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今日から本格的に授業が始まる。
地球では学ランだったため、微妙に慣れないブレザーを着ながら、俺は大きく一つ欠伸をした。
「しっかしまぁ……まさに奇跡って奴だなぁ」
俺はそう呟きながら机の上に置いてある時間割を見る。
寸分違わずクリスタと同じ。これを奇跡と言わずして何と言おうか。良い奇跡か悪い奇跡かはまだ分からないが、前者であることを切に願う。
一応、この世界の一年生までで習う内容は頭の中に詰め込んである。一般教養や礼儀作法、魔法の練習と一緒に、魔法の理論や普通科目を勉強するのが大変だった。
科学や物理や数学は思いのほかと言うべきか、異世界の鉄則ともいうべきか、あまり進んでおらず、公立高校受験と同じレベルだった。つまり中学校履修レベル。
国語も言語や文字は日本語(しかも漢字をしっかり使っている)なうえ、古文や漢文がない分楽だ。英語のような外国語科目は専門科目扱いである。この世界は公用語が日本語(と便宜的に呼んでいるが実際は『アルトマス語』と言う)で、一部の種族でそれぞれ特有の言語を持っている。
逆に、意外と苦戦したのが社会科と生物。
社会科は日本と違う政治体制(王政であり、貴族などもいる)や社会常識や歴史に地理など、覚えることが多かった。
理科系の科目なのに苦戦したのが生物。この世界特有で地球にいなかった生物や、『魔物』と呼ばれるファンタジー特有の心躍る生物の存在が世間一般に浸透しており、当然そのあたりの事をやるのだ。特徴的には哺乳類のはずなのに卵生だったり、その逆もあったり、食物連鎖が複雑だったりと大変だった。草食動物のくせに臼歯が発達していなくて犬歯が発達している魔物を見た時は思わず頭痛がしてしまったほどだ。
長期休暇の一カ月を思い出しながら準備を進めているうちにもう終わった。
さてと……じゃあ学食にでも行こうかね。
■
紅茶にクロワッサン、薄切りのカリカリに焼いたベーコンとサラダと言う洋風の朝食を食べ、教室へと向かう。教科書とノートが詰まっているせいか、昨日に比べて大分重い鞄を机に置き、その中身を机へと移す。とはいえ、重いのは最初の数日だけ。置き勉、と呼ばれる、教材一式を教室に置いたまま帰る、と言うことをしていく予定だ。学校によっては禁止しているところもあるみたいだが、ここではその辺は個人の自由らしい。
ちなみに、日本の場合、教科書などの教材は新クラスになってから配られることが多い。だが、ここでは長期休暇の前に配られるそうだ。その間に予習でもしておけ、と言うことだろうか。
今日の一時間目である魔法理論の教科書をパラパラとめくり、その内容にざっと目を通す。
本来、俺が長期休暇の間に詰め込む各教科の内容は一年生修了までだった。だが、思いのほか時間が余ったので二年生の分もある程度予習はしてある。教えてくれた人のスパルタぶりたるや恐ろしいもので、俺の学力はこの一ヶ月でかなり成長した。……もうあの人にはなにも教わりたくない。
「あら? 下劣な男の割には授業前に予習とは感心ですわ。まぁ、この私の下僕である以上それぐらいは当然ですわね」
良く通る、聞き心地の良い声が近くからして、その後にうっすらと漂ういい香りが鼻をくすぐる。この匂いは……何かの花だな。ラベンダーが近いだろうか。
その声と匂いがしてくる方向、俺から見て右側に目を向けると、そこには席に優雅に腰を掛けるクリスタがいた。
「よう、おはよう」
「おはようございます。ところで、予習はどの辺まで進んでいますの?」
挨拶を交わして早々に、クリスタが俺の教科書を横から覗き込みながらそんな質問をしてくる。輝くような金髪から漂ってくるシャンプーの香りが鼻をくすぐるが、そこをスルーして質問に答える。
「んー、まぁ大体この教科書の半分とちょっとぐらいまでだな」
