで青い炎が中心に灯っているようだ。
「ほぅ、君は妖なのに珍しいことを言うね。君には食いたい、奪いたいって言う妖の獣の様な本質はないのか?欲望や衝動は起きないのか?」その男はとても静かに蒼に問うた。
「俺だって人からしたら恐ろしく酷いことをした過去はあるさ、そもそも妖って存在なだけで恐れられた時もあるからな。だが、そうやって生きてきても俺には絶対に譲れないことがあった」蒼は答える。
「譲れないことだと?お前の様な妖が偉そうに……いったい何がある」男はバカにするように蒼に聞き返す。
「俺達妖は、見た目が恐ろしいものも多いが、心や考える事のできる頭がある。生きるための糧として命を奪う事があっても、自分の楽しみや目的達成のための殺しは絶対にしない、それは譲れねぇ、そんな勝手なことで命は奪う事は誰にも許されたことじゃねぇ!」蒼はそう言い、その男に向き合う。
「お前は妖だというのに、人の様な事を言うのだな。それも【おもいでや】の付き合いが長く人に影響され過ぎたのではないか?いや【おもいでや】と言うより如月家に染まりすぎたという方がいいのかな、ふふふ」
まるで以前から蒼や【おもいでや】の事を知っているかのような口ぶりで、そして男は話を続けた。
「確かに君の言うように、妖にだって心も知能もあるさ。だが、人と同じではない、似た暮らしはすれども同じの倫理観は必要なのか?人より俺達妖が優れている所は多いはずだ。有り得ない能力、比べ物にならない力。」その男は蒼を見返しながらも、今はない遠い何かを見ているような目で話を続ける
「俺達だって何百年も昔から生きてきた……それなのに住んでいた山がなくなり、自然も減っていく。どれだけの仲間が減って行ったと思う?それなのに、それなのに……」
言葉に詰まり、肩を震わす男に蒼は呟いた
「だが生きているし、俺たちはこれからも生きていかなくちゃいけねぇんだ」
蒼の言葉に信じられないと言わんばかりの目で男は声を荒げる
「お前は、妖がこのような生き方をして幸せだと思うのか?人こそ自分たちの為に自然を破壊し、時には人同士で殺し合うではないか!自分の快楽の為に殺す人も俺は見てきた。俺がさっきの男を利用し殺したことと何が違う?人と同じような生き方をして何になる?あいつらは俺達を信じることもせず、何とも思っていないのだぞ」
あれほど落ち着いていた男が少しづつ、だが確かに乱れてきたように俺は思った。同時に男の人間への思いや、人間の行ってきた過去の事を思うと心が痛くなるような感じがした。
「俺達は人より長く生く生きることで多分、今の生きる方法を見つけてきたんだ……あんたの言う事全て否定するつもりもない。人の恐ろしい行為も見てきたからな、だが、あいつらは俺達と違い短い命の中で学んで、進化していくんだ」蒼はその男を諭すように話す。
「お前はあの如月家のやつらから学んだとでも?それを染められたと言っているのだよ、調伏されたからじゃないのか!」
「調伏されたからだけじゃねぇ!」蒼が声をあげた。
「如月家のやつらに調伏された時には、俺は荒れていたからな。人ごときに何が出来る、何がわかると言ってたさ。だがあいつらは長い時間をかけて俺に沢山の事を教えてくれたし見せてくれた。」蒼は風の肩を抱き俺を一度見て話続ける。
「調伏したにも関わらず俺を使役せずに仲間の様に扱ってくれた。そしてあいつらは人が自然や俺達にしてきたことも謝ってくれたんだ。その時に初めて俺はこう言う種類の人もいるってことを知ったんだ。今まで見聞きしていたことの小ささを知ったんだ」蒼の言葉を聞き男の肩が笑う。
「くっくっく……理解できないよ、いや理解したくもないね。お前の言う事は人に……そして如月家に洗脳され、妖の誇りを失った負けたもののセリフだ!今の妖達は人に媚を売り共存しようとしているじゃないか!」
「今の妖の生活が堕落したとでも?これが如月家のせいだとでもいうのか?だからお前は礼央をそそのかし、如月家のつながりのある【おもいでや】の人を呼び出したのか?」蒼はゆっくりと男に聞き返す。
