渾沌に逆巻く黒焔1
2章開始です。
「ところでこの部分なんだけど――」
「ああ、それはあの部分がですね――」
朝の教室。平穏な時間が流れていく。
窓から差し込んでくる、少し温かくなった日差しに照らされながら、俺はクリスタに勉強を教わっていた。
やはり社会科は全体的に苦戦するため、こうして早い段階で分からないところは潰しておこう、ということで、悪いとは思いつつもクリスタが来て早々に質問したのだ。
クリスタは嫌な顔一つせず、こうして俺に教えてくれる。その教え方も大変わかりやすく、次のテストは地球で見たことないような高得点が取れそうだ。
天才型の成績優秀者は人に教えるのが下手、という風潮がある。それが本当だとして、つまり逆を言えば、努力型の成績優秀者は人に教えるのが上手、ということになる。
そうなると、クリスタはまさしく努力型だった。一度自分が通ってきた理解の道筋であるため、しっかりと自分で把握しているのだろう。
あの一件から一ヶ月経った。
あの後すぐに、お互いの誤解を解いて謝り、クリスタと俺の仲は回復した。それどころか、前よりも良くなっている。
いまだに多少の対立はするし、つま先は踏み抜かれるし、脛は蹴られるが、大きな出来事は起こっておらず、平穏な日々を過ごせている。
クリスタと仲良くなったことで、クリスタ派閥の一部(と言うかほとんど)や、男嫌いの生徒、それとクリスタ以外の派閥からは余計に嫌われはしたが、特にそういったことにこだわりがない生徒とは雑談を交わす程度には仲良くなれた。
とはいえ女の子慣れしていないうえ、俺はまだ常識に疎い。会話に詰まってしまう時もある。
そんな時、さっとフォローを入れてくれるのがクリスタとシエルだった。
二人とも人を惹きつけるカリスマがあるため、当然話題の引き出しも沢山ある。
そんな様子を見ながら、俺は日々女の子慣れしていく予定だ。ゆくゆくは完全に馴染めれば、とも思っている。
「はーい、みなさん集まってますねー」
いつのまにやら時間が過ぎていたようで、朝のホームルームを知らせる鐘がなるちょっと前にマリア先生が教室のドアを開けて入ってきた。
「皆さんは二年生なので、そろそろ『あの』時期がやってきましたね」
マリア先生はドヤ顔でそう言いながら、教卓の中を漁って模造紙を取り出す。
「じゃーん、『学校外実技演習』~」
ゆるゆるとした声で、マリア先生がそう言いながら模造紙を魔法で開く。
そこには、『学校外実技演習要項』と題が振られて、様々なことが書かれていた。
それを見たクラスの空気が、俄かに浮つきだす。
学校外実技演習。それは名前そのまんまの通り、希望者を募って学校外での実技演習をする授業のことだ。
学園の外に出て、山や谷、洞窟などに入っていくのがこの授業の特徴で、冒険者や騎士を目指している人たちが心待ちにしているものなのだ。
なんせ、野外で人の手があまり加えられていないところに行くと言うのは、すなわち『魔物の領域』に行く、ということなのだ。
訓練や授業、理論だけでは身につかない生の体験によって、よりステップアップしていこう、という考え方の元行われているため、魔物と戦うのが主な仕事である冒険者や騎士志望はこぞって参加するのだ。
「ああ、そういえばその季節でしたわね。ヨウスケは参加しますの?」
クリスタがその模造紙を見て思い出したように頷くと、俺に問いかけてきた。
「ああ、無料で参加できるらしいから、受けれるなら受ける。経験は積んでおくに越したことはないしな」
俺はクリスタの質問に対し、首を縦に振った。
それなりに規模の大きい企画なのだが、なんと参加費は無料だ。まだこの世界には慣れていないため、こうして色々な経験を積んでおいた方がいいだろう。もしかしたら将来、野外で活動したり、それこそ冒険者や騎士のように魔物と戦う仕事につくかもしれない。ならば、今からこうした経験を積むのも手だろう。
「ちなみに一応聞いておくけど、クリスタは?」
「当然参加しますわ。国を襲う脅威は戦争だけでなく、魔物もそのうちの一つですもの」
やっぱりそうだ。参加理由まで予想通りだな。
クリスタの考え方として、貴族は戦い方を知らなければならない、というのがある。
それは、国を脅かす侵略者や魔物と戦い、国の最後の盾となる、というのが本来の貴族の役目だからだ。
ひとたび危機が迫れば軍を指揮し、人々を導く。そのためには当然経験や戦い方が必要になってくるため、クリスタはこの授業を受けるのだ。
