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「おはよっ! ヨウスケ!」
眠い目を擦りながら登校し、教室に入ると、親しげに挨拶をしてくる元気な声が聞こえてきた。
「ん? おおう、ルナか。おはよう」
後ろの方にある自分の席を立ってこちらに走り寄ってきたのはルナだった。
今までは変人で暗い奴程度にしか思っていなかったが、昨日話してみてその印象は一変した。生まれのせいでどうにも人間関係の悪循環に陥ってしまっているが……まぁ、こうして俺やクリスタと話しているうちにクラスに馴染めればいいかな。
ルナが俺に話しかけてくるのをみたクラスメイトは……驚きと困惑、それに失笑や嘲りなど、様々な感情を浮かべた。
恐らく、驚きと困惑は今までのルナの様子からは想像できない明るさだったから。失笑や嘲りは、多分「平民同士お似合いだ」とか「男に媚び売って」とでも思っているのだろう。
「おはようございますわ」
そんな教室に、クリスタが入ってきた。
「おはようございます」
「今日もご機嫌麗しゅう」
即座にクリスタ派閥の生徒たちが挨拶を返す。その速さたるや軍かなんかを連想させる。……訓練されすぎだろ……。
「よう、おはよう」
「おはよう、クリスタ!」
俺とルナは普通に挨拶をする。
俺に関しては相変わらずとして、ルナがクリスタに馴れ馴れしく(と思っているであろう)話しかけたことに、クリスタ派閥の生徒は殺気立つ。
「あら? 今日からは教室でもお話しすることにしましたの?」
「うん、そろそろ自分の殻に閉じこもるのもどうかな、って思ってね」
「そのほうがいいですわね。端っこの方で教科書読みながらブツブツ呟いているよりも、そっちの方が数段可愛いですわ」
「えっへっへー、ありがと」
ポカーン。
「…………」
『…………』
俺とクラスメイトはマヌケ面でその様子を見ていた。
女子力っ……! 圧倒的女子力っ……!
何だ? あの普通の女の子みたいな会話は?
確かに二人ともそんな一面もあるし、昨日もちょいちょいあんな雰囲気になってはいたが……部隊の違いだろうか、あんな薄暗い地下実験室と違って、教室だと一層映えて見える。普通に華やかだ。
しかも二人とも、それぞれ見た目が素晴らしくいいからな。
輝くようなふわふわロング金髪と、凛とした吊り気味のアイスブルーの目を持つクリスタ。
燃えるような赤髪をポニーテールにまとめ、意志が強そうな茶色の瞳を持つルナ。
また、二人とも手足はしなやかで、白魚のように(見た目)もっちりとしており、さらに顔の造形もびっくりするほどいい。
この世界の人間は、男も含めてかなり美形が多い。だが、その中でもあの二人はかなり抜きんでているのだ。
それはもう絵になりますとも。これを写実的に書くことが出来たら、その絵をどのコンクールに出しても恥ずかしくないレベルだ。
会話の内容も女子力がかなり高い。ルナは知らないとして、普段のクリスタは女子力(物理)が結構な割合で存在するため、そのギャップもある。
考えてみれば当たり前なんだよな。クリスタも普通の女の子らしいところも結構あるし、ルナも元はあんな性格なのだ。生まれは天と地ほど違えど、心は通じあうものなんだな。
「おはよー……ってあれ?」
教室に漂う妙な雰囲気の中、元気な声で朝の挨拶をしながらまた一人クラスメイトが加わった。
「おう、おはよう」
他のクラスメイトより早く復帰した俺は、教室に入ってきたシエルに挨拶を返す。
「あ、ヨウスケ君! ……この状況、何?」
シエルは俺に顔を寄せ、小さな声で問いかけてくる。
身長差の関係で首筋に温かい息がかかりぞわっ、とするが、それに反応していないふりをしながら説明をする。
「あー、なるほどね。そうか……あの子、本当は明るい子だったんだね」
シエルはそう言って、クリスタと話しているルナを嬉しそうな目で見る。
「そういうことだ。生まれの格差に関してはしばらく抵抗があるかもしれないが、仲良くしてやってくれ」
「大丈夫。ボクが生まれや性別で人を決めないのはヨウスケ君が一番知ってるでしょ?」
俺がかけた言葉に、明るい笑顔で答えたシエルは、楽しそうに話す二人の元へとスカートを翻して駆けて行った。
その時にできた風に乗って来た柑橘系の何かの残り香が、俺の鼻腔をくすぐった。
■
