転生してもいいですか?
「何か勘違いしてるみたいだけど……私と新大は家族よ?」
知子さんが右手を出して猛る我々をたしなめようとする。
そんな安い言葉で我々を押さえ込もうなんてナメくさりおって。
「知ってるよ。同棲してんだから家族だろ!」
金銭でももらわない限り我々は納得などしないからな!
誠意より金額だ!!!
「えぇ……だから紹介しようと思って……」
知子さんはしどろもどろになって眉間に指を当てながら言い訳をする。
「寝取るぞ!!」
「寝取りますよ!!」
私とミハルの声が重なり合う。知子さんは「ええーっ」という顔で私たちを見る。
「は? 意味わかんない」
私はふとアラタを見た。
さっきまでむすーっとしていたアイツは、さぞかし愉快そうに口を歪めていた。
明らかに人を見下したような、とにかくすっごい笑顔だ。
あ、こいつ、性格悪いわ。
「アラタさん!! いえ、距離を取りたいんで苗字を教えてください」
ミハルのアラタへの距離の取り方はバイキンに対するそれに近い。
「確かにアラタさんじゃ他人の男に対して失礼だなぁ」
と言ったものの、樹さんは下の名前で呼んでいる。
彼はあくまでビジネスパートナー。なので例外。
「ちょっとちょっと、何の話よ」
お前の話だよ。
知子さんが追いてけぼりみたいな顔をするのはおかしな話だ。
「南波」
アラタの発言に、空気が凍てつく。
誰ひとりとして息をしていない。
あそこのバカップルを除いて。
「え?」
「南波」
アラタはもう一度、確かにそう言った。
沈黙……の後
パリン
「すいませんでしたー」
安田がまたグラスを割った。
「……あだ名でよぼっか」
ミハルがそう言った瞬間、アラタの言ったことはなかった事にされた。
聞かなかったことにしよう。
既婚者……知子さんが既婚者とか嘘だろ……。
っていうか婿って……婿ってマジかよ。
夢だろ?
バチィィィン!!!! と。
私は思いっきり自分の頬を引っぱたく。
「あきなちゃん!?」
ミハルが目を丸くした。
「あはは、ごめんごめんー。おっかしーな、なんだか今日の夢はリアルだなぁ。痛みを感じるぞぉー」
バチン! バチン! バチコン! バチコン! ガッツン!
私は何度も何度も頬を叩いた。
おかしい。
消えない。痛みが消えない。
物理的な痛みに重なって皆の視線が痛い。刺さるように痛い。
こっち見んな! 私の夢はお前らの見せもんじゃねぇんだ!!! こっちは本気なんだ!!
おかしい。おかしすぎる。
この夢から醒めない。
いつまでも醒めない。
「あきなちゃん、夢じゃないよ! 夢だと思いたいけど! 今すぐに転生したいくらい悪夢だけど!」
そうだよ。
いっそ転生しちゃおうよ。
乙女ゲーの世界でも行こっか。
ミハルはポニテのお侍と恋愛してきなよ。
私はお侍なんかと恋愛したくないから、赤いチームの野球選手と恋愛するやつがいいな。
目が覚めたらね、球場に立ってて、心配そうに見てるの。
上原が。
「ってレッドソックスかよ!!!!!! 責めて楽天だろ!!!」
「あきなちゃん!?」
ミハル、いいんだ。私は大丈夫だ。
よし、スイッチをパチンと入れよう。夢なら夢なりに適応してやろうじゃねぇか。
それが社会人ってもんだろうよ!!!!
何の話だっけ?
そうだ、アラタにあだ名を付けるんだ。
距離を取るために。
「あはは、あらたんとかはどうかなぁー?」
ってばかあああああ!
それじゃあ逆に距離が縮まるだろうが!!!
思いっきりミスった。適応できてないよ。社会人なのに。
なるほど、だからスーパーをクビになるわけだ。
あー欝だ。やなこと思い出して凹んできた。
「なるべく菌類っぽいのがいいですね。ヒモノオットアラタとか」
ミハルあんたサラッと何て事言ってんの?
彼、人類だよ?
今からつけるのは学名じゃなくてあだ名だよ?
付けたあだ名を学会で発表するの?
ヒモの生態?
「チキンカレー納豆野菜乗せ」
恋頃さんは黙っててください。
CoCo壱の話なら後でゆっくり聞くから。
っていうかここも飲食店だよね?
「鳥なんばはどうかしら?」
「お前は黙ってろ!」
「知子さんうるさい」
「……CoCo壱」
私、ミハル、恋頃が一斉に知子さんを睨みつける。
まるっきり連携は取れていないが、皆が一様に同じことを言っている。
そうですよね! 恋頃さん!
都々逸みたいに言ってるけど気持ちは私たち寄りだよね!?
やめてよ知子さん!
今はアラタを南波から離すのに必死なんだから!!!
「……ぷっハハハハハハ」
笑い声。
突然のことだった。
アラタは顔を天井に向け、大口を開けて腹を抱えて笑い出す。
私たちはポカンとそれを見つめていた。
知子さんもそれは同じ。旦那の奇行に呆れているようだ。
「ひーひぃーハハ」
アラタは、苦しそうに息をしながら、堪えきれないと言わんばかりに椅子の上をゴロゴロと転がりはじめる。
意味がわからなかった。
彼は、笑い疲れてふーふーと肩でしながら、知子さんに寄り掛かる。
お前ら人前でイチャイチャすんな!!!
警察呼ぶぞ!!!!
アラタは歪んだ薄い唇で、途切れとぎれに声を漏らした。
「さりげなく……ヒー……誘導……フー…したら…フー…フー……マジで……騙されてっ……やがんのな……ヒー」
そして再びアラタは笑い出す。言葉を発するのも一苦労という様子だった。
「騙す? どういう意味よ」
知子さんは右の眉を上げてアラタを睨みつける。
私は咄嗟に立ち上がり右の拳を上げる。
「ちょっ! 詐欺の類?! アンタ、額によっちゃ許さないよ!!」
ミハルも立ち上がり、知子さんの肩に触れる。
「知子さん、大丈夫ですから。落ち着いてくださいね」
決起する私達に対して、恋頃は黙って首を傾げていた。
「こんないたいけなバカの知子さんを騙すなんて絶対に許さないんだから!!!!」
私の怒鳴り声が店内にこだました。
店長と安田が呆気にとられてこちらを見ている。
「は? 皆何言ってんの?」
動揺する知子さん。
アラタはニヤニヤと意地汚なそうな笑みを浮かべている。
こいつぅ……完全に知子さんをナメてやがる!!!!
「俺、知子の弟なんだ」
私とミハルはしゅっと着席し、さっと口をつぐんだ。
パリン
「すいませんでしたー」
安田が遠くで再びグラスを割っていた。




