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メニューは和風パスタとドリンク、それにアイスクリームだった。
こんなところで和風パスタを見ると思わなかったが――メニューをよく見ると綾子さん考案になっていた。手が広いことだ――味は生粋の日本人から見てもとても美味しく、日本でも食べたことがないくらいだった。
ドリンクは大きなコップにストロー(の代わりに使える植物)が二本刺さってきたのには驚いた。どうやら一つのコップから二人で飲むらしい。
「カップルフェアにしても……気合入り過ぎだろ……」
「あれ? 照れてる?」
「んなわけあるか」
という会話を交わしながら食事を進めていく。
どちらの皿からもあらかたパスタがなくなった段階で、デザートとしてアイスクリームが運ばれてきた。ガラス製のオシャレな器に、色が違うアイスクリームが二つ乗っている。
察するに、青い方が少し大きく、ピンク色の方が小さいことから、青い方が男性用らしい。
スプーンは無駄に細長かった。普通に『自分で』やっていると食べにくいぐらいに。
「どう考えても狙ってるよなぁ……」
このスプーンは、『人に食べさせるため』のものなのだろう。
つまり、カップルの定番『はいアーン』をさせるためのものだ。
「……してみる?」
俺がそのスプーンを見て固まっているのを認識してか、シエルがからかうように俺にそう言った。ただシエルの声も若干ぎこちなく、頬も赤らめているので……本人も恥ずかしいのだろう。だったらからかうな!
「さすがに……か、間接キスはお前だって抵抗あるだろ?」
俺はそう言い、無性に喉の渇きを覚えたのでドリンクを飲む。
「う、うーん、ボクは抵抗ないけどなぁ」
シエルは赤い顔を逸らし、そう言いながらチラッ、チラッと視線を送ってきた。
「冗談でもあまりそういう事は言うもんじゃない」
俺はそう言って、熱くなった体を冷やそうとアイスを一口食べる。
「――じゃな――に……」
「あん? 何か言ったか?」
シエルが何かを呟いたような気がした。
「何でもない」
シエルは無理矢理流れを断ち切るようにそう言って、若干頬を膨らませ、拗ねたようにアイスを口に運んだ。
■
会計を終え――この世界では男が奢るとかそう言った『悪習』はないため、普通に割り勘だ――店の外に出る。
「で、これからどこに向かうんだ?」
俺は出るなりそう問いかけた。午後からはシエルおすすめのスポット巡りとなっている。
「へっへーん、秘密。ついてきたら分かるよ!」
さっきまで拗ねていたのはどこへやら、無邪気な少女のようにひらりとワンピースの裾を翻し、俺の事を先導する。
「あっれー? お嬢ちゃん御一人?」
「かぁわいいねぇ。どう、俺たちと一緒に遊ばない?」
しばらく進んでいくと、人通りはあるもののメインストリートからは少し離れた道で、シエルが声をかけられた。
「失礼。今は暇じゃないんだ」
シエルは急に声を硬くし、俺の事を視線で示しながら、話しかけてきた二人の男にそう返した。
「そう言わずにさぁ。そんな坊主より俺たちの方が楽しいぜ?」
「お嬢ちゃんならきっと楽しめるぞ?」
ニタニタと笑いながら、その男はなおも食い下がる。
いるんだなぁ、こういう奴って。アニメの世界だけかと思っていたけど、まさか現実にいるなんて。……いや、俺からすればここはアニメの世界といくらも変わらないが。
シエルは俺に鋭い視線を向けてきた。俺はシエルが魔法で追っ払うだろうと高を括っていたが……街中で攻撃魔法をぶっ放したら危険だよな。シエルの視線にはそんな意図が籠っているはずだ。
「ところでシエル、さっきのアイスクリームは美味かったな」
「そうだね。爽やかな苺の味が暑さで疲れた体に染みたよね」
俺たちが取った作戦は白々しい演技で、向こうが言葉で介入する余地を作らずそのまま歩き去る事。
だが、俺が見てきたアニメではここで食い下がるような奴はいない。そもそもそんな奴だったら声すらかけないだろう。
「おいこら! 無視してんじゃねぇぞ!」
後ろからドスの利いた声で脅される。
(シエル、この場合って逃げるのと撃退するのどっちがいいんだ?)
俺は目線で問いかける。この世界の事を知らない俺は、微妙に常識も分からない。日本の常識が当てはまれば御の字だが、それと違う場合もあるので確認は必要だろう。
(撃退しちゃえ♪)
シエルは笑みを浮かべ――何故か黒く見えた――目線でそう伝えてきた。
シエルのいたずらの可能性もあるので周りの人たちの様子を見ても……うわっ、喜色にあふれてる。確かに治安が悪いと言っても街中で大立ち回りしていいもんなのか?
