きっかけなんてそんなもの
――暇だよな、バイトでも探すか
本当にこれが俺のバイトの動機だった。
大学に入学して一人暮らしにも慣れてきた。気が付けば季節は梅雨に入るのか、独特の湿度も肌に感じられるようになってきた。
実家から大学に通える範囲に住んでいたけれど、一人暮らしを決めた理由は二つある。
まずは、大学まで電車が乗り換えなしで通える所、そしてもう一つは……ただ単に一人で生活してみたかったこと。
そんな理由を我儘だと言われることも多いのだが、どうしても一人暮らしがしたいことだけは譲れず両親に頼んだのだ。母親は少し寂しそうだったが、、気が付けば難色を示していた父親を説得してくれていた。
自営業の家庭で、一人っ子という事もあり、親からの仕送りも他の学生より少し余裕がある。お金に困っている訳ではないけれど、何もしないで過ごすというのは、友人達のバイト話を聞く度にいささか罪悪感を感じる。
当然、新しくできた友人との付き合いにも、欲しいものを手にするためにも小遣いはあればあるほどいい。
「でもなぁ、どんなバイトがいいかな。飲食関係は俺向いてないんだよな。地味にコンビニとかレンタルビデオとか、夕方から夜中とかで募集がないかな……っと」楓太はベッドの天井を見つめながら呟いた。
――カタン
呟き終わるとほぼ同時に、玄関の郵便受けに何かが投函される音が聞こえた。
「どうせ宅配ピザとかのチラシだろ」とベッドから郵便受けの方に目をやった。
いつもならチラシのことなんて気にならない。郵便受けに入るチラシは毎日のことだ。
それなのに、今日はどうしても気になった。
「よいしょっと」大げさに声を出し反動をつけて起き上がり、郵便受けを見に行った。
そこには『店番募集 学生可 時間は基本的に夕方から深夜 時給3000~』と書かれたチラシがあった。
「なんだ?店番って店員のこと?時間は基本的にって何だ?アバウトだな。で?時給3000からって高くね?怪しいバイトとかなのかな。風俗とか」そう言いながらチラシを読み続ける。イラストも色味も全くない。チラシの下の方に店名と電話番号が書かれていた。
【おもいでや】
「何これ?これが店名?」味気のないチラシを楓太は何度も読み返した。
何故かわからないが、この店が気になって仕方ない。どんな店なのか?何をするのか?怪しい感じもするのだけれど、今までに感じたことのない好奇心が湧き起こるのを感じた。
テーブルまで戻って、もう一度チラシを読み返すが、どうにもイメージが掴めない。
「電話くらいなら問題ないよな、聞くだけだし、どんな店かもそれで大体わかるしな」と楓太は携帯で書かれた番号を押し始めた。
そもそも、楓太自身は今まで自分から積極的に動くことが少なかった。
高校の時を振り返っても、特別目立つことのない一般的な高校男子だったと思う。友人もいたし、問題を起こす事も無かった。ただ、熱い思いを持って何かをした事も、自分から進んで何かをした事も無かった。
女の子に対しても同じで、相手に困ることも無かったし興味がない訳でもないが、正直言うと、付き合ったりなんてどうでも良かった。周りの男友達の様に女の子の話やアイドルに熱くなれなかった。無難に流れに乗っている感じで、それは部活動でも大学受験でも同じだった。
周りからはクールに見えるかもしれないが、どこか冷めたような自分を遠くから見ているような感じをずっと持っていた。
その楓太が今、自分から好奇心に従って電話をしている。
「俺、なんでマジで電話してんだろ」と颯太自身が驚き、笑ってしまう。
コール音が続く。
「あれ?休みなのかな?それとも忙しいとか?」7回ほどコールしても誰も出ない。次のコールで出なかったら切ろうと思ったその時
「はい、お待たせしましたぁっ」と勢いのある明るい声が電話口から聞こえてきた。
そこまで明るい声で、勢いのある返事が聞こえると思わなかった颯太は若干慌てたように「えっと、あのチラシを見て……」と答えるのが精いっぱいだった。
「チラシ?あ、バイト募集のやつね?ポストに入ったってこと?」聞き返してくるスピードもとても早い。
「そ、そうです。ポストに店番募集のチラシが入っていて電話しました。あの、伺いたいこともあるので」と、楓太が話している途中だというのに、この電話相手、店員と思われる女は楓太の話にかぶせて話してくる。
