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「洋介君、異世界トリップと言う言葉は知っているかね?」
「……はい」
呆けている俺に活を入れるように綾子さんが問いかけてくる。
俺はその言葉に混乱しながらも頷いた。
異世界トリップ。異世界へと身体が飛んでしまう事だ。異世界に召喚されたり、突然異世界に飛んでしまったり、自らの意志で飛んで行ったり。
空想の世界では、さまざまな理由を持ってして主人公たちが異世界へとトリップする。
「君は地球からこの世界……つまり地球から見た『異世界』へとトリップしてしまったわけだ。フィクションのようにね」
綾子さんは人差し指をたてながら俺にそう説明した。
「君は何らかの理由でこの世界に来たようだな……良ければ同じ日本人として、ここに至るまでの過程を聞かせてくれないかね?」
綾子さんは俺にそう問いかけてくる。
俺は呆然としつつも、流されるがままにここに至るまでの説明をした。
大晦日に寝て、起きたらここにいたこと。
たったこれだけしか話せなかった。だが、俺に分かるのはここまでだ。
「ほう、大晦日に……。実はね、数時間ほど前、君はこの私の屋敷の前で倒れていたのだよ」
綾子さんは興味深げにつぶやいた後、俺が寝ている間の説明をした。
「とりあえず死なれては寝覚めが悪いからこうしてここに運んできたわけだ。察するに、君が寝ている間にトリップしたのだろうな」
「そうなんですか……ありがとうございます」
「構わんよ。いろいろ聞きたいこともあるしな」
俺がお礼を言うと、綾子さんは照れくさそうにそう言った。
「と言うのもね……同じ日本人だ、先ほど言ったことから分かる通り、私も君と同じように大晦日に寝て、起きたらこの世界にいたのだよ」
「っ!?」
綾子さんの説明に、俺は思わず驚いてしまう。
この人も……綾子さんも、この異世界に、俺と同じようにトリップしたのか。……大晦日にトリップ? まさか……
「綾子さんって……もしかして、二〇一二年と二〇一三年の境目にトリップしましたか?」
俺はそんな質問をしていた。
当時大騒ぎになった行方不明事件。奇妙なタイミングで行方不明になった俺と同じ年頃の少女。もしかして、その少女は綾子さんだったのではないだろうか。
「……ほう、やはり、向こうで私は行方不明扱いになっているのか……」
綾子さんはふと、寂しそうな表情で、どこか遠い過去を思い出しているかのようにそう呟いた。
「洋介君……君は、何年と何年の間にトリップしたのかね?」
綾子さんは、どことなく必死に感じる声でそう問いかけてきた。
「えっと……二〇一三年と二〇一四年の間です」
「っ!? そうか、そうなのか……」
俺の返答に、綾子さんは驚いた後、それを隠そうともせずに顎に手を当ててしばし黙考し始めた。
「……ふむ、どうやら、地球とこの世界では時間の流れまで違うようだね」
黙考の末、綾子さんは結論を出したようにそう言った。そして、そう口に出してから置いてけぼりの俺に気付いたようで、気を取り直すように咳払いをしてから説明を始める。
「洋介君の話からして、私がこの世界にトリップしたのは一年前と言う事なんだね。だけどね……私がこの世界にトリップしてから、こっちではもう三十年近く経っているんだ」
「はぁ……ってうんっ!?」
この世界に来てからもう三十年近く? もう異世界と地球では時間の流れが違うとかは些細な問題だ。そんなの、目の前の『異常』においては思考の端に捨て置ける。
目の前の美少女が……もう四十前後だと? ニュースを見た限り、綾子さんがトリップしてきたのは俺と同じ十六歳だ。それで、そこから三十年近く……四十を超えているのではないだろうか。
「ああ、この見た目に驚いているようだね。これも魔法の力で老化を防いでいるのだ。自分で言うのも何だが、私は魔力の量が桁違いに多くてね。ほら、女性と言うものはいつまでも若くありたいものだ。私もその例に漏れないのだよ」
