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「……手加減なんかしないわよ。畜生にも劣る下等生物が世界最高の技術である魔法を使う事の愚かしさを晒してやるわよ。……覚悟しなさい」
コートの中で対峙すると、相手は俺に対して、低く唸るようにそう言ってきた。人を罵倒する語彙が豊富だな。
「……まぁ俺としても簡単にやられるつもりはないが……頼むから怪我だけはさせないでくれよ?」
俺はそう言って、転んだ拍子にひねらないように両手首をぷらぷらと動かす。
その俺の態度をバカにしていると受け取ったのか、相手は結構可愛らしい端正な顔を歪め、こちらを噛み殺してやると言わんばかりに強く歯ぎしりをした。……そういう態度が怖いから怪我させないでくれって言ってんのにな……。
「……ところで、本当に『さきほどの』を晒してよろしいの? 間違いなく大騒ぎになりますわよ?」
クリスタは相手のこんな対応は予想の内だったみたいで、平然とそんなことを聞いてきた。
「問題ないさ。どうせ晒すことになるんだしな。それが嫌だったら学園なんかに通わないさ」
俺はそう言いながらクリスタに笑いかけて見せる。
クリスタは俺のその様子を見て、面白そうにクスッ、と笑った。
そんな俺たちの様子を見た相手は、さらに態度に敵意を込めてくる。最初からかなりすごかったが今や敵意を通り越して殺意になっている気がしないでもない。……正直怖い。
「さて、それでは両者構えなさい」
クリスタがそう言うと、俺と相手はそれぞれ構える。
向こうはもう攻撃する気満々のスタイルだ。大股で五歩ほどの距離を挟んで対峙しているわけだが、開始直後にさらに距離を詰めて一気にたたみかけてくるつもりだろう。
対する俺は、それを読んで若干逃げに入れるような体勢を取っている。
俺のその構えを見て、相手は暗い嘲笑を漏らした。
「行きますわよ……」
クリスタがそう言って、ゆっくりと腕を上に振り上げる。
一瞬の沈黙。俺と相手とクリスタは当然だが、何故か周りから物音がしない。視線を沢山感じることから、周りは手を止めて俺たちの戦いに注目しているようだ。なんせ、この世で初めての男魔法使いだ。野次馬的な視線もあれば、興味深げな視線もある。ちらりと見てみると、シエルはこれは見ものだ、と言わんばかりに笑ってみているし、先生もこちらを注目している。
それを察した俺は若干のプレッシャーを感じながらも、相手へと向き直る。
「……始め!」
クリスタは戦いの始まりを宣言し、腕を勢いよく振り下ろす。
「焼けなさい!」
その直後、闘志を爆発させた相手は、予想通りにこちらに走ってきながら炎の球を打ってきた。さっきよりも多く、その数は五つ。
「いよっと!」
俺は体内の魔力の性質を『脚力増強』へと変え、相手から距離を取るようにバックステップをする。
「っ! 逃げてもっ……ムダ!」
相手は俺がビビって逃げていると思ったのか、俺のバックステップの距離の大きさに驚きつつも、こちらにさらに炎の球を打ってくる。
「それっ!」
俺はその炎の球を『反射神経アップ』へと性質を変換させた魔力の力で全部躱し、迫ってくる相手へと蹴りをかます――ふりをして、地面から土を蹴って巻き上げ、相手の顔へとかけて目つぶしをする!
「このっ!」
「うわぁ……」
「ほう……」
顔を庇いつつも目に入ったのか、相手は悪態をつきながら顔を擦る。観客の誰かが引いたような声を出しているが、それと一緒に先生の感心したような声も聞こえた。
「食らえっ!」
俺は両手首を合わせ、指先に行くにつれて広がるようにし、それを相手に向けて突きつける。
「ああっ!」
相手は悲鳴を上げ、まるで『強い力に押された』かのように大きく後ろへと吹き飛ぶ!
今のは手のひらの間から相手へ向けて、『吹き飛ばす』という性質の魔力を放出したのだ。
「まだだっ!」
俺は魔力で筋力を上げ、地面を一蹴りしただけで十メートルはある彼我の距離を一気に縮める!