「へぇ、そうなんだ。僕も参加するつもりなんだ! よろしくね!」
俺とクリスタの会話を聞いていたらしいシエルが、俺の左から話に入ってくる。
「へぇ、そうか。同じ班になれるといいな」
「うん、そうだね」
その快活な笑顔に元気をもらい、自然と笑みが溢れてしまう。
シエルとはクリスタと仲違いしていたころに仲良くなった。性別、生まれに関係なく接する人柄はとても好感が持てる相手だ。
クリスタとシエルの中は悪いものの、俺がどちらかとだけ仲良くしなければならない、という理由にはならないためどちらとも仲良くしている。なんなら俺が二人の仲の架け橋になるのもやぶさかではないんだけど……今の状態でそんなことしようとすれば、歩み寄りの架け橋どころか、戦争のど真ん中に立つようなものだ。今でも若干そんな感じだし、しばらく様子見だな。
「…………」
例えばほらね、今だってクリスタは冷たい視線で俺とシエルを貫いているでしょ? これで今仲直りさせようと動き出したら絶対失敗するって。
ちなみにクリスタは、『男の中でもヨウスケだけは別』という認識で俺と仲良くしてくれている。やはり昔から受けてきた屈辱は忘れられないようで、俺だけ特別扱いだと喜ぶべきか、同じ男として他の男が悲惨だと嘆くべきか、微妙な結論を導いていた。おいおいクリスタの周りの男たち、一体何したんだよ……。クリスタ本人に聞くと、明らかに藪蛇になりそうだから控えてはいるが、この世界の男たちの考えを聞いてみたいものだ。
あくまで俺が知っているのは伝聞ばかりであって、生の意見に関してはは女性側、しかも貴族の血が流れている人のみのものしか知らない、という偏ったものだ。これだけでは何がいけないのかを判断はしにくいし、自分自身も偏った結論を出してしまいそうになるな。
「――というわけで、詳細は今から配る冊子に書いてあるから、やりたい人はそれに挟んである紙に必要なこと書いて私に頂戴ねー。期日は守らなきゃ駄目よー」
雑談をしている間に先生が話し終わったようだ。
先生が、間に一枚の紙が挟まれている冊子の束を指さすと、それらは舞い上がり、生徒の手元に一冊ずつ届く。
うーん、あいかわらず凄いな。この前の飛竜との戦いだって、タイマンだったのに、打ち身や擦り傷程度の軽傷で乗り切ったんだもんな。苦戦はしたかもしれないけど、もしかしたら二匹同時でも勝っていたかもしれないな。
「野外演習ねぇ……」
魔法闘技大会は知ってはいたが、これに関しては本当に大まかな事しか分からない。後でじっくり読んでおいて、分からないところは先生かクリスタ、あとシエルに聞いてみればいいか。
■
最初の授業は生物だ。
生物は、地球のように動植物や環境について習うほか、さすがファンタジーと言うべきか……魔物の生態についても学ぶ。
とはいってもそこまで詳しくやるのは三年生からで、二年生の間は有名な魔物だけかいつまんで習っていくのだ。
「えー、はい。じゃあ教科書二十ページの三行目から……ハンナさん、読み上げてください」
低い声でだらけた喋り方で授業を進めるのはミーシャ・サークベル先生。
ぼさぼさの黒髪に黒縁メガネ、目の下にはずっと隈が出来ていて、常に白衣を着ている先生だ。
こう見えてかなりすごい人で、元綾子さんの助手だったとか。
だけど、綾子さんの専門が魔法研究なのに対し、先生は生物だったため、綾子さんの勧めでこの学園で教鞭をとることにしたとか。
やる気がないように見えるのは常に寝不足のせいで、こう見えてやる気に満ち溢れている……らしい。
「はい。――魔物の縄張りには大きく分けて二種類ある」
ハンナが返事をして立ち上がり、はきはきと読み上げていく。
ちなみに彼女とは仲直りしていない。むしろもっと嫌われた。
「一つは、複数種の魔物が混在している縄張り。もう一つは単一の種が支配している縄張りである」
ちなみに、この『種』と言うのは魔物の大雑把な区分の事だ。
竜種、巨人種、鬼種、死霊種、獣種、鳥種、鱗種、魚介種、蟲種、植物種、物質種、悪魔種、その他もろもろ……と言った感じだ。
例えばこの前現れた飛竜は竜種の一種で、有名どころであるゴブリンは鬼種だ。
紛らわしい鱗種についてだが、ここには爬虫類的な魔物が分類される。魚介種に分類される魚や、竜種だって鱗はあるじゃん、と思わなくもないが、実際曖昧らしい。
