£最終話 ホテル・グランドシャロンにようこそ(5)
お久しぶりです。これにて異世界コンシェルジュ完結となります。本編含め、4年にも及ぶ長きに渡りこの作品に触れてくださって本当にありがとうございました。
「ふぅ……」
雑巾を絞った後、アルトは小さく息を吐いた。
グランド・シャロンで働き初めてから今日でちょうど三ヶ月。さすがに少しは慣れてきたかなと思いつつ、アルトは丁寧に窓を拭いていく。
「あ、アルトくん。だめじゃないですか、また休憩時間に掃除なんかして」
「シャン先輩」
かけられた声に、アルトは振り返った。
先輩という響きに気をよくしたシャンシャンがむふーと鼻を広げるが、それはそれとアルトを見やる。
「わたしが設定した『メイド長巡回:特別休憩時間』はともかくとしてですね、今はホテルからの正式な休憩時間じゃないですか」
「あ、えっと……お昼すぐ食べちゃったので」
眉を寄せるシャンシャンをアルトは不思議そうに見つめた。褒められるどころか叱られてしまい、困惑しながらアルトは話す。
というのも、休憩室に居難いのだ。なにせ周りは女の人ばっかりで、その人たちがお昼を取ってるのだから仕方がない。
化粧を直す先輩の横でサンドイッチをかじるのは、中々勇気の必要な行動である。
「真面目なのもいいですけどね、時間にルーズなのはだめです! 遅刻はもちろん、残業もできるだけしない。ただ働きなんてもっての他ですぅ」
「す、すみませんっ」
シャンシャンの言葉にアルトは目から鱗を落とした。まさか過労をルーズだと言われるとは思ってなかったが、ただあまり納得もいかない。
(うーん、シャンさんのこういう話はなにが本当なんだか分からなくなるなぁ)
もちろん、褒めてくれる先輩だってたくさんいるのだ。けれど自分の教育係は彼女なので、一応指示には従うしかない。
「まさかここ毎日お昼に仕事してるんじゃないでしょうね?」
「えっと、あ……はい。すみません」
睨まれて、しょんぼりアルトは肩を落とす。働いて、なんで怒られなきゃならないのか。
本当に変わった先輩だと思いながら、アルトはシャンシャンを見つめるのだった。
◆ ◆ ◆
「あれ……?」
数日後、待ちに待った給料日に、手渡された布袋の中身を見てアルトは首を傾げた。
「なんか多いぞ」
中に入っている硬貨を数え、やっぱり多いとアルトは首を傾げる。
他の先輩の給料と間違えたのだろうか。けれど、白い綺麗な布袋の側面には自分の名前が刺繍されていて、やはり間違いないようだとアルトは顔を上げた。
「メイド長さん」
「ん? なんだアルト」
一瞬迷ったが、正直に申告しようとアルトは帳簿を見つめているメイド長へと話しかける。
「僕のお給料間違って入ってたぽくて。なんか多いんですよ」
布袋を広げて見せて、「ほらね?」とアルトはメイド長を見やる。
それに思い出したように頷いて、メイド長は口を開いた。
「いや、それであってるはずだ」
「へ?」
腰に手を当てるメイド長に、アルトが思わず聞き返す。
「お前、勝手に昼に残業していたろ? 熱心なのは構わないが、そういうときはちゃんと申告してくれ。シャンシャンが代わりに申告してくれていたから、それはその分だ」
「シャン先輩が?」
驚いてアルトは声をあげる。まさか、あの面倒くさがりの先輩が、そんなことをしてくれていたとは。
唖然としているアルトの顔を見て、メイド長はくすりと笑った。
「納得していない顔だな。……まぁ、わからなくもない」
メイド長は辺りを見回すと、休憩室のメイド達をひとりずつ眺めた。ここではああだが、彼女たちは一歩外に出ればオスーディアでも最高のメイド部隊へと変身する。
「私たちはプロだ。プロとは金を貰うもの。正当な報酬があるから仕事のクオリティは維持され、従業員の意識も保たれる。我々が矜持をもって『これが最高なり』と業務にあたれるのも、そのグランド・シャロンの給料があるからだ」
メイド長の話に、アルトは聞き入った。そんなこと、考えたこともなかったからだ。
「安易な値下げはサービスの低下を呼び、正価の代金を払ってくれているお客様への不満にも繋がる。だから、グランド・シャロンは一切の値引きサービスを実施しない」
そういえば、言われてみればとアルトは思い出す。部屋によって宿泊費は変わるが、なにか特別な割引プランがあるようなことは聞いたことがない。
「それは従業員にも言えることだ。君の熱心さを評価してしまえば、それはつまり他のメイドにもそれをやれということに他ならない。一時的ならばそれでいいが、それを何年も続けていれば質の低下は免れないだろう」