『っ!?』
周りの何人かから驚いたような声が聞こえる。魔法で今みたいな移動をすることは珍しくはないが、それなりに繊細なコントロールを要するし、何よりも『変換した魔力を感じ取れなかった』のだから驚くだろう。
「妙な事をっ!」
相手は一気に距離を縮めてきた俺に対してそう言いながら、手のひらからバスケットボール大の炎の球を噴出する!
「おらっ!」
俺はその大きな炎の球に対し、思い切り拳をぶつける。
「なっ!?」
すると、その炎の球は霧散し、ちょっと熱い程度の火の粉となる。
驚きで目を見開いている相手に対し、俺は容赦なく喉に向かって手刀で喉を叩き潰す――
「……勝負ありだな」
――ようなことをせず、喉に当たる直前でそれを止めた。
間近にある整った顔の目は、驚きによって大きく見開かれていて、口は開いたまま固まっていた。
その状態のまま、しばらくこの空間を沈黙が支配する。
その沈黙を――
「勝負ありだ!」
その沈黙を破ったのは、アリア先生だった。その声はどことなく嬉しそうであり、怒っているようにも感じた。
俺は入れていた力を抜き、相手に声をかける。
「怪我とかないか?」
ちょっとばかり派手に吹き飛ばしてしまったから、もしかしたら怪我をしているかもしれない。この制服は怪我にも強いが、それでもするものはする。
「う、ううん……」
呆然としながらも、俺の質問は認識できたみたいで、相手は首を横に振る。
「そうか。なら良かった」
俺はそう言って笑いかけると、コートから出ようと後ろを振り返る。
目の前に、大きな胸があった。
「えっ――?」
それを認識した瞬間、俺は足に重みを感じなくなった。まるで重力から解き放たれ、地面から足が離れたような――
「おいこら貴様! 今の魔法はどういう理屈だ!」
――いや、実際俺の足は地面から離れていた。
鬼のような形相で笑う、という器用な表情で、俺の胸倉をつかんで持ち上げているのだ。
その怪力たるや凄まじく、俺よりも身長が高いのに、相手の顔が見下ろせる。つまり、先生は俺の胸ぐらを片手でつかみ、俺の目が先生の頭上に来るまで持ち上げているのだ。
「全く持ってみたことがないぞ! 光で隠してんのか!? それとも風か!? 属性が付いた魔力は感じ取れなかったぞ!」
先生は俺の顔に顔を寄せ、ぺっぺぺっぺと唾を飛ばしながら問い詰めてくる。顔面にかかって正直汚い。美女の唾液なのに嬉しくないと言う貴重な経験をできた、異世界に来てから一カ月と少し。今日も僕は元気です――
「ぐぅええええ……」
――とはいかなかった。
胸倉をつかまれているため首が絞まっており、しかも答えない(答えられない)俺にイラついたのか、途中から前後にブンブンと揺さぶってくるから酷い。
俺の口からは情けない声が漏れ、さっき食べたものがせり上がってくる感触がしてきたのを感じる。
「さっさと答えんかい! ……ってすまんすまん。これじゃあ答えられんか」
先生は俺の様子を感じ取ったのか、掴んでいた手を離す。
これで俺は解放されたが、大分高く持ち上げられていたのに、そこから意識がはっきりしない状態でいきなり落とされた。
「ぐえっ」
俺はまたもや情けない声を漏らし、地面にうずまって呼吸を整える。
あ、危なかった……地面に落ちた衝撃で盛大に胃の中のものを滅びのバーストストリームするところだった。頭の中に、蹲って吐き出す自分と『見せられないよ』の看板を持ってそれを上手く隠しているキャラクター、という映像を頭の中に浮かべてしまう。
「はぁ……はぁ……ふぅ……」
俺はようやく呼吸が整ったので、またもや頭上から浴びせられる焦れたような怒気に焦りながら立ち上がる。
「それで、今のは何だ?」
黙秘権はない、と言わんばかりに先生は強く問い詰めてくる。
俺はそれに圧されながらも、何とか答えを絞り出す。
「……む、無属性魔法ですよ」
俺はそう言って、先生の反応を伺う。
先生は、はぁ? と言わんばかりの表情を作った。
「おいおいとぼけてんのか? 嘘つくにしてももうちょいマシな事言え! ボケが!」
先生がそう怒鳴り、また俺の胸ぐらを掴もうとするので、魔力で筋力を増強し、大きいバックステップで距離を取る。それで俺は五メートルほど跳んだので、明らかに今のは魔法の仕業だ、と気づいたはずだろう。
「い、今ので分かりましたよね?」
