よどむ色とすれ違う2人(1)
――あれ、ここ、どこなんだろう?
確か色鬼に捕まって、そのままどっか行ったまま眠ってた、ような……。でも、それならここはどこなんだろう。ふわふわしてて、色んな色が混じり合ってるここって――。
あっ、すーちゃんだ。おーい、あたしはここだよー!
……聞こえないのかな? 何だか手を伸ばせば、すぐに届きそうな距離にいるのに。そう、このまま手を伸ばして、つかめば――。
すーちゃんが、粉々にはじけちゃった。真っ黒に染まって、真っ黒。そんなすーちゃんをぐっちゃぐっちゃにぬりひろげていく。原型がなくなるほどに塗り拡げて、たまに戻るのも粉々に潰していく。そんな惨めなすーちゃんを見る度に、あたし――!
「ハッ!?」
まどろみから覚めたようにきらりが意識を取り戻すと、目の前には翠の姿があった。
「大丈夫? うとうとしてたみたいだけど」
「ごめんごめん、何だかぼんやりしてたみたい」
きらりは取り繕うも、先の夢が頭から離れない。触ったらきっと弾けてしまいそうな、そんな考えが翠の手を握るのを避ける。
「何だか変なの。……他のみんなは?」
「えっ、一緒じゃ――」
きらりが言葉を発した瞬間、再び強烈な眠気と得もしれぬ感情に襲われる。
(みんな居ないよ、あたし達2人だけ)
まるで別の自分が居るかのような意識とともに、どこか翠をいじめたくなる気持ち。意識が戻ると、翠の顔が少し曇って見えた。
「どうしたのすーちゃん?」
(そんな怖い顔して、もしかすると怖い?)
また『誰か』が自分を使って翠に話しかける。
「怖くなんか、ないし」
「怖い? すーちゃんってば臆病で弱虫さんなんだね」
臆病で弱虫。そう確かに、翠に向かって投げかけられた。翠だけではない、きらりの耳にも翠を冷やかす声は届いてしまった。
(す、すーちゃん! 違うの! なにかおかしい!!)
翠がいぶかしげな顔をする。早く言わないと、すごく嫌な予感がする。自分が自分じゃなくなってしまう。そんな奇妙な感覚にきらりは恐怖を抱いた。
「何か、変だから近づかないで。少しで良いからあたしに近づかないで」
恐らく、きらりはこれまでに見せたことがないぐらいの不信感を顔に表していたのだろう。翠の顔から自信が失せていき、代わりに不信や不安と言った感情が露わになる。
(なんで? 一緒に色鬼を倒すんじゃ――)
翠が離れようとするきらりを引き戻そうと声をかけたその瞬間、きらりはとっさに口を開いた。
「近づかないで、鬼の子!!」
その時、翠はもちろんきらりも空気が凍り付くのを感じた。なぜこんなことを言ったのか。なぜ、今になってこんなことをきらりに言われたのか。だけど、翠の気分を害する言葉であることには違いなかった。
(あ、あ、ぁ……)
「……おかしい、やっぱりきらり、おかしいよ」
翠が激しく動揺する顔に、きらりの意識が再びまどろんでいく。深く、どこまでも深く。沈み込んでいく。そして、その間に浮かんでは消えるのは――翠に対する壮絶な加虐心。いじめたい、壊したいほどいじめたい。粉々に砕け散るほどに、翠の心と体、全てを壊したいという思いが浮かび上がっていく。
「(だめ、出てこないで。すーちゃん、それはあたしじゃないよ!)」
心の中で何度抵抗しても戻らない。自分の身体が自分の物じゃなくなっていく。その顔は、いつも通りなのに――。
「ぁ、はは……あはは。なにもおかしくないよすーちゃん。何にも、おかしくない。でもね、ちょっとだけ気分が良いの」
きらりが笑みを浮かべ、会話を続ける。いつものような天真爛漫とした笑みではなく、獲物を捕らえたかのような、悪意に満ちた笑み。
「どうしたのきらり。熱でもあるの? それとも色鬼に何かされたの?」
先ほどとは対照的に、今度は翠がきらりから離れようとする。しかし、きらりは翠の腕を強く握りしめる。
「いたっ!」
「もう少し話しようか、すーちゃん。色鬼と戦う前だし色々話したいもん」
やっぱりおかしい。だけど、きらりに握られた手は強く、離れることができない。翠が首を横に振ると、きらりはさらに腕を強く握りしめる。うめきを上げながら、翠から抵抗する意思を削いでいく。
「あなた、誰なの?」
「きらりだよ。すーちゃんのパパやママのことも知ってる。そんなきrariだよ」
「ウソだ、そんな話なんてしたことない」
「きっと忘れてるだけだよ、すーちゃん。パパは仕事から帰ってこない。ママはあたしと遊ぶと嫌な顔をする」
そんな顔をしている。そうきらりが問うように言葉を進める度に、翠は首を横へ小刻みに振る。
「色は怖いもの、傷つけるもの。すーちゃんは色を忘れたいって、すごく思ってる」
「思ってない!」
「あはぁ、うーそーだ。すーちゃんのママから怒られるのが嫌なんだよね。なんで相談しないのかな。不思議だなぁ?」
からかわれている。これまでずっと信頼していたきらりに脅され、もてあそばれている。そう思いたくなくてもきらりの言動は激しく自分の心を揺さぶるものだった。
"いつも遊んでるけど、勉強は大丈夫なの?"
