13
魔法が――使えない?
その言葉を聞いた俺は、耳を疑った。
「効果は出ているようだな」
苦々しげな声でガルードが刀を構えながらそう言った。
俺とクリスタは、その言葉に反応してガルードを睨む。
さっきのあれは……何も起こっていなかったわけじゃなかったのか。けれど……魔法が使えない、だと? 俺みたいに大量の魔力で吹き飛ばしているわけでもないだろうし……そんなことが可能なのか?
「本当はこんなものに頼ってまで学生に勝とうとするのは武人の名折れなのだがな」
ギリッ、と悔しげに奥歯を食いしばって、ガルードは懐に手を入れる。そして取り出したのは――黒曜石のように光沢をもつ黒い石が嵌められた指輪だった。
「これは『マギディストラクション』という古代遺物だ。性能や効果範囲は質によって大差が出るが……起動すれば『体内魔力の属性変換を阻害する』効果を持っている。これの場合は範囲こそ狭いが即効性があり、変換もほぼ完全に封じることが出来る。貴様らは中々いい連携が取れていたから、さすがに一人で相手するのは厳しかったんでな。女の方の魔法は封じさせてもらった」
ガルードはそう言いながら、懐に黒い指輪――マギディストラクションをしまう。
「そんな……属性変換の阻害だなんて……聞いたことがありませんわ……」
クリスタは震えた、湿っぽい声でそう呟く。
属性変換が出来ない――つまり、『魔法が使えない』。クリスタの強さは、やはりその魔法力による部分が大きい。また、その魔法を誇りに思って磨き続けてきた。クリスタにとって魔法は――いわば自身の支えとなるものだ。それを根っこから妨害する道具……魔法破壊は――魔法を破壊するものは……クリスタにとって、冒涜に他ならないものだろう。
その自身の支えとなるものを破壊されたクリスタは――今、確かに『怯えて』いた。
「しかし……冒険者である以上、依頼の失敗は許されない。依頼者が依頼をし、こちらはそれを受諾した。……それが成立した以上、失敗は、仕事への冒涜だ!」
そう、覚悟を決めたような声で叫んだガルードは――まだ距離があるのに、その手に持った刀を『振った』!
「あぐっ!」
瞬間、俺の左腕に焼けつくような痛みが走る――! 制服はバッサリ切れ、その下の腕までもが、致命傷ではないものの大きく斬れて、血を流していた。この斬れ方はまるで――『刀で斬られたかのよう』だ。
否――今、確かに俺は『刀で斬られた』――!
「ほう、今のに初見で対応するとはな」
感心したようにガルードが呟く。その構えている刀は、一見普通のものだが――俺はさっき、見てしまった。
ガルードが振った直後――
――『刀身が何倍にも伸びた』瞬間を――!
「この『ムラマサ』は、男が持つぐらいの魔力でも、それを流せば『刀身が伸びる』のだ。マギディストラクションの影響下にあろうと……魔道具は『属性変換を必要としないもの』は普通に使用できるのだ。それはつまり――貴様らは遠距離攻撃が出来ないが、こちらからすれば『目に見える範囲ならばすべて間合い』になる!」
ガルードはそう叫んで再度振る。刀身がいきなり伸び、俺の横にいる――魔法を使えないクリスタ目がけて襲い掛かる――!
ガキンッ!
硬い物同士が勢いよくぶつかったような甲高い音が廊下に響き渡る。
「ぐぅうっ!」
直後、それをかき消すように、俺の口から苦悶の声が漏れた。
「ヨウ……スケ……?」
刀が今にも当たらんとする瞬間、目を瞑って伏せていたクリスタは――それに覆いかぶさるように立っている俺を、弱弱しく涙目になった目で、驚いたように見上げていた。
「貴様……その身体の硬さはなんだ? 服の下に鉄板でも仕込んでいたのか?」
俺は、クリスタとガルードの間に立ち……ガルードの振り下ろしを、右腕を横に掲げて『受け止めて』いた。
「クリスタ、」
ガルードの問いに答えず、俺の事を見上げているクリスタに、振り返って笑いかけながら語りかける。
「今は、魔法が使えなくて不安かもしれない。お前が、ずっと頑張ってきたものがダメになって、怖いかもしれない。心の支えが無くなったんだもんな――」
クリスタから視線を外し、ガルードを睨みつける。
「――けれど、俺なら『魔法が使える』。だから――お前は、『俺が守って』見せる。そう大げさなことは言わないが……俺がお前の支えになれるよう、頑張る」
けれども、意識はクリスタに向けて、なおも語りかける。
「ヨウ……スケ……。…………感謝しますわ」
クリスタは、訳が分からない、といったふうに俺の名前を呟くように呼び――少しの黙考の後、少し上ずった声でお礼を言ってくれた。
「何? この状況下で魔法が使えるだと? ふざけるな。ハッタリは通じんぞ――!」
ガルードは、さっきまで心を支配していた困惑を怒りに変え――再度、伸ばした刀身を振り下ろしてくる。
ガキンッ!
