表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イカれた小鳥と壊れた世界  作者: 左高例
33/35

32話『テロリスト達の夜/自由への挽歌』


 ──車内は無言だった。


 無限に広がるかに見える異界と繋がる『霧』に覆われ今の位置もわからない。

 生存者たちが集った雑貨屋。恐怖と集団心理により狂いだすその場から彼らは逃げ出した。

 化け物により変わり果て、死に果てた街を抜けて車で走り──そうして霧からの逃走劇は、終了する。


 ──車内は無言だった。


 車の燃料は底をつき──そして何よりも。

 遠雷のように聞こえる地響き。目の前を横切ったのは、馬鹿馬鹿しい怪獣映画にでも出てきそうなビルのように巨大な怪物だった。

 異形を生み出した『霧』は──どうしようもない絶望を逃亡者に植えつけた。

 男は逃亡した仲間である3人と顔を合わせた。どうしようもない悲観が胸を締め付けた。或いは妻の変わり果てた姿を見た時から感じていたのかもしれない。

 静かに銃を取り出し──弾倉を開けた。

 真鍮色の弾丸を取り出して、増えるはずもないが数える。


「4発だ」


 車内には男と他に3人──そして、彼の息子が1人居た。

 弾丸は4発、人数は5人。

 もう一度確認するように「4発だ」と小さく呟く男に、仲間たちは残酷な事実に目を見開いた。「ここには5人いるわ」という女の言葉に自分の分は何とかすると、当てもなく応える。

 胸中に愛する息子の言葉が浮かんだ。


 ──父さん、ぼくを奴らに殺させないで。


 それはこの場に居る誰もが思っていたことだ。無残に殺され穢された死体をいくつも目にしてしまった。

 彼らは逃避するために心に落ちた絶望の影に従う。緩慢にも見える丁寧な動きで、銃弾を装填した。

 女はやや震えながら覚悟を決めて目を閉じる。

 ……その時、息子が目を覚まし、銃を構える父親を見た。男はそれを見ながら、無言で引き金を引く。

 霧の中に取り残された車内の窓を4度、マズルフラッシュが照らした。

 そして車内は──無言になった。

 次に男の慟哭の叫びが響いた。

 何度も叫び、怒鳴り、役に立たなくなった銃を叩きつける。銃口を咥えて引き金を何度も引くがもう銃弾は発射されない。銃弾は正確に、その数しか発射されない。男は死にたかった。だが、死ねなかった。最後の一人を選んだ故に。

 仲間を──息子を殺害した自分は自殺することすら出来ない。

 耐え切れずに、霧中となっている外へ飛び出した。


「来やがれ」


 喉が張り裂けそうな声を上げた。


「来いよ! 来い! 来やがれってんだ!」


 早く来い、化け物。殺してみろ。糞野郎。男は血走った目で叫び続けた。恐怖と絶望から頭がおかしくなりそうだった。笑いに似た──或いは嗚咽のようなものを零しながら。

 待つ。早く死ぬために。

 音が聞こえた。霧の向こうからこちらへやってくる音だ。

 やがてそれは姿を現した。


 ──戦車だ。怪物ではなく。


 そして、銃を構えた兵士だ。

 彼らは男を見ながら悠々と横を通過する。

 その後ろに続く車両には、霧の中に消えていった人や街に残った人たちが救助されて運搬されていた。男が息子と助かるために飛び出した街に、残っていた人たちは助けられていた。

 絶望の権化の怪物は、既に人間の──我らが合衆国の軍隊に駆除されていたのだ。なんということだ。ああ、ありがとう。星条旗よ永遠なれだ、くそったれ。

 ──男は膝に力が入らずに崩れ落ちた。

 あと少しだけ希望を捨てずに、ただ待っていればよかっただけだった。そうすれば全員助かるハッピーエンドになったはずだ。

 だが彼は諦めてしまった。諦めて息子を殺してしまった。

 男はただ残った酷い結末に──叫んだ。何度も、叫んだ。


 暗転。




 ********




 ラスト数分、動きを止めて視聴していた浅薙アサギとその妹の佐奈はエンドロールから顔を逸らして、お互いに目を合わせた。

 佐奈が声を出す。


「兄ちゃん、なんかこの映画ラストがやったら酷かったんだけど……救いがなっさすぎるというか」

「むう──」

 

