15話『ボディ・スナッチャー』
「かー……くー……」
ある日小鳥が宿に戻ってきたら、イカレさんが一階にあるソファーで昼寝していた。
彼の部屋のベッドは囚人のほうがマシといった程度の安物なため、広間にある共有ソファーのほうが随分寝心地がいいのである。
(おっと? こう男の人のベッドの硬さを言及するとは大人の女って感じがしてちょっとよくないですかね)
思ったが、発言すればアイスが泣きそうなので小鳥は心の中に留めた。
とまれ薄ら汚い浮浪者のごとく横たわりいびきを掻いているイカレさん。足音を殺して近寄りそっと脈を取る。
安定した脈拍と体温。そして眼球運動も確認するに、どうやらぐっすりと本格的に深い眠りへ突入している様子であった。
小鳥は一緒に帰ってきたアイスを肘でつつきながら提案してみる。
「アイスさん、アイスさん。チャンスですぜ」
「つつつついにアレを使うときがきたというのかコトリくん!」
「ええ。場所はここ、時は今です。いざ」
そう言って躊躇うアイスに小鳥は例の秘所をファイファイってやってふぅーってなる棒を渡した。
耳掻きである。
アイスはそれを持ってひとしきり眺め、心を落ち着けた後にそっとソファーへ近寄る。
そこでの選択肢は、
「HIZA-MAKURA以外ありえませんよ。更級日記にもそう書いてる」
「そそそそそうか……!」
まずはイカレさんの頭の近くにそっと座るアイス。
そしてじりじりと彼の頭に体を寄せて、
「ちょっと、すまないなサイモンくん」
そう言って彼の頭を膝──というか太ももの上に載せた。
目覚めないイカレさんが枕に横顔を押し付けながら寝息を立てている。
「あわわわわ……」
アイスは顔を真っ赤にしながら、どうすればいいのかわからなくなって周囲をキョロキョロし始めた。
ズボン越しに感じるイカレさんの体温。吐息。それが太ももを刺激しているようだ。
「もう少し柔らかい生地を履いてくれば……い、いやいっそ脱いだほうが寝心地はいいのかな!? しかし勝負ぱんつとか履いてないし……」
「アイスさん、目的はそんなヤらしい行為じゃなくて医療行為たる耳掃除ですよ」
「はっ。そうだった」
思い出して彼女は右手に持っている耳掻きを見直した。
そして、イカレさんの頭を軽く押さえて前かがみになり彼の耳を──
耳を──
(おや?)
アイスの動きが止まった。イカレさんの耳から脳漿でも出てたのだろうかと小鳥は訝しむ。
気になって彼女の後ろに回って覗き込むと……
胸が見えた。
というかアイスの胸でイカレさんの頭が圧迫祭りされてて上からでは耳が見えない。
……
「……も、もうちょっと頑張れば……」
身を乗り出してなんとかイカレさんの顔を覗き込もうとするが、彼の頭は太ももと胸の間でサンドイッチ伯爵の死因みたいになってしまっている。
ぎゅうぎゅうと羨ましスペースにイカレさんの頭部に置いて数秒ほど。
起き上がりのびっくりチンピラボイスが上がった。
「あァァ!? んだこりゃ! アイスお前人の頭抱え込んでなにしてやがる!」
「あのそのこれは別にそういうわけではなくてそのだな」
「いいからとっとと退きやがれェ!」
アイスを跳ね除けて起き上がるイカレさんであった。男ならばイエス様だろうがそのパライソ的空間に、起きたとしても寝た振りをするはずなのだが。
そして散々機嫌が悪そうに寝こみを襲ったアイスを説教し始める。相変わらず言葉が汚い。生まれも育ちもお里が知れるようなドブ水めいた言葉で罵る。
小鳥がチラリと宿のテーブルに座っていたアサギを見ると──。
リア充を見た悔しさのあまりに顔面七孔から血を流しながら負のオーラをまき散らしてイカレさんを睨んでいた、が。そもそもそんな視線を気にしないイカレさんと、作戦失敗の恥ずかしさとそれでもちょっと良かった気分に浸っているアイスには気づかれてもいない。
テーブルがひび割れそうなぐらい拳を押し付けつつ──握りこんだ手から出血している──唸っていた。
「───狂世界の魔剣が──世界の異端者──召喚士を斬れと───鳴っている──くっ──静まれオレの魔剣──いややっぱ力を解き放て──」
「落ち着いてくださいよアサギくん」
危ないことを言いながら剣に手をかけて椅子から立ち上がった彼を押しとどめる。
「とりあえずポーションで顔洗ってください。何をどうしたら血涙とか耳血とか出るんですか危ない」
「ティーンエイジャーにはわからないかなあ──! この悔しさ──! なんだかんだで小鳥ちゃんも言動はともかく見た目可愛い系だからリア充なんだろうなあ───!」