「ポストに入っていたんだよね?あのさ、君はどこに住んでいるの?近くかな?梅田までどのくらいで来れる?」
「急行なら25分くらいで、あ、徒歩も入れたら40分で行けますが」思わずつられて答えてしまった。
「じゃ、今が昼過ぎだから、夕方4時に梅田駅に来て。着いたらまた電話してよ、じゃあね」と電話口の女が切ろうとする。まだ、何も聞いていないし、行くとも言っていない。
「あ、あの今日ですか?俺……いや、僕まだ何も聞いていませんし、働くって決めてもいないんですけど」と必死で電話口の女に楓太は伝えたが、彼女は気にする事も無く、楓太が来るのが当然かという様子で言った。
「ポストにチラシが入ってたんでしょ?それでいいの、4時ね。あ、私はユイだよ、君は?」
「あ、櫟楓太です」
「え、ごめん、携帯からだよね?あ、何そうた君?聞き取れないんだけど」こちらは十分に聞こえる大声が電話口から流れる。
「あ・ら・ら・ぎ!櫟楓太です」気が付けば、何故かこちらまで大声で答えてしまっていた。
「了解、あららぎそうた君。後でね」と最初の勢いのまま切られてしまった……
「切られた、っていうか今日の4時とか決められたし!俺なんか変な店に電話したのかなぁ」
色々考えたいのだが、電話口の女、【ユイ】と名乗る女の勢いに全て飲まれてしまったようで俺は手元にある携帯を見つめるのが精いっぱいだった。
ユイと名乗るバイト先の女と電話を切って、約束の時間まで3時間はあったはずなのに、気が付けばギリギリ。何とか遅刻せずに俺は梅田駅に到着した。
「ピッタリ4時だな、まぁセーフだ。で、次は電話するんだっけ?」と颯太は発信履歴を調べ、先程の店に電話をした。
――コール音は2回
携帯から聞こえる声で俺はすぐさま先程の女の勢いを思いだした。
「あいよーっ。着いた?あら何とか楓太君だよね。あはは」
「櫟です、あららぎ楓太です。今梅田駅に着きました」変わらぬ女の勢いとテンションに再度驚くが、次のことを聞かないとどうにもならないので、俺は自分のペースを保つよう心掛けて話した。
「先程の電話でも、梅田駅までしか案内されていないので次はどこに向かえばいいですか?」
「そうだよね、あのね、うんとね……あそこなんだっけ?」電話口の女は俺に話しているのか、独り言なのかわからない。ただ何かを思い出そうと、伝えようとしていることだけは伝わる。
「あの……俺、ある程度の場所を言ってもらえたらわかると思います。例えばJR側とか何出口とか。大きなビルの名前とか」たまらず俺から聞き返した。
「ごめん、頭ではわかるんだけど道案内って顔見ないで説明するの難しいよね。苦手でさぁ。うーんと、じゃあそのままJRの方に向かって桜橋口から地下を抜けて北新地の方に来てよ。桜橋の交差点まで来たら絶対わかるから。そこでまた電話してよ。」と言い、また一方的に電話を切られた。
「また、言う事だけ言って切られたよ。この人どんな人なんだろ?って言うか客商売してんだよな?」切った携帯を見つめたが、先程と同じで驚きはあるものの、電話口の女ユイからは不快感が残らない。
とにかく折角出てきたわけだし、俺は目的地を目指して歩いた。
夕方の大阪は当然混み合う。サラリーマンも学生も多い。最近は大阪駅付近も新開発で見た目も変わった。
楓太の子供の頃の記憶と同じ場所は殆ど無い。新しく綺麗な大阪駅も機能的になったのだろうが、子供の頃に母親と歩いた頃が懐かしく思えた。
人ごみを抜け、楓太は指示のあった桜橋の交差点まで辿り着いた。
夏になる前のむっとした湿度の中に不思議と溶け合う美しい夕日が見えてきている。
昼と夜の境目。陰と陽……夜型の楓太にとって、これから大好きな時間が始まる。振り回されたような1日なのに、わくわくした感覚が楓太を包んだ。
「さてと、ここまで来たら電話だよな」楓太が電話をかけようとしたその時、携帯が鳴りだした。驚きながら電話に出ると、その相手はユイだった。
「着いたところでしょ?そろそろだと思ったの、バッチリじゃない?すごくない?いいタイミングで携帯鳴らしたから驚かなかった?」道案内というより、殆ど遊んでいる様に感じる女のノリにも少し慣れてきた楓太は、付近を見まわしながら話を続ける。
「一応、今は桜橋の交差点です。次は?ここから近いんですよね?」と聞き返すとユイは