当然俺のバックステップを補助するような風は起こっていないし、先生ほどの実力なら光属性の幻覚も見破れるはずだろう。他の属性ではこれに似たことは出来ない。
となると、自ずとこれが六つの属性とは違うものだと思うだろう。
「無属性……無属性だと? そんなものがあるっていうのか? だが今のはどの属性でもなかったはずだぞ……」
先生は顎に手を当て、思考を口に出しながらしばし考える。
「……どうやら本当の様だな。それ以外の理由は今は思いつかない」
先生はそう言うと、口角を上げて、人の悪い笑みでにやり、と笑った。
あ、嫌な予感が膨れ上がってきた……。
「そんな面白いもんがあるんだったら先に教えろ! お前をそんな不親切な生徒に育てた覚えなんかないぞ!」
先生は俺に一歩で――五メートル離れていても、この先生なら運動神経だけで詰められる距離の様だ――近づき、またもや胸倉を掴む。その速さに反応できなかった俺は、またもや吊り上げられる形となる。
「うぐっ! さ、先に教えろも何も知り合ったのはついさっきですよ! そ、そもそも先生に育てられた覚えなんかまったくありません! 俺はつい昨日来たばっかですよ!?」
俺はそう突っ込みを入れながら、魔力で強化した筋力で暴れて振りほどく。通常の筋力の三十倍になるくらいの魔力を込めたのに、それでもギリギリ振りほどけた感じだった。とんでもない怪力だ。
「あん? まぁそうだったか。……それで、その無属性魔法とやらの仕組みは何だ?」
先生は俺の突っ込みをものともせず、適当に反応しただけですぐに質問してきた。
周りに助けを求めようと視線を移すも……かくも非常だった。
ほぼ全員が驚きと戸惑いの表情をしているが、何人かは俺の答えを気にしているかのようなそぶりを見せているのだ。つまり、俺と先生の会話に驚く人、何していいかわからず戸惑う人、俺の答えを聞くつもりの人……全くもって、俺を助けるつもりの人がいない。
「……そればかりは先生でも教えられません。というか、俺でも仕組みが全然分からないんです。なんせ一か月ちょっと前に急に使えると知ったもので。俺は魔法に関してはまだ素人でしかないんです」
俺はジリジリと先生から距離を取りつつ、そう解答を拒否する。これは紛れも無い本音で、そもそも魔法のことを教科書レベルでしか理解していない俺が、今まで『存在するかもしれない』程度の認識だった魔法について詳しくわかるわけがない。ましてや日常的に魔法を使った生活に慣れているこの世界の貴族のお嬢様たちとは違い、慣れと感覚による魔法の理解も無い。
他の人と違う点と言えば、属性変換がない代わりに性質変換が必要なぐらいだ。
「ほう……まぁいい。ならこれからの授業で研究しまくって、お前のそのハチャメチャ魔法を丸裸にしてやろう」
先生は口角を上げ、あくどい笑みを浮かべてそう言うと、体から発していた圧力を霧散させた。
その瞬間、空気を凍りつかせていた……いや、抑え込んでいた緊張感がなくなる。
「はぁ~……」
俺は体の力を抜き、詰まった息を思い切り吐き出す。
こ、怖かった……あれが『灼熱女帝』アリア・マイネルスか……。威圧感だけで窒息しそうになった。
「やれやれ、じゃあクリスタ。さっきの――」
気を取り直して授業を進めようと、俺はクリスタに向き直る。
「アドバイ……ス……」
だが、俺の言葉は尻切れトンボになってしまった。
まず感じたのは、圧倒的な『怒りのオーラ』。さきほどの先生の怒りは、強者の怒りだったからこそ怖く感じた。だが……今回は、また別種の怖さを感じる。
全身から脂汗が吹き出し、目の奥がじんと熱くなる。体は震え、呂律が回らなくなり、喉から声が出にくくなる。
そのオーラの主は、クリスタだった。
その宝石のようなアイスブルーのちょっと吊り上り気味の目には涙を溜め、まるで親の仇でも見ているかのように強い意志と怒りを込めて睨んでくる。頬は真っ赤になり、きれいな唇から除く小さくて白い歯は、思い切り噛み締められて軋んでいるように見える。下した状態で拳を強く握り、全身を使ってワナワナと震えているのは、それが心の底からの怒りだと感じさせる。
「クリ……スタ……?」
俺はクリスタの名前を何とか喉から絞り出す。一体何があったのだろう。俺が何かしたのだろうか。クリスタの本気の怒りは……明らかに、俺に向いていた。
先生に逆らったから? 対戦相手を叩きのめしたから? 俺の地面を使った戦い方が気に入らなかったから?