話を聞いて、アルトは反省するように布袋を見つめた。多いと思ったが、これは自分が働いた正当な報酬らしい。
反省といえば、シャンに対してだ。心の中でシャンシャンに謝って、アルトは布袋を胸にしまった。
「……まぁ、シャンはそこまで考えてはいないだろうがね。ただ、あの子はあれで本質を見抜く目がある。グランド・シャロンに引き抜かれたのには、それなりの理由があるということだ」
「あ、ありがとうございます! あの……ちょっと僕シャン先輩のところ行ってきます!」
慌てて駆けていくメイド姿の少年を、メイド長は「若いな」と見送るのだった。
◆ ◆ ◆
「シャン先輩!」
中庭の隅で隠れてサンドイッチを頬張っていたシャンシャンは、突然かけられた声に驚いてパンを喉に詰まらせた。
「うぶぉ!? んごっ!?」
慌てて水筒の水で流し込んで、驚いたようにアルトへ顔を向ける。
「びっくりしたぁ。危うく死ぬところでした」
「す、すみません!」
謝るアルトを見つめながら、シャンシャンは「どうしたんですか?」と首を傾げる。
それに、アルトは頭を下げて謝った。
「すみません! 僕、シャン先輩のこと誤解してて!」
「はいぃ?」
なぜ謝られているのかよく分からずに、シャンシャンはとりあえず座れと自分の横をぽんぽんと叩いた。
◆ ◆ ◆
「って、メイド長さんに言われまして」
アルトの話を聞いて、シャンシャンはおかしそうに笑ってみせた。
「わふふ、相変わらず話が堅いですぅ」
残りのサンドイッチを口に放り込むと、もぐもぐと咀嚼する。
飲み込むのを見計らって、アルトは気になっていたことを質問した。
「そういえば、なんで中庭に?」
本来、メイドの食事をする場所は決まっている。見つかればお叱りを受けること間違いなしといったところだが、シャンシャンはあっけらかんと振り向いた。
「きれいだからですけど」
「き、綺麗だからですか」
当然のように言うシャンシャンに、アルトは聞き返す。やはり、この先輩の言うことはよくわからない。
「こんな綺麗な中庭があるホテルで働いてるんだから、これくらいはしないと勿体ないですぅ」
「はぁ、そんなもんですかね」
一応隠れて食べていたからそれくらいの分別はあるようだが、言われてみればとアルトは辺りを見回した。
確かに眺めがいい。正面の庭園もそれはそれで綺麗だが、こんな隅っこまで素朴だが綺麗な花壇と生け垣が手入れされていた。
「シャン先輩は、なんていうか自由ですね」
「わふふ、そうですかね。それならよかったです」
そう言って笑うシャンシャンの顔に、アルトは思わずどきりとしてしまった。
どこか遠くを見つめる彼女が珍しくて、アルトはどうしたらいいか分からずに固まってしまう。
そんな後輩に気づいてか気づかずか、シャンシャンはゆっくりと話し始めた。
「シャンシャンには目標がありますから。そこに行くまでは、頑張らないといけないんです」
「目標?」
なんだろう。メイド長になることだろうか。想像できない言葉に、アルトは耳を澄ます。
「すごい人がいたんですよ。シャンシャンの上司だった人なんですけど、なんていうか自由で。あんな風になりたいなって、シャンシャン初めて思いました」
その横顔を、アルトはじっと見つめた。まるで綺麗な人形のようで、自分でもわからずにアルトは頬を染めてしまう。
「そ、その……好きだった、とかですか?」
「まっさかぁ! コブ付きのおじさんに興味はないですよ」
アルトの質問に、シャンシャンはおかしそうに腹を抱えた。ないないと涙目で言われ、アルトはなぜかホッとしてしまう。
「シャンシャン、その人からこのホテルを任されましたから。他にもたくさんすごい先輩はいたのに……シャンシャンが任されたんです」
だから、自分は自分らしく生きる。そうでなければ意味がないとシャンシャンは前を見た。
「って、ああ!? 昼の業務始まっちゃいます!?」
「うわ、ほんとだ! すみません!」
慌ててシャンシャンがバスケットを脇に抱えた。
「行きますよアルトくん!」
「って、うわ! 速っ!?」
猛スピードで駆け出すシャンシャンにアルトは目を丸くした。銀狼の亜人の脚力に面くらい、アルトは必死で後を追いかける。
「ま、待ってくださーい!」
いつか、追いつけるように。新しい日々に向かって、アルトは必死に走り出した。
お読みいただきありがとうございました。
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