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異世界で唯一の男魔法使い  作者: 木林森
泣かない理由、涙の理由
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「調査しますわよ」

 指導室を出た直後、険しい表情をしてクリスタはそう言った。

 結果的に、今俺とクリスタがいる場所は、真昼間に比べていくらか日差しが和らぐもののなお照りつける林道だ。木々が影になっていくらか涼しいが、それでも暑いものは暑い。もう少しで衣替えとはいえ、それまでの期間が恨めしく思えてくるほどだ。

 指導室を出た直後のクリスタの言葉に、俺は即座に頷いた。どうにも気になることがありすぎるのだ。シエルに限ってそれはそうそうないと思うが……何か事件に巻き込まれたかもしれないのだ。

 思春期の少年少女の行方不明の原因に置いて、日本で一番多いのは家出らしい。今回の件も、命令云々の件で自棄になったシエルが抜け出した、と片づけるのは簡単だが……あいつはそんなことはしない。自分の責任からは逃げないのだ。

 そんなわけで、わずかな希望を込めて俺たちは林道を歩いて調査している。とはいえ俺たちはある程度の教育を受けているとはいえ素人だ。そうそう見つかるわけがない。

 数十分歩き、俺たちは二回にわたってシエルと邂逅した岩に辿りついた。あそこの上に座るのがシエルの休憩だったな。

 俺もクリスタもあまり汗をかいていない。クリスタは魔法で日光を巧みに曲げて逸らし、俺は『日陰になる』性質の魔力を纏って直射日光を防いでいる。とはいえこんな暑い中を歩くので汗はかくが。

 シエルにならい、休憩と言う事で岩の上に座り水分を補給する。その際、ふっと振り向いて林の方を見た時、奇妙な事に気が付いた。

「随分不自然に割れているな」

 そう、地面の草葉が他の部分に比べて少し不自然な感じに割れているのだ。人二人が乱暴に掻き分けた感じがする。野生動物や魔物の可能性も考えたが、この林は学園によって定期的にパトロールされ、大型動物や魔物は駆逐されている。ここまで激しく掻き分けるほどの大きさや力を持ったものがいるとは思えない。

「……この様子を見ると、林の中から出てきた感じですわね」

 クリスタはしゃがみこんでその部分を凝視しながらそう呟いた。俺にはチンプンカンプンだが、クリスタは観察眼も鋭い。授業で少しだけやった、痕跡から魔物を見分ける技術も学年で唯一の満点を取っている。

「林の中から出てきた、ねぇ……」

 俺はそう言いながら、その跡を回りこんで林の中に入り、跡を辿るようにそちらに視線を向けていく。

「…………なぁ、この跡ってさ、林の中から出てきた感じなんだよな?」

「ええ、そんな感じですわね」

 俺の質問に、クリスタは怪訝そうにしながらもそう答えた。

「…………だとしたらさ……こりゃあ事故じゃなくて事件だぞ」

 俺が林の中から跡を辿るように視線を向けた先正面には……シエルが休憩場所として使って座っている岩があった。


                 ■


 そのころ、ルナは図書館(性格に言えば図書室だが、生徒たちや教師まで図書館と呼んでいる)にて塵の勉強をしていた。

(シエル、どうしちゃたんだろうなぁ)

 とはいえ、その勉強はあまり身が入らないものだった。

 シエルの急な休み、今朝のマリアの様子、そしてマリアよりよっぽど演技は上手かったとはいえルナからすればなんとなくレベルであるものの何かがあったかわかる洋介とクリスタの様子。二人は何か知っている様子だったが、ルナは本当に何も知らないのだ。

(んもう、三人とも何かあったら愚痴を漏らすぐらいはしてくれてもいいのに)

 ルナは少し拗ねていた。そして、三人に愚痴すら漏らして貰えない自分の情けなさにも不満を覚えていた。

 なんて情けないのだろう。

 ルナは自分でそう思いながら、こうして今一つ頭に入ってこない勉強をしている。この精神性はクリスタやシエルと似通うところがある、というのが洋介の評価であるが、それは本人たちは知らない。