 アサギは手元のメモに目を落とす。そこには異世界で小鳥に聞いた近年のオススメ映画がメモされている。

 それをとりあえず觀ていこうと借りてきたのがこのスティーヴン・キング原作の『ミスト』であった。

 あんまりなバッドエンドだったが──アサギはなんとなく自分もバッドエンド風なことは体験してこっちの世界に戻ってきたので感じ入るものもあった。

 もしかしたらあの時──別の選択肢があったのかもしれない。皆が幸せになるハッピーエンドがあったのかもしれない。そう思って、苦笑した。デヴィットと同じだ。取り返しの付かない過去を嘆くだけになる。その場で最良の選択をしたと納得するしか無い。過去は変えられないのだから。


「まあ──いいんじゃないか? 少なくともその前に見た体調を崩しそうなぐらい酷かった『海老ルマン』よりはよかったぞ。次はこの『デヴィボクサー』とやらを見てみるか」

「思うに、兄ちゃんはその小鳥って子から地雷映画ばっか勧められてる気がしないでもない」


 座布団を並べて座って、1つのポテチ袋からお菓子をつまみながら映画を見ている兄妹は今日も平和に仲が良かった。




 ******

 

 



 異界の魔剣士・浅薙アサギが日本の実家に戻って数日になる。

 当初は通報されたり誤解を解いたり集まった警察を家族ぐるみで偽装して誤魔化したり外出できなかったり大変だったが、まあいろいろあって元の生活に落ち着いた。黒マントのテロリストは現在も逃亡中ということになっている。世間では新たな都市伝説が生まれそうな勢いだ。

 ファンタジーな異世界で生活していたという内容を懇切丁寧に説明し、全く老けていないアサギと実際に持ち戻ってきた魔法の道具などを見せて家族は一応の納得をせざるを得なかった。兎にも角にも、長年行方不明だった長男が無事に帰ってきたという喜びの前では些細なことなのだろう。

 というわけで家で寝たり久しぶりの母親の料理を食べたり寝たりアニメ見たり漫画読んだり寝たりとしばらくぶりの日常をアサギは過ごしていた。召喚陣をくぐった影響で体調も回復していたのは幸いである。

 その日は日曜日で学校も休みなので、妹の佐奈と一緒に映画鑑賞をしていたのだ。

 鳥越高校二年、17歳の浅薙佐奈は兄の影響で映画好きに育っているのであった。映画好きなら前述した有名なのはもう見てるのではないかという疑惑は、たまたまピンポイントに見ていなかったという偶然である。


 今日もぼけーっと二人並んでジュースとお菓子を片手に映画を日がな一日見ているという休日を過ごしたアサギである。

 学生である佐奈はともかくアサギの過ごし方としては少しアレだが、やっと元の世界に戻ってきたので休暇が必要なのだ。少しずつ日本という平和な日常に慣れていかなくては、この前も夜中にコンビニに行くだけで例のマントと剣で武装しようとしていたぐらいである。

 ふと、アサギは時計を見た。夕方の6時になっていた。


「──む、もうこんな時間か」


 そして立ち上がる。借りてきた河崎実映画作品マラソンを[いかレスラー][兜王ビートル][コアラ課長][かにゴールキーパー]と続けていたのだが佐奈は途中でダウンし、あぐらを掻いたアサギの膝に頭を載せ眠っていたが、彼の起立によってべちゃりと床に落ちた。

 少し不満気に佐奈が聞く。


「あれ? 兄ちゃんどっか行くの?」

「ああ──外にメシを食いに」

「……なんで?」

「帰ってきてしばらく食べ続けて思ったんだが──母さんのメシってマズイんだ。多分オレが作ったほうがまだ美味いぞ──」


 既に渇望したお袋の味に飽きたというか思い出補正抜きだとあまり食べたくないというか、そんな状態になっている13年間行方不明だった男である。 

 凄まじくマズイわけではない。我慢すれば食える程度にマズイのが問題であった。異世界で味わった理屈抜きで謎の美味を創りだす女子高生の料理に舌が慣れているアサギには結構キツイものがある。

 帝都は物流などが凄まじく発展していた為に新鮮な食材で作った様々な料理が食べれたのだ。簡易氷室的な冷蔵庫もある。香辛料調味料も幾らでもある。下手な外国よりも外食は美味いだろう。