綾子さんは俺の様子に気づいたようで、笑いながら冗談めかしつつも説明した。
「それってつまりもう四十を超え――っ!」
俺が言葉を言いかけた時、顔のすぐ横を熱い何かが通り過ぎた。
壊れたおもちゃのように、冷や汗を流しながらギギギ、とゆっくり首をひねって後ろを向く。
そこの壁には、先ほどのように火の粉が散っていた。今度は最初の壁と違って黒い焦げ目がついている。
「……次に年齢の話をしたら、あの壁が君に代わるという不本意な事態になりかねんな」
聞いたことがないほどドスの利いた冷たい声で綾子さんはそう言った。
「は、はひ……」
若干噛みながらも、俺は自分の命を守るべく頷いた。
「よしよし、物分かりがいいようだな」
綾子さんはそう頷くと、冷たいオーラを出すのをやめ、元の空気に戻った。
「それにしても、どうしてこんなことに……?」
緊張が緩んだからか、余裕が出来た俺はそんなことを呟いた。当然、こんなことと言うのは異世界トリップの事だ。
「ああ、それならちょっとした仮説があるぞ。とはいえ独りよがりの持論だがね」
綾子さんはそう言って人差し指を立てる。
「まず、君はシンデレラと言うおとぎ話を知っているだろう? それと大晦日の共通点を挙げて見せてくれ」
「は、はぁ……」
またもや突拍子も無い話題の展開に戸惑いつつも、俺はその共通点とやらを考えてみる。とりあえず連想ゲーム方式でやってみるか。
大晦日……笑ってはいけない、歌合戦、除夜の鐘、年の終わり……こんなもんかな?
次はシンデレラだな。……ドレス、灰、魔法、ガラスの靴、結婚、継母と意地悪な姉、夜十二時の鐘……あっ!
「どちらも日付の変わり目に鐘を鳴らしてますね。除夜の鐘と、魔法が解ける十二時の鐘で」
「正解だ。中々察しがいいようだな」
俺の回答に綾子さんが頷く。どうやら正解だったようだ。
「シンデレラの鐘は魔法を解くものだ。鐘の音は魔除けとして昔から伝わっているだろう? 例えば妖怪とかが活発になる『逢魔が時』と呼ばれる夕方……五時ごろに鐘がなるはずだ」
ここで綾子さんが俺にチラリ、と視線を向けてきたので、理解していると言う事を頷くことで伝える。
「これは除夜の鐘も同じようなものだ、という説があるんだ。日付の変わり目というのも世界が安定しないが、年の変わり目と言うのは年神……十二支の動物の神の、旧年と新年、どちらの力も中途半端になるんだ。だからその間に悪いものに付け込まれないように魔除けの鐘を鳴らすのだよ。まぁ、あくまで一説ではあるが、そこそこ信憑性があるだろう?」
そうなのか……確かに、そう説明されれば納得できる。
「分かりました。ですが、それと異世界トリップに何の関係が?」
だが、異世界トリップとのつながりが見えない。俺はそれを確認するために質問をした。
「そう焦るな。この後に説明する。……そうだね。人間は……いや、生物は、自身を守る為に全力を出すことを無意識のうちに避けているのは知っているかい?」
綾子さんは俺を落ち着かせるようにそう言うと、また俺に問いかけてきた。
「それは聞いたことがあります」
理科の授業で先生が言っていた。パソコンを無理に動かして故障するように、生物がもつ機能を全力で発揮すると身体が壊れてしまうそうだ。だから、多かれ少なかれ、生物は自身の力を制限していると。
「そうか。それでね、私たち人間は魔力……ああ、魔力は、体内にある魔法の源のようなものだ。まるで本当にファンタジーの世界みたいだろう? 魔法は、この体内の魔力を使って使用しているんだ」
綾子さんはそこで言葉を切って、気を取り直すように咳ばらいをした。
「話がそれたね。それで……その魔力だけど、当然これも人間の力である以上、普段は無意識のうちに制限されているんだ。この世界では魔法が当たり前だから研究が進んでいるんだけど、私もその研究者の端くれでね。いろいろ研究しているうちに……人間の魔力は『無意識のうちに使用している魔法』で制限されていることがわかったんだ」