「っ!!!」
「おいっ!?」
俺が名前を呼ぶと、クリスタは最後により強くキッ! と一睨みした後、身体を翻して出口へと走っていった。
俺はクリスタを呼びとめようとしながら、魔力で脚力を増強させながら追いかける。
「おいクリスタっ!」
校舎内に入ってしばらく走ったところで追いつき、クリスタの腕を掴んで静止する。
すると、クリスタは、俺を『拒絶する』ように、腕を振りほどいた。
「目障りですわっ!」
こちらに振り向き、憎々しげにキッ! と俺の事を睨むクリスタ。
「今までっ……今まで! あんなこと言って! っ――馬鹿にしていたのですわね!」
喉から絞り出すように、心の底からさらけ出すように、クリスタは叫ぶ。
理性も無い、感情に任せたその言葉の意味が、俺には理解できなかった。
今まで――馬鹿にしていた? 何の事だか、全く分からない。
「い、一体何を……?」
「とぼけるのもいい加減になさい! そんなぽっと出の才能に胡坐をかいて……人を見下して!」
俺が何をしたのか問いかけようとしたところ、クリスタはそれを遮ってなおも叫ぶ。
「やっぱり、男は最低の畜生にも劣る下劣な生物ですわ!」
「なっ……それは今は関係ねぇだろ!? いきなり怒り出して一方的に罵倒して――何のつもりだ!?」
クリスタのあまりの言い様に、動揺していた、抑え込まれていた俺の心が爆発する。
「お前こそ貴族が貴族たるとか偉そうなこと言いやがって! お国から認められて、ただそこに生まれただけの奴が偉そうに見下してんじゃねぇ!」
この世界の世情は分かっているつもりだった。魔法が使える分女が偉い。そして男はそのやっかみや僻みで女を兵器や権力争い、果ては子供を産む道具として扱っている。
そんな薄汚れた世界で育ったなら、男を見下してしまうのも当然かもしれない。
けれど――
「人に八つ当たりしてんじゃねぇ! お前の不満に俺の何が関係あるっていうんだ!? 男だから全員クズなのか!? 俺がお前らに何をしたっていうんだ!?」
――俺が当たられるいわれは全くない。俺はつい最近この世界に来ただけの、この世界とはほとんど縁も無いただの人間だ。
俺の不満――それは、周りの態度。覚悟はしていた。こうなるだろうとは思っていた。……けれど、やはり耐えられない。何故、俺がここまで言われなければならないのだろうか。
「うるさい! うるさいですわ! 散々な仕打ちを心の中でしておいて、そんなことを言うのですわね!? 分かりましたわ……なら、週末にある闘技大会! 貴方もエントリーなさい! そこで勝負をつけてやりますわ!」
クリスタはそう言うと、俺の目を真っ直ぐに睨んでくる。
その目の真摯さに圧されるも……ここまで来たら、俺も意地だ。
「上等だ! その生まれに胡坐かいて伸びきった鼻を圧し折ってやる! 俺に当たるまで負けるんじゃねぇぞ!」
「ええ、そちらこそ途中で負けたからなしなどと負け犬みたいなことは言わない事ですわね!」
俺の言葉に、クリスタはそう言いかえすと、ふん、と鼻を鳴らして身体を翻し、大股で離れていった。
俺はただ黙ってその背中が見えなくなるまで睨むと――
「クソッたれ!」
――悪態を吐きながら、苛立ち紛れに、手近な壁を思い切り殴りつける。
魔法を使っていないただの攻撃では大理石の分厚い壁はびくともせず――衝撃は俺の拳にのみ帰ってくる。
「――クソッたれ!!」
ジンジンと痛む拳を強く握り、俺はさっきより強く悪態をつきながら、教室へと戻っていく。
俺の悪態の残響が消えるか消えないかのタイミングで、豪華な装飾で彩られた廊下に、終業のチャイムが虚しく鳴り響いた。