 だがそれでも現代日本のメニューの豊富さには敵うまい。ファミレスで王侯料理クラスが味わえる。ビバ現代。


「───だからオレは外で豊富なメニューを楽しんでこようと思う」

「ず、ズルッすぎ! 兄ちゃんだけ逃げようなんてっ! 我が家は兄ちゃんが帰ってきた時寂しくないように外食禁止だったんだよっ!?」

「じゃあもういいだろ──なんなら佐奈も来るか?」

「あれ? そだね……わーい兄ちゃんありがと」


 素直にバンザイと喜ぶ妹を見て小さく笑いをこぼす。

 今までまったく妹に構えなかった分を少しずつ取り返していこうと思った。ちなみに、金ならばいつの間にか小鳥がポーチに突っ込んでいた日本円の札束があったので暫くは不自由しない。まあ、ちょっと札束の出処がダンジョンで拾ったと不安だったのでマネーをロンダリングしてから使っているのだった。金券ショップに新幹線のチケットを売ったり、新品未開封のゲーム機本体を中古に流したりと簡単な方法ではあるが。

 魔剣はポーチに入らないので家に置いていくが、超外装ヴァンキッシュを装備する。操作すれば形をマントからジャケット型に変えることもできる便利な装備である。顔は見られていないので剣とマントが無ければ大丈夫だろう。

 地球の日本では彼にとって恐れる敵は出現しないのだが慎重になっていた。というか世間の皆様が恐れているテロリストが彼なのではあるが。

 佐奈を伴って二階の自室から降り、居間の前を通るともはや習慣となって新聞を読んでいる父親に呼び止められた。


「出かけるのか?」

「ああ──外でメシを食ってくるよ」

「同じーく」

「……くっ、逃げる気か親不孝どもめ。こっちはもう30年以上あの上達しない料理に付き合っているというのに……」


 苦々しそうに父は言う。夫であるがやはり目の前で口に出さないだけで毎日の食事の味には納得していないようであった。

 アサギは慰めるように声を掛ける。


「親父──異世界にはもっとヤバイ──台所でバイオハザード起こして核ミサイルぶち込んだような料理を作るマッド教師がいたがそれよりは死ぬほどマシな味だから安心してくれ──」

「どれだけ酷ければそんな表現になるんだ」

「一度異臭騒ぎで保健所騎士団が出動・滅菌したぐらい酷かった──役場の騎士団ではあいつらが一番強いのな──炎系術式『ザ・コア』なんて町中でぶっ放すんだものな──」

「兄ちゃんがまたナチュラルに騎士とか魔法とかの話を始めてる……」


 何かと異世界用語を会話に挟む癖がついているアサギであったが、ゲーム脳か脳内ファンタジーの人のように見えるのが問題ではあった。

 ともかく。

 

「それじゃあ親父──母さんには外で食うと伝えておいてくれ」

「行ってきまーす」

「ああ、気をつけるんだぞ。なにせまだテロリストがうろついて……お前だったなそういえば」


 言葉をかけて、軽く落ち込むテロリストの父。元気なく手を振って送り出した。

 息子はすっかり手配犯だ。顔こそ見られていないし特徴的な髪型体型ではなかったから捜査も難航しているようだが。

 難航も何も解決することはないか、と小さく息を吐いた。なにせそのテロリストうちの息子だもの。親として犯した罪を償わせるべく警察に出頭させることも考えたが、被害総額をざっと計算して諦めた。


(すまない警察と世間の皆様……! 賠償とか無理だから……!)


 心の中で謝りつつぬるくなった茶で喉を潤した。そう、親が子供を信じてやらないでどうするのだ。彼は悪くない。悪いのは、社会とか資本主義とかだ。革命闘士の集会に参加しなくては。

 ふと思う。子供たちは夕食を外に食べに出たが妻が帰ってこない。いつもならそろそろ支度を始めるはずなのに。

 その時電話が鳴り、やや億劫そうに父は立ち上がって固定電話の受話器を取った。


「はい、浅薙です」

『あーもしもしお父さん?』

「お前か」


 受話器から妻の声が聞こえた。


『実は今日婦人会の集まりがあってお外で食べてくるからなんか子供たちと適当に食べてて! ごめんなさいね』

「……」


 ツーツーツー……。

 どうやら息子が帰ってきて我が家は外食・個食が解禁されたようであった。

 父は少しだけ寂しそうに子供二人が出ていった玄関を見つつ──少しだけ嬉しそうに棚に置いてあるカップ焼きそばと冷蔵庫のビールを用意した。





 **********



 異世界ペナルカンドでは太陽運行をしているのは空神であると言われている。かなり前までは天体移動の為すがままにしていたのだが、惑星ペナルカンドは魔王がスペースコロニーを落としたり魔女が隕石を落としたりするものだから、対策として神々が惑星の周囲を流体エーテル海で覆ってしまい、それに遮られる太陽光などを空神が補ってエーテル流体に空の情報を投影しているのである。