 ルナが開いている本は、学園がオススメしている地理の参考書。基礎から専門家クラスまで分かりやすく纏まっているため、全学年どのレベルの生徒でも勉強になる優れものだ。表示されている著者名は『ムーンライト・ノーブル』。月光の貴族という、明らかに本名じゃない、ちょっとおちゃらけたペンネームだが、この世界の本では大して珍しくはない。余談ではあるが、これを書いて纏めたのは綾子であり、このペンネームは、当時中二病まっさかりだった彼女が一晩かけて考えた、当時のセンスで『最高に瀟洒で華麗な名前』だったらしい。今ではこの本を見るたびに死にたくなっている、というのも余談だ。

 今日ルナが勉強する流れとしては、最初の十分に基礎をみっちりやり、その後に今進めているところの予習復習、といった具合だ。あまり見ない勉強法ではあるが、「我に適応するならば何でもよかろう?」と言う程度には彼女に合っている。

 ルナは最初の数ページをめくり、内容を頭に入れていく。

 その内容を初めに読んだとき、洋介は地球との違いに驚いたものだった。

 まず、この世界は広大な大地の割には人口が少ない。よって、日本と違って人の手が加わっていない地域は多く、むしろそのほとんどが未開拓地と言っても過言ではない。

 街や村などの人里は、日本のように隣接しておらず、広大な大地の中に、大小さまざまではあるが点在している、と言った感じだ。洋介はこの記述を見た瞬間、真っ先に国民的ファンタジーゲームを思い浮かべた。あれも旅の過程を楽しむために、地域のほとんどが人の手が加わっていない魔物の住処だったのだ。

 ちなみにこの点在の分布だが、大体はこの国の首都から離れるにつれてまばらになり、規模も小さくなると考えてよい。このマギア学園は全体的に見れば首都から遠めの場所にあるため、エフルテの街を除いたら人里がある場所に行くには大分遠出せねばならない。実際、洋介たちが第二渾沌セカンドカオスに行くまでの高級馬車数時間の道のりに置いても、人里は一回も経由もしていないし見てもいない。ここから第二渾沌までの道のりは、実はほぼ魔物の住処と言っても過言ではない。

 次にこのあたりの領について。

 エフルテ含む、このあたりはカードネック伯爵領だ。一応マギア学園はこのカードネック伯爵領の端に属するが、この伯爵が綾子の大ファンであり、マギア学園敷地とその周辺は特例として綾子の領地になっている。

 マギア学園から南西に普通の馬車で六時間ほど進めば、そこはもうハミルトン伯爵領となる。

 ちなみに、この領の境目には大きな川が流れており、地続きのところよりも分かりやすいのだ。

 こんなことが書いてあるが……

「はぁ……」

 基礎をみっちりやろうと思っても、集中力が続かない。

「ダメだ」

 集中できないときはとことんダメ。ルナはそう割り切って本を閉じ、自室で何かをすることにした。


                 ■


「なっ……!」 

 俺の考えを受けたクリスタは、慌てて俺の元に走ってきて、俺と同じように跡を追ってその方向を見る。驚愕の声を漏らしたクリスタの表情は、みるみると険しいものになっていく。

「この立ち位置的に……シエルは休憩していたところを後ろから襲われた……?」

 クリスタは俺が立てた仮説と同じ予想を呟きながら、体を抱くように腕を組む。鋭い目線は周囲に不自然なところがないかを抜け目なく探っていた。

「襲われたとなると、シエルは魔法で抵抗したはずだよな……」

 俺はそう呟きながら、先日の実験で使った『魔力感知』の性質に変換した魔力を周囲に漂わせる。

 真っ先に感じ取ったのは、今なおリアルタイムで発動されている、俺とクリスタの避暑の魔法。

 そして次に感じ取ったのは……シエルのものとは思えない、ありていに言えば『雑』なものだった。魔力の変換に失敗したような、初心者でもしないような変な魔法になっている感じがする。なんというかこう……起こそうとした現象に変換後の魔力が全然足りていない、みたいな感じだ。

