救い出す色ときえる色(1)
『三隈・藍』という肉体を失った橙乱鬼は、もはや追い込まれるだけの状態になっていた。
白と黒は色の中でも強く、あらゆる色を塗りつぶし、薄める力を持っている。ましてや2色の波状攻撃を食らおうものなら、"色"という生命力の塊である色鬼といえども一溜まりもない。何より、色を武器として扱う紫の色使い――真畔を潰し損ねたことが厄介に拍車をかけていた。
「すーちゃんそっち!」
「挟み込んで……当てたらごめん」
「平気! ガンガンやっちゃお!」
「多少ぐらいならぶつけても許す、ここで決めるよ!」
「うんっ」
前方の紫、後方の白と黒。当たれば致命傷だが、せめてもの救いは狙いが雑なことぐらいか。明らかに戦い馴れていない様子は橙乱鬼にもわかる。
「(やっぱりこいつら雑魚だ。なのに、なぜこんなクソ雑魚に追い込まれている!)」
真畔の一撃をかわし、様子を伺う橙乱鬼。攻める真畔に追いつけていない2人。一方で橙乱鬼の後ろには壁が立ちはだかり、これ以上の後退もできないでいた。
「(どうする、あいつらを塗りつぶすには……)」
「今度こそ……!」
翠が横投げに腕を振り、放たれた黒色が橙乱鬼の肩を染める。激痛が走り、侵食される感覚に苦悶の表情が浮かぶ。
「ぐうぅっ!? ま、待ってくれ。まだ話してないことがある!」
身を壁から避け、挟み込まれる形となった橙乱鬼は3人に呼びかけた。
「話していないこと?」
怪しい、怪しすぎる。翠と真畔が異口同音に否定的な意見を返す。
「本当だ。色鬼の伝承は巫女のやつから聞いたはずだ。あれは人間が作ったもんだ!」
『その伝承を教える』と橙乱鬼は言う。明らかに足を止める誘いだが、色鬼について知識の乏しい3人の興味を惹くには十分だった。
「……どうする?」
「確かに気にはなる、けど今聞くようなことじゃないような」
「きらりは聞いてからでも良いと思うけど」
きらりの言葉に頭を抑える真畔。即座に攻撃したい――だけどきらりの意思も尊重したい。それは翠も同じだった。
「なら、私も聞いてみる」
「ただし、変な真似したら即座に斬るから」
にらみつけ、色の剣を向ける真畔。その表情はどこか剣呑としている。
「おぉ怖い怖い。じゃぁ言うぜ? 元はと言えば、あの騒動は人間の色は食わないって言う『色鬼の禁』を破ったあいつが悪いんだ」
「色鬼の禁?」
橙乱鬼は言葉を進める。
「そうだ、色鬼は人間を食う――言い換えると染めることはしない。だがな、凶作を原因に真っ先にあいつが破った。そしてある呪いもかけたんだ」
「それって、昔話にでている色を奪った色鬼さんのこと?」
「だとしたら、話と全然違うじゃない。呪いってどういうこと?」
きらりと真畔が言葉をぶつける。物語では7人の色使いによって追い込まれた後、降臨した土地神様に許されたという結末になっている。呪いなんて単語は1つも出ていない。
「『色違い(いろちがい)の呪い』だ。持つ色を本来とは違う色に変えて、操る力を弱める呪いだ。お前の名前と色が食い違っているのが何よりの証拠だ」
「色と名前……」
あっ、と声を挙げる真畔。確かに名前と色が合っているのであれば、真畔は黒色。翠は緑になる。
「だとしたら、きらりは……」
「待って」
前のめりになって話を聞き入りだす真畔。しかし、彼女の行動に水を差したのは、翠だった。
「なによ、何かわかるヒントが……」
「そんな呪いを教えて、どうする気?」
「どうするもこうするも、お前の力を十分に引き出す手助けをしようって話さ。"色の力"が野放しにされてるなんておかしいだろう? それに色鬼もアタシだけじゃない。その時に力がいるだろう。なぁ真畔?」
図星を突かれ、真畔が歯がゆい顔をする。確かに力が欲しい、そのために作った色の剣だから。その傍ら、2人の様子をハラハラしながら見るきらりを尻目に、翠はあきれたように橙乱鬼を論破する。
「その力を戻す方法、今すぐ教えた所でどうにもならないじゃん。ここにいない紫亜やサン、城奈にエロケンは?」
「それはだな……」
「それは?」
にじり寄る2人。真畔も頭の中で整理しつつ、少しずつ冷静さを取り戻していく。
「まさか、それすら嘘?」
真畔が軽蔑するような瞳で橙乱鬼を見る。すでに3人とも橙乱鬼に対する、残り少ない信頼すらも失いつつある状態だった。
「いいや、半分本当だ。だがなぁ……もう十分だ」
その瞬間、橙乱鬼の目が大きく見開き、角に色の奔流が渦巻く。
「しまった!」
剣を横凪ぎにし、橙乱鬼を切り払う真畔。
「隙だらけだ、あぁお前らはみんな隙だらけだ。これだけ時間を稼げたら十分だ!」
角の色が四散するのとほぼ同時に、壁を蹴るような轟音が一度、手術室に響き渡る。そして、染められ、佇んでいたサンと紫亜の様子が変わっていく。紫亜は身体の中心に色が集まり始め、サンはゆっくりと、前のめりになって――そのまま色の塊となってきらりの元へ跳躍。覆い尽くすように取り付いた。
「きらり!」