二度目の、金属同士がぶつかったような音がした。
俺は刀に合わせて腕を横なぎに振り……それを『弾いた』。
「俺の魔法は『無属性』だ。……属性変換は『必要ない』!」
驚愕で固まっているガルードに向かって、魔力で強化した身体能力で、数メートルを一跨ぎで詰めて――殴る!
「くっ!」
驚異的な反応速度で、その拳は刀によって受け止められた。いかなるものも斬り裂きそうなその怜悧な刃に拳を打ち付けた形になるが――俺の拳には傷一つついていない。
「無属性魔法だと! ……まさか、貴様は男魔法使いの――!」
何かに気付いたようなガルードが、驚愕の声を上げる。
「ああ、そうだ――よっ!」
その声に肯定に叫びを返し、それに合わせて、斬り裂かれていて腕が痛むのも構わずに左拳で顔面を殴る!
ガスッ! という激しい音とともに、ガルードの身体は宙を舞い、背面から倒れる。
「くそっ、無属性魔法だなんて!」
悔しそうに吐き捨てたガルードは即座に立ち上がり、俺から距離を取る。
「だが貴様の手の内は見ている! 無属性魔法とやらで強化した肉体による格闘戦術だろう! ならば――我が『ムラマサ』の長大なる間合いには敵わん!」
そして刀を振りあげ――勢いよく振り下ろすと同時に刀身を伸ばす!
「ああああああっ!」
俺はその向かってくる――避けるのが難しいほどの――恐ろしい速さの刀に対して、『両腕を上げる』。
バシンッ――!
勢いよくものが当たったような音が鳴り響く。
刀身が伸びた刀は――俺の頭上で『止まって』いた。――――俺の『両手に挟まれて』――!
驚きで固まっているガルードに対し、即座に俺は魔力の球を打ち込む。刀を頭の上からずらし、それから離してガルードに向けた手のひらから、『遠距離攻撃』である魔力の球が勢いよく撃ち出され――
「かっ!?」
ガルードの鳩尾に、今までにないぐらい完璧にヒットした――!
ガルードは後方に勢いよく吹き飛び、ちょうどいいところにあった柱に勢いよくあたり、ドゴンッ! と低くて大きな音を立てて静止する。
「格闘戦だけじゃ……なかったのか……?」
喘ぎ喘ぎの苦しそうな声でガルードが呟く。それは――今しがた俺が使った遠距離攻撃への疑問だ。
「格闘も出来るけど――やっぱり魔法の醍醐味は遠距離攻撃だからな」
俺はそう言ってガルードに近づき、刀を奪って遠くに放ってから、懐を探ってマギディストラクションを回収する。
俺が今まで遠距離攻撃を使わず格闘戦ばかりやっていたのは、さっきのような場合の為だ。
無属性魔法は、その存在こそいまや漏れているとはいえ、まだまだ知名度が低い。
魔法で強化した身体能力で戦っていた場合、傍から見れば身体能力が高く見えるだけ。仮に魔法だと見破ったとしても、格闘戦に特化した魔法だと思われるだろう。
そんな相手に、不可視である魔力の遠距離攻撃をいきなり仕掛ければ――さっきのガルードのように、予想外の攻撃であるがゆえに大きなダメージを食らわせることが出来るのだ。
「そうか……ふんっ、子供だと思っていたら、とんだ策士だったな。……戦闘だけでなく、策を練ることもできるか……。さぞかしいい冒険者になれるだろうよ」
ガルードはそう言って、ゆっくりと目を閉じる。
「……依頼主の部屋は、このまま真っ直ぐ言って突き当り手前右側のドアだ。一際豪華だから分かりやすいだろう」
そして、俺に向かってそう言うと……深いため息を吐いた。
「それにしても……貴様らの目的は何だ? 確かにあの依頼主はかなり汚いことをしていたらしいしごろつきも屋敷に集めていたが……貴様らみたいな手練れが来るほどの悪人ではないはずだぞ? 貴様らの目を見るに、暗殺や略奪、脅迫が目的ではないようだが……」
ガルードが低い声で呟いたのは、俺たちに対する疑問だった。
「同級生……大切な友達が誘拐されたから助けに来た」
「――なっ!?」
その疑問に対して答えると、驚愕の声を上げる。
「貴様らの友達、同級生となると……マギア学園の生徒か!? なら確実に貴族のはずだ! 貴族の子女の誘拐は――紛れも無く重犯罪のはずだ!」
ガルードはそう叫んで、ガホッ、ガホッ! と苦しそうにせき込む。まだダメージが消えきってないのだ。
「事実だよ」
俺はそう言って立ち上がり、クリスタに目で合図をしてから、ガルードに教えてもらった場所へと歩みを進める。
冒険者の法律で、ガルードの言うとおり、確かに依頼の失敗や一方的な中断は相応の罰が下されるルール違反となっている。
