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第01話 ホテル・グランドシャロンにようこそ(1)

 その日、一人の少年が唖然とした表情で駅に降り立っていた。


 地方都市エルダニア


 オスーディア王国の中でも有数の人口と領土を持つ、夢と希望に溢れる街。

 豊かな自然、肥沃な大地。農業と畜産で栄華を極めたその都市は、ここ数年で更に目まぐるしい発展を遂げることになる。


 魔力発電による電灯の整備と、魔導鉄道による列車の運行。


 魔法を動力にするそれらの技術は、地方都市のひとつに過ぎなかったエルダニアの価値を飛躍的に上昇させた。


 王都をも越えるのではないかとすら噂される、凄まじい発展。そんな、この国に暮らす誰もが憧れる街の一角で、少年はただただ前を見つめていた。


(ひ、人がいっぱいいる……ッ!?)


 生まれて初めての魔導鉄道。人でぎゅうぎゅう詰めの車内に息を詰まらせること3日、少年は駅前の様子に落とすべき言葉を失っていた。


 目の前に広がる、道を行き交う人々。


 人、人、人、人、人だ。


 鉄道が込むのは仕方ないと、高をくくっていた。降りれば人は疎らだろうと、勝手に思いこんでいた。

 とんでもない。鉄道の車内にいた人たちすら、目の前を流れていく人混みに比べればほんの一部だ。


「う、嘘だろ……」


 少年の身体を焦りが流れる。

 それもそのはず。なにを隠そうこの少年、田舎も田舎、ど田舎の生まれである。


 村の人口は64人。村全体がひとつの家族のような、そんな場所からやってきた。


「こ、こんな街で働くのか……働けるのか?」


 きっかけは、村から出て各地を放浪している7つ上の兄。その兄が、エルダニアで仕事のツテを見つけてきてくれたという。

 自分と違い、真面目な弟がいると紹介し、わざわざ兄が持って帰ってくれた土産話。半信半疑、断られるならそれでもいいと、物見遊山で終わる覚悟で村を出てきた。


 だがどうだ。想像の数倍どころか、想像の遙か彼方の都会具合。働くどころか、まともに呼吸をすることすら難しい。


「ホテル……宿屋の仕事だよな? だ、大丈夫だよな?」


 兄から渡された書状を今一度確認し、少年は汗を垂らす。


 ホテル・グランドシャロン 


 見るからにハイカラな名前だ。兄は少し大きな宿屋だと言っていたが、少年の心に一抹どころか百末くらいの不安が灯る。


 頑張るぞと気合いを入れ直し、少年は書かれた住所を探そうと、とりあえず足を前に動かし始めるのだった。



 ◆  ◆  ◆



 少年……アルトは今度こそ開いた口を閉めるのも忘れて目の前の光景を呆然と見上げていた。


 そう、見上げるほどの巨大な建物。


 石造りで積み上げられた、この世界における建築技術の粋を集めた高層建築。

 七階建てという階層の記録は、未だ王都のオスーディア城を除けば越えられてはいない。


 アルトは恐怖すら覚えていた。人は未知のものに出くわすと恐怖を覚えるものだ。

 七階どころか、二階建てすら村にはない。エルダニアに来る途中の宿場町で見かけた三階建ての物見塔ですら、アルトは腰が抜けるくらいたまげたものだ。


「宿……屋?」


 断じて違う。いや、人が宿泊する施設ではあるのかもしれないが、少し大きな宿屋なんぞでは決してない。


(兄貴の、ば、馬鹿野郎ッ!)


 恨み節も出るというもの。ここに来る途中、なにやら行き交う人の身なりが良くなっていて、おかしいなとは思っていた。

 分かっていれば、それなりに準備も出来たというのに。


(や、やばい……せ、せめて着るものくらいは)


 これでも一張羅で都会に臨んだつもりだったが、そんなレベルではない。仕事を貰うどころか、下手に粗相でもすればなにを請求されるか分かったものではない。


 引き返そう。そう思いアルトが一歩後ずさったその瞬間、彼へと通りのよい声がかけられた。


「あれ? なにかご用ですかぁ?」

 

