とけあう色とあつまる力(1)
色が消えていく。
最初に見えていたのは真っ白でべたついた、気持ち悪い肉の塊だった。肉の板がうごめき、私を飲み込んでしまうと今度は真っ暗な所へ放り出された。イロクイのお腹の中なのに、まるで宇宙に放り出されたかのような、上下の感覚がない違和感。怖いけど、どこか落ち着く不思議な感覚。
何も見えない、何も聞こえない。怖い。だけど周りが白く変わっていくたびに、怖さがなくなっていった。怖さだけじゃない、苦しいことも怒りも、そして楽しかったことも全部消えていく。
このまま食べられちゃうのかな。そう考えるのも悪くないかもしれない。そうすればもうこれ以上、悩むことも苦しいことも、全部なくなってしまうのだから。
目の前に何かが浮いている。誰だろう? とても大切だったような、そうでもなかったような……。
そうだ、きらりだ。私の友達、だけど傷つけてしまった。きらりがこっちに流れてくる。きらりはすでに真っ白になっていて、人の形をした塊のようにも見えた。
私もこうなってしまうのだろうか。そんな人型に恐る恐る近づき、抱きしめる。消えていた安心感が蘇り、不安も蘇る。だけど、どこか安心だ。だってもう一緒なのだから。
そう、一緒。ずっと一緒。このまま誰にも邪魔されることなく、ずっと……。
だけど、それは長く続かなかった。空に1筋の線条が走り、外から色があふれ出したのだから。
…………
……
紫亜達が帆布中央病院に着いたのは、きらりと翠が死闘を繰り広げた後だった。その時には、すでに白いイロクイが2人を飲み込み、腹の中で色を吸い尽くした後――のはずだった。そう、ただ1人。独断専行した真畔を除いては。
紫の剣を握りしめた真畔が息を切らし、2人を見下ろしている。何をやったのかは覚えていない。ただ、がむしゃらにイロクイに突撃し、腕を振った。『イロクイを倒す力が欲しい』と、強く願い、腕を振った。その結果、イロクイは紫の線を腹に描かれ、不気味な身体は大きく裂けた。そして中から白と黒の霧、そして白化しかけたきらりと翠が出てきた。
助かったことへの安堵。そしてイロクイを鎮めるのではなく、斬り殺してしまった恐怖。そう思えるほどの一撃に、真畔は震えた。
「翠、起きてる? 死んでないよね?」
真畔の手に握られた紫の剣は風化し、散っていく。2人を助けるために無意識に生み出した武器は、安堵と共にその役目を果たして消えていった。
「……なんで、助けたの」
真畔の言葉に身体を揺らし、目を覚ました翠は真畔に答える。
「なんでって……このまま一緒にイロクイに食べられるつもりだったとか言わないでよね」
図星。しかし涙声の真畔に翠の顔に動揺が浮かび、首を必死に左右に振る。
「私は、きらりを助けたかったわけでも、あんたが嫌いなわけでもない。でもね、諦めるなんてしたくない。もう、橙乱鬼に身体を盗られた藍みたいなのが増えるのはうんざりなの」
それは真畔のわがままかもしれない。それでも助けたかったから身体が動いた、それだけだった。
「翠、あんた……死ぬとか消えるとか言わないでよ? あたしじゃダメでも、紫亜とか、サンだって居る。それに、城奈も、きらりだって居る」
「城奈も、来てるの?」
「来てる。翠を傷つけたこと、すごい後悔してた。あんな姿見たこと無かった」
その言葉に黙り込む翠。
「自分のせいとか、そんな抱え込まれても困るから。あんたも城奈も、私だってそう」
みんな大人のせいで抱え込む。それでもやることをやるしかない。色使いであれば、戦うしかない。真畔は割り切っていた。割り切っていてもなお、辛い。
「そうだよね、きらり。何か言いなさいよ」
