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一刻を争う事態だった。
主犯と思われるのはハミルトン伯爵家の長男、アルベルト・ハミルトンだ。
悪い噂が絶えないハミルトン家の中でも、さらに悪い噂が多いのがこの長男だ。まだ今の当主は商売が巧いからいいが、この長男は能力も無く、プライドが高いだけのクズらしい。
そんなのに攫われたのが昨日の夜。何をされるかわからないし、すでに何かをされているかもしれない。一刻を争う事態である以上、騎士や治安維持隊に連絡をして――とかいう遠回りは出来なかった。
急いでそれぞれの家に戻り、準備を整える。クリスタは、先生に会ったら渡して、と信頼できる同級生に手紙を残してきたそうだ。先生はこの時間、どこにいるか分からないため、探す暇はなかった。
そして、今回ばかりは完全な非常事態。クリスタは普段は嫌う家のコネを最大限利用し、高速で移動する馬車を学校に来させた。曰く、騎士が戦争などの時に、特に速さが重要な場合に駆り出される馬と馬車らしい。乗り心地は最悪に近いが、今の状況にはピッタリだ。
「いつぐらいに着く!?」
「今が四時位でここから四時間かかるから八時前後ですわ!」
ガッタンゴットン揺れる馬車の中で会話しているせいか、焦りのせいか……無駄に大きな声での会話となる。これはヤバい。窓の外とか見る余裕ない。少しでも油断したら酔ってしまいそうだ。
普通の馬車では、ハミルトン領まで着くのに六時間かかる。ハミルトン家の屋敷はかなりこちら側に近いとはいえ、さすがに領の境目からは普通の馬車換算で二時間ほどには離れているだろう。つまり、普通だったら八時間かかるところを、四時間で着くのだ。単純計算で二倍の速さである。いかにこの馬車がスピード優先で、馬も体力があるのかが分かる。
……その代償は、乗り心地の圧倒的悪さだが。
■
揺らされまくり、やっとハミルトン伯爵家の近くに着いた。クリスタの家……ハームホーン公爵家お抱えの隠密部隊から入ってくる情報により、色々な情報が入ってきた。最近この家でガラの悪そうな連中が集まっているということ、夜中に人ぐらいの大きさの黒い袋を抱えた男たちが入っていったこと、そして今も屋敷の中にはガラの悪そうな男たちが沢山いるだろうということだ。
あの揺れまくる馬車に乗りながら、クリスタは通信機の魔道具――古代遺物だ。複数の部隊と連絡を取っているあたり、絶対複数個ある――を使って、複数ある隠密部隊と連絡を取っていたのだ。怪しげな動きがある貴族には、クリスタのお父さんの命令でこの隠密部隊が派遣され、監視されるらしい。今回は、その予め派遣されていた隠密部隊と連絡を取り合ったのだ。
この隠密部隊と連絡手段の古代遺物を知ってしまった俺は、本来なら文字通り消されかねないらしい。だが、今回はクリスタから例外と認められ、命は助かっている。ただ、このことをばらしたら……命どころか人権の保障すらないらしい。……貴族の裏社会怖っ!