「なんや、あんまり驚いてもらえへん。」と呟いた。
初めて彼女から関西弁を聞いた時だった。そして気を取り直すかのように
「うん、もう近いよ。あのね角にカフェあるでしょ、そのカフェ横の街灯を見てみて。蝙蝠のイラストない?」
「街灯に蝙蝠のイラスト?」俺は電話をしながらカフェの近くに向かった。
街灯を見つけ言われるままに見上げると、そこには小さな蝙蝠のイラストの看板らしきものが付いていた。
「あ!ありました!小さめの看板のようなものですよね?黒い蝙蝠のイラストありました」
「その蝙蝠の向いている方に歩いてきたら、この店に着くわ。蝙蝠の向く方に街灯あるからそれに従っておいで。あと少しで会えるね楽しみ。」と言い電話を切った。
今思うと俺は、そのあたりからバイトに対する不安も疑問も無くなっていたような気がする。不思議なチラシに、不思議な店員。とどめに蝙蝠の看板。好奇心だけで目的地を目指していた。
ユイの言うように、蝙蝠の看板は街角やポイントとなるところの街灯に着いている。店の名前など書かれている訳ではない。本当にシンプルな黒の蝙蝠のイラスト。それがそれぞれの所で右に向いたり、左に向いたりしながら道案内をしている。蝙蝠の看板に従って歩いて5分くらいしたころ蝙蝠のイラストが下向きになっていた。
「下ってことは、店は地下にあるのか。」楓太は街灯の付近のビルを見回した。
するとそこにはいつから建っているのだろう。おそらく50年は経っていそうな古いビルがあった。しっかりとしており重厚で丁寧な作りだと思う。地下2階、地上3階建てのビルの様だ。他のビルの様に明るく電飾が付いている訳でも、目立つ看板があるわけでもない。
はっきり言ってビル自体が暗い、歴史と言われればそれだけはかろうじて感じる建物だ。
昼間でも暗いはずだ。そんなことを考えながら楓太はそのビルに入っていった。
ビルに入って正面に1つだけ小さなエレベーターが見える。楓太は乗り込みエレベーターの階数の表示部分に目をやると、地下1階の所に蝙蝠のイラストがあった。
楓太は迷わず地下1階のボタンを押す。
エレベーターのドアが開くと2つの看板が見える。向かって右手は飲食店の様だ。
店の外にまでいい香りが漂っている。何料理のお店だろうと思いつつ、その左手を見ると目的地と思われる看板が見えてきた。
蝙蝠のイラストの下に、チラシと同じ【おもいでや】と店名らしきものが書かれていた。
看板とお店のドアを眺めていると、先程のエレベーターが開き、俺の後ろに誰かが迫ってきた感じがした。咄嗟に俺は邪魔になるだろうと避けようとしたのだが、その時――
――あっ
後ろから来たと思われる人が自分をすり抜けて店に入っていった。
その瞬間、目の前のドアが歪み俺は倒れそうになる。すり抜けたものが何者か、自分に何が起こっているのか考えることも出来ず、楓太は必死にドアノブを掴もうと探し、店の中に入ろうとした……
――見たことのない天井……何の香りだろう、お香かアロマかわからないが、優しい香りがする。
「はっ!俺、バイトのチラシ見て、店の前に来て、何かすり抜けたんだよ!」最後の記憶がよみがえり体を起こした。
勢いをつけて起きたため楓太の周りに置いてあったカバンが落ちる。その音に気が付いたのか、今日は何度も聞いているユイの声が隣の部屋から聞こえてきた。
「あー、気が付いた?大丈夫?なんか飲み物でも持ってこようか?」
「いやっ、だっ大丈夫です。すみません。」慌てて身なりを整えて立ち上がると同時にドアが開き、電話口から聞こえていた声の主、ユイが笑顔で立っていた。
「本当に大丈夫?まぁ顔色は悪くないし、怪我もないみたいだけど、驚いたよ。うちに持ち込みしてくれる子と店の前で会ったんだよね。それ聞いて慌てて出たら、君が倒れてるんだもん。大きいから運ぶの大変だったんだよ。まぁ、何もないからよかったんだけど、あ、自己紹介忘れてた!初めて会うのにドタバタしちゃったね。私はユイ、折笠ユイって言うの。ここで働いて6年目かな。このお店で色々やってます」
そう言うとペコリと頭を下げて挨拶をした。その仕草が思いがけず幼く、彼女を若く見せた。
「俺は、あっ、いや僕は櫟楓太です。大学1回生です。なんか、しょっぱなから倒れたりしてご迷惑をおかけしました。」と頭を下げた。
ユイはクスクスと笑いだし、楓太を見つめた。