"もっとしっかりしないと、妹もできるんだから"
"筆咲の神社にいっちゃダメ。あそこは呪われてるから"
"なんでお母さんの言うことを聞かないの!?"
翠の母はこの街の歴史について、語るのをものすごく嫌がっていた。特に色の伝承について触れるだけでも激しく怒り、叩かれることもあった。そして、布津之神社に近づくことすらも禁じられていた。
幸いGPSなどを使ってまで監視することはなかったものの、家庭の事情なんて誰にも漏らさず、きらりにも話したことがない――はずだった。だが、現にきらりに知られている。いつ言ったかも判らない話。もしかしたら、何かの拍子で話したのかもしれない。そんな疑念が翠を苛む。
きらりやみんなの前では、その存在すら抹消していた親の存在。きらりも、紫亜も、そして城奈もみんな親に恵まれている。だからこそ、親の話を切り出すきらりを見る度に心は黒く汚れていく。これまでの思い出も、瞬く間に煤けていく気がした。
「もしかしたらすーちゃんって……きらりやみんなをだまして――」
きらりの言葉が最後まで告げる前に、針で刺したかのような痛みがきらりの手に走る。翠がきらりの手に黒の色を流し込んだのだ。
「うるさい、黙れ。だましてなんかない」
痛みで緩んだきらりの手をふりほどき、とっさに離れる。
「だましてたのは――きらりの方だ」
翠の声が震え、怒りに満ちている。手酷い裏切りを受け、うつむいたまま小声で呟く。きらりの手に色を流し込んだことを何度も正当化し、それでもなお自分のやったことが間違っていると心の奥底で葛藤し続ける。そんな姿に、きらりは再び笑みを浮かべた。
「あーあーあ、仲間に黒色をぶつけるなんて。ひどいなー、すーちゃんひどいなー。なんて、実はあたしも1つだましてたんだ」
「だましてた?」
「うん。色鬼を倒そうって言ってたあれ、ウソ」
動揺も相まって、ますます困惑した顔を見せる翠。『どういうことなの』と問いかけるも、きらりはさらに話を続けていく。
「実はね、すーちゃんの色を流し込むと止まらなくなっちゃうように、橙乱鬼さんにいじってもらったの」
きらりが服と下着をまくり上げ、幼い肢体を翠に見せる。そこには朱と藍色、そして黒い縁どりを描く呪印がきらりの身体を覆い、紋様となって描き始めていた。それはさながら『呪紋』と呼べるほど大がかりなものであり、きらりの全てを壊してあまりある強力な呪いでもあった。
「もうこんなになってる。フフ、すっごく楽しくなってきたよすーちゃん。すーちゃんが怒って色をぶつけるなんてバカな真似をしたからこうなったんだよ! もうめちゃくちゃだね!すーちゃんのせいで橙乱鬼さん大勝利――」
「うるさい!」
「やだね! すーちゃんはね、これからあたしがいじめるんだ。だから――もっと抵抗して見せてよ。暴れてもがいて、みんな来るまで耐えて見せて」
「アアァァァ!!! うわぁぁぁぁ!!!」
錯乱し、黒色をそこかしこに乱射する翠。もう信じられる人が居ない。きらりは自分が変えてしまった。執拗にたたき込まれたショックはあまりに大きかった。
「あははは! すーちゃんったら子供みたい。でももう橙乱鬼さまが『殺せ』っていうしー……」
『殺しちゃう』そう告げた瞬間、きらりの顔にも呪紋が拡がり、目が血のように真っ赤に染まる。そして翠に向かって自分の色、白を投げつけた。




