新しい色と理科室パニック(2)
――そして理科室。
美奈子の下調べもあり、誰も使われていない理科室には子供たちが集まっていた。
「うまくやれたわね。いい? 六宮さんが来たら回りこんで隅に追い込む。それまで机の下で隠れてなさい」
集まっている子供は8人。美奈子と健児、サン、そして健児が家来と言っていた少年3人と少女2人。サンを除けばそれぞれが美奈子によって弱みを握られ、従わざるをえない状況下にあった。
健児もまた、美奈子によって脅されている身。言いふらされればリーダー的存在から一転、世界の敵となってしまう。
「あいつ、来るのか?」
「放置するならあいつが理科室の備品を盗んだことにするだけ。絶対来るわ」
根拠の無い自信を盾に、美奈子と健児も後ろの机に隠れる。サンも健児に引っ張られる形で一緒に机の下に潜っていた。
「ミナコさん。こんなこと絶対良くありません。今すぐ――」
「黙りなさい」
「ヒッ!」
底冷えする言葉がサンの腰を引かせる。
「あんたがあのケースを受け取った時点で共犯よ。失敗したらそうね……化粧でもしてあげようか」
「メイク、ですか?」
「そう、そして写真を撮るの。他の人に見せたら、カワイイだけで済むかしらね」
美奈子の顔に悪意混じりの笑みが浮かぶ。
「うーん、ミナコさんがカワイイというのなら、喜んでもらえると思いますよ」
もちろんサンの考えているような、ただ化粧をしての写真撮影ではない。下着なども剥ぎ、あられもない姿の写真を撮る。それをサンを従わせる首輪にするつもりだ。さまざまな考えが交錯する中、時間は16時を周り、1分を過ぎようとしていた。分針が動き、時を進める。すると、同時に理科室の棚が大きく音を立てた。
「なんか今、妙な音が聞こえませんでした?」
「俺じゃないぞ」
「2人共黙ってなさいよ、翠に気づかれたらどうするの」
続いて美奈子の肩に人間の手とは違う、硬い物体が当たった。
「なによ、からかってるの――」
美奈子が怒りつつ後ろを振り向く。そこにあったのは、人体模型の顔。腕の模型が美奈子の方に乗っていた。
「イ、イヤァァッ!!?」
人体模型の口元がニタリと笑みを浮かべると、美奈子を机の下から引きずり出していく。
「美奈子!? 何だこの化け物」
「わから、あ、が、たすけ、身体が」
引きずり出された美奈子は人体模型によって宙吊りにされ、美奈子の体から『色』が霧のように吹き出す。人体模型に流れこむ色とは対照的に、美奈子の体には樹脂特有の光沢が走り、見開いたまま動かなくなる。服や髪も身体に張り付き、人体模型を彩るデザインと化していく。
そう、人体模型のイロクイはこのようにして色を奪い、彼女を同じ色に塗り替えようとしているのだ。
そしてイロクイは美奈子の模型人形を地面におろし、変化が終わった胴体の表面をに手をかけ、そのまま取り外す。
「(ひっ、私の身体に変なことしないで!)」
美奈子の模型の中には、人体模型と同様に腸や胃、心臓といった模型が詰まっている。イロクイは一番外側にある小腸と大腸の模型を抜き取り、表情を変えぬまま左手で自分の腸模型を抜き取った。
「( やめて、私から抜き取らないで)」
どちらとも本物ではないプラスチックで作られた作り物の塊。しかし、見る間に形を収縮させ、サイズを合わせると、イロクイは中身を入れ替えるように大腸をはめ込んだ。
「(お願い、そんなことされたら、死んじゃうから……)」
自分の体が変わったことに対する不安と、臓器を抜き取られるという恐怖。そして入れ替えられた場所から急速に熱と重みが消える感覚は、年端もいかない少女に死を感じさせる。
だが、人体模型のイロクイは再びニヤリと笑い、肝臓と膵臓の模型を掴んで入れ替え始める。内臓すらも入れ替え、色を全て奪おうとする恐ろしさに、サンの顔は見る間に青ざめる。