「ふーん。今回はこういう子なんや……」と呟き、電話の時のような勢いが戻ってきた。
「楓太君ね。櫟君がいい?楓太君って言って欲しい?あ、楓ちゃんとか?櫟君だから、あーちゃんとか?あはは。私は楓太君って呼びたいから、よし!楓太君に決まり!」とご機嫌だ。
「俺の意見聞かないで、決めちゃうんだったら聞く意味ないじゃないですか!」と思わずツッコミを入れてしまうが、彼女の興味と話題は進んでおり、楓太の意見は見事にスルーされた。
聞きたいことは山盛りなのに、彼女のペースにどんどん飲まれてしまう。それなのに不快な思いをさせない空気が彼女にはある、電話の時もそうだった。
実際に会ってもそう感じるのだから、不思議な女性だというのが楓太のユイに対する初めての印象だった。
次に颯太が口を開く前に、勢いを変えることなくユイが話し始めた。
「楓太君さ、今日から働けるんでしょう?」
いきなり言われて慌てるのだが、ユイは気にする事も無く続ける。
「聞きたいこともあると思うんだけど、もちろん答えれることは全然答えるけどさー、まず仕事なわけ、だってもう混んでくる時間なんだもん。金銭授受もないし特別マニュアルもないし。あ、うち研修期間もないし。難しくないから、今日からすぐできるよ。だから今日、今からここ座って仕事して帰ってよ。よろしく。」と言ってユイが楓太をお店の入口と思われる場所に連れていく。
「ここに座ってたらいいの!お客さんが入ってきたり、うちに届け物を持ってくる人たちが来るからさ、その対応だけ。ほらチラシにあったでしょ、店番ってさ。」ユイはニッコリ笑って俺を入口の椅子に押し込む。
「あと、うちのお店って変わったもの扱ってるからさ。後で説明はするけど取りあえず、今日覚えて欲しいのはうちには2種類のお客様がいるってこと」
「2種類のお客様?」
「そう、ここは占いとヒーリングのお店もしているの。そこに訪ねてくるお客様。女性が多いかな。悩める女子的な!」と言い、またクスクス笑う。
「もう1つが、チラシに書いていた思い出を取り扱うお店」俺はチラシを思い出し呟いた。
【おもいでや】
「うん、そう【。おもいでや】って言うの」そう返事をしてユイは今日の手順を説明していった。
とにかく今日の俺は、占いやヒーリンググッズなどの要件で来たお客様は、店の右手奥の部屋を案内すればいいらしくユイが対応するらしい。
そして俺はそれ以外のお客様の対応をすればいいらしく、こちらは特別愛想を振りまく必要も無く、また金銭授受も無い。
ただ訪ねてきた人達は青い袋を持ってくるので、その袋を預かり、お店にある赤い瓶に詰めかえるようにと言われた。つまり、店番をしてお客様がどちらの店に来たのかを割り振るのだ。
「とにかく、青い袋を持ってきたお客様は俺の担当で、袋の物を瓶に詰めかえるという仕事……」
ユイの説明を心で繰り返した。確かに謎は多いが簡単だ、次第に不安が消えてくる。
ユイはもうお客が来る時間だから詳しく説明ができない――とか何とか言いながら、店の準備をしている。
俺の方はバイトをするとも言ってないし、さっき俺をすり抜けたやつは何者か?その答えも聞いていない。働くにしても店番という事だけで、この店の業種も何もはっきり知らされていない。普通ならあり得ないことなのだが、これもすべてユイの勢いと、何故だかわからないが彼女の思うままに動かされてしまう不思議な力に違いない。
また俺も、嫌なら帰ればいいのに、どこかでバイトをするとすでに決めている。
何か始まりそうな予感――
俺の心の奥底が今までにないくらい騒ぐのが楽しかったからなのかもしれない。
次の日は珍しく目覚ましが鳴る前に目が覚めた。と言っても今日は大学は休み、朝はのんびりできる。
バイトまであと5時間はある。楓太はベッドにもう一度潜り込み昨日の事を思い出す……
――本当に不思議な1日だったなぁ
仕事内容の説明を受けてから1時間もしない間に俺の初仕事は始まった。とにかく店番だからここに座っていたらいいと、俺はユイに言われるままに、店のドアを開けてすぐ右手の受付カウンターに座った。