「そう僻みを全方位外交しなくても」
「オレはもう駄目なんだよ──! 青春に期限はあるし探究心に年は関係あるんだ──!」
悲観しながら崩れ落ちて床を殴る哀れなアサギ。彼は見た目こそ17歳で留まっているが、実年齢は30歳童貞である。現実世界でも魔法使いになるほどに。
イカレさんより10近く年上だというのに甘い体験などこの異世界で何も出来なかったのだ。
慰めるように声をかけた。
「17歳といえば妹が布団の上に乗って朝起こし幼馴染が登校時に家まで迎えに来て一緒に登校していると転校生とぶつかり校門前では眼鏡をかけた女子生徒会長だか風紀委員だかに目を付けられ隣の席の女の子は教科書を忘れて机をくっつけお昼休みはいずれかの女子グループとお弁当を屋上で食べて午後の授業を居眠りしていたら女教師に怒られ下校しようとしたら顔なじみの部活の女部長に引っ張っていかれ家に帰って部屋で過ごしていると隣の家の子と窓ごしに目が合う。
そんな日々を過ごせていたはずだというのに異世界で13年もソロ活動に勤しむとは。MMOでも心くじけて退会するレベル。
アサギくん、大変だったんですね……」
「そ──そんな露骨なギャルゲーみたいな日常だったかなあ──?」
可哀想に記憶も風化しているのだろう。おおよそ17歳の男子高校生はこういう生活を送っているはずである。というか送っていなかったらもれなく負け組だ。
(送っていない人、周りはみんなこんな感じですよ?)
無意味な挑発を心のなかでしつつ小鳥はにっこりと笑って言った。
「だからこれまで頑張ったご褒美に、膝枕で耳掻きぐらいしてあげましょう」
「ななななななんんんだってて──そそsれはは本当かい!?」
「パンツァーフロントくんが」
「どうぞウサ♪」
「男がかよおおお──!!」
さっと手を向けると、いつものミニスカウサ耳シスターが正座して待機している。
絶叫したものの、スカートから見えるパルの白い膝とか細い腰とかをアサギくんは見て、額に手を当てて自己暗示をかけ始めた。
「見た目は美少女見た目は美少女見た目は美少女見た目は美少女────」
「妥協しようとしてますねえ。
こうして見た目は美少女だからティンが生えていても我慢→女装していない少年だけど男らしくない体つきだからセーフ→むしろティン生えてないと物足りないよね→ホモいいよねと妥協が性癖を変えていくのでした……」
「嫌なナレーションが入った──!」
「さあ早く寝っ転がってくださいウサ」
ぽんぽん、と軽くパルは膝を叩いて誘導した。
アサギはふらふらと、目を薄く閉じながらゆっくりとパルの膝枕に仰向けに──
「後頭部に──ファンシーな如意棒の気配が──」
「ちょっとアサギさん、仰向けじゃ出来ないウサよ?」
「──ああ、そうだった」
「うつ伏せになってくれないとウサ……♪」
「貴様はオレの口にナニを含ませるつもりだあああ──!!」
我慢が限界になったのか飛び起きようとするアサギと何やらビクンビクンしながら頭を股に押し付けようとするウサギ型ショタシスターのドタバタが発生したりしながら。
まあ今日も小鳥達の世界は平和である。
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「ダンジョン───行こうぜ───!」
というアサギの言葉に小鳥とイカレさんとパルは目を合わせてしまった。
「ダン……ジョン……?」
「なんでしたっけそれ」
「次のTRPGのシナリオウサか? じゃあルールブックと十面ダイスを人数分準備するウサ。キャラシートは持ってるウサ?」
「違──う! 最近ほのぼの日常送りっぱなしで───すっかりダンジョンのことを──忘れてる──!?」
ダンジョン……それは帝都の地下空間に残された魔王の元居城。そこが空間の歪みから半異界化した迷宮。
魔鉱と呼ばれる鉱石を核にしたコピー魔物や様々な財宝、危険な罠が潜んでいる場所だが、魔鉱が金銭と交換できる為に魔物退治に特化した冒険者などが今日も潜り、魔物と戦い財宝を探す。
アサギも『孤高の魔剣士』の異名を持つ有名な冒険者である。剣士一人でダンジョンに挑み、一撃必殺の魔剣と呪いの魔弾を使い大きな成功を収めつづけ──十年以上も活躍している。今や孤高でこそ無くなったが、彼以外使うことができないダンジョンの魔物特攻である伝説の魔剣を持つ彼の評判は高い。
(それがなにか……?)