 そんな異世界のどうでもいい神話を豆知識のように語るアサギはともかく、すっかり日は落ちた中二人は歩いていた。

 アサギはあえてヴァンキッシュを電磁迷彩で真っ白に染め、変形させジャケットとして着ている。黒色の服は最近東京ではアンラッキークロスだ。黒服黒髪で身長170から180の男はすぐに職質される。職質された場合、まあ恐らくは待っているのは獄門だろう。

 彼自身も精神疾患が一段進化して「男は黒に染まれ」だったが白もなんというか魔剣士から聖剣士へクラスチェンジしたみたいで格好いいと思い始めている。

 頭の病気な兄の隣を歩く佐奈が尋ねた。


「とっころで兄ちゃん、どこに食べに行くのー?」

「ふむ──オレの経験上───酒場だな」

「おさけ!?」

「こっち風に言うと居酒屋と言ったところか──メニューも豊富だしな」

「ふ、普通にファミレスとかでいいんじゃないの?」


 佐奈が提案するが、アサギは「いや」と首を振る。


「異世界での経験上酒場は酔っぱらいに絡まれる事はあるが毒を盛られた事は無いから安全だ──ギルド直営だったしな──それに新たな魔物の情報が聞けるかもしれない──」

「魔物とか居ないから」

「佐奈の冒険者ランクは現在最下位の『犬』だ──次のランクに上がるには120の奉納点が必要だ」

「ランクとか無いからー!」

 

 町中で冒険者とかギルドとか魔物とかそんな会話をしていると訝しげに見られるので止めたほうがいい。

 話を戻した。

 

「──しかし久しぶりに帰ってきたオレは店の場所など詳しく無いな───佐奈、知ってるか?」

「なんで女子高生の私が居酒屋に詳しいのっさ……いや待てよ?」


 彼女は指を立てて思いついた内容を告げる。


「友達の家が居酒屋やってたっけ。最近怪我して学校休んでる子なんだよねー様子見がてらそこにいこっか。鈴川硝子ちゃんっていうんだけど、同じ部活でさ」

「何やら涼しそうな名前だな──ともかく、任せる」


 頷いて、二人は歩みを進めた。

 


 *********



 居酒屋『改訂二万スマイル』という看板があった。

 アサギは警戒しつつその文字列を三度ほど読み返して呟く。


「──普通だな」

「何を期待したの兄ちゃん」

「そうだな──今まで異世界で入った居酒屋で記憶に残っているのは居酒屋『堕天使の戯れと運命の鎖』とか立ち飲み屋『囚われし冥界の姫君』だろうか」

「居酒屋の名前じゃないよそれ!? なんでちょっと真顔で口にするには恥ずかしい名前なの!?」

「驚いたのは名前の通り──店主が天界を追放された天使だったり冥界の姫がお仕置きでバイトさせられてたりした店だった──」

「……」


 ともあれそんな事言われても、どう反応すればいいのかわからない佐奈はため息を吐いた。


「とにかく入るか──危険かもしれないからオレが先に行こう」

「何が危険なの?」

「入った瞬間運命の鎖で席に縛られたくないだろう──? オレは魔剣で運命さえ切り裂いたが」

「無いって!」


 無駄な警戒をするアサギに律儀にツッコむ妹。

 そしてアサギは横開きの入り口に手をかけて開けた。

 内装は座敷が半分、テーブルが半分ほどの個人経営の小さな店である。

 店員らしい甚平を着た少女が『ぎょろり』と首だけ捻り異様な角度を作りながら、振り向いた。


「いいいいらっしゃいませ~」


 ウェイトレスは、頭にミイラのように包帯をぐるぐると巻きつけた、三白眼で笑う黒い長髪の少女だった。見開かれて爛々と輝く濁った瞳を二人に向けて犬歯が目立つ歯をむき出しに、「ひひひ」とスマイル~している。