 だが、この魔力の感覚……曖昧で何となく程度のものだが……は、明らかにシエルのものだった。今まで何回も見てきたのだから分かる。

 そして、もう一つ……とても、とても小さなシエルの魔力を、シエルお気に入りの岩から感じる。その魔力は驚くほど小さいものだったが……それ以上に、驚くほど整っていた。

 俺はその魔力を感じる部分を凝視する。ただジーッと凝視するも、そこには小さな傷が不規則に並んでいるようにしか見えない。ほとんど自然に突いた傷と見た目は変わらない。

「……クリスタ」

「なんですの?」

 クリスタを呼ぶと、岩の向こう側からクリスタがこっち側に来てくれる。

「あのさ、ここからシエルの小さな魔力を感じるんだ。どうにもごく小規模の魔法を使ったみたいなんだけど、分かるか?」

 俺が指さした部分を、クリスタは上品にしゃがんで凝視する。俺の顔のすぐ横にクリスタの顔が来たため、心臓が跳ね上がった。綺麗な白い肌、整った顔、輝くような金髪に漂うラベンダーの香りは、意識しない方が難しい。

「むぅ……ちょっと私には分かりませんわね」

 クリスタはそう言って、自分の目の前に、五ミリぐらいの薄い水の塊を作った。その水の中には、光の魔力も込められている。

「何してるんだ?」

「レンズですわ。メガネと同じような原理ですわよ水と光の幻想舞曲(ミラージュ・ロンド)の規模縮小版みたいなものと考えてくだされば結構ですわ」

 なるほど。水をレンズ代わりにして、光属性魔法で焦点をいじっている感じかな? クリスタは水と光の性質をよく捉えているようで、こういった使い方にも頭が及ぶみたいだ。

 クリスタはしばらく、レンズ越しに岩を覗いて魔法を行使していた。焦点が合うまで微調整をしているのだろう。

「やっと合いましたわ!」

 クリスタはそう喜びの声を上げて、レンズ越しに岩を凝視する。

「これは……結構な小ささで、規則的に傷が刻んでありますわね。点と横線が並んでいますわ」

 レンズで覗きこまないと見えないほどの小さな傷って……シエルの魔法操作技術は折紙つきだな。

「どれどれ、ちょっと見せて」

 俺は横からそのレンズを覗き込む。クリスタが何やら飛びのいたが、これで正面を取れるので、観察しやすい。「デリカシーのない……!」とクリスタが呟いた気がするが、今はこの観察が重要だ。

「はーん、なるほどねぇ」

 俺はその並びを見て気付いた。

 点と横線……それが示すものは――

「――モールス信号だな」

「あ、あああ! そういう事でしたの!」

 俺の回答に、クリスタはクイズ番組で納得がいく答えを聞いたお茶の間の皆さんのような反応をする。

「どれどれ、じゃあ解読していくか」

 俺はそう言ってまたレンズを覗き込む。

「……ハ……ミ……――」


                 ■


 導き出された答えは、俺たちの心を揺さぶるのに十分なものだった。

 俺の脳裏に、あのメイドさんが言っていたことが再生される。

『急な結婚の約束の破棄にご立腹でございましたが』

「こんな、強引な手段に出るとはな……」

 再生され、それを噛み締める。浮かび上がってくるのは――腸が煮えくり返るような怒り。そして心配。

「あそこは……今回の主犯に関してはとくに、女癖が悪いで有名ですわね。領内の女性たちが謂れも無い罪を着せられて穢された、という話はよく聞きますわ」

 クリスタは奥歯を砕けんばかりに噛み締め、握りこぶしを震わせて元々吊り目気味の目がさらに鋭くあげ、全身で怒りを面に出している。

 シエルが、最後の最後で必死に刻んだモールス信号。その、無機質ながらも、どことなく必死さが漂う点と横線が示した文章。


『ハミルトンケニサラワレタ』


 シエルの元婚約者で、悪い噂が絶えない、経済力はありそうな貴族。


『ハミルトン家に攫われた』

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