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しろくろにっき  作者: 猫艾電介
23/25

救い出す色ときえる色(2)

「ここかぁ!」


 何が起こったのか。思考するよりも早く、答えが手術室の扉を開け放たれる。赤い髪に切れた瞳、いかにもやんちゃな顔つきの少年――そこに立っていたのは、神社で寝込んでいたはずの杉下健児だった。


「クソ鬼と色の化け物…… いや、これサンだよな。きっとそうだ!」


 全員が呆然とする中、健児の目に映ったのは、橙乱鬼とオレンジ色の人間とスライムを混ぜたような奇妙な物体。だが、ちょうど構成していた上半身の姿を見て、健児はサンだと察した。


「何だお前、洗脳してた半端者か。ならまた――」


 青を飛ばそうとする橙乱鬼の色を、黒色が遮る。


「どうやって来たの、エロケン」

「エロケンじゃねぇよ! 刑部(ぎょうぶ)っておっさんが連れて来てくれたんだ。途中すっげぇ沢山イロクイがいたけど、今はおっさんらが必死で防いでいる」

「刑部……あー」


 紫亜が電話に出て顔を曇らせていたのはそのためか。合点の付いた様子で翠は納得する。


「それだけじゃないぜ……やいクソ鬼、お前を封じる"まじない"ってのがもうあるんだぜ!」

「まじない?」

「何かやってるの?」


 橙乱鬼に指を突きつけ、言い放つ健児。 に疑問を呈する2人。その中で唯一、橙乱鬼の表情が歪んだ。


「何だと!?」


 慌てて橙乱鬼は色の霧になって手術室から逃げようとする。だが、橙乱鬼の身体は見えない壁にでも阻まれているかのように弾かれてしまった。


「イロクイと色鬼を枠の内に封じる『色淵結界(いろぶちけっかい)』、間に合いましたな。奇妙な生き物も何とか足が止まりましたぞ」

「刑部さん……ありがとうございます」


 意識を取り戻しつつあった藍が礼を言ったのは、結界の儀を取りしきる30過ぎようかという男性。ワイルドにひげを口に蓄えた神職装束の男性こそ、健児の言う『刑部』なのだろう。彼の構築した結界が橙乱鬼の逃げ道を塞いだ格好となった。


 続いて翠よりも年の高い女性が数人、藍と紫亜を介抱しに向かう。


「紫亜様!? なんて恐ろしい、こんなモノと戦っていたなんて」

「三隈さん、身体を取り戻されたのですね?」

「はい、大丈夫です、それより……」


 眼鏡を失ったまま、視界の定まらない目で紫亜を探す藍。そして氷像らしき物体をぼやけた視界に捉える。姿形は変わっても、きっと紫亜に違いない。藍は意を決して、言葉を投げかけた。


「紫亜ちゃん、しっかりして! こんなの紫亜ちゃんらしくないよ!」

「(ラン、ラン……? ソメタイ、ワタシのトモダチ……)」


 自分の持つ色が怪物となり、顕現しようとしている。大切な物を自分の色に染める。自分の領土を広げることは、何より勝る存在意義――。紫亜の脳裏では、これまで共にしてきた"色"がイロクイに塗り替えようと反抗を続けていた。


「(ダメ、染めちゃ駄目!)」


 塗りつぶされていく考えを振り払い、こらえる紫亜。次第に色の暴走も鎮まっていくが、それでもいつ自分の色が再暴走するかわからない恐怖に紫亜は怯えていた。


「(コナイデ! 藍、アナタはまだ身体が……)」

「大丈夫、まだこの色に馴れてはいない……けど、苦しまないようにするから」

「いけません! 色鬼から身体を奪い返したばかりでそんなことをしては、無理がかかってしまいます」


 藍を介抱していた巫女装束の女性が制止するも、藍は臆することなく氷漬けの紫亜だったモノに近づく。


「それでもやります。私のために紫亜ちゃんはこんなになるまで頑張ってくれたのです。だから、今度は私が頑張る番です!」


 半ばイロクイになりかけている紫亜に近づき、手のひらから少しずつオレンジ色を流れ込む藍。その暖かな色は橙乱鬼の放った青色の氷を溶かしていく。


「(慎重に、慎重に……)」


 同じ色でも、これは助けてもらった子の色。力に拒絶され、暴走することがないよう色を慎重に流し込む。やがて色は紫亜の全身を巡り、橙乱鬼の藍色も床に流れ出して蒸発し始める。その身から艶のある肌が見え始め、暴れていた紫亜の"色"は元の肉体へと戻っていった。


「藍、ちゃん」

「よかったぁ……!」


 藍は感極まり、突っ込むように紫亜に抱きついた。眼鏡がないせいか視線が定まらないが、紫亜はしっかりと藍を受け止めた。


「うんうん、良かった。本当に……本当にようやく、これも返すことができる」


 紫亜が胸元の内ポケットから取り出したのは眼鏡ケース。その中には、イロクイによって食われ、吐き出されたあとに放置されていた藍の眼鏡が入っていた。


「ありがとう紫亜ちゃん。やっぱりこれを付けないとよく見えないのよね」


 藍が眼鏡を付けると、ぼやけていた視界が明快なものになる。くっきりと見えた紫亜の泣き顔に思わず笑みを浮かべ、告げた。


「ただいま、紫亜ちゃん」



 時を同じくして、健児は背中を翠に任せ、サンと接触していた。すでにサンの身体は人間の姿をほとんど失い、時々見せる少年も見せなくなるほどにまでイロクイに近づいていた。


