第02話 ホテル・グランドシャロンにようこそ(2)
目の前の光景にアルトは完全に固まっていた。
「ほら、あんたら。黙れって言ってるだろ。ちゅうもーく」
アルトの横で、長身の女性の凛とした声が部屋に響いた。
黒髪に頭から生える角。悪魔族の女性は、眼前で目を向けてくる一同を一別する。
「はーい! メイド長! そこの男の子は誰ですかー!」
「メイド長の男ですかー!?」
キラキラと光る好奇心。矢継ぎ早に飛んでくる質問に、メイド長と呼ばれた女性は気だるそうにアルトの背中を叩いた。
「馬鹿たれ、私に男はおらん。先週振られた。次言ったらぶち殺すぞ」
面倒くさそうに睨むメイド長の声を聞き、質問したメイドが愉快そうにケタケタと笑った。彼女の横に座っていたメイドが興味深そうにアルトを見つめてくる。
メイド。
貴族の屋敷に仕える、家事と給仕のプロ。ここ高級ホテルではさながら、お客様にサーブする女だらけの傭兵集団。
そんなメイドが、アルトの前に集まっていた。
「あ、アルトです……よ、よろしくお願いします」
なんとかそれだけを、アルトは絞り出して頭を下げた。アルトの発言の意図が読めず、メイドたちの頭の上に疑問符が浮かぶ。
「は? どういうことですメイド長?」
狐耳のメイドが、わけが分からないとメイド長に首をひねった。それを聞き、メイド長は面倒そうに息を吐く。
相変わらず、自分たちのオーナーはなにを考えているか分からない。
ただ、自分たちはメイドのプロ。上の決定には従うだけ。
「紹介しよう。今日から我々と一緒にメイドとして働くことになった、アルト少年だ」
メイド長の口から落ちた言葉が、メイドたちの間に広がっていく。
口火を切ったのは、最初に手を挙げたネコ耳のメイドだった。
「えぇええええええええええッッッッ!?」
控え室に響く声を聞きながら、アルトは愛想笑いを浮かべるしかできない。
◆ ◆ ◆
初めて見た。
初めてというのは、女の子の集団をだ。
自分が育ってきたリコーダ村の人口は64人。その中で同年代の女の子は、たったの7人。しかもその7人が揃うところなど、見たことはない。
今、その3倍以上の人数の女の子が、目を輝かせてアルトに詰め寄っていた。
「なになに!? 君、メイドになるのー?」
「ソプラ様の弟くんなんだって? アルトくんは絵描かないの?」
「ちょっと、ちょっと、結構可愛いじゃん。メイド長、この子好きにしていいんですか?」
同年代だけじゃない。年下、大人のお姉さん。目の前の光景に、アルトの処理能力は限界に達しようとしていた。
「あらら、緊張してる緊張してる。いいですなー、私は賛成ですよ男の子の新人」
「アタシ! メイド長、アタシが教育係やります!」
「あ、抜け駆けすんなよエリィ。メイド長、私の班ひとり空いてますっ!」
マジマジと見られ、べたべたと触られる。なにやらいい匂いの漂う黄色い空間に、アルトは緊張を通り越して固まっていた。
そんな乱雑な空気を切り裂いたのは、アルトの横に立っていたメイド長だった。
「静まらんかボケ共ぉおおおおッッ!!」
一喝。腕を組んだメイド長の一言で、口々に発言していたメイドたちの声が一瞬で静まる。
全員が注目を向けていることを確認して、メイド長は淡々と話し始めた。
「アルト少年の処遇は既にオーナーが決定されている。我々に彼の人事に関する決定権はない」
そう言いながら、メイド長は一度目を瞑った。頭を抱えると言い換えてもいい彼女の表情に、メイドたちが不思議そうに目を向ける。
正直、本当にあのお嬢様はなにを考えているかわからない。
「……シャンシャン、あんたがアルト少年の教育係だ」
その瞬間、一同の目が驚愕に大きく見開かれた。
がばりと全員の首と視線が動き、視線の先の少女に集中する。
「ほえ?」
間抜けな声が部屋に落ちる。
部屋の中で唯一、ぼへっと尻尾の毛繕いに興じていた少女が、きょとんとした瞳で呼ばれた自分の名前に反応していた。
「あ、すみません。聞いてませんでした。シャンシャンがなんですか?」
メイド長に睨まれ、慌ててシャンシャンと呼ばれた少女が返事をする。アルトへの興味もそこそこに、自慢の毛並みを整えた彼女には今の状況が理解できない。
そんなシャンシャンの様子に、メイドの一人が勢いよく声と手を挙げた。
「ちょっ、反対っ! 反対ですっ! なんでよりによってシャンシャン!」
竜の角を生やした彼女に、横に座っていたエルフのメイドも賛同した。
「ていうかシャンシャン班長じゃありませんし、私たち班長を差し置いてなんでいきなり教育係……」
「えっ!? シャンシャン教育係になるんですかっ!?」
そこで初めて知った驚愕の事実だというように、シャンシャンはびくりと身を竦ませた。それを見て、エルフの班長は訴えるようにメイド長を見つめる。
「ほら、こんな子ですよ。無理ですよ。ただでさえ男の子のメイドなんて初めてなのに」
もっともなエルフの班長の訴えに、メイド長も眉を寄せる。
けれど、現場はどうあれ上の決定は絶対。メイド長は致し方なしと、アルトの頭の上にぽんと手を乗せた。
そこでようやく、固まっていたアルトの意識が戻ってくる。
やれやれとこれからの苦労を忍びつつ、メイド長は命令した。
「あのオーナーの決定だ。ならば我々は、それを見事完遂するのみ。女だろうが男だろうが関係ない、我々はロプスが誇るメイドの牙。今日もお客様がお見えする。さぁ、仕事だ取りかかろう」
ぱんぱんと手を叩き、メイド長が朝会の終わりを皆に告げる。
ここまでくれば、仕方がない。次々と、持ち場に付くためにメイドたちが立ち上がる。
「アルトくん、なにか分かんないことあったら言ってねー」
「仕事終わったらお姉さんが街案内したげる」
「あ、ずるっ。メイド長、ローリエが夜の教育係になろうとしてます」
軽口を言いながら部屋を出ていくメイドたちに、メイド長は疲れたように息を吐く。
だが一度部屋を一歩出れば、柔和で清廉な笑顔を身につけるメイドたちを、アルトは驚愕の瞳で見送った。
そう、彼女たちはプロ。
ここはホテル・グランドシャロン。四大貴族がひとつ、ロプス家が誇る世界有数の高級ホテル。
「さて、アルト少年。さっそくだが最初の仕事だ」
にたりと笑うメイド長の言葉に、アルトは気合いを入れ直した。