他の勉強も並行して、ここまで進められたのは自分で自分を褒めたい。受験前もそれなりに勉強したが、それの何倍も勉強した気がする。何もかもスパルタのせいだ。
「あらそうですの。まぁ大体その辺まで進んでいれば上出来ですわね。男は馬鹿ばかりと思っていましたが、貴方はそうじゃないですのね」
クリスタは、心なしかわずかに嬉しそうにそう言った。
「そう褒めてもらえるなら光栄だよ。ちなみにクリスタはどの辺?」
「とりあえず最初から最後までは。魔法理論と魔法実戦は特に力を入れていますの」
「クリスタさんカッケー……」
まだ授業すら始まっていないのに最初から最後までとかどんだけだよ……。思わず口から褒め言葉が漏れてしまう。
二教科だけとはいえ、それでも最後まで予習をするのは中々できない事だろう。口ぶりからして、他の科目も半分前後は予習が終わっているのかもしれない。そうなると、とてつもない勉強量だ。時間をかけたのか、短時間で質の良い勉強を集中してやったのか。どちらかは分からないが、その予習の進み具合は生半可な努力では届かないだろう。
「ほほほ、そうでしょう? もっと褒め称えなさい」
クリスタがそう言った瞬間、いつの間に集まっていたクリスタの取り巻きが拍手をして口々に褒めそやす。
クリスタは、何故かそれを聞いてどこか複雑そうな表情を作り、こちらをちら、ちら、と横目で見てくる。
「クリスタさんマジ努力の人! こんな人が世話役だなんて学園生活に希望が持てそうだ! いよっ、大将!」
どことなく不穏なオーラ――褒めないといけない気がする感じだ――を感じ取ったので、ぱっと思いついた掛け声をクリスタに聞かせる。ふざけ半分の賞賛ではあるが、その言葉自体に嘘はない。性格面で不安は残るが、それだけ勉強できるのならしっかり者だろう。
「ほ、ほほほほ、まあまあ上出来ですわね」
クリスタは、何故か俺の言葉に意外そうな表情をした後、誤魔化すようにそう笑い出した。誤魔化すように、とはいえその表情はとても嬉しそうだった。
こんな適当な掛け声でここまで喜べるとはなんと幸せな。ちやほやされるのが好きなのだろうか。あまりやりすぎると調子に乗るが、これから適当におだてておけばご機嫌取りが出来るだろう。ふっ、チョロいな。
「ヨウスケ君、表情に考えていることが思い切り浮かんでるよ。……まぁ、気持ちは分からなくもないけど」
いつのまにか隣に座っていたシエルから、そんな突っ込みを受けた。
■
「はーい、じゃあみなさん。早速魔法理論の授業をしちゃいましょうねー!」
ホームルームを終え、魔法理論の授業が始まる。この科目は必修科目で、魔法を使うならば絶対に習うべき科目だ。
この科目の担当はマリア先生。昨日のプリント配りから分かる通り、魔法の細かい操作が巧い先生だ。あれだけの精度で出来る以上、理論はやはり折紙つきなのだろう。
この学校の先生は世界的に見て優秀な人が集まっている。
マリア先生だって『旋風の超絶技巧奏者』マリア・マイネルスとして、この世界ではかなりの有名人だ。こんな風に二つ名がつくのはとても名誉なことで、それほどの実力を持った魔法使いはこの世に千人とといない。
「まずは去年の復習をちょいちょいとやっていきましょうねー」
そう言って先生は黒板にチョークで文字を書きながらちゃきちゃきと説明をしていく。
「まず大前提。魔法には火、水、地、風、闇、光の六つの属性があります。この属性の適正は遺伝などにある程度影響がありますが、個人によって違います。複数ある人もいれば一つの人もいますね。それで、この適性がある属性の魔法しか使えないのです」
先生の言った通り、魔法には六つの属性がある。
火を操るなら火属性、水を操るなら水属性、土や金属を操るなら地属性、空気や風を操るなら風属性、闇と影と毒を操るなら闇属性、光と陽と治癒を操るのなら光属性、となっている。光属性の治癒、というのは傷を回復する魔法でなく、体の毒を抜く魔法だ。傷を治す回復魔法は一般には普及していない。
