とけあう色とあつまる力(2)
「ダメ」
だが、真畔の決意を阻むように答えたのは、翠の声だった。
「さっき言ったの、忘れてないよね」
「忘れてない、けど……」
一度決めた調子を崩されるような気もして、どこか思うように『うん』と言えない。
「黒の色使いさんよ、お前はそこのきらりちゃんを相手したらどうだ?」
橙乱鬼の言葉に身構える。先ほどのように襲いかかるのか、それとも何も起こらないのか翠にも見当が付かない。しかし、橙乱鬼の言葉と共に、きらりに再び可視できるほどの"色"が流れ込み、きらりの呪紋を濃く移していく。
「う、うぅぅ……!」
「きらり、しっかりして。今度はもう放さないから」
翠がきらりの手を握り、様子を見守る。逃げない。自分ができることはきらりと向き合い、信じること。それがイロクイに食べられる寸前、元に戻りかけたきらりへの罪滅ぼしなのだから。
「(おかしい、すぐにでも支配下にできるだけの力は送っているはず。白色の力にしてはやけに強い……)」
橙乱鬼は真畔に回答を促しつつ、きらりの様子を見守る。力を見せたら屈服する、それが年端もいかない少女であればなおさら。橙乱鬼はそう考えていた。だが、返ってきた答えは予想外。色鬼の力を持ってしても身体を跳ね上げ、暴走させることができなくなっていた。
「(だが、この紫の色使いを食ってしまえばさらに強くなる。あのガキの"白"すらも塗って潰してやれる。さぁ早く言え、さぁ!)」
真畔がきらりと翠を、呼吸を整える。そして橙乱鬼に告げた。
「私は、飲まない。あんたと真っ向から力比べをするつもりはない」
「へぇ、じゃぁ藍の身体はどうなっても知らないぜ?」
「そこは大丈夫。あんたは知らないだろうけど、助ける手はあるし、抜けた後に藍が元に戻るかわからないでしょ?」
その言葉に橙乱鬼の顔が険しくなる。そう、白化した人間の身体が元に戻るかどうかは色鬼すら未知数。せいぜい地面の色を吸い取り、同化してしまうのが関の山。治るとはただのハッタリに過ぎないのだ。
「そんな"ハッタリ"で強がってるつもりか? お前は一度は乗りかけたじゃないか」
「あれは少しでも早く藍を助けるため。でも、決め直した。あんたがきらりに色を注いで苦しめている以上、負けたときは恐ろしいことになる……私は自信こそある。だけど、考える頭もぐらいある。少なくともあんたよりはね」
『だから――予定通り、みんなで藍を取り戻す!』自信をもって、真畔は藍に、そして橙乱鬼に言い切った。
「そうか、なるほど……だが、どっちにしても私を倒さないとこの肉体は戻らない。それだったら――」
「みんなで倒せばいい、それだけよ!」
橙乱鬼の言葉をさえぎり、凛と言い切ったのは紫亜だった。
「翠ちゃん、無事だったぁ!」
思わず駆け出すも、ふらついてしまい紫亜に支えられる城奈。その姿は自信が砕け、どこか頼りないように見えた。
「マクロさんも、です。いきなり飛び出していってヒヤッとしました」
サンもホッとした表情を見せ、目の前の橙乱鬼を見据え、気配を探る。色鬼の荒れ狂う力の中、サンの脳裏には彼と同じ"橙色"が見えた。
「やっぱり、三隈さんの色はまだ残ってます。まだ一杯戦ってます」
藍もサンも同じ色を持つ。だからこそ感じるものを見たのだろう。橙乱鬼の中に残る彼女――藍の残滓を。
「真畔ちゃんの言ってることは本当よ、橙乱鬼。ただ、あんたを追い込むための切り札にしようかなと思ってたけど、結果オーライって所ね」
『ここからは私の出番』外ばかりに前に出る紫亜。その目には友人を奪われ、蹂躙されたものの怒りが込められていた。
「藍の身体、返してもらうわ!」
「そうは行くか! こっちにはまだ白の色使いが残ってる。出来損ないの色使いとは違って徹底的に呪印を刻んで、何もかもぶっ壊れるぐらいのものを書き込んでるんだ。さぁ目を覚ませ、そして塗りつぶしてしまえ!!」
「きらり!」
「きらり!」
翠が、真畔が叫ぶ。きらりの身体に書き込まれた呪紋がさらに濃くなり、彼女を苦しめる。
「う、うぅぅ……やだ、もう、やだぁ!」
「抵抗した? 色の力の強さは認めるが所詮人間だってことを忘れるな!」
「やだ、絶対に、もう、すーちゃんと戦いたくないもん!」
「黙れ!!」
呪いの力を激しくぶつける橙乱鬼。凄まじい激痛と押しつぶされるかのようなプレッシャーに、きらりが『ギャアァッ!!』と泣き叫ぶような奇声を上げた。
「黙るのはあんたの方よ!」
「絶対に、お前だけは許さない!」