真畔がきらりを揺するも、反応がない。
「きらり。ねぇ、きらり!」
色は戻っているが、きらりの身体を覆っている呪紋もまた、その色を取り戻していた。
「何よこれ、朱音の呪印そっくり」
「きらりは色鬼にやられた。だから、私が……」
真畔が息をのむ。まさか翠が殺してしまったのか。そう考えれば考えるほどに不安が積もる――だけど、振り払う。
「紫亜達もすぐにここにくる。ここからは私達が守る。だから、翠はきらりを守って」
「だって、きらりはもう――」
『そんな訳ない』。真畔は強く翠に言い切った。
「あんたはきらりのそばに居て、私は色鬼を探す。あいつがここに居るのはわかってるんだから、時間稼ぎぐらいにはなるはず」
「……わかった」
翠の言葉に息をつく。ため息ではなく、安堵の呼吸。
「でも、真畔も十分無茶してるし。みんな置いてけぼりにしてるし」
翠の遠慮無い言葉に、真畔も図星を突かれたようにこわばる。
「それはまぁ、ね。助かったのだから――」
『そうかそうか、そうだよね。あんたも黒の色使いも命知らずだよ』
その返しに割って入ったのは、落ち着いた少女の声。どこか粗暴で、見下した口ぶりが響く。
「出てきなさい、卑怯者」
真畔の言葉に、木の上から飛び降りる少女。白の三つ編みに赤い瞳。つり上がった目にかかった眼鏡は、知性ではなく冷酷さを醸し出す。そう、彼女こそ橙乱鬼であり、橙の色使い、三隈・藍だ。
「卑怯者とはずいぶんね真畔ちゃん。でも、色鬼の力を十分に振るうにはこれが一番。色鬼の力に色使いの肉。最高の組み合わせさ!」
「あんたのわがままに藍だけじゃなく、きらりや健児君、それに町の皆まで巻き込んで何をしようって言うの!?」
激高する真畔に、橙乱鬼は優位を保った口ぶりを崩さない。絶対なる自信、誰にも負けないという自我がむき出しになっているかのようだ。
「ベタだねぇ真畔ちゃん。簡単、人間が奪った土地を色鬼が取り返すのさ。だって人間は色鬼より後に生まれてきたのだからね」
「だからって無理矢理奪うなんて、おかしな話じゃない!」
「おかしい? 色鬼の存在を忘れ、申し訳程度に祀り、あまつさえ禁忌扱いしようとする。そう、この肉体が覚えている知識の内なら、良いことも悪いこともな」
色鬼を覆うプレッシャーがいっそう強くなる。さっきと怒りの混じった気迫に真畔は思わず逃げ出したくもなるが、ひたすら我慢する。だが『折れたくない』と思えば思うほど、暴力的な恐怖は真畔を包み込んでいく。
「そもそも私達は肉のない色の集まりだ。だからこそ私は『白いイロクイ』を作り、色鬼が収まる器を求めた。器が欲しい、何よりも欲しい」
『なんならお前がその器になってもいいんだぜ?』と続ける橙乱鬼。その言葉に真畔が動揺の表情を見せた。
「私が、身代わりに?」
「そうだ、そうすればお前の大切な藍は戻る。これまで通り色鬼と人間の共存だってできる」
「……確かにいいとこ取りかもしれない。けど、私はあんたを許せない」
「なら、入り込んだ私を凌駕すればいい。お前の色で私を塗りつぶして食ってしまえばいい。そうすれば私は消え、全て丸く収まる。どうだ?」
『やってみろ』とばかりの不敵な言葉に対し、真畔は目を閉じて熟考する。ここで倒してしまえばそれでよし。紫亜に迷惑をかけることもない。しかしあまりに話がうますぎる。だけど先ほどの紫の"色"を武器に変えたことといい、色鬼を倒す力は着実に付いている。ともすれば――。
「塗りつぶす、本当にできるんでしょうね」
「できるさ。お前と、私の持つ"色の力"の比べ合いだ。シロイロクイを使うまでもない」
賭けてみるか。真畔が意を決し、返答を返そうとした。