 アサギの後ろからそれを見て固まる佐奈。

 ふ、とアサギは息を吐いて中に入った。


「何も問題は無し──と」

「あるよ!? あったよ!?」


 突然攻撃が飛んでくるならまだしも、店員がミイラだろうがリザードマンだろうが無定形ガス生命体だろうが驚かなくなった異世界帰りが居た。

 慌てて店内に入る佐奈。

 そしてミイラウェイトレスの前まで行き、話しかける。


「っていうかこのミイラ、硝子ちゃん!? 何やってるの!?」

「ひひっひひひ……おや、サナちゃんだ。おハムナプトラー」

「普通に挨拶された!?」

「──とりあえず生2つ」

「私の分も注文された!?」

「お客様ー年齢確認のために免許証などはお持ちでないでしょうか」

「──30過ぎても車の免許1つ持ってない男など──大人には見えんということか──くっ」

「話を進めてる! そして落ち込んでいる!」

  

 アサギは優しい顔でぽんと妹の肩に手を置いた。


「──異世界でもお前のようなツッコミが居ればオレもボケに徹することができたのにな──今度行くときは一緒に行こう」

「いかないよ!?」


 荒々しく勧誘の手を払い落とした。

 そして生ビールを運んできたウェイターでありこの店の娘である鈴川硝子という名の少女に向き直った。


「硝子ちゃん学校休んでたけど元気っぽいじゃん」

「そそそそれなんだけどひひひ、実はちょっとこれを見て欲しいのよう」


 硝子はぎょろぎょろと目玉を動かして周りを見回して、客が佐奈とアサギしか居ないことを改めて確認した。

 そして包帯をずらして、その下を見せた。

 顔には大きな青あざと、削れたような荒々しい擦り傷が残っていた。

 彼女はそれを包帯で隠していたのだ。よく見れば、首もコルセットで固定している。ミイラの仮装として見なければ痛々しい怪我人だった。

 佐奈は息を飲む。


「それって……」

「ちょっとこの前ね。ほらわたしゾンビの姿で家に帰ったことあったヨね」

「う、うん」


 硝子は佐奈と同じ映画研究部に所属しており、ゾンビ映画を撮影するゾンビ映画の制作も部活動で現在行なっている。ハンディカメラを使った簡単なものだが、特殊メイクの才能が佐奈には有り結構リアルに作った。文化祭で発表予定。ゾンビ登場率100%のシュール映画だ。スタッフ含めゾンビしか居ない。

 彼女は続ける。


「その時に多分ソンビと間違えられて誰かに思いっきり顔を殴られて……転げてアスファルトに顔から落ちて酷い目にあっちゃったのDEATH」

「──ブフォア」


 突然アサギがビールを吹いた。

 二人の視線がそっちに向き、アサギはうつむいておしぼりでテーブルを拭う。

 硝子は再び佐奈に視線を戻した。


「それで顔も怪我しちゃうしもしかしたらあの今有名なテロリストの人の仕業かもしれないしで外に出ないほうがいいってお父さんとお母さんが。通報するのもなんか復讐されそうで怖いから。折角だからミイラ居酒屋で流行らせようとしたけどお客さん入り口で逃げるんですけれどもねええ……ひひひ」

「ほ、ほーう……」

「おのれえ……例のテロリストめ……あの日から徹夜でカバラの秘術とブードゥーの魔術をミックスさせた泥人形を作ったから今晩が楽しみだわあああああああ」

「──────────」


 佐奈の視線は、壁を向きながら生ビールを飲んでいるアサギに固定されたままだった。

 とりあえず唐揚げと串焼きセットとライスを注文して、厨房に下がった硝子を確認して佐奈はアサギの肩に手を置き、低い声で言う。


「……おい兄ちゃん」

「し──仕方ないだろ!? 帝都では住民証を目立つところに付けてないゾンビは魔物でしかないんだから──!」

「女の子の顔殴って、怪我させて仕方ないんだーへー……昔はそんな酷いこと言わなかったはずなのに。なぜ変わったのかな兄ちゃん。実はアミバが変装してない? オレは天才だと思ってない? 背中の傷ではダマされないよ」