「あいつらのせいだ、妖が腑抜けになったのも。人にこき使われて人のまねをして生きているのも、全てあいつらのせいだ――」
男が叫び、両手を広げるとググッと体が大きく黒い獣を感じさせる姿になっていく。大きな男の体に長い尻尾と長い爪。深い毛に覆われ口元からは鋭い牙が見える。
「ふうぅーっ……はぁああ……」
男は大きく肩を動かし、深く唸り声と共に息を吐く。男の呼気からは深い青色の焔が出ており、真っ赤な舌がチロチロと動いている。
「今一度聞く、そんなことのせいで、【おもいでや】を恨んで人を呼び出したのか?叶いもしないしないことで礼央を使って楓太を殺そうとしたのか?何になる?それでこの妖の世界が変わるとでも?如月家が滅ぼうともこの流れは変わらねぇ、妖だって学んで生きていく。生きていく形を選んで進化しているんだ」蒼も攻撃に備えて力を集中させている。
「楓太、あと少しだ風を見ていてくれ」そう言い俺達から距離を取った。
「うるさい!うるさい!この軟弱な妖め、人にこき使われて腑抜けになりおって!お前ら全員死んでしまえ」
男は大きな足音を立てて蒼に付き進むが、蒼は逃げることなく身構えている。
「うぉぉー」男が力のままに蒼を地面に叩きつけようと拳を下す。
ドスンと言う低い音とビリビリと空気が触れるような波動が俺と風に当たる。
「ぐふっ……風、大丈夫か?あと少しの我慢だ」俺はそう言い、きつく風を抱きしめた。
地響きと暗闇の中に巻き起こる砂埃の中、2人の妖の体から出ているエネルギーの焔が見える。蒼は先程の攻撃を両手を受け止めていた。
「でかいだけあって、流石に思い拳だな。お前は熊の妖か?ここまで来るのにどれくらいの人を食ってきた?何百年生きてきた?だがこっちも負けられないんだよ」蒼の俊敏な動きは目で追うのも慣れなければ難しい。
「ぐわっ――」男がのけぞる。
蒼の長い爪が男の背中を引き裂いた、そして今度は男の足元を引き裂き先程までの位置に戻る。礼央と闘った時よりも多くの血が蒼の爪から滴り落ちている……
「何故そんなに人を恨む、関わらなければいいだけの事だろう?妖がどの道を選ぼうともそれは自由だ。お前の思うように生きなければならないなんて決まってないはずだ。そもそも妖は自由な身――一体何なんだ。何様だ?おっさんよぉ」
蒼が屈みこむ男の顔を長い爪で上に向かせて聞く。顔を持ち上げられた熊の妖は話し出した。
「俺の仲間は何人も死んだ、家族も全て……人のせいでな。俺が悲しんでも忠告しても他の妖達はどんどん人の様な生活や、人との付き合いを始めるやつが増えてきた。何故そんなことができる?人は俺にとっては敵だ、受け入れられるわけがない。」話し続ける男と蒼を、俺は黙って風と見続ける。
「行き場のなくなった俺は1人で彷徨った。何年かわからない、恐らく百年以上だな……1人で妖からも、人からも離れて山で暮らしていた。そんなある日、青い袋を持った人型に変化した妖に会ったんだ」蒼も黙って男の話を聞いていた。
「それまで、俺は妖も人も避けて生きてきていたからな、久々に会った妖から今の世の中の事を聞いたのさ。その妖の話す世界は、妖の世界の話だというのに信じることが出来なかった。、人の世界の話みたいだったからだ。しかも今は、調伏されてもいないのに、人の為に妖が働いてると聞き驚いたさ。聞けば【おもいでや】そして如月家と言う名前が出てきたんだ。」男は如月家という名前を口にしたからか、俺たちを見まわし話しを続ける。
「それで俺は思い出したんだ、昔から人が妖を退治する時に呼んでいた陰陽師の名だって。それが今は仲良くなっているだと?人の為に働いているだと?許せなかったんだよ、酷い目にあわされたことを忘れることは出来なかったんだ俺は!だから如月のやつを呼び出して殺してやろうと思った……本人は来なくても人を殺せば苦しむだろうってな」
