リニューアル関係
※この作品には、『年下彼氏』内に登場する「先輩」が出てきます。
が、『年下彼氏』を知らなくてもまったく問題無く読めますので、ご安心下さいませ。
「……あ」
打ち合わせの帰り道。
今度は別の用件を済ます為に支店へと向かう途中で、どしゃぶりの雨に見舞われた。
時は6月――鬱陶しい雨、さらに鬱陶しいジューンブライドとかいう決まり文句まで聞こえてくる月。
紫陽花はわりと好きだけれど、それ以外には何も良い所が思い浮かばない季節だ。
(あぁ、もうサイアク)
ぎゅうぎゅう詰めの山の手線車両内は、雨の湿気でガラスが曇っている。
わりと潔癖な私としては、出来ればどことなく湿っている吊革にすら触りたくない。
隣からも前からも、微妙に濡れた傘がぶつかってきて、私のお気に入りのスーツを濡らした。
あぁ、落ちる。テンションガタ落ち。
ピンヒールにスーツジャケット、タイトスカートという軽装備でも何とか持ち堪えた私は、ようやく辿り着いた新宿で大きな溜息を吐きながら電車を降りた。
溢れ返る駅構内。
ホームも階段もエスカレーターも、どこもかしこも人、人、人。
せめて私の好きな店が並ぶ東口や南口方面なら良いものの、向かうのは色気に欠けるビジネスマンばかりが行き交う西口。
いや、もちろん素敵な人も沢山いるよ?
ただダークなテンション真っ只中の私から見たら、すべては灰色に見えるってだけ。
あぁ、落ちる。
だから、雨の日は嫌いだ。
平日の17時過ぎ。
いつでも人が絶える事の無い駅構内は、帰宅ラッシュに向けてさらに人口密度を高めている。
素顔がわからないような濃いメイクを施した学生、疲れた顔をしたサラリーマン、シャネルのピアスを揺らしたキャリアウーマン……
この人混みの中で、私は一体どんな風に見られているのだろう。
20代半ばにして、左手の薬指はまだフリー。
かろうじで先は欠けていないものの、少し上がってきてしまったベージュのジェルネイル。
つけ睫毛は通常装備ではないけれど、下地マスカラに重ねたウォータープルーフ仕様のアイメイク。
髪は落ち付いたチョコレート色だけれど、少し傷み始めた毛先が、最後に美容院に行ってから既に3ヵ月以上経ったことを示している。
(上の下、くらいではある気がするんだけどな)
一応ナルシストではないから、自分を過大評価するつもりはない。
けれど、決してブスってわけでもないと思う。
いうなれば、平凡ながらちょっと綺麗めって辺りだろうか。
目はすっきりした切れ長の奥二重だから、「可愛い」って感じでは無いし。
性格も、わりとサバサバしているから。
「はぁ……」
向こう側ではどしゃぶりの雨が降り続いているけれど、生憎私の心には潤いがない。
誰にともなく諦めにも似た溜息を零すと、私はヒール音をさらに響かせながら先へ先へと歩いて行った。
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様です」
支店にたどり着き、自動ドアを抜けた瞬間お得意の営業スマイルを浮かべる。
受け付けの女の子は派手な化粧を何故か上品に纏い、手際良く私を行くべきフロアへと促してくれた。
あーいう子って、ギャップがあって好感が持てると思う。
派手で綺麗だけど、愛想が良いし仕事も出来るとか。
……まぁ、私みたいな女にそう思われても、別に嬉しくないかもしれないけれど。
そして上司に頼まれた書類を預けるべき場所へ預け、持ち帰るべき書類を回収する。
ぎゅうぎゅうのラッシュを耐え抜いてやって来たわりに、仕事がコレだけとか……本当に随分呆気無い。
だけど、これが仕事ってヤツだ。
新人ではないけれど重役でも無い私は、動かしやすい勝手知ったるパシリ的ポジションなのだから。
(……昇格、いつすんだろ)
この不景気な世の中では、ウチの会社も何とか力を衰えさせない為に必死になっている。
当然ながらその流れで、私がいる部署でも、毎年は新人を取らなくなっていた。
だから昇格したとしても、数少ない後輩が部下という呼び名に変わるだけなんだけどね。
残念ながら給料も、もう2つくらい昇格しないとさほど変わらない。
営業部と違って、歩合制なわけでもないし。
「はぁ……」
溜息を吐きながら、社内のパウダールームで鏡を覗く。
化粧はそんなに崩れていないのに、どことなく疲れた顔。
あからさまに滲み出ている、幸薄オーラ。
(……ブスでは、無いはずなんだけどな)
何度目かの呟きを心の内で零した後、私はパウダールームを後にした。
せっかく遥々ココまで来たんだ。
ちょっとコーヒーでも飲んでいこう……。
そう思って、休憩室へと真っ直ぐに向かった。
実は過去に2回異動をしたことがある私は、かつてこの場所で働いていたこともあるのだ。