「ぐっ──と、ともかくなんとかしないとな──っていうか佐奈の友達怖いぞ妙に──呪われそうだガチで」

「硝子ちゃんは多国籍にわかオカルトマニアだからねえ。前に硝子ちゃん、自分を振った男子にドルイド系とイヌイット系の呪詛のミックスをかけたら、その男子四六時中監視されている妄想に取り付かれた上に突然痛風とリウマチと飛蚊症を発症しまくったぐらい」

「──」

「おおおおおまたせしましたひひひっ」


 レモンの唐揚げと焼けた串を運んできて、テーブルに並べる硝子。怪我はしているが表情は異様なまでに明るく、覗きこむように引きつった笑顔で見てくるそれは、妙な猜疑心が浮かびそうであった。

 異世界で出会った女子高生も、大怪我をしても妙なトボけた顔をしていたことを思い出して──女子高生って厄介なのしかやっぱりいないんじゃと妹へと一瞬視線をやった。

 しかし勘違いとはいえこの女子高生の顔面をゴッドハンドパワーでぶん殴ってしまったのだ。


(ふう、早まって射殺とかしなくてよかった……!)


 背筋に汗を掻きながらそう思った。

 

「そういえばこちらの殿方は? サナちゃんの生き人形? 使い魔? 守護精霊?」

「いや……兄ちゃんですって紹介したかったんだけど今はすっこし疑わしい」


 兄の正体を疑う妹の疑念を払拭しなくては。

 アサギはポーチを漁って例のごとく小瓶を取り出した。

 回復のポーションである。だがその効果が明確な異世界住人ならまだしも、初対面の男が取り出した薬を女子高生に飲ませるにはどうすればいいか。

 幾らか異世界の道具のことも兄から聞いている佐奈は目を合わせて、兄の思惑を測り頷いた。さて、どう切り出すか……


「浅薙アサギ──佐奈の兄だ。何も言わずにこれを飲め」

「ストレートすぎるだろ!」

「ひひひっ怪しい薬を初対面で……だがそれがいい」

「素直に飲むなよ!?」


 渡されてニヤリと笑いこくりと一口で飲み干す硝子。佐奈は迂闊というには紙一重すぎる二人の行動に頭がくらくらしてきた。

 薬を嚥下した瞬間。

 硝子の口の中でオッサンが奇跡のハーモニーを巻き起こす。大丈夫やで、オッサンに任せとき。何をオッサンが主張しているかわからないが身を任したら危険だという感覚はあった。

 それに耐えると、変化があった。

 顔に感じる腫れの熱が引いていく。首の筋を延々引っ張られるようなムチ打ちの感覚が薄れる。オッサンのマズイ味と引換に痛みが無くなる。

 見ている佐奈はその顕著な変化に驚いた。青あざが消えていき、擦り傷の傷口が何も無かったように綺麗な肌に戻っていた。

 これが魔法の薬の効果。改めて、アサギは遠い場所に今まで居たのだと認識する。


「ああああれ? どうなってるんですかアサギ先輩」

「──特別な薬を使った──傷跡は残らんだろう──」

「よ、よかったね硝子ちゃん! っていうか治りかけだったよさっきも! うん、特別な薬なんかじゃない市販薬で、プラセボエフェクトだよ!」


 適当に誤魔化そうとする佐奈。

 ペタペタと自分の顔を触っている硝子は手鏡を取り出して確認し、「おおおお」と感嘆の声を出した。包帯を取ると、整った顔立ちをした妹より少し大人っぽい顔があらわになる。肌が雪のように白くて長い黒髪が生える、ほっそりとした少女である。目付きがやや狂っているが、サイケ的な魅力を感じる容姿だ。

 佐奈は懸念する。

 あまり使った道具に興味を持たれては、兄が異世界に漂流していた事がバレてしまう……!

 我ながら意味の分からない心配をしていると思いつつ、恥部は隠さなければならないことではあるので佐奈は話題を変えるようにご飯と串焼きを食べ始めた。


「さあそれよりご飯にしよう。串焼きはこの串が美味しいんだよねご飯に合うよね串」

「ひひひっありがとうございますアサギ先輩。それでこの薬はいったいなんだったんですか!? エリクシル剤!? ソーマ!? ゾンビパウダー!?」

「──喰い付きいいなあ」

「喰いつくといえば唐揚げはレモンに限るよね! 鶏の唐揚げとは書いてなかったもんね!」


 串焼きは厳選された素材の串にタレを付けて炭火で焼いたもので、レモンの唐揚げは小さめの品種を1つまるまる使っている。外はカリッと、中はジューシーかつ酸味の効いた揚げ物とは思えない爽やかな料理だ。これなら唐揚げに勝手にレモンをかけたかけてないのという議論も起きない。