「サン、ドッジボールやろうって言ったよな。今度はあれこれ抜きでやろう。それに秘密基地だってまだだ。あとは、あとは……」

「ケン、くん。オイシソウ」


 サンが健児に近づき、身体をすり寄せる。寄せた場所から健児の身体は橙色に染まり、塗りつぶされていく。


「バカ、俺を食ってもおいしくない! お前にくれてやるのはこっちだ!」


 健児は取り込まれた腕から自らの色を吐き出そうと試みる。あの時――橙乱鬼によって操られていた時に感じた呼吸を思い出しながら、力を吐き出していく。身体が痛み、心がけずれそうになる。まるで命を吐き出すかのような感覚。それでも助けたい一心で流し込む色は"緑"。毒の色でもあり、傷を治す薬の色。


「ウウッ、ニガイ! ヤメテ!」

「いつも通り大人しくしてろ! 上手くいかないと、不味いことになっちまう」


 サンの形をしたイロクイに流し込まれた色は混ざり合い、イロクイは激しく暴れてはサンの表情を何度も見せる。健児も命を削るような脱力感に耐えながら、毒となる色を流し込まないように必死で押さえ込む。すでに健児の身体半分はオレンジ色。それでも自分とサンのことで精一杯だった。


「シロナ! シロナァ!」

「しろ……四谷のことか、てことは、やっぱり……」



 健児の頭の中に、拾ったあるモノが浮かんだ。ここに向かう途中、あるモノを踏みつけてしまい慌てて拾ったもの――それはほどけかけた、肌触り良い高級そうなリボン布だった。最初は落ちていたリボンだったものをどうしようか迷っていた。だが、健児はシロクイがぎっしり詰まった室内に恐怖を感じ、そのまま持ってきてしまった。


 もし城奈が色使いであってもなくても、あのイロクイ相手では生きているかどうかわからない。しかし、事実をそのまま言っては余計に暴れるだけ……だから、健児はチャンスとばかりにまくし立てた。


「四谷はきっと大人達が助けてくれる! 白いぶよぶよしてる奴、そいつの近くにこいつが落ちてたんだ」


 健児はほどけかかっている蝶のように大きなリボンを突き出し、押し込むように渡す。身体で受け取り、城奈がいつも付けていたモノだとどこかで感じていた。


「あいつらは大人達が押さえ込んでる。でも部屋の中にはあの化け物がぎっしりいる。色使いなら、助ける方法とかあるんだろう!?」

「!」


 さらにサンの身体に押し込まれるリボン。そして、健児の言葉にショックを受けたかのように身体を硬直させるイロクイは、ほんの一瞬ではあったがサンの自我を取り戻していた。


「(そうだ、僕は……城奈を守るって誓った、もし城奈がシロクイにやられたのなら、助けようって決めてたんだ)」


 なぜ忘れていたのか、後悔と共にサンは自分を取り戻していく。身体を2つに裂くような大口は収まり、色の牙が縮み、人の身体を取り戻していく。


「ボクは……城奈を助けないと」


 そして人間の身体に戻っていき、サンは決意を新たにするかのように瞳を開く。不安の塊だった姿は消え、今やその姿はどこか決意に満ちあふれていた。


「やった、目を覚ました! でももう俺を変なのに染めるなよ、もうロウソクなんてこりごりだ」

「変ッテ……僕の身体がどろどろ。それに……ケン君?」


 イロクイ化の影響か、サンの服は橙色に染まり、溶解しかかっている。身体もどことなくべたついて、柔らかく感じるが、次第に引き締まり、柔らかい人間の肌に戻り始めた。


「おう、無事か?」


 徐々に健児を染めていたオレンジが引いていく。サンが色を制御し始めた証拠だろう。健児もようやく安心してサンと話すことが出来るようになった


「うん、ありがとうケン君。君は、僕と城奈の命の恩人だよ」

「なっ、そそ、そんなこと、四谷を助けてから言え! まだあいつ、多分化け物に食われたままだしな」


 むずがゆさと共に思わずサンの背中を叩く健児。叩いた衝撃で服の一部が溶け落ち、流れていく。


「とにかく、あの2人がクソ鬼を何とかしてる間に、俺達は城奈を助けに行くぞ」

「うん、六宮さんに七瀬さんなら、きっと倒してくれるはず、です。シロクイ――化け物のところまで案内お願いします」

『その前に着替えてからな』と健児は軽くツッコミを入れ、にこやかな表情を返すサン。そのまま2人は手術室の扉に手をかけ、橙乱鬼に気づかれないようにこっそり結界の外へ抜け出した。