だが、それ以上に優先される法律として――『重犯罪者の依頼を受けてはいけない』というものがあるのだ。また、受けてからそれを続けた期間が長いほど、重い罰が下される。受けてから少ししか経っていない場合は仲介人のミスとして扱われるが――長いこと続けた場合、それなりの罪に問われる。
シエルを攫ったアルベルトの依頼を受けて、雰囲気から察するにそれなりに続けているガルードは……罪に問われる可能性が高い。あの様子からして、どうやら知らなかったみたいだが、それでも罪には変わりないと捉えられるだろう。
「……急ぐか」
だが、今はそれを気にしている場合ではない。早く――シエルを助けないとな。
■
「まったく、この俺様との縁談を一方的に違うとはずいぶん酷い親に育てられたもんだな、小娘」
縛られ、魔法が使えないまま一日以上放置されていたシエルがいた部屋に、ギラギラと宝石や金が悪趣味にちりばめられたもっさりとした派手な服を着た肥満体型の男が入ってくる。
いやらしく口角を上げ、優越感に浸ったようにニタニタと笑うこの男は、ハミルトン家の長男であるアルベルト。元シエルの婚約者で、ごろつきを雇ってシエルを攫わせた張本人だ。
シャルロート家に呼ばれて正式に破断を一方的に告げられ、こうして帰ってきたアルベルトは、一刻も早くここに向かいたいのを我慢して、即座に片づけなければならない仕事をしていた。ようやくそれを終えたアルベルトは、その傲慢なプライドの高さから、シャルロート家の対応に怒り狂っていた。また、その一方で、これからシエルを蹂躙することが出来るという優越感と満足感にも心を揺さぶられていた。
「だがなぁ……貴様は性格こそ小生意気でこましゃくれているが、見た目だけは特上品なんだ。……何が何でも、この俺様が手に入れなければならねぇんだよ!」
そう言うと、食事も与えられず、ストレスにさらされたまま動けない状態で放置されていて弱っていたシエルを、ゴツゴツした派手なデザインの靴で蹴飛ばす。
「くぅっ!」
クリスタの口から、わずかに悲鳴が漏れる。バンッ、と床に勢いよく倒れたクリスタは、怯えたようにじり、と少し動く。
その様子を見たアルベルトは、満足げにヒッヒッヒッ、と喉の奥を鳴らすように笑う。
「貴様ら女は、みーんな俺様が性欲を晴らすための道具だ。……ヒッヒッヒッ、まだ年若い上に生娘、しかもこんな上玉だ。……さぞかしいい声で鳴いてくれるだろうなぁ……」
狂ったような笑みを浮かべたアルベルトは、実際に狂っていた。その息は荒く、目は焦点が合わず、怪しい光を放っていた。
そしてそのままシエルの顎を脂ぎった指で乱暴に持ち上げ、目に顔を近づける。
「よぉーく見ろよぉ。これから、貴様を調教してやるご主人様の顔だ」
そう言われたシエルは、怯えを見せつつも、怒りと不快感でその端正な顔を歪め、喉の奥で悔しそうに声を漏らす。
「いいねぇ、その反抗的な態度ぉ。生意気だけど、調教のしがいがあるってもんだ。最後には、俺なしじゃあ生きられなくなるぜ!」
その反応を見たアルベルトは、満足げにベロリ、と不快感を煽るように大きく舌なめずりをする。
その直後、屋敷の中で、男たちの怒号が響き渡った。
「ああん? 何かあったのか?」
興が冷めた、と言わんばかりに不機嫌になりながら、しぶしぶ状況を部下に問いかける。
「侵入者ぁ? んなもんとっとと排除しろウスノロ! どうせ凄腕の冒険者も雇ってんだからコソ泥ぐらい脅威じゃねぇ! それよりもこれからお楽しみなんだ! 邪魔するなよ!」
部下の答えに、まくしたてるように命令を告げる。その部下は汗をダラダラと流し、絞り出すように、裏返った声で「はひっ!」と言ってから、逃げ出すようにその場を後にした。
「ちっ……さぁて、これからお楽しみだぁ……時間をかけてゆっくりと、隅々まで染めてやるよ……!」
「――っ!」
振り返り、シエルにまたニタニタとした笑顔を向ける。シエルはそれに対して一層身の危険を感じ、猿轡によってまともに出せないながらも小さく悲鳴を上げ、悶えるようにして逃げようとする。
「ムダだよ……ここじゃあ魔法は使えねぇからなぁっ!」
アルベルトは暴れるシエルの脇腹を蹴る。
「どうだよぉっ!? 散々馬鹿にしてきた男に虐げられる苦しみはよぉ! てめぇら女なんざ所詮性欲を満たす人形でしかねぇんだ! 魔法が使えないおめぇらはただの弱者! おとなしくメス犬のように尻尾振って舌出しときゃいいんだ!」
苛立ちを、今まで溜まった鬱憤を晴らすように、罵詈雑言を浴びせながらシエルを滅茶苦茶に踏みつける。
(何で、何でこんなことに……?)