「ひゃあぁ!? さ、サン君なんなの、何が起こってるの!?」
嵌められた。そう考えた時にはすでに遅かった。塊はきらりを取り込んで染めるべく身を崩し覆っていく。その途中に人間の上半身を表しては崩していく。その姿は――サンであり、崩れることで大口の怪物に変わる。その動きはまるで、色使いを狙うイロクイそのものだった。
「真畔、当たったらごめん!」
「遅いなぁ!」
自爆覚悟で色を打ち込む翠だが避けられ、橙乱鬼は真畔の腕へ橙色をぶつける。
「がっ、ああっ!」
痛みと熱さに色の剣が消え、腕を押さえて膝を崩す真畔。そこに橙乱鬼は追撃の橙色を容赦なくたたき込む。
「あいつはアタシの"色"に染まったんだ。奪ったものとはいえ色は同じ。あとは――"色"に呑み込まれ、イロクイに変貌するよう力を入れただけ。どうだ、味方が敵になるってのは!」
「さ、サンくん……?」
おそるおそる声をかけるきらり。目の前にいるオレンジのイロクイは人間態と怪物態を交互に変えつつ、きらりをオレンジ色に染めていく。
『染めたい、シロイのをオレンジにソメタイ』
「そうだ、染めてしまえ。人間よりもお前達の方が上だって証明して見せろ。この橙乱鬼様の前でな!」
さらに橙乱鬼が色のオーラを放つと、サンの姿が再び崩れ、大口を開けた異形のイロクイに変異する。
『ソメル、ソメルオォォ!!』
「ひぃっ! どどどどうしよう」
そのまま息を荒らげ、大口を開くサン"だった"イロクイに困惑するきらり。同時に壁が壊れる音が響き始める。
「シロクイが向かってる……四谷さん!?」
真畔が叫ぶ。シロクイがこちらに向かっていると言うことは、城奈がやられたことに違いない。
「サン、ごめん」
混沌とする状況に、翠はサンを突き飛ばすように黒色を叩きつけた。
『ギャオォォォッ!?』
黒をぶつけられたサンはきらりのそばから素早く離れ、身を小さくして翠に恐怖する。元はと言えば同じクラスメイト、同じ仲間。それでも翠は――なぜか落ち着いていた。パニックの極限まで来ているのに、どこか自分だけが孤立しているようにも感じる奇妙な感情。そんな感情が、今だけは良い方に向いていた。
「橙乱鬼、やっぱりあんたはここで潰さないと」
「おっと良いのか? 橙の色使いはもう人間じゃなくイロクイだ。白いイロクイだってこっちに向かっている。数を減らさないとみんな居なくなってしまうぜ?」
真畔を蹴り転がす仕草をする橙乱鬼だが、実態がないためか霧が通り抜ける。そして橙乱鬼の動きに対し、翠は黒色を打ち込む。
「なら、あんたを先に塗りつぶす」
翠の言葉に、橙乱鬼は楽しげな笑みを浮かべる。
「ハハッ! でも近いうちにもう一体増える。巫女の奴が耐えたとしても、イロクイになるのは時間の問題だ」
橙乱鬼の目の先、手術室の入り口にある氷像。その中で解放を訴えるかのように青色がのたうち回る。紫亜の色――イロクイと化した青色は凍った身体という檻から抜け出そうともがいていた。
「紫亜、しっかりして!」
「そら、お返しだ!」
2色を合わせ、渦にして周囲に撒き散らす橙乱鬼。それは色使いが協力して行う"色合わせ"そのものだった。
「いやぁああっ!?」
「真畔!」
「真畔ちゃん!?」
2色の渦から色が飛び散り、火の粉と氷の粒になって消える。熱さと冷たさに思わず顔を押さえる翠やきらりの中、真畔の叫びは渦の中に消えていく。渦はしばらくして消え――そこには服を汚されたきらりと翠。そして全身を橙と藍色に染め上げられた真畔が苦しそうに身体をひくつかせていた。
「ア、ア、ァ……」
やがて力尽きたか真畔の身体を構成する2色が歪み、侵食と縮小を繰り返していく。まるで色が互いに食い合うように、真畔の中で競い合っていた。
「これであと2人。厄介なのが残ったが……もうしばらくすればイロクイ達もやってくる。巫女とガキは人間を忘れてイロクイになり、そこで転がっている紫の色使いはアタシの色に食われ、器が耐えきれずに爆ぜる」
万に一つの失策もない。勝利宣言とも言える言葉を吐きかける橙乱鬼。だが、翠もきらりもまだ立っていた。
「……あまり寒くない、熱くもない。でも、お気に入りだった」
翠のお気に入りだった服が、橙乱鬼の色によってまだらに染まる。そして感情に煽られるようにまだらは黒く変わり、墨のような模様に変わっていく。
「けほっ、ひどい……ひどいよ橙乱鬼さん! 真畔ちゃんを、こんな!」
きらりも服を、身体を色で汚されたが、すでに薄れている。しかしそれ以上に、真畔を染め上げたことに対する怒りを露わにし、きらりは声を荒げた。
そして、2人の怒りをうれしがるように橙乱鬼は笑い続けた。
「怒ったってもう無駄だ、この戦い、あたしの――」
勝ちだ。改めて勝利宣言をし、橙乱鬼はシロクイが来るのを今かと待った。
……待ったが、最後の壁を破る音が聞こえてこない。
「おかしい、さっきまでこっちに来ていたはず」
橙乱鬼が怪しんだ瞬間、聞き慣れない声が手術室に向かって飛んできた、