突出した美少女達が格差の垣根を越えて楽しそうに談笑している様子を見れた。朝、学校について間もなくと言う時間帯にあの光景を見れたのは想定外の眼福だったな。これは今日一日頑張れそうだ。
あの輪の中に俺自身も加わりたかったし、向こうも歓迎してくれるだろうとは思ったけど……今回は、あえてその輪の中に加わらなかった。いくら三人とも性格がいいとはいえ、やはり男子が混ざるより女子だけで話す方が楽しいだろう、と考えたのだ。
ちなみにこの朝の余暇が終わった後の周りの反応としては……おおむね予想通り、決していいものではなかった。
クリスタやシエルと仲良さそうに話していることに対する怒りを、それぞれの派閥に入っている奴らが感じたのだ。表向きは――とはいえこれも陰口の類ではあるが――無礼、身の程知らず、と言った理由だ。だが、明らかに嫉妬が混ざっているのは否めないだろう。
それぞれの派閥に入っている女子たちは、その中に結構な割合でクリスタやシエルを『とても』慕っている奴が多い。普通の尊敬や憧れから……恋愛感情まで。
クリスタやシエルは家柄に関しては気にしない性格――クリスタと出会った時のあの発言については、後に男である俺に対しての敵意としてぽろっと出た言葉であり、本心ではないと釈明を受け、謝罪された――であるものの、二人を慕っている奴らがどうしても話しかけるのを躊躇う。そんな二人を相手に堂々と楽しそうに話すルナに嫉妬を覚えるのは、まぁ、当然と言えた。
それよりもよっぽど意外だったのが、クリスタとシエルが普通に仲良さ気に話していたことだ。いや……今までも普通に仲良くしているところは何回か見てきたけれども、やはり基本的に争っている二人だからな。仲良く話しているときも、どことなく言葉に棘がある時があるし。
けれども、今日は普通に楽しげに会話をしていた。
まぁ、元々二人は争うような性格でもないし、どちらかと言えば仲良く出来る方が当然と言えば当然かな? 二人とも家柄とか気にしないし、性格も明るいのだ。むしろ、シエルがクリスタに対して過剰なまでに対抗心を抱いて対立している理由が分からないな。成績トップクラス同士の対抗心か、はたまた正確に気に入らないところがあるのか……シエルは単純なように見えて、もしかしたら何か事情を抱えているのかもな。
「やれやれ、加わってこないでチラチラ見てくるだけなので疑問に思いましたが、そういう事だったのですか」
ホームルームが終わった後に、クリスタから何故会話に加わってこなかったのか、と聞かれたのでさっき考えていたことを答えた。
そうしたら、呆れ半分、安心半分の声音でこんなことを言われたのだ。
「てっきり、そろそろ変態をこじらせたのかと思いましたわ」
「誰が変態だ!?」
その後に、とても心外な事を付け加えられて。
思わず疑問形で突っ込んでみたところ、クリスタは嗜虐的に口角を上げて笑みを浮かべながら口を開く。
「あら? だったら普段シエルから腕に胸を押し付けられてハレンチに顔を歪めてるのはどこのどなたでして?」
「あぐっ!」
いや、だって、それはねぇ……不可抗力だ不可抗力。
「ああ……あの光景を思い出すと何故か苛立ってきましたわ」
「完全に自爆じゃねぇか……」
クリスタは声を低くしてそう言ったので、俺は即座に突っ込んだ。
どうにもこいつ、テンションが高いな。さっき、あの二人と気兼ねなく話せたからだろうか。クリスタも、実は内心気兼ねなく話せる相手がいなくて寂しがっていたのだ。俺と言う話し相手――時折おもちゃ――が出来てからはある程度はマシになったっぽいが、それでも同性の『対等な』友達は欲しかったのだろう。あまり表には出さないものの、今まで見てきた態度からなんとなくそう思う。
「まぁ、今回はルナとシエルに免じて許して差し上げますわ」
「へいへい、ありがとうごぜぇますだ」
クリスタの言葉に、たっぷりと皮肉を込めて、気持ちの籠っていない感謝の言葉を返す。クリスタも俺の反応には慣れたもので、いちいち反応したりしない。
「それに、変態が男に多いのも事実ですが、乙女にもいることは百も承知ですわ」
「えーと……」
クリスタがふっと付け足した言葉に、俺はとても反応に困った。
なんというか……冗談の中で出た言葉の割には、やけに重みがあったのだ。
それに……女性に変態がいることは百も承知? いや、確かにいると言えば確実にいるけど……あの実感がこもった重みは何なんだ?