「また、魔法の発動の仕組みとして、それを発動するためのエネルギーのために体内の魔力を消費します。これの総量は個人差があり、年を重ねたり、訓練することである程度の成長が可能です」
先生はさらに説明を重ねていく。普段みたいな話し言葉が混ざった喋り方ではなく、授業用の敬語だ。若干崩れてはいるが。
俺や綾子さんがあの年頃になって急にこの世界に飛んでくるような羽目になったのは、この『年齢を重ねるごとに魔力が増える』という現象による。
つまり、今までは制限が外れても異世界に飛ぶほどではなかったが、魔力が成長した結果、ついにそれほどの量に達したのである。
ちなみに、消費した体内魔力は自然に回復する。
「魔法発動までの流れとして、イメージ、変換、操作、発動が主な手順ですね。どれか一つでも足りていないと魔法の発動は出来ないのです。また、起こす魔法の規模が大きいほど操作やイメージが難しく、使う魔力も多いので発動の難易度が高いんですよー」
魔法とは、いわば『想像した現象を現実に引きこす方法』だ。
まず起こしたい現象を明確に『イメージ』する。これが曖昧だと、失敗したり予想と違う効果が出たりする。
次に、体内魔力を『変換』する。体内の魔力はそのままの状態だと六つの内どの属性にも当てはまらない。よって、魔力をその属性に適した性質に『変換』する必要があるのだ。この変換に対する適性がまんま属性に対する適性、というのが今最も主流な説だったりする。
次に、その変換した魔力を『操作』する。例えば自分の正面に魔法を打ちたいのに、自分の後ろに魔力を持っていったら意味がない。起こしたい現象に適した魔力の操作が重要となってくる。この操作が巧いと、魔法の発動までの時間が短かったり、消費する魔力が少なかったりする。
そして『発動』。起こしたい現象のイメージを解放し、操作した魔力の効果を発揮させる。
以上が魔法の発動までの手順だ。
一見複雑だが、慣れてしまえば簡単なものならば息をするように出来る。綾子さんなんかはこの世界の魔物の中で頂点に君臨する一角、『竜』を一撃で葬れるぐらいまでは息をするように出来るらしい。あの人はマジで規格外だ。チートやチーターやっ! と叫びたいところだが、あれほどではないにしろ俺も微妙に近いので強くは言えない。
ちなみに、魔法を操る総合的な技術のことを『魔法力』と呼ぶ。効率の良さ、速さ、強さ、戦術、体内魔力量など、それを計る要素は様々だが。魔法使いの強さは、魔法力で示されるといっても間違いではない。
「それと、今はとんでもない例外であるヨウスケ君がいますが、ほぼすべての場合において、『人間』の場合は貴族の血を引いた女の子しか魔法は使えませんね~。これはもともと、魔法が血のつながりに依存をするということと、体内魔力が女の子に溜まりやすく、男の子に溜まりにくいのが理由ですね。貴族の血が何故魔法に関わるのか。その理由としては、大昔から貴族と言うのは戦争で活躍した家系の特権だったんですね。今でもその色が強く、その結果貴族の血が流れていないと魔法が使えない、ということになったのです。その血の濃さがある程度魔法に影響するため、遠い親戚になるとほとんど魔法は使えませんね~」
途中で周りの注目を浴びて身を小さくしつつ、その内容を聞いて頷く。
この世界では『血が流れている』という表現をしているが、これは地球で言うところの『遺伝』だ。魔法の才能かなんかは遺伝によって決まるのだろう。それならば血の濃さとか、貴族の血統しか使えないと言うのは納得できる。
実際、この世界の結婚は魔法の力を弱くしないために、貴族は貴族同士で結婚する。男は魔法が使えないものの、その血自体は受け継いでいるため、立派な『種馬』となるのだ。……同じ男としてその微妙な扱いに同情せざるを得ない。
