異世界のお嬢様学校にまさかの入学 1
柔らかい。
最初に思ったのはその感触。
まるで天使の羽に触れているような心地よい温かさと身体を優しく包み込むような柔らかさ。
そして俺の上に乗っているであろうものは、あまり重さを感じない、これまた柔らかい何か。
この寝心地は……そう、前に金持ちの友達の家に泊めてもらった時の布団に似ている。
だが、これはそれ以上だ。あの時も寝心地が良すぎて中々起きられなかったが、今はもっとここから出たくない。なんなら、一生ここで生活してもいいぐらいだ。
はたして、この布団はどんなものだろう。俺はそう思って目を開けた。
まず目に入ったのは、空想の世界でしか見たことないような豪華なシャンデリア。キラキラと、睡眠を妨害しない程度に優しく輝いている。
そしてそれが吊り下がっている天井。茶色と赤をベースに、これも空想の世界でしか見たことないような精緻な絵が描かれている。
「……知らない天井だ」
俺はぽつりと、アニメの主人公と同じ言葉を呟いた。
……って、
「いやいやいやいや、おかしいだろこれ!?」
寝ぼけていた頭が一気に覚醒した。
今の現状に対する感想を叫びながら、俺は布団から跳ね起きる。
その瞬間、一気に視界が開けた。そして今俺がいる場所を認識する。
木製の凝ったデザインが施された机、これ以上ないバランスで活けられた色とりどりの花、見ただけでふかふかだろうと思える赤いじゅうたん、白いバラが刺繍されたレースのカーテンの向こうにある窓からは柔らかい朝の陽ざしが差し込んでいる。
「ここはどこなんだ……?」
俺が寝ていたベッドから降り、ふかふかの絨毯へと足をつけて歩きはじめる。着ている服はどうやら変わらないようで、厚手のパジャマだ。
俺の身体に異常はない。寝起きにも関わらずいきなり立ち上がったせいで頭が少し痛むぐらいだ。
部屋の中を歩き回りながら今に至るまでの流れを考える。
「アニメのチェックをして、その後に寝た。その段階では俺の部屋にいた。……で、起きたらこんないい部屋で寝ていた、と。……訳が分からないよ」
混乱してしまって思わず幼気な少女たちを騙して契約させた謎の生物の真似をしてしまう。
真似ではあるが、この言葉は紛れもない本心だ。今の状況は、全く持って訳が分からない。
とにかく、判断材料が少なすぎるのだ。
予想されることと言ったら、誰かが寝ている俺をここに持ってきた、ぐらいだろうか。それも突拍子がないものだ。身代金を要求するにしても俺の家は金持ちじゃないし、そもそも家は神社の近くだ。真冬の夜に初詣に行く物好きたちが家の周りに常に何人かいる。とても家の中に忍び込んで俺を攫って行く、ということは出来そうにない。
「ダメだ……」
俺はそう呟いて、先ほどまで寝転がっていたベッドに腰を掛ける。
――コンコン
考えすぎてショートしかけた脳みそを休めようとしたその時、ドアをノックする音が聞こえた。
「は、はいっ!」
いきなりの音に、俺は驚いてしまい、必要以上に大きな音で返事をする。
「ほう、目が覚めたか。入らせて貰うぞ、少年」
ドア越しのせいかくぐもっているハスキーな女性の声が聞こえてきた。ガチャリ、と音がしてから何かの生物が彫られているドアが開き、部屋に女性が入ってくる。
その女性……いや、まだ俺と同い年くらいだ。声がハスキーだから大人だと思ったが、意外と幼い。
その女性の格好は、一言で言えば珍妙だった。
ゆったりとした濃紺のローブにその身体を収め、右手には同じ色のとんがり帽子を持っている。艶のあるさらさらの黒髪をセミロングにし、柔らかそうな白い肌をしている。目はくりっ、としており、顔立ちはテレビの向こうにいる女優ですら裸足で逃げ出すほど整っている。そんな顔を彩るように、丸渕のメガネをかけており、美少女ながらも親しみを感じさせる。そして何よりも特徴的なのが……ゆったりとしたローブの下からでも自己主張してくる大きな胸。一歩歩くたびに揺れ、思わずそちらに目が向きそうになる。