綾子さんはまたここまで説明して言葉を切った。その目は……授業中に先生が、生徒に何かの答えを期待しているかのような目だった。
そして俺は、話を統合して求められた答えを紡ぐ。
「つまり……俺も綾子さんも、除夜の鐘によってその無意識のうちに制限している魔法が解けて、魔力の制限がなくなった……ってことですか?」
「そういうことだ」
俺の答えに綾子さんは満足げに頷いた。
だが、それでも疑問は残る。魔力が解放されたからと言って、何故異世界に飛ぶのか。
「さて、では締めに入ろうかね。これで君の疑問も解決するはずだ」
綾子さんは俺の思考を先回りするようにそういって、説明を開始した。
「まず、先ほど私は、私が持っている魔力がとても多いことを話したね?」
綾子さんの質問に俺は頷く。
「それなんだが……もはや私は、『異常』とも呼べるほどに魔力が多いんだ。これも自分で言うのも何だが……私は、この世界では、自他ともに認める『最強の魔法使い』なんだ」
最強の魔法使い、か……。もはやそれは、まさに創作の主人公のようだ。
「そしてこの魔力の多さだが、君自身は気づいていないようだけど……君にも当てはまるんだ」
綾子さんのそんな突拍子も無い言葉に、俺の思考は停止した。
え? 俺がもっている魔力が異常なまでに多い? こんな地球で普通に生活していた俺が?
「戸惑っているようだが、これは事実だ。魔法に長く触れているうちに人がもっている魔力の量が感知できるようになったのだが……君は、私と同レベルの量を持っているよ」
綾子さんは俺の様子に気づいたのか、そんな風に教えてくれた。
俺が、そんな魔力を……全く実感がわかない、不思議体験なんかしたこともないし、霊感も無い。これといってオカルト的な事には触れてこなかった俺にとって、その言葉は実感が伴わない。
「そんな異常ともいえる魔力の制限が、除夜の鐘によって解き放たれた。寝ているために自身を制御することが出来ず、魔力は世界に干渉し始める。普通の魔力なら大したことは起きないが、私たちほどの量だと……『違う世界とのつながりを作ってしまう』ほどまでになるのだ。それでも、パラレルワールド理論から察するに、異世界は複数あるはずだ。だから、私と君は、異常ともいえる魔力を持ち、除夜の鐘が鳴る国に生まれ、無限にある世界の中からここに飛んできた。そんな天文学的ともいえる確立を乗り越えて、私たちはここにいるのだよ」
綾子さんはそう言って、説明を締めた。
俺はその説明を、どことなく他人事のように聞いていた。
突飛な説明を聞いているうちに、様々な心配事が浮かんできたのだ。
「そうなんですか……ところで、元の地球に帰る方法は?」
この質問の回答によって、その心配事は杞憂か、絶望かのどちらかになる。
「やはり、君も気になるところだろうね。……残念ながら、帰る方法は今のところ見つかっていない」
綾子さんも同じ悩みを持ったことがあるのだろう。そんな感情がにじみ出てくるような返事だった。悲しみ、悔しさ、寂しさ、怒り、虚しさ、憂い……望郷。そんな苦悩が、その返事に凝縮されていた。
「そうですか……。もう、親父や母さん、友達や先生にも会えないわけですね」
俺はそう呟くと、両手で顔を覆った。涙がにじんでくる。
「…………」
俺の様子を見て察したのか、綾子さんは気を遣って黙っていた。
もう、あの地球には帰れない。こんな訳の分からない世界で、家族も無しに生活をしなければならない。
寂しい、辛い……地球に帰りたい。
家族にも、友達にも、先輩や後輩にももう会えない。
「辛いなぁ……」
俺は思わずそう呟いていた。
「何よりも……」
俺がそう呟いた瞬間、綾子さんが緊張するのを感じた。俺の心の叫びを聞いていいのかどうか、躊躇っているのだろう。
「録画した『小僧の召使じゃないどすえ』もアニメも見れないし、お年玉も貰えないし、あれやこれの続きも見れないのが辛い……」
綾子さんがずっこける音がした。
今夜のうちにもう一話投稿します。