 サンの手には、城奈のリボンが握られていた。それを返しに行かなければ。



「貴様ァ! 貴様、きさまらぁ!!」


 紫亜もサンも助かった。シロクイも動きを封じられ、城奈には健児とサンが助けに向かった。もはや橙乱鬼の打つ手は全て潰えた。橙乱鬼は怒りのまま手術室を飛び出そうとするが、真っ黒になった翠の手が、橙乱鬼の手を構成する色をつかむ。


 軽い。布をつかんでいるような感触に近く、力を入れすぎたら翠の力でも吹き飛んでいきそうな軽さ。これが肉体を失った橙乱鬼の軽さなのだろう。


「逃がさないし……食い止める」

「つかむな、放せ!」


 引き寄せられる橙乱鬼が翠の胸に蹴りを入れるも、足の色が四散し、再び構成される。


「放さない、絶対にもう、放さない。エロケンだってそうだし、きらりもサン、城奈だって、みんな頑張ってる。私が頑張らないのは……嫌だ!」


強い意志とともに黒い色が鬼の中に流れこむ。


「ギィアアアアァッ!?」

 翠のもたらす色の侵食におぞましい絶叫をあげる橙乱鬼。もはやそこにあるのは人間ではなく、まさに"鬼"。3色がぶつかり合い、吹き出し、荒れ狂っていた。


「このジャリガキャあぁぁぁ!!」


 見る間に腕が真っ黒に染まり、崩れていく橙乱鬼。だが、腕は崩れたところから素早く再生し、決して離れることなく翠の手首を藍色に染めてつかむ。


「ひっ! つ、冷たい」


 翠は痛むほどの冷たさに顔を歪ませ、涙を浮かべつつも腕を離さない。冬の水でもここまで冷たくない。そんな冷たさをこらえつつも彼女は抵抗し続ける。ここで離せば、もうチャンスはないとわかっているから。


 まるでダンスを踊るかのように2人はもつれながら、鬼の腕は黒く、翠の手首は青く凍っていく。壮絶な痛みと消え失せていく感覚に苦しみながら、持てる生命力を腕に流し込み、橙乱鬼はなおも翠に染めようと試み続ける。まさに千日手、その終わりを打ったのは橙乱鬼からだった。


「クソが! 人間ごときが色鬼様に反抗するんじゃねぇ!」


 翠が握っていた彼女の手が突如として膨らみ、破裂した。


「っ、うあっ!?」


 橙乱鬼の手を離さず握っていた翠は衝撃をままに受け、身体が宙にはね飛ばされる。


「すーちゃん!?」


 慌てて腕を広げたきらりは慌てて止めに入り、受け止められたものの重さと衝撃に思わず後ろに倒れ込んでしまった。


「両手を色使いごときに潰しちまうとはな……だが、これでもうオシマイだ」


 すでに翠は満身創痍。きらりも疲れてきている。橙乱鬼もボロボロ。きっとみんな限界なんだと、きらりにもわかった。だからこそ、決めなくちゃいけない。固い決意のまま、きらりは翠の手を握り、目を向けた。



「サン君。すごく苦しんでたね」

「うん、紫亜も苦しんでた。城奈も……」

「だけど、何とかなったよね」

「……なった」

「あとは」


 こいつだけ。2人が手術室の床から身体を起こし、橙乱鬼をにらむように見据えた。


「この一撃で染め上げてやる。もう制御できない、この部屋と塞いでいる人間ごと染めてくれる!」


 橙乱鬼の腕や肩、角が崩壊し、色の塊が手のあった場所に現れ始める。橙色と藍色の球体。どちらも荒れ狂うかのように"色"がうごめき、渦を巻く。

「すーちゃん、色合わせだよ!」


「……わかった。きらりに任せてもいい?」

「もちろん! すーちゃんのお世話は慣れっこだもん」


 手を握り、きらりが力を込める。暖かく、明るい色が流れ込んでくる。


「流れ込まないようにすれば……いいんだよね」


 こくりと頷くあかり。黒く、冷たい色が腕から手に流れ込み、白と混ざり合う。


「(熱い……でも、今はこれぐらいが暖かい)」


 冷えた翠の手がきらりの暖かさに包まれ、癒えていく。白と黒は干渉し合うことなく混ざり合い、濁ることなく紡がれていく。


「塗り潰れろぉ!!」


 橙乱鬼から放たれた色の球体2つは互いにぶつかり、毒のような紫の火花をあげながら2人に向かっていく。まるで押しつぶすかのような勢いで迫る橙乱鬼の"色"。だが、2人は臆することなく、手に力を込める。すでに2人の色合わせは、極限にまで達していたのだから。


 目を開き、強く手を握り――翠ときらりは片手を橙乱鬼に突き出した。


「これで!」

「これでぇーっ!」



 塗りつぶされてしまえ。


 放った一撃は白と黒の渦を描き、橙乱鬼の生み出した球体をあっけなく飲み込み、塗りつぶしていく。

「な……っ!?」

 そのまま色の濁流に吹き飛ばされ、手術室の壁へと叩きつけられる橙乱鬼。

 ののしりと恨みの声すらも白と黒の渦に飲まれ、いつしか聞こえなくなった。

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