 それはともあれ尋ねられて──隣で妹がなにか騒いでいるようだったが──アサギは思考した。

 異世界で買ったものとは言えない。適当なことを言って探されても困る。忘れたとか知らないとか言うと、そんなものを飲ませたのかと裁判を起こされる。安全性をアピールせねば。そして神秘性の無く、興味を失くさせるようにする。

 様々なパターンを検証して、最善の怪しまれない答えを返した。


「──上野公園に居たイラン人から買った薬でな──市販はされていないが安全だと言っていた」

「超怪しいだろ!? 逆に不安を煽ってるだろそれ!」

「なるほど」

「納得するんだ!?」


 佐奈はツッコミ疲れてきた。どれだけイラン人の売り物に対する怪しさを信頼しているのであろうか。それは未来も過去も変わらない一つの真理かもしれない。

 硝子は一旦厨房に下がり、そこにいる両親に顔を見せに行った。

 暫くして。

 大皿に盛られたレモンの唐揚げと串焼きを持って戻ってきた。


「ひひひっお礼DEATHヨ」

「追加されるのっそれかよー!?」


 佐奈は絶叫するようにツッコミを入れる。誰かがしなくてはならないことだから、仕方ない。

 アサギは理不尽に真っ向に立ち向かう妹を満足そうに見つつ冷たい生ビールを飲み干した。ここでは酒を飲んでも襲われる心配は少ないのが、なんとも心地よい。




 *******




 その後も直火焼き飯とか何らかのモツ煮込みとか独特のメニューを頼みつつ──味自体はよかった──二人は食事を終えた。この店が流行ってないのはミイラ居酒屋とか以前に、メニューが特殊すぎるのではないだろうか。

 勘定を終えて、退店する時。

 鈴川硝子はアサギに改めて、正面から頭を下げてお礼を言った。


「あああありがとうございました、アサギ先輩。貴重な霊薬を頂いて……ひひひっ、わたしが錬金術を極めた際には『赤いの』分けてあげますからねええええ」

「──隠語で言われても」


 にたりと硝子は笑って言う。口の裂けてない口裂け女とか、無害な八尺様とかそんなイメージが浮かぶ笑みだった。


「また店に来てくださいね……ひひっ」

「ふ──まあ、縁があったら、な」

「いえ、貴方が訪れるのは運命なのです……けひゃあ」

「運命とは自分で切り開くものだ──いやマジであんまり興味持たないで欲しいなあ──さらば」

「……」


 呆れたような妹を尻目に、格好つけてマントを翻し帰路につくアサギ。

 佐奈はその場に立ち止まって肩を落とし、無意識に格好つける兄にため息をついた。

 そんな彼女に硝子は声を潜めて話しかける。


「なななななんかサナちゃんのお兄さん、特殊な雰囲気DEATHね」

「特殊といえば特殊だけど……」


 頭が悪い方面で。

 頷きながら硝子は続けて言う。


「体から魔力のようなものを感じまするわ……ひひひっ興味が湧きました」

「……オカルトマニアも似た病気といえばそうなのかなあ……」


 中二病とである。

 ちなみに実際彼の装備からは呪いの魔力が発せられているわけだが。呪いの魔銃から狂世界の魔剣まで様々に。異界ペナルカンド出身の人間なら破滅級の呪いである。

 何らかの素質がある人間には感じ取れるのかもしれない。ギラギラと光る正気でない目で硝子はマントを風で揺らす、暗闇に消えたアサギの後ろ姿を見続けていた。


(ん? マント?)