小鳥は首をかしげて、はたと気づいた。
「はっ、そういえばわたしには命をかけてもダンジョンに潜らなければいけない理由があるのでした」
「そォいえば俺もダンジョンの中で発見されたペットを捕まえるっつゥ目的があったんだった」
「ウサウサ、ボクはお金……はもう結構稼いだウサが、コトリさんもサイモンさんもアサギさんも好きなので付いていくのでウサ」
「フ──ようやく思いだした──か」
今までのゆるく甘い日常は魔王に見せられていた幻覚だとばかりに晴れ渡った。
これからの皆は──魔窟へ挑む冒険者である。
神妙な顔で頷いて皆で計画を立てる。
「それじゃあ今週末の休みにでも。平日は授業があるので」
「あァ。俺も明後日公開の映画見にいきてェし。[鳥悪魔大決戦ストラスVSシャックス]なんだがよォ」
「ボクも映画行っていいウサ?」
「金は自分で出せよ」
「──ダンジョン探索が───すっかり───日常のおまけに──」
今まで日々の日常を死線を潜るダンジョン探索に使っていたアサギは、何やら今までの現実とのギャップとかにがっくりとうなだれるのであった。
それでも映画にはアサギを含む男三人で行ったのであったが。仕事で行けなかったアイスが不機嫌のあまりちり紙とか土とか食べてアグレッシブな抗議姿勢を見せていた。つくづくイカレさんとデートとか縁がない。
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ダンジョンには様々な魔物が登場する。自然発生する魔物の他にも、死した冒険者の死体からゾンビやスケルトン、ゴーストなどのアンデッドが生まれる事も。
眼の前の通路からそれらのアンデッドで溢れたときにはさすがの小鳥も嫌悪感に重ね恐怖すら覚えた。空飛ぶゾンビの映画とかを思い出したのである。
しかし気持ち悪いだけで怯んでいる暇は無い。この程度は気分の問題で耐えられる。小鳥は持ち込んだアロマキャンドルを焚いた。
「なんで蝋燭が先ウサ!? ええい聖歌『神への復讐行進曲』──!」
まずはパルの歌声が響き渡る。聖歌の影響下にある4人のパーティはアンデッドへ対する能力が上方修正される。
効果として具体的には霊体に対しての物理攻撃が可能となり、呪いや憑依といった相手の攻撃への抵抗力が増し、恐怖恐慌を収めることができる。高位の司祭になると歌だけでアンデッドが崩れ去るとも言われている。
「フ──」
次に魔剣を抜き放ち駈け出したアサギ。
彼の基本戦術は迎え撃つではなく、押し通ることにある。自らが高速で移動し敵を撹乱せねば、大量の魔物が現れたときに押しつぶされるという経験則から来ている。
相手が遠距離攻撃を抜けこちらに突撃してくるような機動力を持った魔物ならば迎撃して貰うように予め頼んだが、それ以外は戦闘に於いてはベテランなので任せている。
身体能力等々を増幅させ一気にアンデッドとの距離を詰めて──片手でゾンビを切り倒し、片手でスケルトンを殴り壊しながら正面に固まった敵の群れを突破した。
走り抜けていった魔剣士に気を取られ、歩みが止まった魔物達に追撃が入る。
「召喚『破壊隼』」
虹色の魔方陣から魔力で形作られ、実体となって飛び出したのは猛禽である。
全身を黒色の羽で多い、翼は斧に似た残忍な形となっている。
刃物と同等に鋭い眼光でアンデッドの群れを睨みつけたと思ったら、消えたような高速飛翔で突撃していく。翼でゴーストを切り裂き、すれ違う真空波で吹き飛ばすという二度破壊の風を巻き起こす魔鳥──通称ハカブサである。イカレさんは次々に多種多様の魔鳥を召喚しているが、この世界は人を殺せるレベルの鳥が多い。
イカレさんには効果の無いパルの聖歌によるステータス上昇効果だが──イカレさんが召喚した鳥には効いている。故に物理的破壊を齎す攻撃もアンデッドを切り刻むには充分であった。
「たった2HITで見よこのゲージの減り」
「どこにゲージが見えんだよ」
「気分的にですよう」
小鳥が応援コメントをしたのだったが、イカレさんからノリの悪いツッコミが入る。