 アルトの肩が跳ね上がる。振り返れば、箒を持った少女が首を傾げながらこちらを見てきていた。


 銀色の髪の毛に、狼の耳と尻尾。銀狼の亜人であろう少女は、慌てるアルトに言葉を続ける。


「お客さま……じゃ、ないですよね? 業者さんですかぁ?」

「え、えっと、その」


 アルトの身なりに目をやって、少女は訝しげにアルトを見つめた。少女が着ているフリフリとした服に目が奪われつつも、アルトは覚悟を決めて事情を説明する。


「し、仕事をっ! 雇っていただけると伺いましてっ! こ、これを」


 兄から貰った書状。それをひとまず少女に手渡す。

 少女は目を細めて割れた蝋印を見つめた後、くるりとホテルへ振り返った。


「こっちですぅ。付いてきてくださいー」


 ふりふりと少女の尻尾が左右に揺れる。

 先を行く少女の背中を見やって、アルトは慌てて駆けだした。



 ◆  ◆  ◆



 ホテルの中はもはや別世界だった。


「う、お……」


 思わず出てきた小さな唸りに、アルトは無意識に声量を落とす。

 豪華なんて言葉では言い尽くせないほどの絢爛さ。


 田舎育ちのアルトにも分かる。この場所は、自分の村とはなにもかもが違う。

 磨かれた床石を踏みしめながら、アルトは柱に刻まれた彫刻の縁を指でなぞった。


「あの、ところで何処へ……」


 不安が襲いかかり、前を行く少女へと声をかけてしまう。目に映るものの中で、少女の気軽さだけが唯一気持ちを落ち着けてくれた。


「んー、そうですねぇ。シャンシャンもよく分かんないんですけどー。お手紙持ってるなら、オーナーさんのとこ行かなきゃですかねー?」


 首を傾げて聞いてくる。そんなこと、こっちが聞きたい。

 出てきたオーナーという単語に不吉なものを感じつつ、アルトは泣きそうな気持ちを奮い立たせて前へと進むのだった。



 ◆  ◆  ◆



 泣きたいを遙か彼方に通り越し、アルトは鳴り響く鼓動と冷や汗と共に声にならない悲鳴を上げていた。


「ロプス家当主、シャロン・エルダニア・ロプスです。初めまして、アルトさん」


 アルトは目の前の女性が発っした言葉の意味を、必死になって理解しようとしていた。

 分かる。分かるはずだ。言葉としては、なにも難しいことは言っていない。


 自己紹介と、初めまして。アルトは、持てる力を振り絞って彼女の前にひざを突いた。


「あ、アルトです。は、初めまして」


 奥歯がかち合って鳴り響く。止めようとするがいうことを聞いてくれない顎関節を見やって、シャロンは小さく微笑んだ。


「あまり固くならないでくださいまし。こうして正式な書状もあるわけですから」


 部屋の奥。机の向こうに座るシャロンの声を、アルトは遠い世界の話のように聞いていた。



 アルトが住むオスーディア王国は、名前の通り王国だ。

 世界でも最古の血筋を持つと言われるオスーディア王家は、その名声を世界中に轟かせている。


 けれど、この国に生きる者は知っている。

 雲の、天の上の存在である王家の人々とも違う、真に地上を支配している者たちのことを。


 四大貴族。この国の人を、土地を、金を動かす、頂点に君臨する者たち。


 国を実質的に動かしているのは貴族たちであり、その全ての貴族たちの中でも規格外の権力を握る、現世の怪物。

 そんな化け物の当主が、自分の目の前に座っている。


「えっと……ああ、ソプラさんの。そういえば、弟さんがいらっしゃると伺っていました」


 書状を広げて眺めるシャロンの声に、アルトの顔がびくりと上がる。

 青い肌に、額の一本角。そしてなによりも特徴的な、大きな単眼。


 まだ10代だろうか。立場を考えれば若すぎるように思えるが、目の前の彼女自身が常識を越えた存在だというのが素人のアルトにも嫌と言うほど伝わってくる。


 希代の政治家だと噂されるロプス家の女傑の長の声を、アルトは信じられないと聞いていた。


「あ、兄を、知ってるんですか?」


 微かな声で、それだけを絞り出す。村でも評判の悪い、放浪癖の耐えない兄だ。そんな兄の名がロプス家の当主の口から出ていることが、アルトには信じられなかった。

 そんなアルトの疑問に、シャロンはあっけらかんと答えてみせた。


「それはもう。貴方のお兄さまは王都でも高名な画家ですから。ロビーは見ましたか? あそこに飾られている絵画の数々は、ソプラさんから寄贈されたものです」

「へっ?」


 シャロンの説明に、思わず間抜けな声を出してしまった。

 なにを言ってるんだという表情のアルトを見て、シャロンは「知らなかったのですか?」と眉を寄せた。


「た、確かに兄は放浪しつつ、趣味の絵を描いてると言ってましたが……えっ?」


 慌てるアルト。それもそのはずで、いきなりあのズボラな兄を高名な画家だと言われても信じられない。

 そんな唖然としているアルトの顔を見て、シャロンはくすりと笑ってみせた。


「ふふふ、お兄さまは面白いお方ですから。貴方を驚かせようとしたのでしょう。……と、まぁそれはさておき。雇いの件ですが」


 シャロンの目が値踏みをするようにアルトを見つめる。どこまでも透き通るようなひとつ目に見つめられ、アルトはぞくりと背中を震わせた。

 なにもかもが見透かされている。そんな感覚だ。


「……いいでしょう。お兄さまには無償で絵を譲っていただいておりますし、なにより貴方は誠実そうです」


 見窄らしいアルトの格好に目を下ろし、ふむとシャロンは足を組む。

 ちょうど、産休でメイドが一人抜けたところだ。男手が増えるのも悪くないだろう。


「よろしくお願いしますわ、アルトさん」


 にこりと微笑むシャロンのひとつ目に、アルトは全身全霊で頭を下げるのだった。


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