新しい色と理科室パニック(3)
「ノー! このままじゃ間に合いません」
「ううん、こうなったら先に模型の方から?」
先に人体模型に黒の色を叩き込み、動きを止めたところで引き剥がす。その望みに賭けて机から飛び出す翠だが、生じた隙を蝋のイロクイは見逃さなかった。
『イタダキ!』
イロクイはすかさず体を伸ばして翠の足を掴み、そのまま包むように彼女の体を取り込んだ。
「リクミヤさん!?」
返事が帰ってこない、視線を向けた先にはうごめく白い塊。サンの心に暗雲が立ち込め始めていた。
自らの身体の中に取り込んだ蝋のイロクイは、翠の手足をそれぞれ縛り上げ、スカートの前方をまくりあげる。
『ウヘヘ、エロイポーズ取らせて染め上げてヤル』
そのまま下着が丸出しになるようスカートを固定し、まるで下から上にスカートをめくられたかのような格好を取らされてしまっていた。
「こいつ、中身はエロケンのままか」
城奈と同様、健児のこともよく知っている。クラスのガキ大将であり、スカートめくりの常習犯として知られている男子――なので翠は『エロケン』と呼んでいる。そんな奴だからこそ戻すのを渋っていたが、こんなことになろうとは思いもよらなかった。
『ダマレ! こいつはもうオレのものだ。それにオマエはここで染め上げられる。ゲコクジョウだ!』
「そう、言われると……」
翠の手足は縛られ、色を塗るにもイロクイに届かないように固定されていた。きらりがいればなにか変わるかもしれないが、ここにはいない。サンも美奈子で手一杯というな状況。イロクイに取ってすれば、またとないチャンスだろう。
イロクイの蝋は翠の下半身を飲み込み、足とスカートにしつこく蝋を重ねていく。さすがに何度も重ねられてしまえば、色も使えなくなってしまう。全身もまた、同じことだ。
『このまま全身蝋で――ナンダ、アレ?』
このまま上半身と腕も固めようとするイロクイ。だが、ふいに蝋のイロクイが怪訝そうな声を上げて動きが止まる。イロクイの視線の先には、赤い色が撒かれていた。
「なんだか知らないけど、この距離なら十分届くんだよね」
翠は緩んだ蝋を振り払うと、手に黒い色をためていく。
『ゲッ!?』
そして有無をいわさず手を蝋の中に突っ込むと、力の限り自分の色をイロクイへと流し込んだ。
『グゲエェェェ!!?』
黒色を流し込まれ、蝋のイロクイは思わず翠から飛び退く。翠の下半身は固められたままだが、それ以上にイロクイの体は灰色に染まり、黒く変色しつつあった。
『あの"赤の色"さえ、なければ……』
黒く染まった蝋イロクイは力なく声をあげ、ぴくぴくと震えるだけしか動けなくなった。拘束が緩まず、手も固められてしまえば倒すことは叶わなかっただろう。翠はなぜ解放されたのか知るために、周囲を見回す。
「赤の色……あっ」
翠が扉を見ると、閉めていたドアが何故か開かれ、入り口近くの机には赤い色がぶちまけられたかのように残っていた。
「うぅ、もう限界です」
翠が抵抗していた頃、サンもまた限界に近づいていた。美奈子の脳模型が入れ替えられてしまえば、彼女の全てがイロクイになってしまう。そうなっては元に戻すことも出来なくなってしまう。
サンの色、『オレンジ色』は活力の色。色の代わりに補充し、力を分け与える色。この色は一般人がイロクイの犠牲にならないように使うもの。父と誓った大切な力だ。
「だから、だから負けません。リクミヤさん、必ず倒してやってくれます」
自分の色を使い果たしてでも耐えぬく。決意を新たに色を注ぎこむも、すでに眼球を入れ替えられ、人体模型イロクイの手は美奈子の脳模型に伸び、触れる。
「(それ、だめ――)」
色に抵抗するようにゆっくり力を込め、脳が引き出されていく。美奈子の意識は消え失せ、いよいよ物言わぬ人体模型へと変わる。さらにイロクイはもう一方の手で自分の脳を引き出し、人体模型のイロクイはゆっくりと入れ替えようと腕を動かす。
だが、その手は動きを止め石のようにこわばり、動かなくなる。人体模型のイロクイは燃料の切れかけた動力のように激しく軋み、抵抗するも動くことはない。そして、握っていた美奈子の脳模型が指から滑り、元の器に戻った。
「サン、引き剥がして」
「はい!」
間に合った。蝋イロクイから抜けだした翠は腕で這ってイロクイにしがみつき、黒色を左半身に目一杯流しこんでいた。そしてサンは人体模型となった美奈子の太ももを持ち、素早く引き剥がす。