(目立つぞ)
(元々目立ってるんだから問題ないよ)
(マジかよ……)
俺はため息を吐き、覚悟を決める。
「この野郎!」
ついに男たちが手を出してきた。
片方が俺に殴り掛かってきたため、俺はその腕を掴んで、回転しながら引っ張る。
「うおっ!?」
その男は勢いのまま後ろに飛んでいき、地面に顔面を強打した。
「てめぇ!」
もう一人の男が同じように殴り掛かってきたので、同じようにして倒れている男の上に倒れるように引っ張る。
「あぐっ!」
「がふぁふぉっ!?」
後から来た男の方は身長が高く筋肉質だったため、相当重かったようだ。倒れていた奴が胃の中を吐きだしそうなほどの苦しそうな悲鳴を上げる。
「おお、成功した」
最近クリスタから習った合気道が活きたな。試験前は座学だけでなく、実戦も練習していて散々これにやられたもんだよ。実戦で使うのは初めてだが(アリア先生には接近するのが怖かったから使えなかった)中々上手く行くもんだ。日本で合気道を習っていた友達がいたが、そいつもこれぐらい出来たのだろうか。
「さてと、じゃあ行くか」
「うん!」
妙にすっきりした気分のままシエルの声をかける。シエルも嬉しそうに頷き、『俺の腕を取って』歩き出した。
周りは俺たちを冷やかすように口笛を吹いたり小声で囃し立てて、また各々の行動に戻っていった。
「随分薄情だなぁ」
「何を言っているの? これぐらい日常茶飯事だよ?」
マジかよ。異世界物は治安が悪いのが大体だが、ここはいいと思っていたのに……。いや、でも俺が知っている小説に比べたらいいのか?
■
「うげ、これ上るのかよ」
「そうだよ」
俺の目の前にあるのは、見上げるほどの長い長い階段。目測で言ったら、大体校舎四階分ほど上りそうだ。
「第二渾沌の森の中を駆け抜ける程度には運動できるんだから余裕でしょ?」
「まぁ、そうだけどよ……」
魔法で身体能力を強化すればいいな。とはいえ、こんな長い階段を見たら、半ば本能で拒否感がある。
階段を上りきると――息切れをほとんどしなかった自分に戦慄した。魔法万歳――、そこは柵と屋根に囲まれた休憩所のような場所で、柵沿いにベンチがあった。人は一人もおらず、俺たちだけの様だった。
「ここは展望台なんだよ!」
「ほう……」
そこから見える景色は、まさに絶景だった。
この世界は、必要がない分高い建物があまりなく、この展望台は他から見れば相当高い。
そのせいか、建物に阻まれることなく、四方八方の遠くの方まで見渡せるのだ。
森、山、建物、草原、空……様々な景色を一望できるのは、まさに贅沢だった。
「ここは街が急激に大きくなってきたころに、領主が大金叩いて観光名所にしようとして造らせたものなんだ。結果的に見れば、見た目は目立つ物のその階段の長さからご覧のとおりほとんど人が来ないんだよね」
「あ、あはははは……」
何とも滑稽な話だ。税金使って博物館を建てたものの人があまり来ない、みたいな寂しさを感じるな。
「とはいえ、誰にも邪魔されないでこの景色を独り占めできるなら、上った甲斐はあるかもな」
地面と空のうすぼんやりとした水色の境界線に目を奪われながら俺はそう呟いた。
「そうだよね……」
シエルは俺の呟きに返事をして、俺と同じ方向を見つめながらそう言った。
その後、しばらく無言で、その展望台から見える景色を楽しんだ。
■
景色を一通り楽しんだ俺たちは、しばし休憩のために、せっかくベンチがあるのでそこに座って休憩することにした。
シエルは俺の隣に座り、うきうきと太陽のような笑顔でしきりに話しかけてきている。
「なぁ、シエル」
「何?」
そんなシエルを見て、俺は一つの疑問が浮かんだので、それを問いかける。
「お前はさ……何でいつも笑っていられんだ? 何でそんなに元気なんだ?」
今日一日、全力で楽しんでいるシエルを見てきた。快活な笑みだったり、雑談に面白がる笑いだったり、いたずらっぽい微笑みだったり……大体の時間が笑顔だった。それは学校でも変わらず、俺が今まで見てきたシエルの表情は、ほとんどが笑顔で占められている。
侯爵家である以上、しがらみも多いはずだ。面倒も多いはずだ。クリスタもたまに忙しいと愚痴をこぼすし、ルナも別の意味で困っていた。そんな中、シエルは『苦しくないはずがない』のに、ずっと笑顔だったのだ。
「う、うーん……また随分突っ込んだことを聞くんだね」
シエルは少し戸惑ったように苦笑する。
「ああ……答えにくかったら別にいいぞ。少し気になっただけだ」