シエルは暴力にさらされながら、自問する。
(ヨウスケと仲が悪くなって、油断して攫われて、このざま……あまりにも酷すぎる)
ここ最近の自分を思い出して、シエルは悔しさと悲しみがこみ上げてくるのを感じた。
(こんなになったら……もう誰も来れない……。ボクは……どうなるんだろう……)
自嘲気味のその独白を、聞く者はいない。ただそれは、自分の中に重石のように沈んでいく。
(ヨウスケ……せめて、最後に仲直りしたかったなぁ……)
けれど、結局気まずい雰囲気のまま。仮に気付いたとしても、こんな自分を助けてくれまい。
(ヨウスケ……)
心の中で、もう一回、ここ数カ月で自分の心の大半を占めるようになった、変わり者のの異性の名を呟く。
そんな自分に疑問を抱きながら、シエルは口の中を切り、口の端から血が垂れた状態で、ただ大きな怪我をしないように丸まっていた。
(く、くぅう!)
心の中で、悲鳴にならない悲鳴を上げる。口の端からは血が垂れ、痛みと屈辱と恐怖によって、目から涙がこぼれそうになる。
しかし――
(泣くのだけは――絶対にしない!)
――シエルはそれらの中でも、決して涙は流さないことを固く決意していた。必要以上に柔らかい絨毯に顔を擦りつけ、目に溜まっていた涙をぬぐう。
「はっ! やっと許しを請うようになったか?」
その行動は、傍から見たら、床に頭を擦りつけているだけにしか見えなかった。それを見たアルベルトは調子に乗り、さらに踏みつけの勢いを増す。
ガズッ、ガズッ、ガズッ!
痛々しく、生々しい音が、成金趣味のギラギラした装飾や家具が彩る部屋の中で場違いに響き渡る。シエルは奴隷の少女のように、ただ黙って、涙を流さないように耐えていた。
ドゴンッ!
廊下の少し遠くの方で、激しい音が聞こえてくる。
今やこの状況のせいで、恐怖と絶望に支配されたシエルは、その音に過剰に反応し、ビクンッ! と震える。
そんな音やシエルに構わず、アルベルトはただシエルを蹂躙する。
「跪け、傅け、蹲れ! 俺様に頭を下げて、助けて下さいと無様に命乞いをしろ雌豚!」
口汚く、ひたすらシエルを罵る。感情が昂って来たのか、その踏みつけはさらに勢いが増している。 そしてついに、その踏みつけが止んだ。
運動不足であるアルベルトは、さっきまでの激しい動きのせいで息が切れて荒くなっている。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァァァァ……」
ただ、それだけではない。異常に昂った感情によって、その息切れは恐ろしいまでの狂気を孕んだものになっている。目はせわしなく動き、顔は赤く、体は震えていた。
それを見上げる形になるシエルは――そのあまりにも狂的な姿に、これまでにない恐怖を覚えた。
凌辱される。蹂躙される。破壊される。
すべての可能性――シエルの心に巣食うすべての恐れが、一気に襲い掛かってきた。
(――――っ!)