大体のことは把握しているし、懐かしくてどことなくほっとしたりもする。
以前お世話になっていた休憩室へと入れば、時間が時間なせいもあり、人はほとんどいなくなっていた。
「はぁ……」
こんなに溜息ばっかり吐いていたら、本当に幸せが逃げそう。
ちょっと切なくなりながら、紙コップの自販機を押した。
ミルクは一番多め、砂糖は標準よりやや少なめを選択。
これも、毎日のように飲んでいたっけ……。
数十秒後に出てきたコーヒーを取り出し、ガラガラの休憩室の中程まで進んで行き、何となく窓際の丸テーブルに腰を落ち着ければ――
「あれ、やっぱり。美和じゃん」
「え?」
突然近くから声を掛けられ、私は危うくコーヒーを溢すところだった。
驚きからくるドキドキを押さえながら、私はとりあえず紙コップをテーブルに置き、顔を上げる。
「……あ」
「久し振り」
そこにいたのは、もう随分長いこと会っていなかった同期だった。
秋野 葵――ざっくり分類すれば、爽やかイケメンってところ。
その社交的な性格と女性受けするビジュアルで、確か彼は早い段階で、営業部へと引き抜かれたんだった気がする。
目の前の仕事でいっぱいいっぱいだった私は、あんまり関わった事が無かったけれど。
「あれ、新宿勤務だったっけ……?」
「いや、今日はたまたますぐそばで営業してたんだよ。時間余ったから、ここに顔出しに来ただけ。今は六本木」
「六本木! ……相変わらずやり手なんですね」
六本木と言えば、一番本社に近いと言われている支店だ。
しかもそこで営業、さらに時間が余ったという辺り、私の稼ぎとは雲泥の差なのだろう。
あぁ、同じ会社なのに泣けてくる……。
「何か美和、疲れてる?」
「人生に」
「オイオイ、働き盛りのお姉さんがそんな悲しい事言うなって」
「ありがと葵。イケメンにお姉さんって言われて、1ミリだけ元気が出た」
「あははっ! 何か懐かしいな。美和ってそういうヤツだったよね」
「私も懐かしい。ていうか私を美和って呼び捨てする仕事仲間は、葵だけだし」
そう。人懐っこい葵は同期を皆名前呼びしていたから、決して愛想が良くはなかった私のことも、名前で呼んでくれたのだ。
それにつられて私も、名前で呼んでいる。
「いや、俺も今癒された。イケメンって正面から素で言ってもらえるのって、嬉しいもんだね」
「よく言う、毎日30回は言われてんでしょ」
「それならいいんだけどね。現段階だと15回ってところ」
「葵、私にコーヒー奢れ」
「もう飲んでるじゃん!」
イラッとして言葉を返せば、葵は笑いながら肘を着いてじっとこっちを見てくる。
……あぁ、イケメンだとこういう何て事ない仕草までキマって見えるんだな。
なんて、ぼんやりと考えていると。
「……美和、今男いないでしょ」
「もうやだ何この性悪イケメン。普通言葉に出す? 幸薄そうだねって本人に言う?」
「は?! いやいや、別にそういう意味じゃないって!」
泣きそうになりながら言い返せば、葵は慌てて首を振った。
「実は俺も今、傷心中だからさー。ちょっと近い匂いを感じただけ」
「は?! 葵レベルのイケメンがフラれることなんてあるの?!」
「あーもう、美和いいわ。ずっと隣に置いておきたい。俺褒められて伸びるタイプなんだよね」
「すごい不純な『ずっと隣に置いておきたい』を言われた私の身にもなって」
呆れてそう言えば、またクスクスと笑う葵。
でもほんと、葵は万人受けしそうなのに……。
「わかんないもんだよなぁ、美和みたいな綺麗めに彼氏がいなくて、恋なんて知らなそうなピュアな子ががっつり学生の彼氏連れてんだから」
「何それ? 何の話?」
「俺がフラれた子。大学生と付き合ってるから、ぶん奪ってやろうと思ったんだけどさ……」
「うわぁ、えげつない事するね」
「何と敵は社長の甥っ子で、A社のご子息。格が違うんだから手ぇ出すなって、スゲー傷付く言い方で撃退された」
「あははっ! やだ、何それおかしい!」
「え、どこが?! 全然おかしくないだろ!」
「昼ドラの悪役じゃん。葵バカだねー、彼氏持ちになんて手ぇ出すからだよ」
「えー。美和は見た感じ、略奪愛とかも肯定派っぽいのに」
「キツそうに見えるって言いたいの? それこそマジで傷付くわ」
「いやいや、クールビューティーって言いたかったんだよ」
「はいはい、営業さんは流石口が上手いね」
私は苦笑しながら、コーヒーを飲む。
でも、ちょっと元気出たかも。
「何かありがと。葵もフラれるって知って、ちょっと元気出てきたよ」
「オイ、何だよそれ……」
「頑張っても頑張っても、男っ気も無いし仕事もイマイチでさ。このまま一人で生きてくのかなーって思うと、最近気が塞いじゃって」
「……マジで美和、どうしちゃったんだよ。昔は周りを振り落とす勢いで仕事命な奴だったのに」
