時には飢饉のように
――数日後
「丘崎さん、なんか疲れてない?」
バイト先のスーパーで惣菜をパックしている時、おばちゃんにこう聞かれた。
この人誰だっけ。
「やつれてるわ」
痩せたんだよ。
丘崎さんサイドとしては、痩せたい夜を千も万も越えてるんだよ。
嘘です、まだ5日です。
それだって痩せたくて痩せたくて震えてるんだよ!
その辺のしょんべん臭い女の会いたい気持ちなんか鼻で笑い飛ばせる位、私は強く、強く、痩せたいと願っているんだよ!!
例のマズいスープを食べて、炭水化物を我慢して、スコーンだろうと羊羹だろうと煎餅だろうと世にいうお菓子と呼ばれるものをひたすら我慢しだ。バナナはお菓子に入りますか? あれだってお菓子のうちだろう!!! あんなクッソ甘いもん!!
ちょっと考えりゃぁわかるだろ!!!!
更に大好きな焼酎も我慢して、酒の席は全てウーロン茶で乗り切った。
知子さん達との飲み会も1回パスしている。居酒屋料理は敵だ。
奴らは油の上に君臨する事により、はじめて成り立っている。
運動だってちゃんとした。普段チャリンコを使うところを全部歩きにした。
おかげで足はパンパンにむくんでいる。
「丘崎さんは元気じゃなきゃ悲しいわ」
私はおばちゃんの丸々と太った身体が美味しそうだった。
いや、羨ましかった。
結婚すれば、太るとか水着とかバカな事考えなくてもいいんだ……って。
ついでに照り焼きにしたら美味しそ……じゃない。
「ぐうう」とお腹が減る。詰めている唐揚げがひたすら憎らしかった。
これを買っていった奴らひとりひとり残らずデブになればいいと心の中で呪いをかけた。
くそう、いつもならマヨネーズと七味をかけて丸呑みしているのに。
むしろ、今なら生きた鶏を丸呑みできる自信がある。
胃の中が鶏の形になっても構わない。
肉が食べたい。
こんな食材に囲まれた環境はうんざりだった。
早く現実から逃れたい。
これが終われば、樹さんとの打ち合わせだ。
樹さんにはどうしても聞いてみたい事がある。
*
「樹さんは痩せてる子、好きですか?」
21時。
私は、現実から切り離されたような小さなバーのカウンターで、隣に掛ける樹さんに聞いてみた。
当然、飲み物はウーロン茶だ。
樹さんは困った顔をする。
どうにも面倒そうに笑っていた。
伊達に24年負け犬街道を突っ走っているだけではない。
そういう気持ちは隠しているつもりでも処女には丸見えなのだ。
「どんな子でも想われるなら構わないよ」
ふーん。
嘘つき。
この嘘大つき。
アンタ、その整った顔にちゃーんと書いてあるよ、「それ相応希望」って。
この男はデブが嫌いのようだ。ついでに言えば貧乳やブスもダメそうだ。
理想高そうだもんなぁ。紳士気取ってても隣に置く女はそれなりじゃないと満足できないんだろ?
だんだんとクールを気取ってイケメンぶる樹さんにいら立ちを覚えてくる。
追い詰めたくなってきた。
太っているのが嫌ならばデブはそれ相応の罰を与えるのが使命というものだ。
「ねえ樹さん」
「ん?」
「彼女は太ってます?」
「……痩せてるね」
「今までの彼女に太ってる子、居ました?」
一撃だった。
もっと粘るかと思ったのに。
「僕は太った彼女でも愛せるよ」
そういうのじゃないんだよ。彼女は太った時点でお前の彼女じゃないんだよ!
そもそも、私はそんな言葉が欲しいんじゃない。
そういうのじゃなくてさぁ……!!!
何言ってんだろ私。
大体、樹さんはいくらイケメンでもアイツの代わりにはならない。
一体何を求めてるんだ、私は。
うんざりする。自分でも迷子だ。
ぐうううう、と鳴る腹にパンチを入れ、私は心を引き締める。
「論破、しちゃいましたね」
「え?」
「嫌という程わかりましたよ。太った女性なんて世の中には必要とされてない」
「それって」
「樹さんは痩せてる女の子が好きなんでしょ? じゃあ私は対象外。っていうか樹さんのターゲットに入りたいとかそういうのじゃないっすけどね!!」
「あ、いや……君は被害妄想が激しいから」
何が被害妄想だ。
この世の真実を見誤る程、愛に溺れた覚えはない。
「生まれた時からイケメンの樹さんにはわからないでしょうね。デブの気持ちなんて」
「き、君は太ってなんかいないよ」
「太ってますし。嘘丸出しで言うのやめてくれません?」
「え……その……」
樹さんは、いきなり機嫌を損ねた私に何て声を掛ければ良いか考えあぐねているようだった。
「これがあなたの求めた物語の正体ですよ」
卑屈な女のヒステリー。
それ以上でもそれ以下でもない。
それが私の全てだった。
「取材があるんでとっとと帰ります。原稿はしっかり入れますんで。太った女でも自己管理位できるんですよ!! 痩・せ・て・る・い・つ・き・さ・ん!!!」
私は鞄を持って席を離れ、振り向かないままひらひらと手を振る。
「……すまない! 君の機嫌を損ねてしまったなら謝るよ」
樹さんはガタンと音を立てて立ち上がる。
「いいえ、元気ですけど? ただし次会う時、あきなは死にます。痩せてるあきなに生まれかわるんです」
我ながら意味不明だった。
通り抜ける電車の群れに飛び込むなら今だと思う。
「それでは」
私が死んだりしないようにお祈りでもしていればいい。
それじゃなかったらこのダメ作家の首を切ればいい。
「待って」
樹さんが私を呼び止める。
「何です」
「僕は君が好きだ」
ふーん。
この男の殺し文句であろうセリフも、私の心は凪のように平たんだ。
「どうせ文章の話でしょ?」
「人間として」
「女としては?」
おいこら野村樹、ここでうつむくんじゃないよ!!!
「無理はして欲しくない。君は自分を可愛がるべきだ」
「うっさいなぁ。愛せもしない癖に何をよまい言を」
「連載で無理をしてるんだろ? 最近の君はやつれてる」
だからさ。
「痩せたんだってば!!!!!!!!!!」
私はバタンと扉を締め、樹さん相手に無視を決め込むことにした。
原稿? 連載? しらねーよ!
新たなステージが社会的責任を伴うんならそんなものなんていらない。
滅多滅多に切り刻んでその辺のドブ川にでも捨ててやる。
私に大それた仕事なんてものは不相応だ。
大人なんてなりたくない。
テキトーに生きてテキトーに30ぐらいで野垂れ死ぬ。
それでいい。それで十分だ。
セックスなんてしなくていいし、友達だっていっぱいほしい訳じゃない。
背負えば背負うほど面倒だ。