ちなみに、『人間の場合』とわざわざ前置きしている理由はちゃんとある。魔物はオスだろうがメスだろうが、魔法を使える種類なら普通に使えるからだ。この差についてはまだ研究が進んでおらず、メカニズムは解明されていない。
「余談ですが、体内の中でも特に魔力を多く含むのは肺、心臓、脳、肝、血液のような体液ですね。それと女の子の場合は子宮です。これはほかならぬアヤコ様が血の繋がりとの関係を提唱していますが、それ自体は証明されていないですよー。ただ、この説が一番有力とされているのは確かですね。詳しいことは生物の先生に聞いて下さい」
綾子さんが言っているのは、つまり『遺伝』のことだろう。さすがにこの世界では『遺伝子』の存在は確認されていないようだしな。
肺、心臓、脳、肝、子宮に魔力を多く含むのは、これらが体の中でもとくに重要な器官だからだと綾子さんが言っていた。一応納得はできるがこれもまだ証明されていないそうだ。
「とりあえず、基本はこんなところですね。今日はもういい時間なので、もう御終いにしちゃいましょう。それじゃあ休み時間いいよ~」
先生は砕けた口調になり、黒板を消していく。
その少しあとに、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
「今日は一年生の時の復習で終わっちゃったね。ねぇねぇヨウスケ君、先生が言ってたこと分かった?」
教室が喧騒に包まれる中、シエルが俺に話しかけてきた。弾けるような笑顔に、こちらも元気になりそうだ。
「あー、まぁ一応予習はしてあるからな。分からない事はなかったな」
俺はそう言いながら、緩みそうになる顔面を引き締めるよう努力する。美少女が満面の笑みで好意的に話しかけてくれるのだから、男としてはこうならざるを得ないだろう。
「へぇ! 確かに予習はしてくるよね。そう言えば、さっきクリスタには教科書の半分ぐらいまでは予習しておいたって言ってたよね? 凄いね。ボクはまだ最初の単元が終わるかどうかぐらいだよ!」
シエルはこちらをにキラキラとした上目づかいを向けてくる。俺の左腕を取り、体に抱きこむようにして上下に振りながら。
「そ、そう褒められると照れくさいな」
俺はそう言って目を逸らす。
さっきから、腕にふにふにとした感触が伝わってくるのだ。
これはシエルの胸だ。意外と豊満なようで、シエルが腕を持ち上げるたびに柔らかくて気持ちいい感触に支配される。Dカップぐらいだろうか。あまり男とは交流がないようで、警戒心が薄すぎる。
必死で何も起こっていないと言う演技をしながら次の授業の準備をしようとしたその時――
「あぐっ!」
突如右足が激しい痛みに襲われ、思わず悲鳴を上げてしまった。
右足を見ると、そこには俺の足から離れる細い足が見えた。高そうな革靴の踵は硬く、右足の指先に痛みを与えるのには十分だった。というか十分過ぎた。
下から上へと視線をシフトし、その攻撃を加えた乱暴者の正体を確認する。
その足の主は、クリスタだった。不機嫌そうに腕を組み、目を吊り上げ、顔がむっつりとしている。
「い、いきなり何をするんだよ……」
俺は靴を脱ぎ、犠牲となった指たちを撫でて痛みを和らげながらクリスタに問いかける。あまりの痛さに涙が若干滲んできたし、強く返すつもりが弱々しくなってしまった。イジメカッコ悪い。
「そんな女にデレデレする方が悪いんですわ!」
クリスタはなぜかお冠で、そう叫んだあとにシエルのことを敵意たっぷりの視線で睨む。
いや、デレデレしていないと言えば真っ赤な嘘になるけど……俺の演技はわかりやすかったのか?
そんな疑問を抱きながら、露骨な敵意を向けられたシエルの様子を見る。
「…………」
シエルは無言でこちらに流し目を送ってきて、やれやれ、というように肩をすくめた。