坂入ミハルの最低な友達
逃げるしかない!!!!!!!!!!!!
「ぬおおおおおお!!!!!!!」
私は顔を上げぬまま、服を掻っ攫い、クラウチングスタートで床を踵で蹴り、巨人軍の誇るノーコン速球派外人・マシソンのストレートの如き剛速でドアをブチ破った。
「すいません!! すいません!! すいません!! ゲ□してすいません!!! 枝毛の枝毛の枝毛ですいません!!!!!」
早口でまくしたて、頭を何度も下げてはだしのまま、マンションの廊下を駆け抜けていく。
一直線で走り抜け、突き当たったエレベーター。
「ホワタタタタタタタタタタタタタタタタタ!!!!」
光の速さで「↓」ボタンを連打。
こんなにボタンを連打したのはフリーザ(ポケモン)をモンスターボールで捕まえようとした時以来だ。
っていうかあれ都市伝説なんでしょ? フリーザ逃げたし!! 噂流したやつ出てこい! ビンタしてやるから!!!
エレベーターに乗り込み、長い溜息が漏れた。
ああ――なんだこの気持ち。
「しにたい」
うん、しにたい。
エレベーターを降りた瞬間、再びクラウチングスタート。
私は見知らぬオシャレ街を無我夢中で駆けた。
田無どこ!?
あのダサイ駅前通りはいずこ!?!?
私をLIVINに連れてって!!!!!
「あ……」
鞄……忘れた。
しにたい。
―*―
坂入さかいりミハルは、今日も事務員としての役割を果たし、定時でタイムカードを切り、家路へ向かっていた。
帳簿とにらめっこし、数字を打ち込む。そして時々は苦手な電話対応。毎日がその繰り返し。
見た目そのまんま、地味で目立たない、しかし真面目な女性を装いながら、9時から17時の退屈な時間を過ごす。
オシャレする必要はない。恋なんて人生のムダ。私は堅実な仕事と収入があるだけで生きていける。趣味があるから。友達だってたくさんはいらない。理解だってされなくていい。
ミハルは、それで幸せであり、完璧なのだ。
そんな彼女の人生唯一の汚点といえば――
「ぎゃっ?!」
自宅の扉の前に佇む怪しい陰。
ミハルは思わず叫び声を上げる。
陰はどうやら人で、しかも何故か座禅をしていた。
不審だ。どう見ても。
忍び足でおそるおそる陰に近寄る。
通報も考えた。
けれども、やめた。
その姿形になんとなく見覚えが有ったからだ。
さて――もう一度言おう。
坂入ミハルのささやかで完璧な人生には、唯一の汚点がある。
それは――
「ボンジュー……ミハルン」
「あ、あきなちゃん?」
丘崎あきなという悪い友人を持った事だ。
あきなは、怪しすぎるフランス語を巧みに操り、更に座禅を組みながらじっとミハルを見つめていた。
とんだ異文化交流だ。
「どうしたの?」
「バック置いてきた」
ずーんと。
今にも沈んでしまいそうな顔であきなは言う。しかも座禅を組みながら。
よく見ると、仲間内から「似合わない」「痛い」「年考えろ」と不評なロリータよりも、更に似合わないお洒落Tシャツが肩から垂れて、修行僧のようになっている。
この人に似合う服って逆に何?
ミハルの人生に疑問が増えた。
「どこに?」
「よそ様」
よそ様ってどこ様。と、ミハルは思った。
「そよ様じゃなくて?」
「そういうの、今はいいよ……」
あきなといえば、つーか行けるなら行きてーよ、そよ様のところに。
的な不満が、化粧の乗っていない顔からありありと滲み出ている。
「お家のカギは?」
「バック」
「お財布は?」
「バック」
「携帯は?」
「……」
持ってました……なんて事があったらこんな所で座禅を組んでいるはずもない。
というか例え携帯電話が無かろうとも座禅は組まない。
座禅から「英雄のポーズ」なんかに切り替えたりなんかしない。
ちなみにお洒落や美容に無頓着なミハルはヨガに明るい訳ではないが、知子やあきなに多少の知識は刷り込まれている。
宅飲みで酔うとポーズをとり始めるのだ。あの二人は。
「……どうするの?」
「おうち入れて」
「……」
きたよ。図々しいなぁ。ミハルはあからさまに嫌そうな顔をする。
部屋にはできる限り入れたくない。
散らかってるとか面倒臭いとかそういう問題ではない。
彼女には唯一。たったひとつ、だれにも言えない秘密があるのだ。