見まわすと店の前は看板だけで味気ない。しかし、一歩店に入ると良い香りで、目に優しいライティング。受付の向かって左奥は占いなどのセラピーの部屋らしい。壁の色もラベンダー色で、周りに置いてあるテーブルやソファもセンスが良い。海外ドラマに出てきそうな色あいだ。占いやヒーリンググッズも置いているとユイは言っていたので、きっとこんな感じは女子受けするのだろう。これがユイの担当のお客様用の部屋。
そして受付カウンターの右側には俺の担当する仕事の部屋がある。ここはお客は入らない。俺やユイだけが入る部屋。紺の壁には棚が作り付けられている。椅子やテーブルはないが、棚には置かれている瓶が見えるようにライトが照らされている。まるで瓶の部屋だ。ここは入口が小さいのに中は広くなっていた。
そして最後は受付の後ろの部屋だが、そこが昨日俺が倒れて休んでいた部屋。つまり従業員が自由に使える部屋、ブレイクルームでトイレやシャワーまで用意されている。
俺は、ユイにオーナーなのかと尋ねたら、
「とんでもない、占いや、少し変わったことはできるけど、雇われているだけ、オーナーは他にいる」と言っていた。
オーナーはよく店に来るのか聞いたところ、殆ど店には来ないらしく、ユイにも電話で指示がある程度で、本当に困ったことがある時だけユイから連絡をすることになっていると言う。
それよりもオーナーのことを聞いた時に説明してくれたユイの様子は実に面白かった。
「オーナーね、超イケメン!頭も切れるし背も高いし。もちろん不思議なことも出来るからね、尊敬してるよ。萌え要素満載なんだよね。」とニヤニヤしていた。当然テンションは高い。
俺のユイの第一印象は、とにかく電話でのテンションにあてられ、強引でうるさい女だってたがその反面、これだけ強引で自分のことしか言わないのに話していると心地よい、こんな感覚は初めてで、とにかく興味がわく人だった。
そして実物のユイを見て驚いた。化粧は薄めなのだが整った顔立ち。背も高くモデルと言われてもそうだと思うような美形だった。だが、そのイメージを破壊するトーク力を持っている。黙っていたら美人、まさにこの典型だった。これは電話で想像していた通りだった。
簡単にお店を見回って、お客が来るまでの間に少しユイと話していた。
その時ガチャっと店のドアが開きチャイムが鳴る。そして俺の前に一人の男が進んできた。何も言わず青い袋を差し出してくる。俺はユイに聞いたとおりに袋を受け取り、ログらしき用紙に名前を書いてもらう。俺の対応はそれだけで袋を持ってきた男は何も言わず帰って行った。
そして俺は受け取った袋を後ろの部屋に持っていき、赤い瓶に移し替える。正直言って、中身が何か聞いていなかったので移し替える時にドキドキした。
袋からの手触りは小さなビーズが沢山入っているような感じだ。こぼさないように瓶の口に袋の口を差し込んで移し替える。サラサラと乾いた音がした。
「よし、こぼれてない!上手くいったな」
覗いてみると想像通りビーズの粒の様だ、瓶に入っているのに薄っすら光っている。蓋をして棚に置こうとした時、楓太は驚いた。
さっきまでは何も書かれていなかった赤い瓶に『佐々木 美憂・家族との別れ』と刻印が入っていたのだった。
「え、何これ……どうなってるんだ?どういう仕掛け?」楓太は瓶を持ち上げてみたり、ライトにかざすが全く理解できなかった。そうこうしていると、またお客が入ってきたチャイムが鳴った。
「やべ、ただいま参ります、お待ちください」
颯太は気になりつつも、その瓶を棚に置き受付に戻った。
次も男の客だが先程の客と違い言葉は交わさないがニコニコしている。動物で表すなら信楽焼のタヌキが人間になったような男だ。同じように名前を書いてもらって袋を受け取る。その男が出ていったと思えば女が入れ替わりで入ってくる。その繰り返しで後ろの部屋にその都度持っていくことも出来ず、楓太は受付カウンターの足元の棚に青い袋を積んでいった。
来るお客は男も女も同じくらいの比率で年齢はバラバラ。共通して言えるのはお客が言葉を発しないことだった。
気が付いたら終電間際になっており、瓶に移し替える作業だけ何とか済ませ、楓太はユイに残りの仕事を引き継ぎ家に帰った。
そして今、気が付いたら朝だったわけだ――
「よくわかんないけど、マジ忙しかったよなぁ。帰ってきてからの記憶あんまないし、夢も覚えてないや。今日仕事行ったら、ユイさんに昨日聞けなかったこと聞かなきゃ」と颯太はモソモソと起きだし、朝と昼の一緒になったご飯を食べる準備をした。