だが、やはりこの少女の格好に俺は目を奪われてしまった。この格好は、そう……『魔法使い』のようだった。
「身体にどこかおかしいところはないか?」
顔に笑みを湛えながら、その少女は俺に問いかけてくる。
「あ……はい、体調は悪くないです」
同い年にも関わらず、どことなく年上のオーラを感じさせる少女に、思わず俺は敬語で返事をしてしまう。
「そうか……なら良かった。……ときに少年、名は何という?」
「あ、はい。……神濱洋介です」
名前を聞かれたので、俺は名前を嘘偽りなく答える。
「ほう、やはり……――しいな。……ふむ、洋介君だね。私の名前は高坂綾子だ。苗字で呼ばれるのは慣れないから下の名前の方で呼んでくれ」
少女……高坂綾子さんは俺にそう名乗った。最初の方の呟きは良く聞こえなかった。
苗字で呼ばれるのは慣れないから……って、むしろ大体は苗字で呼び合うもんじゃないか? 下の名前で呼び合う、それもこんな美少女となると、逆に俺が慣れない。こちとら二次元の住人以外は苗字で呼んでいるのだ。
「こうさ……綾子さんですね。それで……何で今のような状況に?」
俺は戸惑いながらも綾子さんに問いかける。それは今、俺が最も気になっていることだ。
「ああ……それは気になるだろうね。君も私と同じ日本人だもんな」
綾子さんは至極当たり前のことを言いながら鷹揚に頷いた。
「そうだな……洋介君、君は魔法と言えば何を思い浮かべるかね?」
綾子さんはどことなくいたずらめいた笑みを浮かべながら俺にそう問いかけてきた。
質問の意図が全く掴めない。さっきの流れからどうしてこうなるのだろうか。
「えっと……火の球?」
俺は真っ先に思いついたものを挙げる。国民的大作RPGなんかだと最初に覚える攻撃魔法だし、小説の世界でも攻撃魔法の基本としてよく登場する。
「ほう! 君は中々分かっているようだね! やっぱり魔法の基本と言えばファイアボールだよな!」
綾子さんは嬉しそうにそう言うと、とんがり帽子を持っていない左手のひらを壁に向ける。
「よく見ていたまえ。これから、君がいる場所を強く実感できる『魔法』を見せてやろう」
「はぁ?」
綾子さんの言葉に、俺は思わずそう返していた。声が尻上がりに高くなっていたため、俺の内心がよく表れていただろう。
「はっはっはっ! イッツショウタイム!」
綾子さんがそう言った。その直後、
綾子さんの手のひらから野球ボール大の『火の球』が飛び出した!
その火の玉は、勢いよく壁に当たり、そのまま火の粉をあたりに飛び散らせた。
「ふふん、どうだ?」
「…………」
綾子さんはドヤ顔をこちらに向けて感想を問いかけてくるが、俺は綾子さんの手のひらと火の球が当たった壁を、目を見開いてだらしなく口を開けたままの間抜け顔で交互に見る事しか出来ない。
ありえない。明らかに種も仕掛けも無い手のひらから『火の球』が勢いよく飛び出す? 手品か奇術か? ……いや、そんなちゃちなものじゃない。『感覚』がそんなトリックの類じゃない、と叫んでいる。もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だ。
ならば……そう、さっき綾子さんが言った『魔法』? いや、そんなのは『ありえない』。そんなもの、空想や『ファンタジーの世界』にしか存在しない。
まてよ……ファンタジーの世界? 寝て起きたら知らない場所にいて、そこで『ファンタジーの世界のように』ありえないものを見せつけられた……。こんな話をどこかで聞いたことがある。
トリップ。ライトノベルやネット小説でよく見かける、物語の切っ掛けの一つ。そう――今、そんな状況によく似てはいないだろうか?
「ふむ、いい具合に混乱しているようだね。私も同じ道を辿ったものだ。では、私の口から今、君がいる場所を教えてあげよう。ここは――」
綾子さんの口が動く。その唇は、最初に『い』の形を作った。
その文字から始まる、何回も聞いたことがある言葉。日常的に見聞きする言葉でありながら、ありえないとされているもの。
「――異世界だ」