喉の奥から声にならない声を出す。怯えて、怖くて、逃げ出したいのに――今や、シエルの体は恐怖に支配され、固まってしまっていた。
「さぁ……じっくり楽しませてやるよぉ……覚悟しろよぉ……いい声で鳴けよぉ……ヒッヒッヒッ……」
うわごとのようにシエルに語りかけてから、不気味な甲高い笑いを漏らす。そして――シエルの腕を掴み、胸元のリボンに手をかける。
「――っ!」
シエルは怖くても、体が固まって抵抗が出来ないでいた。ただ、これから起こるであろうことに恐怖して、目を見開いて震えているだけだ。
そのシエルの反応を楽しむように、ゆっくり、ゆっくりと、アルベルトは口角を吊り上げながらリボンを解いていく。
(ダメ! やめて! 触らないで――ダメ!)
シエルは心の中でひたすら叫ぶ。だが、そんなものに気付くはずもなく、アルベルトはリボンをゆっくりと解いていく。
「ああ……楽しみだぁ……最初は痛いだろうけどよぉ……じぃきに気持ちよぉくなるぜぇぇぇ!」
狂ったようにそう叫んだアルベルトは、そのリボンを一気にほどく。そしてそのまま、シエルを押し倒して、覆いかぶさる。
その勢いと、今までの出来事のせいで――またシエルの目からは、涙が流れそうになっていた。
(助けて! 誰か助けて! 助けて――ヨウスケ君っ!)
瞬間――
――バンッ!
勢いよく、扉が開く音が鳴り響いた。
「シエル!」
シエルは、自分の耳を疑った。
■
「シエル!」
ガルードに教えられた部屋の扉を思い切り開けると、そこには縛られて倒れているシエルと、それに覆いかぶさって胸元に手をかけている悪趣味な服を着た肥満体型の男がいた。
「き、貴様は何者だ! ここが伯爵家が長男アルベルト様の部屋と知っての事かっ!」
甲高い、裏返った声で肥満体型の男……アルベルトが叫ぶ。
この様子からして……こいつは、シエルを襲おうとしていたのかっ!
「シエルからその穢れた体をどけろ!」
怒りに任せ、その贅肉に覆われた脇腹を思い切り蹴飛ばす。
「げふぉっ!」
アルベルトはそのまま吹き飛び、ごてごてと装飾が施された高そうな家具に勢いよくぶつかる。
「大丈夫かシエル!?」
シエルに駆け寄り、猿轡と縄を解いて、自由にしてやる。
「ヨウスケ……君……?」
シエルは困惑したように目を見開き、俺の名前を呟く。
「ああ……お前が残してくれた暗号を見て、助けに来た。大丈夫だったか? 何かされなかったか?」
あまりにも心配だったので、俺は焦りは禁物、と思いながらも問いかけてしまう。
「う、ううん……」
シエルは未だに困惑していながらも、首を横に振る。
そして――
「ねぇ……どうして、ボクなんかを助けに来たの? ヨウスケを騙して、利用しようとしてたんだよ?」
――どことなく必死な様子で、本気で訳が分からない、といったように問いかけてくる。
やっぱり――気にしていたんだな。まったく……いい性格しているよ。他人のせいにしないで、しっかりと責任を持つ。
けれど――もっと自分を大切にしてもいいと思うんだけどな。
「それは――友達だからに決まってるだろ?」
俺はそう言って微笑みかける。さぞかし怖かっただろうから、安心させるようにその頭を優しく包むように手のひらでポン、と叩く。
「とも……だち……こんな……ボクが……?」
シエルは呆然とした表情で、途切れ途切れに、不安げに問いかけてくる。
「ああ――かけがえのない、大切な人だ」
俺はそれを即座に肯定し、また笑いかける。
「――――っ! ヨウスケ君ッ!」
みるみる顔を赤くして、目を潤わせたシエルは――そのまま勢いよく、俺に抱きついてきて、顔を胸に埋めた。
「うぉっ!?」
そのいきなりな行動に、俺は戸惑いながらも倒れるような真似はバランスを取ってギリギリでしのいだ。
「ありがとっ! ありがとっ――ヨウスケ!」
湿った、くぐもった声で、シエルは叫ぶ。それと共に……胸に、熱く、湿った感触が伝わってくる。
「し、シエル! お前――涙を流していいのか!?」
そう、その感触は、恐らく涙だ。シエルは泣かないと誓っていたはずだ。それを――俺なんかに見せていいのか?
「うん!」
胸の中で、シエルは大きくうなずく。
「だって――――」
その勢いのまま、俺の胸から顔を離し、上目づかいで俺を見上げる。
その目の端には、うっすらと涙が浮かんでいた。顔は赤くなり、口の端も切れていていたが――その満面の、等身大の、一切の嘘がない笑みは、最高に美しい。
そんな笑顔で俺を見上げ、いつも通りの快活な声で、大胆に、一切の迷いもなく答える。
「――これは嬉し涙だから!」