このハミルトン家は、代々男系の家系らしい。今まで直系で女子が生まれたことは殆どなく、実際にここ最近は男しか生まれていない。別の貴族から権力拡大のために――たとえシエルのように本人が嫌がっていようと――嫁いでもらったり、嫁がせるのだ。女癖は悪い癖に、ここの男どもは女性差別主義らしい。女は子供を産むためと性欲を満たすための道具、とか素で言ってしまうレベルだ。だから、女性を無理やり襲うような真似をするそうだ。それでいて権力が高いから手におえない。
この話を、渋面を作ったクリスタから聞いた時、俺は思わず、
「そんなんがいるから周りのお嬢様たちに見下されるんだよ俺がああああああ!」
と馬車の中で魂の叫びをあげてしまった。紛れもない本音であるが、入学当初の事を思い出してクリスタはばつの悪そうな顔をしていた。……そのうち、今までのお礼を兼ねて何かプレゼントでも贈ろうか。
……話がずれてしまった。そんなハミルトン家であるため、護衛や兵士はみんな男であろうということが予想される。実際、隠密部隊からも戦闘要員と思われるのは男しかいない、と報告を受けている。本来は魔法が使える女性の方がいいはずなのだろうけど、ここの家の方針なのだろう。……腐ってやがる。
ハミルトン家の成金趣味で悪趣味な、ごてごてした装飾が見える無駄にデカい屋敷の傍にある夜の森。その中で、俺とクリスタ、そして公爵家隠密部隊とで連絡を取り合っていた。この隠密部隊は、大半が女性だった。やっぱり魔法が使える方が有利らしいが、数少ない男性は身体能力の面で他の追随を許さないらしい。
『………………………………』
終始無言で、音を立てずに地面に暗号を書いてやり取りをする。
地面に描かれるのは、点と横線。モールス信号のようだが、どうやらハームホーン家独自の解読法があるようだ。声に出してコミュニケーションをとると盗聴の危険があるため、こうしているらしい。
クリスタと隠密部隊の皆さんの間で、特殊モールス信号による高速のやり取りが行われている。俺は解読法を知らないため、連絡に加わっていない人たちと一緒に周りの警戒だ。
異様な光景だ。制服を着た男女と、明らかに只者じゃない雰囲気なのにどことなく存在感が薄い全身真っ黒の集団が、夜の森の中で屯しているのだ。
それにしても……この集団は凄いな。クリスタ曰く、この人たちも普段は普通の人らしい。普通の生活もおくれないようじゃ潜入捜査なんか出来ない、とのことだが……貴族ってやっぱり敵に回さない方がいいんだな。
「決まりましたわよ、ヨウスケ」
クリスタがこちらに振り向き、耳元で無声音で話しかけてくる。息が頬に吹きかかり緊張するが、それどころではないので気を引き締める。
「主犯と思われるアルベルトは、一時間ほど前に帰って来たそうですわ。昨日の昼ごろから出かけていて、理由はシエルの家……シャルロート家に呼ばれて、正式に婚約の破棄を言い渡されに行ったそうですわ」
なるほど。つまり、あの中にはもう主犯がいるわけだ。
「中にいるごろつきや戦闘要員は、確認できる限り五十名ほど。いずれも男らしいですわね」
うっわ、露骨! そこまで徹底していると逆に引くわ。
「そのうちの半分は盗賊だったり、犯罪者だったりするらしいですわね。犯罪者を屋敷に招き入れた時点で、十分貴族社会の中から抹殺することは可能ですが……どうせなら犯罪者も一網打尽にしようとして、襲撃は待っていたらしいですわ」
ちょっと待て、ここにいる隠密部隊は両手の指で収まる範囲ぐらいしかいないって言ってたよな? だとしたらその人数で襲撃可能って……どんだけだよ……。
「練った作戦としましては、最初に私とヨウスケで突入いたしましょう。隠密部隊を大きく動かすには……残念ながら、もう少し大きな大義名分がないとダメらしいですわ」
クリスタは、最後の台詞を悔しそうに言った。
多分、隠密部隊はハームホーン家の虎の子の一角だろう。それを動かすには、大量の犯罪者を取り込んで、さらに侯爵家の娘を拉致した程度では足りない、というわけか……。確かに公爵まで来ると王族となんぼも変わらないから、やたらと動けないのだろうが……確かにそれは悔しいだろうな。攫われているのは、俺たちの友達だ。
「私達だけでは不安が残るので、隠密部隊の方々には、露払いをお願いする予定ですわ。中枢に入りこまなければギリギリ大丈夫、とお父様からも許可が下りていますわよ」
「それが大丈夫でそれ以上がダメなのか……案外境界線があいまいだな」
妙なところでいい加減だった。普通は俺たちが雑魚を片付ける役目だろうに。
「これでも相当危ない橋を渡っていますのよ? ……それだけお父様も、あの家には腹を据えかねている、という事ですわ」
クリスタが低い声で言った瞬間、隠密部隊の皆さんが一斉に鋭く頷いた。
「ひっ……」
怖っ! マジで怖っ! 一瞬皆般若もびっくりの形相になった気がするぞ。顔隠しているのに。
まぁ、恐怖感は覚えたが……それだけ正義感が強い、ということだろう。相当強いらしいし、油断はできないが安心だ。
「さて……では、行きますわよ」
クリスタの低い呟きと共に、隠密部隊の皆さんは一瞬で散り散りになる。
俺たちもそれを確認した後に、足音を立てないように屋敷に向かって動く。
クリスタの呟きは……あまりにも静かなゴングだった。