そうこうしている間に、地面に居る敵はアサギくんが、空中にいる敵はイカレさんの鳥が尽く退治してしまった。
あっさり倒しているようにも見えるが実のところ、ダンジョンでは死んでしまう冒険者も多くいる。ただ、イカレさんの攻撃力はざっと普通の冒険者が苦戦する魔物を一撃で葬るレベルであり、アサギに至っては竜だろうが魔王だろうが切り裂ける魔剣を使いこなしているのだ。これで苦戦するような魔物となると相当危険だろう。
小鳥が手持ちのナイフで一生懸命攻撃しても、そうそう魔物は死なないので戦闘ではほぼ彼女の出番はない。忍者なのに後衛で控えている女子高生でしかなかった。
「わたしって本当に無力……イカレさんが地雷の上に立っている事を教えるしかできません」
「おォォい! アホか手前手前アホか!? なんのために連れてきてると思ってやがる! 罠は最初から言えよ!」
「そういわれても。さっきまで無かったのに空間転送でいきなりイカレさんの足の下に地雷が送られて来たんですもん」
「んな能動的ピンポイント殺傷罠があるか! 直接攻撃だろそれ!」
決して足は動かさずに唾を吐き散らかして怒鳴るイカレさん
戦闘中──他の三人が集中して敵を倒している間、何か違和感を感じたと思ったらイカレさんの足下に地雷がもそっと埋設されたのである。小鳥はそれを目撃していた。踏んだ瞬間爆発するタイプじゃないのは良かったが。
「きっとダンジョンに罠を仕掛ける妖精さんがいるのでしょう。毎回地雷を踏むのはイカレさんですので……イカレさん、何をやったんです?」
「知・る・か!」
「第三次世界大戦です」
「うっせェさっさと解除しろ!」
小鳥は折角なので最近覚えた罠解除術を実践で初挑戦することにした。
失敗しても自分の顔面とイカレさんの足が吹き飛ぶだけのローリスクである。こういう時こそ練習あるのみだ。。
「土系術式『パウダー』」
土属性魔法の初歩、鉱物の粒子化魔法である。
対象の金属か鉱物──土にカテゴライズされる物質を変質させて砂にしてしまう魔法。戦闘でならば鎧や剣の無力化に(対抗措置がとられている物もあるが)、日常なら産業廃棄物等の処理に使われている。粒子化できる物質と範囲、速度などは魔法使用者によって変わるが。
それを地雷に使用することで──雷管は崩れ火薬は土へと分解されて、爆発能力を失いただの埋まっている金属に変化させた。魔法レベルが1の小鳥だが、魔力を余分に使えば通常より僅かに多くの魔法効果を発揮できる。魔力はイカレさんから供給されるので実質底なしである。
彼女の判断的に恐らくは2分の1程度の確率で無力化したんじゃないかなあと思われる地雷から、5メートルは離れたあとでイカレさんに大丈夫ですよと告げた。
「……もうマジ死ねよ手前」
諦めて足を離すが、爆発はしなかった。成功である。
*********
「罠です」
そう小鳥が告げるのは露骨な宝箱。
つまり罠である。9割確定していたのですが、念の為に調べて事実を告げた。罠が仕掛けられているかどうかなど女子高生に確認させればだいたいわかることは明白である。日本の女子高生の八割程度は罠を見抜く能力を持っている。それにしては現実で引っかかりやすいと思われるかもしれないが、それは敢えて乗っているのだ。持ちえる能力への反逆なのだ。女子高生とて罠を見抜きたくて見抜いているのではない。
ともあれ。
一瞬で宝箱だとわかる造形の木箱を、イカレさんが蹴り開けようとするのを止めて鑑定した小鳥は続けて言いました。
「罠もありますが、何かお宝も入っている展開──じゃなかった気配がありますね」
「──適当に──言ってないか──?」
「金の臭いがプンプンしやがるぜへっへっへ……とでも言えばいいでしょうか」
「金!? お金ウサ!? ボクはお金とエロ系が大好きウサ!」
「すげェ欲望に生きるシスターだなおい」
目を輝かせる汚れちまったパルに小鳥は彼の両肩を掴みました。
「それならパルラルラくんにこの宝箱を開けて貰いましょうか。大丈夫です、罠といっても──中から出てきたヌメヌメした触手が穴という穴を陵辱するだけですから」
「いつからここはそんなエロダンジョンに」