「そんな、何年も前の事なのに……自分が許せないからって礼央を利用しておびき寄せる?用が済んだからって殺す?そんなのお前の勝手なエゴじゃないか!」俺はたまらず、その妖に向かって叫んだ。
「何だと、貴様――」男の恨みと悲しみの火に包まれたような瞳が俺を捉える。
「人だって確かにお前の言うように自慢できることだけじゃない、酷いこともエゴにまみれたこともしてきたと思うけど、全員がそんな酷いやつばかりじゃない!妖だってそうなんだろう?お互いに間違いを見つめて前に進んでいるんだ。お前がしたことは誰の役にも何にも生み出しもしないんだ!」
男の目がとても怖い、だがそんなことの為に礼央が死ぬなんて、許せるのか?男から俺は目を離さずに続けた。
「調伏された妖がいて恨みを持つものも今もいると思う、だが蒼みたい人との関係が変わるものがいてもおかしくないはずだ。人も妖もこの世の中の全ては止まらずに進歩して変化していっているんだ。あんたは悲しみと恨みで、目を瞑り耳を塞ぎ長い時間を自分で止めて生きてきたんだ。誰かに無理やり今の妖の世界が作られたんじゃないんだよ!」
「うるさい人間のガキがわかったことを言うんじゃない、無駄にお前も死にたいのか……」そう言い、男は颯太を睨む。
「やめるもんか!俺は今のこの時代で、そこにいる蒼やこの風と出会ったんだ。今の環境に感謝してるんだ。皆と出会えたおかげで不思議なこの世界も自然の大切さも学んだんだ。そして、お前の様な過去を持つ妖がいることも……」俺は心のままに、胸も苦しい。
でも、そんな胸を押さえながら続ける。
「俺が謝ったところで失ったものは帰ってこない、時間も戻らない。でも、次は、未来はこれから作れるはずなんだ――」次の瞬間男が叫んだ。
「もう、後には引けないんだ。俺はどこにも行けないんだ、おぉぉー」俺に向かって突進してくる。咄嗟に俺は風を抱きかかえ庇うようにしゃがんだ。
俺の背中にドスッと重さを感じる……痛くはない、怪我もしていないようだ。目を開けて後ろを振り返ると、背中に蒼がいる。
俺達を庇うようにして俺に倒れこむ、その横には傷だらけの大きな男が倒れている。二人とも激しく衝突したようで、すぐに動くことは出来ないようだ。
俺は蒼に怪我が無いか確認しようとし声をかけた。
「蒼、大丈夫?怪我はない?」
「うっ……あぁだ大丈夫だ……」庇うように倒れてくる蒼を座らせようと前に向けた時、俺の手にぬるっとした生暖かい感触がした――
「蒼、血が出てる!どこをやられたの?」慌てて体を確認すると蒼のわき腹から血が滲んでいる。
礼央の時とは違い、血が次々に溢れてくるわけではないけれど、重症なのは一目瞭然だった。
何とかしなくては、俺は自分のシャツを引きちぎり蒼の傷口に当てた、早く【おもいでや】に戻らなくては。
風は蒼の怪我を見て震えている。そんな風に気が付いたのか蒼が声をかけた。
「風、ごめんな怖がらせたか?俺は大丈夫だ」そう言って風を撫でている。
「血……蒼可愛そう、痛い大丈夫?棗様は絶対治してくれる。風が頼む、風が蒼の側にいる」しっかりと蒼に伝えて手を握っていた。
「それより、楓太、そっちのやつはどうなった?とどめは刺していないから……うっ……まだ、襲ってくるかもしれない、気を付けろ」痛みが激しくなったのか蒼の息遣いが荒くなる。
「うん、あいつも今さっきの背中の傷と今の衝撃で動けなくなってるよ、今の間に何とかしないと」さっき当てたシャツの布が赤く染まってくる。
まずいな、早く戻らなきゃ――もう一度俺は自分の反対側のシャツを引きちぎり蒼にあてがった、その時――
「楓太!後ろだ避けろ」蒼が叫ぶ。
「おぉぉー」恐ろしい雄叫びを上げ、傷で全身から血が溢れ出ている熊の妖が立ち上がった。
目は火の様に赤い、その奥は深い絶望が見えた。血かと思うソレは目から溢れる妖の涙だっった。真っ赤な口を開けて最後の攻撃を仕掛けてきた。