きらりにこれ以上の危害を与えさせまいと、真畔と紫亜が先行して色を飛ばす。だが、橙乱鬼を取り巻く橙色の陽炎が色をことごとく塗り替える。それほどまでに強烈な生命力、そして"色"を受けても、きらりは自我を保ち、抵抗し続けた。
「絶対、絶対黙らないもん。すーちゃん、助けて、すーちゃん!」
きらりの叫びに、翠がきらりの手を握る。
「わかってる。もう放さないし、疑ったりもしない。でも、どうすれば……」
「このままでいいの、ぎゅっと握って、ぎゅっと」
固く握りしめ、橙乱鬼から送られる色の流れにあらがう2人。翠にも流れ込み、自分の手や腕に紋が拡がるもすぐに白く塗り変わって消えていく。力は共振し合うかのように強まっていき、きらりに刻まれた呪紋もまた、手を握ることで見る間に薄くなり消え始めていた。
「バカな、人間が"色"の源流である色鬼の力を超えるなんてあり得ない。白と黒、合わせる前にぶち殺しておくべきだったか!」
翠ときらりの色は白と黒の渦を巻きながらさらに高まりを見せ、まるで互いの思いが共振し合うかのように、握りしめた手に集まっていく。
「このまま思いっきりぶつけて!」
「思いっきり、おもいっきり……!」
身体が熱く、心臓が高鳴っていく。暗い陰りも、後ろめたさも吹き飛ぶぐらいの高揚感が2人を包み、放たれようとしていた。
「思いっきり、あいつに!」
「ぶつけるてやる、きらりの、敵討ち!」
翠の言葉と共にその渦は爆ぜ、周囲に旋風を巻き起こす。草は大きくなぎ、木は大きく揺れて葉を付けていく。まさに『色の暴風』だった。
「きゃっ! くっ……橙乱鬼、諦めて藍を返しなさい!」
「ふざけるな! この肉体は絶対に返さない。決着もここで付けてやる、だから来い。病院の中へ来い!」
目を覆い、身をかがめて風をしのぐ紫亜。その制止を尻目に橙乱鬼の声が遠のく。色鬼の言葉は焦りと自信を崩された憤りに満ちあふれ、体勢を立て直すための撤退であることが容易に見て取れる。そして白と黒の暴風が止むと、その場から橙乱鬼の姿は消えていた。彼女が3度だますようなことをしていなければ、病院の中で決着を付けることになるだろう。
「どこまでも逃げ足の速い色鬼……だけど、次が本当の決戦になる訳ね」
「紫亜さん、ごめん。1人で突っ走っちゃって」
「結果オーライってことで大目に見て上げる。前と比べて今度は仲間を助けるためだしね」
しょげた顔で謝る真畔の言葉に、紫亜は笑顔で切り返す。今は藍を含め、全員無事だと言うことが唯一の幸いだった。
一方で、色の暴風を起こしたきらりと翠は、脱力したかのようにその場に座り込んでいた。きらりの身体からは呪紋の一片も消し飛んでいた。
「こわかったぁ、こわかったよすーちゃん」
「私も……すごく怖かった、このままきらりが居なくなるって思ったら……」
ぐずぐずと抱き合いつつ、涙をぬぐう2人。しかし疑問も付きまとっていた。
「でも、あれだけ書き込まれてたのに、なんで元に戻ったんだろう?」
そう、きらりが何故戻ったのか。橙乱鬼の良い分通りであれば、きらりの心は呪紋によって完全に破壊されて操り人形になっていた。それが何故戻ったのか、2人は疑問に思いつつも談笑の中で次第に忘れていった。
きらりが助かって、仲を取り戻せた。それだけで十分だから。
そして、正気に戻った真実を知るものはきらりと翠の様子を少し遠くから伺い続けていた。
「きーちゃんの白はやり直しが効く色。いろんな色で塗られてもすぐ薄くなって、白であり続ける。それが翠ちゃんの思いと相乗効果で強くなったのね」
「……行かなくて良いのです?」
サンに語るように呟く城奈であったが、サンは特に触れず彼女に尋ねる。そんなサンの行動に、城奈は首を横に振った。
「行けない。きっと、翠ちゃんが許してくれるかどうかわからないのね」
「…………」
「いまだけは一緒に居させて欲しいのね、仲直りはちゃんとするのね!」
城奈は芯が強いように見えて、実は崩れるとひどくもろい少女。幼なじみであるサンはそれをよく知っていた。内心おおらかで器の広いように見える彼女にも心に陰りがあり、その影から逃げ続けている。だからこそ、サンは支えようと決意したのだ。
「わかりました。……立てますです?」
「もう大丈夫なのね、ここからはイロクイも多分沢山居るはず。負けられないのね!」
いまだ気丈に振る舞う城奈の姿は、そんなサンへの安心感だろうか。先ほどまでの不安な表情はどこへやら、いつもの笑顔に戻っていた。
6人が改めて帆布中央病院へと入っていく。この先は敵の本拠地。何が起こるかわからない。しかし、結束の強まった面々の顔に『不安』の文字はなかった。
そう、今はまだ無い。これからも、ない。