「ふ、ふふ……ふふふふふ……」
何とも言えない歪んだ笑顔を浮かべ、それでいて全く笑っていないアイスブルーの瞳を空中に彷徨わせつつ、乾いた笑い声を漏らすのはなんでだ?
考えてみようと思ったが……何故か鳥肌が立ち、それを理解することを本能が妨げた。
■
「はーい、じゃあ学校外実技演習のオリエンテーションを始めます。参加希望をしていない子は隣の隣にある予備教室で自習してくださいね」
最近校内で人気沸騰中の我らが担任マリア先生が、始業を告げる鐘が口内に響き渡ると同時にそう言った。
つつがなく授業が終わり、六時間目となった。今日は近くにある学校外実技演習のオリエンテーションをやる。
先生の指示に従い、片手の指で数えられるほどの人数の生徒が思い思いの教材を持って教室を出ていく。それ以外はみんな、この演習に参加するのだ。
「はい、じゃあ早速始めますね。まずは冊子の表紙をめくって下さい」
先生の指示に従い、パラパラパラ、と教室内に紙をめくる音が響く。
「この演習の趣旨ですが……簡単にまとめちゃうと、『実地で生の経験を得ること』が最大の目的、というわけです。他にも、チームでの協力、付き添いの方から聞ける生の体験談など、将来に向けての貴重なものが得られる大事な演習なのです」
このあたりについては聞きすぎて食傷気味だ。
「次のページからはルールや班分けなどが書いてあります。これについて何か質問はあるかな?」
先生がそう言って教室中を見渡す。
この演習の概要としては、先生たちが班を割り振って、それぞれが対応する目的地に向かい、演習をする、と言った感じだ。それも野営をして三日間現地で過ごすと言う本格的なものだ。
班は、S、A、B、Cの四つに分かれる。この割り振り方が、意外なことに『実力順』だった。
この演習に関する座学の成績、日ごろの行い、魔法実技系の成績、それに闘技大会などの成績を見て、先生たちが、上位はS班、下位はC班、という風に割り振っているのだ。
てっきり、実力差をなくすために公平に分配させたり、はたまたくじ引きなんてことになるかと思ったので少々意外だった。
なんせ新クラスを決める方法が、新井式回転抽選機――俗にいう抽選機で、ガラポンなどとも呼ばれる、福引等で使う六角形のあれだ――の中に生徒の名前を書いた球を放りこんで魔法と手動の両方でよくシャッフルし、最初に出てきた半分がAクラス、というものだからだ。
そんなんだから、今回闘技大会で――俺は転入生だから除外する――トップスリーを飾ったクリスタ、シエル、ルナが一クラスに集まるのだ。バランスブレイク過ぎる。
ちなみに、この班分けだが、当然の流れ――というとナルシストっぽいが――と言うべきか、俺、クリスタ、シエル、ルナは一緒のS班だ。他にも、いくつか見覚えのある名前がある。ルナをいじめていた集団のリーダーであるユーリの名前もあったりする。
「ひと波乱起こりそうだな……」
頭の中に生じた嫌な予感を言葉に出しながら、ルールを読み進めていく。
班ごとには現役の騎士や冒険者が学校から雇われて付く。班のランクが上がるほどそれなりに名の知れた人が付くそうだ。
それと、班のランクが上がるほど、より学園から離れた危険な場所に向かうらしい。
まずC班は学校から馬車で東に一時間ほどのところにある『初心者の平原』だ。スライムやゴブリン、強くてもリザード程度の魔物が出てくるところで、名前の通りビギナー向けだ。平均よりも運動神経が良くて体が丈夫な成人男性ならば、一対一でもゴブリン程度は倒せる。この学園はエリートが集まっているため、最下級とはいえここに行くのはどうだろう、と思わなくもないが……まぁ、生徒の命を預かっている以上、そう危険な場所にはいかせられないよな。慣れない集団行動や、はじめての現地行動による緊張で大失敗を犯す、なんてこともありえる。
B班は馬車で東に三時間ほどのところにある『獣の山』に行く。名前の通り、獣種に分類されるオークやコボルドなど、第一初心者キラーと呼ばれる二足歩行の巨大な獣が主に生息している山だ。ゴブリンと違って、オークやコボルドレベルになると下っ端ですらなんらかの武器を持っている。初心者の平原で調子に乗ったビギナーたちは、筋力で勝るこの魔物たちに葬られることが多い。その分知能は人間の子供以下なので、油断しなければ大丈夫だ。ちなみに、名前こそ獣種ばかり出てきそうだが、少ないもののゴブリンやリザードも生息している。