「イ、イロクイ……」
「イロクイだかアリクイだかいいから先生を――」
少年がサンに言いかけた瞬間、白い物体が少年に覆いかぶさる。
「うわっ、何だこの生ぬるいの!?」
「ケン君!?」
しばらくもがきながら抵抗を図る健児だが、その姿が完全に飲み込まれると見る間に抵抗が静まっていく。そのまま白い物体は人の形を作り始め、足の歪んだ健児――もとい、蝋のイロクイへと変化した。
『このカラダ、モラッタ。オレのものだ!』
「うわぁ! 健児が妖怪になった!?」
机の下から飛び出した健児の身体を得たイロクイ。その眼前に見えるのは、健児の声に運悪く飛び出した少年3人。
『オマエのイロ、ヨコセ!』
イロクイが力を込めると、腕が一瞬にして丸太のように膨れ上がる。そして破裂音とともに健児の腕が真っ二つに割れ、周囲に透明な液体がぶち撒かれた。
「腕が割れた!」「あつぅ!?」
近くに居た少年2人が液体をモロに浴び、逃げようとした最後の1人も足や手、背中に液体が降り注ぐ。直撃を受けた少年の全身は空気に触れることで白く蝋化し、すでに驚き、身をかがめてるつららの垂れる蝋人形へと変わってしまった。
「動かないよ! 誰かぁ!」
中途半端にかかった蝋は、少年の身体を滑るように広がり、侵食していく。動かなくなる恐怖に泣き出す、蝋は止まること無く全身を覆い尽くし、磨き上げられたかのような泣き虫蝋人形ができあがった。
『ハハハ、塗り替えた! どんどんオレ、強くなってくぜ!』
腕を再生しながら高笑いする蝋のイロクイ。だが、その声は健児そのものだった。
「早くここから逃げないと」「でもここからでたら固められちゃう」
教壇の後ろに隠れている少女2人も、うかつに出てくれば少年たちと同じように蝋人形にされてしまう。
少女一人に責め苦を与える子供の悪知恵は一転、怪異による惨事と化した。
「どうしよう……ええと、こんな時は"イロ"を使うしかない、ですね」
机に隠れていたサンは、かろうじて被害を負わずに済んでいた。それでも足元には少女だった模型の足。逆方向には蝋のイロクイ。逃げ場はおろか、下手に動けば的にされてしまうだろう。だが、このままでは美奈子の色が全て奪われてしまう。そうなってしまえば元に戻すことはできない。
「賽は投げられた――です!」
サンはすかさず美奈子の足を掴み、念じる。するとサンの身体からオレンジ色のオーラが立ち上り、足から美奈子の模型全体を包んでいく。
これがサンの『色』。そしてその色は少しずつ美奈子の体を生身へと戻していく。
「いけてます。これなら!」
このまま行けば少女の体からイロクイの力を飛ばし、元に戻すことができる。順調に思えてきたその時、目の前に白い”ヤツ”が覗き込んだ。
『ヘェ、色使いが近くにいるナンテ。気付かなかった』
「ウップス!? ケン君、今は待って!」
集中のあまり感付かれたか、とっさに逃げようとしたがすでに遅すぎた。蝋のイロクイは体を崩して、サンを包囲すると両手を掴んで動きを封じる。
「手が……」
そして、異変に気づいた人体模型のイロクイが机の下を覗きこむと、サンの身体は見る間にマネキンに変わり、生身の体は手首と頭だけになった。
「ス、ストップ、やめて、僕を食べても美味しくないですよ!」
『色使いの色を塗り替えるだけでもイイさ。ほーらどんどん色を変えてイクゼ?』
呆然とする人体模型を尻目に、蝋のイロクイの両手はサンの腕を侵食し、腕を少しずつオレンジ色の蝋に変え、足も着実に蝋に塗り替えていく。
「……」
手を伸ばし、体を自分の方に向かせようとする人体模型のイロクイ。しかし蝋のイロクイが身体でブロックし、阻む。