「え、私そんな風に見えた?」
初めて聞く内容に、私は首を傾げる。
「は? 自覚無いとか……。結構お前人気あったのに、誰も相手にしないからさ、人気な先輩ですらがっくり肩落としてたよ」
「わー勿体無い」
「他人事かよ」
「まぁね……。ていうかあの頃は、仕事が思うように出来なくて……恋どころじゃなかったんだよね」
コーヒーに視線を落とし、私は苦笑した。
まだ自信満々だった学生の頃の自分が、色濃く残っていた新人時代。
それまで私は、それなりに何でもそつなくこなしてきていたし。
会社でも、バリバリ業績を伸ばせると信じていたんだ。
そうなれるまでは、恋なんて……ましてや社内恋愛なんて、考えてもみなかった。
……その結果が、この淋しい今なんだけどね。
中途半端に高いプライドは無駄なものなんだって、ようやく気が付いた。
どちらかというとツンケンして見えるせいか、最近では柔らかい態度を示すように気を遣っているものの、周りに抱かれているイメージを崩すのはとても難しい。
それを証拠に、職場ではそれなりに上手くやっているものの、いつの間にかプライベートなお誘いはかからなくなってしまった。
「……へぇ。じゃあ今なら誘いに乗っかるの?」
「誘いがあればね。最近淋しいから、それこそ出来損ないの新人クンとかでもデートしちゃいそう」
「マジで? 出来ない奴嫌いだったじゃん」
「んー、今はある程度自分が出来るワケだし。プライベートなら、性格が良ければいいよ」
「ふーん……」
「何、誘ってくれるわけ?」
何やら真面目に思案している葵を見て、私はくすりと笑う。
まったく、そういう思わせぶりなところも含めてモテるんだろうな。
きっと彼をフッたっていう女の子は、男なら誰でも好きになっちゃうような、天然系のずば抜けて可愛い子だったんだろう。
全体的にハードルが高いから、同じ独り身でも、きっと葵が見ている景色は私のものとは全然違うのだと思う。
「なぁ、今度一緒に飲みに行こうよ」
「は?」
「アルコールだめだったっけ?」
私の軽口には取り合わず、本当に誘いを掛けてきた葵に思わず目を見開く。
え、どんな風の吹き回し? マジで。
「いや、大丈夫だけど……ていうか、は? この流れで誘う? 普通」
「いやいや、そんな流れだっただろ」
「あー、そういう意味か。別に気ぃ遣わなくていいって、タイプの可愛い子誘いなよ」
「どういう意味に捉えたんだよ、別に気は遣ってない。ていうかタイプって……」
「フラれた相手、天然系の可愛い子じゃないの?」
「え?! 何で知って――」
「大体葵タイプのイケメンがフラれる相場なんて、そんなもんでしょ」
「うわー、随分ばっさり切り込んでくるね」
「ということで、私にはお構いなく」
「いや、絶対一緒に行く。俺断られると燃えるんだよね」
「じゃあ今度ね」
「オイ、どんだけあしらってくんの」
笑い出した葵に、私まで顔が綻んだ。
あぁ、こんな軽いノリで話すの……久し振りだな。
けど、葵は一瞬目を見開いて。
そんな葵に、今度は私が「何?」と目を見開いた。
「え、俺今感動した。美和って、そんな無防備に笑えるんだね」
「何よ、サイボーグか何かだと思ってたわけ?」
「まぁそんな感じかな」
「酷いなぁ……」
「だから、さ」
そう言いながら、葵は正面の席から隣へと移ってくる。
狭まった距離に、私はきょとんと目を丸くした。
「……ホントに、飲み行こうよ」
「え……」
「俺、もっと美和のこと知りたいんだけど」
「……」
「隙が全然無いから、諦めてただけだし」
「……はあ」
「結構タイプだったりするんだよね」
言われた言葉に、思わずドキッとしてしまう単細胞な自分が憎い。
私は慌てて笑顔を取り繕いながら、コーヒーを一口飲んだ。
「やめてよ、そういう冗談」
「冗談じゃないし。つか……マジで、時間が経つと変わるもんだね。前は美和、そんな顔するタイプじゃなかったのに」
「そんな顔って……」
「動揺したカオ」
ニヤリと口端を上げた葵は、さっきまでの無邪気な様子は綺麗に消え去り、何とも言えない男の色気が出始めている。
こ……これが男のフェロモンってやつ?
すごいな、モテる人種っていうのは。
「ほら、出して」
「え、何を?」
「携帯! 俺の番号入れるから」
「え……」
「ついでに、美和の番号盗むから」
そう悪戯っぽく微笑んだ葵に、私が折れて携帯を渡すまであと数十秒。
そして――
「あー、何か俺、楽しみになってきた」
この猫被りに、番号以外を盗まれるまで、あと数ヶ月。
fin.
ちょっぴりリアリティを出しつつ、不器用な大人たちの恋を書いてみたつもりです。
未熟な点も多々あったとは思いますが、少しでもお楽しみ頂けたでしょうか……?
最後までお読み頂き、ありがとうございました!