そう言われても、そういう気配がするのだから仕方ない。予言者は迫害される定めだ。小鳥は諦めて涙を拭った。
実際のところは宝箱の表面にヌルヌル触手罠注意! お宝もあるヨとロンゴロンゴ文字で記載されているのを読んだだけであったが。
両手で拳を作りガッツを出しながらパルが興奮して叫び出した。
「ウ、ウサー! ウサー! 触手なんかに絶対負けたりしないウサッ!」
三人は同時に思った。
(……ああ、こんなセリフを吐いた時点でコイツはダメだろうな)
キリッとした顔で宝箱を開けるパル。
宝箱から出てくるヌルヌルした粘液を纏った上に先端がタケリダケみたいになっている触手。
即拘束されるパル。
服の内側とかに入り込みまくる触手。
「ウサー! ふあっ、だめっだめですー! そこは入る穴じゃないウサー!」
「ほらダメだった。多分あのヌラヌラには媚薬効果とかありますよエロゲーみたいに」
「なんで──女子高生が──エロゲーの触手に詳しいのかはともかく──」
アサギは眉根を寄せながら剣を抜き。
「流石に───見てられん──」
ショタが触手に襲われてやおい穴とか縦割れ穴とか尿道にインされそうになる──未遂である。このダンジョンは健全であり卑猥要素は一切無い──という状態が見るに耐えず、救出のために駆け出した。
触手といっても凶暴な攻撃性や防衛機能があるわけでは無い。ただティンの形をした長い物体である。
アサギが魔剣を閃かせますと、抵抗なく触手は縦横無尽に切り裂かれて持ち上げられていたパルは地面に落ちて倒れた。
イカレさんは嫌そうな顔でそれを見ながら、
「うげ。痛ェ痛ェ」
と呟いていた。女子の小鳥にはさっぱりわからないが、男子にとっては見るだけで痛い現象なのだそうだ。そう、珍を乱暴に破壊するというのは。
パルを縛るエロ系触手を駆逐したアサギは鞘に剣を戻した。
どろどろに汚されたパルが彼を見上げている。
「──潤んだ瞳で──見るな──!」
どうやらホモ株を上げてしまったようである。
「アサギくんときたらまったくうふふ」
イカレさんが珍しく痩せ犬に似た笑顔でぽんと彼の肩に手を置いた。
「アサギをパーティに入れて何が良かったって変態ウサギとキチ女の相手をしてくれることなんだぜェおい」
「──貧乏くじか───オレは──」
それはそうと、罠は解除されたので小鳥は宝箱を覗き込む。
中には何やら黒い布のような物が入っており、持ち上げると妙な手触りの飾り気のない一張羅であった。フロント部分にファスナーがある。
「なんでしょうこれ」
「ちょっと待て──鑑定してみる──」
いうとアサギはポーチから眼鏡を取り出した。
それは何かと尋ねてみると、
「魔法具───『命名神の眼鏡』──その複製品だ。入り口の酒場にある鑑定所にも置いてある───道具の名称と効果がわかる──」
「なるほど、それで魔剣『マッドワールド』や神篭手『ゴッドハンド』などと言った装備の名前をわかっていたのですか。てっきり何かを拗らせたアサギくんが自分で名付けていたのかと」
「───地味に傷つく」
ごめんなさいと小鳥は心の中で謝りつつアイテムをアサギに手渡した。
なおこの道具は誰かが個人で作成して命名した物にまで及ぶ為、アイスが作った魔杖『アイシクルディザスター』なども鑑定できる優れ物だ。この世界では命名神の神官による名付けは、道具や個人名、技の名前であっても名称登録しておけば神の加護が僅かながら付与される。
ともあれこの黒い服が鑑定されたところ、
「名称『プリンセス全身ラバー』──分類は胴防具で用途は『雷無効・打撃半減』と『特殊なプレイ用』──」
「……」
「ちなみに──装備制限が女性専用───」
「着ませんが」
さすがに拒否した。
全タイ系に足を突っ込むには小鳥ではレベルが足りないというか足りた時点で危険だ。
微妙な雰囲気になった一同で、小鳥は腕時計を見ながら言う。
「おっとそろそろ定時ですね。ダンジョンから脱出しますか」
「定時て───」
「まァいい加減疲れたしィ? 眠ィから帰って寝てェ」