そう、本当にほんの少し、ちょっと疑問に思っただけだ。場合によっては人の人格に迫る質問である以上、別に答えなくてもよい。
「まぁ、せっかくだから話すよ」
シエルはそう言って、手元の水筒から水を一口飲み……何かを懐かしむように、微笑みながら虚空を見つめるようにしながら話し始めた。
「ボクにはね……お姉ちゃんが二人いるんだ。ボクは末っ子」
ほう、長女じゃないとは聞いていたが、上に二人いたのか。
「どっちも凄く優しくてね。少し年が離れていたから、よく世話をして貰ってたんだ。それで、その時によく言われた言葉があってね」
シエルはそこで言葉を切り、覚悟をするように息を吸った。
「『涙を流しちゃいけない。悲しみも悔しさも、涙を流すことで自分に定着しちゃう。それならば、どんな時でも笑っている方が、明るい気持ちが定着するから』ってね。耳にタコが出来るほど、ことあるごとに言われていたんだけど……それが、今は凄く分かるんだ」
ここでシエルは話を中断し、俺に微笑みを向ける。
その微笑みは何故か……温かい、ゆったりとしたものだったのに……壊れてしまいそうに見えた。
「少し成長して、社交界とかに出るようになって分かったんだ。他の貴族は、男も、女も、皆笑顔の仮面を張りつけながら、こちらが弱みを見せるところを虎視眈々と狙っているんだなって。そんな相手に涙を見せたら最後、砂で作った堤防に開いた穴から流れる水みたいに、少しずつそこを崩して……全体を壊しにかかってくるんだ」
シエルは地面につけていた足を、ブランコで遊ぶ子供のように浮かせてふらっ、と揺らす。
「ボクが、ヨウスケ君にも、ルナにも話しかけるのはそれが理由なんだ。他の子たちは男の人ばかり嫌うし、実際壊そうと狙ってくる人もそっちの方が多かったけど……どっちも、変わらないんだよ。だから、ボクは全部が嫌いにもなれるし……全部を好きにもなれるんだ。性別とか、爵位とか、地位とか、そんなのは人を構成する要素の中ではおまけでしかない。本当に、好きな相手は……『心』が綺麗な人じゃないとね」
足を揺らしたまま、シエルは続ける。まるで……『懺悔』するかのように。
「ボクは沢山の人と仲良くしているように見えて、実際はそうでもないんだ。本当に仲良くしているのは……クリスタとか、ルナとか、ヨウスケ君とか……他にも数人だけの、ごく一部なんだ。クリスタには、ボクと同じような立場でボクと同じような成績だから、つい意地悪しちゃうけど……ボクがこの学園に入って、一番最初に心を開けたのはクリスタかもね」
その独白は、その懺悔は、まだ続く。
シエルは、今度こそ『泣きそうな』、『涙をこらえているかのような』笑顔を浮かべ、続ける。
「……ボクにはね、許嫁がいるんだ。アルベルト・ハミルトンっていう、こことは隣の領主の伯爵家の人なんだけどね。権力欲が強くて、女癖が悪くて、浪費癖で……正直、ボクは全く好きじゃない。けれど……その家は最近になって偶々商業に成功して、莫大な富を得たんだ。だから……末っ子で、領主にも慣れないボクは、貴族の末っ子として、家を栄えさせるための『政略結婚の道具』にならなくちゃいけないの」
「なっ……!?」
シエルの言葉に、黙っていた俺は思わず驚愕の声を上げてしまう。
確かに、不思議じゃないどころか、この世界ではよくある話だ。
跡継ぎじゃなければ独り立ちか政略結婚の道具にされる。それは分かっていたことだが……どことなく、自分には関係のない話だと思っていた。
だが、こうして一番仲がいいともいえる友人に、その話が当てはまるのだ。しかも、本人は完全に望んでいない。
そんな生々しい話を……こんなタイミングで聞くことになるなんて……。
「それでもね……こうして話している間もだけど……思い出すたびに泣きそうになるけど、絶対に泣かない。悲しみを、定着させたりなんかしない。弱みを狙ってくる奴らに、それを見せたりしない。……『役目』なんだ。『役目』なんだよね……。家を繁栄させる役目……。好きでもないどころか嫌いな男と結婚させられ、子供を産まされ、外面は良くするために愛している振り……。馬鹿らしい茶番にしか見えないけど……これが『役目』なんだもん。……しょうがないよね」
シエルの途切れ途切れの独白は、完全な諦観の言葉で終わった。
体を震わせ、それでも涙を流さず、じっと俯いているシエルに……かけるべき言葉はあったのだろうが――
――俺にはそれが、出来なかった。
慰めも、同情の言葉も、かけられなかった。