もうだめだ――俺は蒼と風に覆いかぶさり攻撃から少しでも守ろうとした。
その瞬間、暗闇に一筋の白い光が差し込んだ――
一瞬全員がその眩しい光に意識を持っていかれた、何が起きたのかわからなかったからだ。
何だ?何が起きたんだ?眩しい――
差し込んだ白い光が暗闇を照らし変化していく。一筋の光から大きな球形になっていくのだ、その白い光は眩しいのだけれど、とても優しさを感じる光だった。
温かくて全てを包み込んでくれるような光だ。白い光からクリーム色に変わっていく。
例えるならば春の夜空に浮かぶ優しい満月の様な色になっていく。もしあの夜空に浮かぶ満月を、近くで見たのならこんな感じかなと思うくらいだ。
俺達のいるこの暗闇の中間で大きな球形になった光は数秒グルグル回転し、そして真ん中でパーンと分裂していくのだった。
その様子はまさに、花火が上がって大輪の花を散らすようだった。次第に光が落ち着いて来たかと思うと、目の前にいた熊の妖が数メートル先に弾き飛ばされていた。俺たちはギリギリの所を助かったようだった。
俺は蒼と風の上からゆっくりと体を起こし、周りを確認し驚いた。目の前には想像を超える大きさの狐が現れたのだ、そしてその狐は尻尾が分かれていたのだった。
これが、風の言う棗様だ――俺はすぐそう思った。
棗様と言われるこの妖狐は大物と言われるだけあって、存在自体の迫力やエネルギーが違う。
俺みたいなちっぽけな人間でも何か違うとわかる。大きさは5メーターくらい、尻尾の太さは大人の胴くらいはある。フサフサの毛並で色はまるで金の糸で出来ている様に輝いている。体の周りからは蒼や、熊の妖達とは全く違う金色の焔に包まれていた。
棗様の姿を確認した風は、一番に棗様に抱きつき駆け寄ろうとした――その瞬間熊の妖が執念で力を出し尽くし、風に襲い掛かろうと動いた。
「危ない!風!」
俺は叫んだが走っても間に合わない、なんていう事だここまで来て――
俺は目を瞑って地面に膝をついた。すると棗様がもの凄いスピードで風をその大きな体で守った。
目の前で苦しみもがく熊の妖に向かって
「しつこい!残念じゃ!お前はどうにもならぬ、死んで生まれ変わられよ」と棗様が言い、一口で熊の妖を食らいつくした。
やっつけたんだ、終わった……蒼の元へと俺は急ぐ。
「蒼、棗様が来て助けてくれたよ、蒼!蒼!返事して!」俺は蒼の体を抱き起して声をかける。
「蒼!蒼!【おもいでや】に一緒に帰ろう、お願いだよ目を開けて!」礼央を失いこの上、蒼まで失うなんて耐えられない。
「うるさい……聞こえている、耳元で騒ぐな」蒼が返事をする、答えてはいるが、傷がかなりつらそうだ、息をするたびに大きく肩が上下する。
「蒼、治るから。大丈夫だから……うっ、うっ……」涙が止まらない。
「バカかお前は、なんでお前が泣く。俺は大丈夫だ……っ、勝手に殺す……な。俺の事はいい、そんなことより……お前は帰らなくちゃダメなんだ、時間がくる」そう言って俺の背中を押す。
腕時計を確認すると、あと2分――
「でも、蒼を残しておけないよ、オーナーになんて言えばいいんだよ。一緒に帰らなくちゃ」
俺が全てを話す前に蒼が俺のズボンのポケットから、オーナーから預かっているお札を取り出した。
あっ――次の瞬間に蒼は、そのお札を勝手に空中に投げた。
「駄目だよ、蒼!俺だけ帰っちゃうなんて!蒼、風――」
叫ぶと同時に俺の体が空中に浮かぶ。投げられたお札が空中を旋回している。どんどん旋回するスピードが速くなって竜巻のような渦が出来てくる。
俺は引っ張られる力に逆らうことが出来ずドンドン飲み込まれていく。足元には風と棗様。礼央が横たわっている。蒼は腹を抱えながら上を見上げている。
「蒼、死なないで!絶対大丈夫だよね【おもいでや】で待ってるから!風!お前もやっと帰れるな良かった、棗様!皆を残していくけど……よろしく……おねが――」渦に飲まれていくにしたがってどんどん意識が遠くなっていくようだった。