「体中ベトベトでお風呂に入りたいウサ。サイモンさんたまにはお風呂で裸のツキアイとかどうウサ?」
「死ね。惨死しろ。埋められろ」
「───」
何か納得が行かないようにアサギは腕を組んで少し考えこむような素振りを見せる。
「どうしたました?」
「いや───今までダンジョン探索といえば───食料と薬を大量に持ち込んで───泊まりがけでやるものだったから──」
9時5時のバイトみたいなノリで撤退するパーティに少しばかりギャップを感じているのだという。
小鳥は言ってきかせる。
「いいですかアサギくん。闇雲に探索してもイベント発生フラグが立たなければ意味が無いのですよ。どうせ帰れる時は潜る時間が長かろうが短かろうがイベント発生するのですから」
「そういう───ものか──?」
「大体生真面目にレベル上げのごとく探索するなんてそして10年の月日が流れた展開にしかなってないわけですから。お気楽に探索をすることでお気楽に物語が進みハッピーエンドになるのです」
「──よくわからんが」
これが作られた物語だとしたのならばそうなるのが必然、と彼女は仕掛けられたカメラを探しながらメタでリアルな発言をする。世界はわたしを監視している。檻のついた病院の先生に相談しよう。彼女の思考はそんな感じである。
(元の世界に帰りたいのはわかりますが焦っても仕方ないのですよ)
地道にダンジョンを探索していけばそのうち話が進むはずだと彼女は信じている。もしくはダンジョン外の何らかの出会いや経験、情報が必要な事もあるかもしれない。
どちらにせよ帰れる展開はやがて訪れると確信している。
理由など無いが、そう思うのだから仕方がない。
「ううむ、しかし今回のクエストではわたし、戦闘面で一切役に立ちませんでしたね」
「そう云う──ものだろう──女子高生なのだから───危険な事はしないほうがいい」
「敵の弱点を想像とパターンで判断して仲間に指示を出す、とかもしてませんし。イカレさんとアサギくんの攻撃力が高すぎて」
罠の解除や回避なんて地味すぎる上に適当にやってるものだからさっぱり活躍が描写できない。
多分こうやったら罠が外れるんだろうな、とか恐らくそのへんに仕掛けられているんだろうな、とかその程度の認識で彼女は行動していた。
職業クラスがニンジャだというのもまるで生かされない設定である。銃すら撃たないのでガンマンでもない。市販品の拳銃と欠陥銃弾より明らかにアサギの持つ魔銃のほうが強い。
BGM係すらパルに取られているので影が薄いことこの上ない。
「……そんなわけで、ちょっとアサギくん魔銃を貸してください」
遠距離攻撃ならなんとか貢献できると判断して借り受けようとする。
それにショットガンは狙いがある程度ずれていても散弾で面攻撃ができる為に取り扱いが楽だ。アメリカンファミリーでも大人気。前線に出ているアサギを巻き込む危険性ぐらいしか問題を感じない。
呪われた魔銃を手に取る。同郷のアサギが問題なく装備できているので、小鳥も問題無く装備は出来た。魔法を使う際には魔銃を仕舞う必要があるが。
とりあえず試し撃ちとして格好良く片手で構えてマズルを通路の先に向けて引き金を引いた。
「バッボーイ」
言葉と同時にトリガー、そして爆裂音。強烈な衝撃に持っていた魔銃が後方に吹っ飛び取り落とした。
発射の反動で大きく銃身が跳ね上がったのである。握っていた小鳥の手首が妙な方向に曲がった。
ごとりと銃を床に落としながら握っていた右手をさする。
「痛っ。超痛っ」
小鳥は言いながら反応の無い手首をぷらぷらとさせて、呆然と云う。
「……骨を骨折して折りました」
「弱ェー!? やっぱ馬鹿だろ手前!!」
「渡しといてなんだけどそんな撃ち方するかな普通──! オレは筋力強化してるけど女子高生には無理だろ──!」
「ウサー! 手首がヤバめな方向に曲がってるウサー!」
今回のダンジョンの成果。
プリンセス全身ラバーを手に入れた。
右手首複雑骨折で小鳥は戦闘への熱意をごっそり失った。
半べそをこらえてダンジョンの帰路につく小鳥であった。
女子高生にショットガン片手打ちはレベルが足りなかったようである……。