 いつの間にかジャケットに変形してたのが解除されているアサギの姿に、佐奈はさっと血の気が引いた。

 

「ちょっ……! 兄ちゃあああん!!」


 走って追いかけた。


 そして少し離れた路地で──既に声をかけてきた警察官二名を昏倒させて油断なく周囲に電波妨害を行なっているテロリストの兄を見つけた。世間を騒がす彼は、今だ台東区に潜伏中である。



 

 *******




「フ──」


 犯行を重ねたあとの一息を自室でついているアサギ。

 職務質問を行なってきた、正義感に燃える我らが東京の治安を守る警官らは眠りの杖ドリームキャストで眠らせた後に秘薬『オッサンーヌの添い寝』を飲ませた。

 これは睡眠時に疲労を超回復させるが夢のなかで延々オッサンに苛まれて正気度が下がるという薬で、起きた時哀れな警官らは魔剣士の顔など忘れオッサンのことしか覚えていないだろう。なお、この薬品の使用により手配されている魔物[顔無し]はイリュージョン系ドラッグのようなものを持っていた上に何の罪もない警官に使ったという罪状も追加された。最悪のテロリストだ。

 ともあれ。

 物はないが学習机だけは残っている自分の部屋。アンテナの繋がっていないテレビとビデオデッキ、そして妹が持ち込んだPS2が繋がっている。

 床には布団が敷かれて、化繊の毛布とそば殻の枕がいつでも彼の睡眠を待っていた。この部屋での眠りは安らぎを覚える。異世界の、どんな高級ホテルでも味わえなかった匂いがある。

 そんな心地よい生活。

 あの寝床に猛毒サソリを入れられたり、にこやかに話しかけてきた町人が自爆してきたり、銭湯でマジックミラー越しに催眠術をかけてきたりする曲者が居ない、安全な生活……!


「幸せ、なんだろうなあ。普通であるこれが」


 しかし燻る想いがある。

 今頃異世界に残してきたあの少女はどうしているだろうか。無茶に魔物と戦って怪我をしたり、チンピラに盾にされたり、エロにセクハラされたりしていないだろうか。

 邪悪な料理を食べさせられたりヤク中の悪い友達と付き合っていないだろうか。

 心配になる。

 自分には異世界へと干渉する力がないからどうすることもできずに、小鳥の告げた大丈夫だという根拠のない自信を信じるしか無いのだが。

 何かできることは無いだろうか……

 ふと、家族を思い出した。

 自分が異世界に行っている間心配し続けていた家族たち。そして、異世界の夜の海で見た心労で倒れていた小鳥の父親と待ち続けている母親。

 そうだ、あの子の無事を家族に、信じられなくても伝えることはできるかもしれない。馬鹿にされていると相手が思って怒鳴られるかもしれないし、娘を犠牲におめおめ帰ってきた男だと思われるだろうが──それでも、1人この世界に戻ってきた自分にはそれをする義務がある。

 そう、だから鳥取にある彼女の実家を探すことが──……!?

 はっ。


「──小鳥ちゃんの苗字ってなんだっけ」


 アサギは恩人でありパーティの大事な仲間である少女のフルネームすら覚えていなかった。


「──いやだって仕方無いじゃん!? 誰もあの子を苗字呼びとかしてなかったじゃん──!? 最初に一回名乗られただけでそれ以降名前呼びだったから覚えられるわけないだろ──!」


 独り言で自己弁護しながら部屋をごろごろと動きまわるアサギ。

 それでも探さねばならない。鳥取県全体の人口が約60万人程度とちょっとした地方都市ぐらいしか住んでいない過疎地なのは小さな救いなのか……!

 試しに彼の持つ最高の情報ネットワークを利用して小鳥少女の詳細を探ってみた。

 カタカタと妹から借りたノートパソコンをタイプする。文字列を打ち込むそのネットワークには『Google』と表示されている。


『鳥取 小鳥ちゃん の検索結果訳58400件』


 多すぎる……!

 最初にキャバクラが出てくる……!

 もはや彼の知る中では世界最大の情報機関にも手に負えない案件のようではあった。ググっただけだが。

 なにか手がかりは無かったものかと、アサギは珍しくマジックポーチをひっくり返すように探った。

 すると、折りたたまれた紙片がひっそりと隅の方にあることに気づいた。

 そこには見たことのある字で「アサギくんへ」と日本語のメッセージが書かれている、手紙のようだ。

 彼は取り出して即座に開く。

 それは、小鳥からアサギへ向けたメッセージである。



『アサギくんへ

 この手紙をあなたが読んでいるということは、わたしはもうこの世には……』



「う──」


 書き出しを読んでアサギは口に手を当てながら目を見開いた。

 率直な感想が漏れる。



「胡散臭え──……」



 まあ、今更小鳥が突飛なことを主張するのにはツッコミさえ無為な気分ではあったが。絶対フカシこいてるだろこれとアサギは冷たい目で手紙を見るのであった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