「戻って下さい、まだ、大丈夫です!」
握られていた脳が戻ったことで意識が戻り、奪われ続けていた美奈子の色が満ちていくと、顔の欠損も元通りに治っていく。美奈子の体は少しずつ、元の姿を取り戻していった。
「もう疲れた、動かなくなれ」
「…………」
人体模型を制御していたイロクイが黒で塗りつぶされると、人体模型は動きをとめ、元の模型へともどった。
…………
……
理科室に静寂が戻り、蝋人形だった少年達はサンによって元に戻された。教壇に隠れていた2人は、蝋のイロクイに取り込まれていた間にうまく抜けだしたのだろうか見つからなかった。イロクイを撃退した2人だが、これで全てが解決ではない。
「サン、あと1つお願い」
「オーケー、これ――ワオ」
後ろを振り向いたサンが思わず目を覆う。机から蝋のイロクイを掴んで翠をみると、イロクイによって白く固められた、パンツ丸出しの翠の下半身が飛び込んできたのだから。
「見るな、忘れろ、やれ、はやく」
「ス、スミマセン。日本の女性って怖いです……」
ドスの聞いた翠の声にサンは慌てて視線を変え、残っていた瀕死のイロクイからケンの色だけを補充していく。イロクイの体は元の健児の姿に戻り、そこには幸せそうな表情で眠っている健児の姿があった。
その後、理科室で起こった騒動は先生の耳に入り、サンと翠は先生にたっぷり怒られた。備品について怒られることはなかったが、理科室でチョークを投げたり人体模型を動かしたことは許してはもらえなかったようだ。サンと二人がかりでも重たい人体模型をケースの中に入れることはできなかったから、仕方がない話ではある。
放課後、罰の理科室を掃除しながらサンは翠に洗いざらい事情を話し、美奈子の暴走を止められなかったことを詫びた。その様子に翠はしばし呆れた目で見ていたが、クラスメイト――城奈の取り巻きに煙たがられていたことを知っていた翠は、サンを許しメールアドレスを交換したのだった。
健児と美奈子は保健室に運ばれたが、健児はすぐに起き上がったという。助けてもらったサンとは友達となったようだが、スカートめくりは未だに続いているようだ。
一方、美奈子はしばらく学校に休み、カウンセリングを受けることになった。イロクイから受けた苦痛がトラウマとなったのか『お腹をとらないで、殺さないで』と呻いていたという。クラスメイトへの脅迫や強要も後日明かされ、先生はしばらくその処理にてんてこ舞いとなった――が、翠にとっては心底どうでもいい話だった。ただ一つ、美奈子のスマートフォンの中にあった脅迫データは全て削除されたということに安堵を覚えつつ――
気になるのは、助けてもらった謎の赤色。誰がやったかは分からないが、この学校にもう一人色使いが居ることは間違いない。だが、今はそれすら考えるのが面倒だった。
「……疲れた」
家に戻った翠は自分の部屋に入り、ベッドに身を投げ出すのであった。
◆今回のおさらい
・サン・青葉
翠のクラスに引っ越してきた転校生。イギリス出身のクオーター。
男だけど中性的な顔つき、やや引っ込み気味。日本語はやや不慣れでイントネーションが不安定。
オレンジの”色”を流し込むことで、イロクイによって染め上げられた一般人を助けることが出来る。
・四谷・城奈
翠のクラスメイトでお金持ち属性。
ツインテールと二股のアホ毛という四又の髪型が特徴的。
口調も特徴的。
・杉下・健児
翠のクラスメイトで、悪ガキ的存在。通称『エロケン』
いつもはスカートめくりとかやるが、美奈子に弱みを握られ手足同然に扱われ、蝋イロクイに体を奪われることとなった。
・時任・美奈子
翠のクラスメイト。あまり目立たない城奈の取り巻き。
裏で他のクラスメイトや生徒を脅迫し、自分の意のままに操っていた。
しかし人体模型のイロクイにやられ、ひどいトラウマを受けてしまう。
・蝋のイロクイ
不形のイロクイだが、健児の体を得ることでパワーアップした。
身体から蝋を撒き散らすことで対象を蝋人形に変え、自分の力を強める性質を持っている。
黒色に弱く、火のような色に引きつけられる。
・人体模型のイロクイ
正確には『人体模型に取り付いたイロクイ』
対象を人体模型に変え、模型の中身と入れ替えることで対象の色を空っぽにしてしまう。
見た目と相まって怪談に出てきてもおかしくないイロクイである。
動きは非常に鈍い。