地域や国によっては同じ魔物でも違う種に数えられることもあるし、そもそもこういった区分すらバラバラだ。あくまでこれはこの国の基準なのだ。
「複数種の魔物が混在している縄張りは、大抵の場合が格の低い魔物が多い。これは、その一帯を支配するだけの強力な力を持っていないからである。こういった場所では魔物同士の縄張り争いも日常茶飯事であるため、その動向には常に気を配るべきである」
いわゆる戦国時代状態だ。天下統一できるほどの力がない、といったら分かりやすいだろう。
「単一の種が支配している縄張りは、その縄張り一帯が同じような地形である場合が多い。この場合は、単一の種で支配できるほど強力な魔物が生息している場合が多い。また、地形がその種に有利である、という場合もある。単一の種が支配している縄張りの場合、そこの魔物たちは複数種の魔物が混在している縄張りに比べて縄張りから外に出ることは格段に少ない」
この前の飛竜について、外に出てきたのが珍しい、と言われているのはこれが理由だ。
飛竜はこの近辺で言ったら『竜の領域』に生息しており、名前の通り、そこは竜種の縄張りである。
「例外として、地形に有利な性質を持った魔物が集まって縄張りとしているケースがある。分類上は複数種の魔物が混在している縄張りだが、普通のそれに比べて秩序がある」
例えば火山地帯には火を使ったり熱に強い魔物が、雪原には雪を使ったり寒さに強い魔物が、湖には水中で呼吸出来たり泳ぎが得意な魔物が混在している。
これに関しては、それなりに極端な地形じゃないとあまり存在しない。
「はーい、ありがとうございましたぁ。えー、んじゃあ今の部分を纏めて書くから板書よろしくぅ」
先生はだるそうに立ち上がると、フラフラと歩いてボードに近づき、今読み上げた部分をまとめた説明を書き上げていく。
それに続いて生徒たちもノートを広げ、板書していく。
俺もそれに倣って板書を取ろうとすると……
「ねえねえヨウスケ君。そういえば前から気になってたんだけど――」
左隣から無声音、つまりひそひそ話するような声でシエルに話しかけられた。
ノートのページを右手でめくりながら、それに返事をする意味でシエルに目を向ける。
するとシエルは癖なのかわざとやってからかっているのか、いつものように俺の左腕を両腕で抱え込んで胸を当ててきた。
そして上目遣いで笑顔を向けてくると言う、もしかして俺に好意あるんじゃね、と勘違いしてしまいそうになるような状況で、シエルは爆弾を投下した。
「――ヨウスケ君って、好きな人いるの?」
「「っ!?」」
俺と、何故かクリスタが驚きで声を漏らしてしまう。
先生がチラリ、とこちらに目を向けてきたのに対して目礼で謝罪して、シエルに向き直る。
「え、えーと……好きな人がいなかったらそれはそれで辛い人生だぞ? 今はもう会えないが家族の事はそこそこ好きだったしな」
俺は叶う事のない願望を念じつつ、そう内心の動揺を誤魔化しながら答えた。
頼むっ……好きの意味が『男女の関係として』じゃないよなっ……!
「何を言ってるのさ。そう言う意味じゃなくて、恋愛感情の方だよ。異性として好きな女の子はいるか、ってこと」
授業中になんてことを聞いてくるんだこいつは。
チラリ、とクリスタに視線を向けて助けを求める。
すると、クリスタはちらっ、ちらっ、と、黒板とこちらを顔を赤らめながら交互に見ている。察するに、これは授業に集中したくても出来ない態度だ。
お前もかブルータス……クリスタなら助けてくれると思ったのに……。こりゃあ聞く気満々ですわ。
このくらいの年代の女子と言うのは、もはや病気なんじゃないかと思うぐらいに他人の色恋に敏感だ。ちょっと好意が絡むだけで色恋沙汰と認定してしまう奴もいるが、それは重病だ。
この二人は、いや、この学園の生徒はあまりそう言った重病はいないが、やはり女子の集団であるためなんだかんだでそんな話題は多い。お前ら男嫌いじゃねぇのかよ、という突っ込みを我慢し続けた俺はそれなりに忍耐がある方ではないだろうか。
この二人……クリスタとシエルも例に漏れないようだな。
参ったな……シエルのこの様子だと、授業中だから勘弁してくれ、とは断れない。そう断ったら最後、休み時間には授業より疲れる羽目になる。
どうする、どうするよ、俺っ! と考えてると、脳内に選択肢が書かれたノートが浮かんできた。