A班は北に三時間ほどのところにある『第一渾沌』と呼ばれる荒野に行く。名前がものすごく物騒と言うか、ものものしいところだが、まさにその通りだ。エリートが集うこの学校の中でも成績優秀者の部類になって初めて入ることが出来るA班には、この第二初心者キラーへと向かう権利が与えられるのだ。
名前の通り、とにかく『渾沌』だ。コボルドやオークのほか、アシッドスライム(攻撃時に強酸性になるスライム)やホブゴブリン(ゴブリンの上位種。たまに魔法を使う)、さらにはスケルトンやファイアリザード、ストーンゴーレムまで出てくる、種が混ざりに混ざった場所なのだ。
バラバラな分、様々な状況への対処が迫られる場所である。よって、さきほどの獣の山に続いて第二初心者キラーと呼ばれるのだ。
そして俺たちが所属するS班だが……この行先を見た時、S班に所属する大半が顔を引き締め、俺を含む一部は先生たちの脳みそを疑った。
行先は、『第二渾沌』と呼ばれる木々が生い茂っている部分もあれば荒れ果てている部分もある山だ。ここはもはや初心者キラーどころの騒ぎでなく、立派な『一人前』になった騎士や冒険者が万全の準備をして向かう場所だ。
魔物としては、名前の通り第一渾沌と同じく雑多な種の魔物が出てくる。
電気を使う大蛇のサンダーサーペント、鉄でできた巨躯を誇るアイアンゴーレム、パワーに関しては上級者すらも葬ることがあるオーガ、さらには、中でも最弱とは言え巨人種であるベビータイタンまでいるのだ。また、運が悪いと、これまた中でも最弱とはいえ竜種に分類されるワームまで出てくる。
他、今まで挙げたような真正面から戦って厄介な魔物以外にも、罠を構える様な危険な魔物もいる。
地面に潜むヒトジゴク、木々に化けて後ろから枝を突き刺すスピアウッド、さらには透明になって景色に溶け込んで獲物を待つギリースライムまでいる。
正直、経験豊富でない学生たちを行かせるには危険すぎる場所だ。見る限り、Sランクには上級者として有名な騎士が五名付くらしいが、それでも不安だ。
「こいつにはそんな意図があったのか……」
冊子の間に挟まれていた、一枚の紙を取り出す。
その紙は契約の書類で……簡単に言うと、『自分の身は自分で守り、よっぽど学校側に過失がない限り大けがしたり死んだりしても一切異議申し立てはしませんしさせませんよ』ということを約束する書類だ。単に、危険なお化け屋敷とかで書かされる書類のような念には念を入れて程度のものだと思っていたが……こりゃあこの書類が効果を発揮する可能性が俺の中でグンと上がったぞ。
「なるほどね……これに同意できない奴は参加しないか、ランクを下げろ……ということか」
この演習は班のランクが上がるほど班員は少ない。また、先生に申告すれば割り振られた班を抜けて、ランクが下の班に入ることもできる。逆に、上には上がれない。
「あら? もしかしてこの行先を見て怖気付きましたの?」
俺の呟きを聞いたのか、クリスタがからかうように話しかけてきた。しかし、その声はとても硬く、どことなく軽口で緊張を吹き飛ばそうとしている雰囲気だった。
「いや、このままSで参加する」
俺がそう返事すると、クリスタは真剣な顔になって、俺にこういった。
「ヨウスケ……この行先は、意地や見栄で行くような場所ではございませんわ。……相応の覚悟を決めなければならない場所ですわよ」
言葉としては、俺を見下しているか、余計なお世話か、下に見ているか……といった感じだが……その声色は、明らかに『不安』がにじんでいた。
心配……してくれているんだろうな。
情けないな……そりゃあ、男が女を守らなきゃいけない、なんてのは古い考えだし、この世界では女の方が強いのだけれど……それは別として、こうしてクリスタに心配をかけていると言う状況が情けない。
「大丈夫だ。……腹はとっくに括ったさ」
俺はクリスタの不安を払しょくさせるように、真剣な声で、力強くそう言いながら、契約書を握りしめた。