『ハハハ! あのウスノロに睨まれたら人形にナルンダ。こいつは俺が塗り替える』
「イタイイタイイタイ! 助けて、誰か助けて!」
『もう無理だよ、来たって何も変わらない、真っ白に――』
『真っ白な蝋人形にしてやる』。そう言いかけたとき、蝋のイロクイは背後からツブテを受け、体が弓なりに反れた。
『アア"ア"ァァーーーッ!!』
何が打ち込まれたのかはすぐに分かった。それは色、しかも自分の天敵である”黒色”だった。蝋のイロクイは背に火がついたかのように絶叫し、机の上で不形の姿で暴れ狂う。
「何やってんの?」
翠は手を払い、チョーク箱からもう一本、黒く染め上げたチョークを取りだし、投げつける。チョークは折れながらも床をはね、線を残しながら途中で止まった。
「リクミヤさん、もう一体いるからあぶないです!」
「知ってる、イロクイが2体とかまずいよね、かなり」
サンの言葉に机の下を覗いでいた翠は呆れつつも身体を戻し、チョークの粉を払う。サンも蝋のイロクイが悶えている間に変えられた部分を塗り直し、元の姿に戻す。
『キサマ、キサマァ! ヨクモ僕に、黒をブツケタ!』
しばらくするとイロクイの激昂が聞こえ、怒りのままにのたうちながら、翠の元へ這い進んでいく。
「ゴメンナサイ、みんな止められなくて」
サンは申し訳なく頭を下げる。
「それより、こいつらを何とかしないと」
「ハイ、それにケン君が取り込まれてます」
「助けたくないなぁ。でも、あとが悪くなりそうだし何とかしよう」
クラスの悪ガキリーダーである彼を助けるのに消極的な翠だが、イロクイが絡むとなると話は違う。イロクイに色を奪われた人間は衰弱して死ぬか、体を乗っ取られて人間などに擬態されてしまう。そうなっては新たな被害が増えてしまう。
やることは一つ、対抗できる色を持っている以上はイロクイを追い出すしか無いようだ。
「サンでいいよね、蝋のは何とかするから人体模型を止めて」
その人体模型のイロクイは翠の黒色に表情を動かすこと無く、美奈子の模型に視線を戻す。そして肺や胃、心臓を次々抜き出していく。その手はサンの色を物ともせずに動かし、ペースを早めていく。
「今やってますけど、ミナコさんの色をキープしないと」
「だったら――あぁもうこいつ」
瞬間、飛びかかる蝋のイロクイを避ける翠。
「そいつの蝋も、ついたらピカピカになってしまいます!」
机の下にかがみ、黒い色と一緒に飛んでくる蝋をやり過ごす翠は、『ピカピカ』という言葉に、近くに佇んでいるクラスメイトの蝋人形を見る。
「あぁ、何となくわかった……まずいねこれ」
『アアアアアア! クロイヤツ、潰す!』
流れるような動きで翠に体当たりをしかけ、間一髪で避ける。もし包まれれば蝋人形になってしまうかもしれない。だが、前に出ると今度は後ろからイロクイが襲い掛かってくる。
『ぶつかってヤル、ヌリツブシテヤル!』
再度突進するイロクイは机の脚を蝋に変え、今度は首だけだして様子をうかがう。
「こうなったら、いちかばちかかな。もう少し行ける?」
「僕はいけます。でも、どんどんミナコさんの色が無くなってます」
「いいからおもいっきり注いで。そいつ、少し痛い目見せていいから」
翠の言葉にありったけの色を美奈子に注ぎこみ、急場をしのごうとするサン。しかし、サンの行為は穴の空いた桶で水をすくうかのように、少しずつ美奈子のパーツが入れ替えられていく。そして、人体模型のイロクイが美奈子の心臓を入れ替えると、同じく交換した肋骨の模型で蓋をした。
「(たすけ、て。わたし、なくなる)」
しばらくして、美奈子の顔半分に線が入り、人体模型が力を入れて外すと、顔の筋肉と眼球、そして脳の模型が半分だけむき出しになる。その姿はまさに、理科室に飾られている人体模型そのものだった。