お、なんて気が利く脳みそだ。自分自身は頭はいいと思っていないが、閃きにかけよう。
1・授業中だからと言ってこの場をしのぐ
これはさっき却下にしたばかりだな。
2・会いたいけれど、どんなに頑張っても会えない場所にいる。と答える
いや、確かに俺が地球に恋人や思い人がたらこんなカッコイイ台詞が言えるよ? 俺だって淡い恋心を異性に抱いたことがないわけではないが、それも告白する勇気も持てずに違う学校に進んだってオチがついてお終いだ。
3・画面の向こうにたくさん。と答える
二次元の彼女たちか。なるほど、確かに俺も彼女らにときめいたことは一度や二度ではない。そのグッズも集めたことがある程度には好きだ。
だけれども、そもそもこの世界にアニメは存在しないし、それどころか画面と言う概念が存在しない。液晶やスクリーンがないのだ。
仮にあったとしても、こんな答えをしたらそれからずっと変態として過ごす羽目になる。
4・女の子はみんな大好きさ(キリッ
ボツ。
5・さぁ、誰でしょう。と誤魔化す
まともなのが出てきたが、これもしつこく尋ねられて意味がないのは予想できる。
6・ミーシャ先生、と答える
目の前にいるからって適当に選び過ぎだ俺の脳みそ馬鹿野郎。
7・綾子さん、と答える
俺は他のゆるゆり女子とは違いますんで。
8・え? 異性? 女の子? いや、そっちに『は』いないな。
この選択肢を出した自分の脳みそが恨めしい。『は』を強調するな馬鹿野郎。
さて次……ってもうないし。なに、この選択肢の酷さ。
うーん、仕方ない、こうなったら無難な手を選ぶか。これなら誰にも角は立つまい。
「いや、恋愛的な意味だったらいないなっ!?」
そう答えた直後、俺のつま先に激しい痛みが襲い掛かってきた。そのせいで思わず大きく声を上げてしまう。
この痛みは……
「……ふんっ」
やっぱりクリスタだ。
何故かクリスタは不機嫌で、こちらに攻撃を仕掛けてきたのだ。
「おーい、そこの少年少女騒がしいぞー。ヨウスケは根性なくて声を上げたから授業ぼうがーい。クリスタも攻撃を仕掛けたから授業ぼうがーい。そして元凶のシエルも同じっと。さてと、じゃあ決まりだし罰を考えっかぁ」
相変わらず怠そうな声で、ミーシャ先生にそう咎められた。
元凶のシエルと、俺が声を上げたのはいいとして、クリスタが攻撃した、というのに気付いたのは凄いな。受けている俺が言うのもなんだが、クリスタの攻撃は遠くから見ただけでは非常にわかりにくい。フォームが最小限、かつ速いのだ。
「あー、少年。あたしが攻撃に気付いた理由は簡単だ。音だよ」
どうやら疑問が声に出ていたようで、先生が答えてくれる。
「少年のつま先を踏み抜いた時の音は特徴的でなー。ありゃあユニコーンの蹄なんだよ。それで、お前らがこの教室に入ってくるときの足音からして、ユニコーンの蹄を使った靴を履いてんのはクリスタだけなんだよ。いやはや、魔物の足音や鳴き声や呼吸だけでどれなのか分かるように修行しているうちにこーんな地獄耳になっちまったよ」
な、なんて地獄耳だ。言っていることが完璧に当たっている。
そういえば、あの先生には魔法使いとしてでなく、学者として『聴覚魔物博士』と言うそのまんまな二つ名がついていたな。つけたのは綾子さんだけど。なんてセンスだ。
「えーと、んじゃあ授業妨害だから一応担当教師から何か罰を与えなきゃいけないんだよねぇ。たかだかこれぐらいでって思うし面倒だからやりたかぁないんだけどアヤコがうっさいからねぇ」
独り言が多い先生だな。考えが口に出過ぎている。
綾子さんは授業に関しては意外と厳しい人の様だ。これぐらいの授業妨害で罰則を取るのは珍しいな。まぁ、巻き込まれたとはいえ妨害したのは事実だから甘んじて受け入れはするが。
それにしても、綾子さんをあそこまで親しげに(ぞんざいとも言いかえられる)扱う人は初めて見たな。元々助手をやっていただけに親しいのだろうか。
「反省文……見るのめんどいからパス。説教……めんどい、パス。補習……パス。えー、どうしょー……あ、掃除でいいや」
先生は定番罰則を面倒くさいと言う理由でパスし、俺たちに掃除をやらせることにしたようだ。確かに、これなら先生は何の面倒も無いな。
「んじゃあ……シエルはこの部屋、クリスタとヨウスケは地下実験室を掃除してくれ。あ、どっちも放課後な」
シエルは仕方がないと言った感じにため息を吐き、クリスタは顔を真っ赤にして逸らした。